今年10月で放送開始から30周年を迎えた子供番組「ポンキッキーズ」の音楽面を振り返る本記事。前編ではスチャダラパーBoseへのインタビューを掲載したが、後編では「ポンキッキーズ」放送開始当初よりゼネラルプロデューサーアシスタント / ブレーンというポジションで制作スタッフを務め、現在もガチャピン・ムックに関するプロジェクトに携わっているフジテレビの山田洋久氏に話を聞いた。「ポンキッキーズ」の発起人でもある小畑芳和氏へのメール取材の回答も交えつつ、番組の誕生秘話や制作の裏側を掘り下げていく。
取材・文 / 石井佑来(音楽ナタリー編集部)
「ポンキッキーズ」に大きな影響を与えたヒット曲
「『ポンキッキ』リニューアルのタイミングで小畑さんが加わったのは、やっぱりデカかったんじゃないかな」。前編でBoseがそう語ったように、ゼネラルプロデューサーとして制作現場で陣頭指揮を執っていた小畑氏は、「ポンキッキーズ」という番組を振り返るうえで忘れてはならない最重要人物だ。「ポンキッキーズ」以前から長年彼とともに歩んできた山田氏も「『ポンキッキーズ』は小畑が作り上げた部分が大きい」と証言する。「いきなり!フライデーナイト」「ライオンのいただきます」といったバラエティ番組のディレクターを経て、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」をプロデューサーとしてヒットに導いた小畑氏は、自身の番組にさまざまなアーティストや楽曲を取り入れてきた。“バラエティ”と“音楽”を掛け合わせる小畑氏特有の番組作りの背景には、局内での彼の特殊なポジションが影響していたと山田氏は語る。
「小畑はもともとフジテレビの中でも少し変わった位置にいたんです。当時はバラエティ班と音楽班がきれいに分かれていたけど、小畑はその両方に属していて。作っている番組自体はバラエティなんだけど、いろんなレコード会社とコミュニケーションを取りながら新しい情報をどんどん仕入れて、それを番組に反映させていた。もともと『いろんなミュージシャンと番組を作りたい』『テレビには出ないような人たちの面白さを視聴者に届けたい』という思いが強い人だったし、当時は“とにかくいいものをわがままにやる”という作り方ができたので、『いきなり!フライデーナイト』という深夜番組にBOØWYさんに出てもらったり、小畑もいろいろ面白いことをやっていましたね」
「ポンキッキーズ」の放送スタートからさかのぼること3年。1990年9月、“ポンキッキーズ前史”において重要な曲が発表される。それが「やまだかつてないテレビ」をきっかけに大ヒットしたKANの代表曲「愛は勝つ」だ。もともと出演者にアーティストを起用したり、番組発のユニット・やまだかつてないWinkの楽曲「さよならだけどさよならじゃない」をヒットさせたりと、バラエティ番組でありながら音楽的要素の強かった「やまだかつてないテレビ」だが、中でも「愛は勝つ」のヒットはその後の番組作りに多大な影響を及ぼしたという。
「『愛は勝つ』のヒットはめちゃくちゃ大きかったと思います。『愛は勝つ』とその翌年の『それが大事』(大事MANブラザーズバンドによる『やまだかつてないテレビ』テーマソング)がどちらもミリオンを達成したことで、“バラエティからヒット曲が出る”という風潮がテレビ局全体にでき始めた。『やまかつ』自体は1992年に終わるんですけど、そのあとに小畑が始めたのがドリカム(DREAMS COME TRUE)さんのレギュラー番組『うれしたのし大好き』で。そこでもまたテーマ曲として『決戦は金曜日』を作ってもらったんです」
結果的に「決戦は金曜日」はドリカムにとってシングル初のミリオンヒットを記録。“バラエティからヒット曲が出る”というムードはますます強くなっていく。
「これらのヒットがあったことで、いろんなレコード会社から小畑のもとに情報が集まってくるようになった。そして、その情報をもとに生まれたのが『ポンキッキーズ』の楽曲の数々で。だから『ポンキッキーズ』は完全に『やまかつ』や『愛は勝つ』の延長線上にある番組なんですよね」
音楽が育む多種多様な価値観
「やまだかつてないテレビ」の終了後、小畑氏は「20年続いた『ひらけ!ポンキッキ』をリニューアルしたい」という話をフジテレビ上層部から受け、「ポンキッキーズ」を立ち上げることに。それまで幼児教育をメインとしていた「ポンキッキ」から視聴ターゲットやコンテンツを一新し、新たな番組へと生まれ変わらせる。そこで出てきたのが、教育とエンタテインメントをかけ合わせた「エデュテイメント」というコンセプト。このコンセプトは「これからは教育にも“ゆとり”が必要になる時代だから、エンタメ色を強くしよう」という考えから生まれたとのことだが、その“エンタメ色”の中心を担っていたのが、ほかでもない音楽だった。
「『ポンキッキーズ』では『ポンキッキ』のコンテンツはあまり引き継いでいないんです。ガチャピンとムックはそのままいたけど、それ以外では新しいことを始めたかった。特に音楽に関しては『大人でも楽しめるクオリティのものを』と思っていたので、オープニングは森高千里さんにお願いして、エンディングでは山下達郎さんの『パレード』を使わせてもらいました。森高さんは、当時同じ事務所に所属されていたKANさんのつながりで。曲のコンセプトと『何年先になっても残る曲をお願いしたい』という思いを伝えて、料理のときにかかるような音楽として『ロックン・オムレツ』を作ってもらったんです。エンディングの『パレード』は、完全に僕の趣味ですね(笑)。どうしても達郎さんの曲を使ってほしかったけど、新しく曲を作ってもらうのはさすがに無理だろうと思ったので、すでに出ている曲の中から『ポンキッキーズ』の世界観に一番合う『パレード』を小畑に提案して採用されました」
オープニングとエンディング以外にも、番組ではジャンルやアーティストの世代・知名度を問わずさまざまな楽曲が使われてきた。斉藤和義「歩いて帰ろう」、和田アキ子「さあ冒険だ」、米米CLUB「Child's days memory」、大江千里「夏の決心」、矢野顕子「夢のヒヨコ」、モダンチョキチョキズ「ピ ピカソ」、電気グルーヴ「ポポ」、スチャダラパー「大人になっても」……などなど、改めて列挙してみても極めて雑多なラインナップだ。番組内で「P-kiesメロディ」と呼ばれたこれらの楽曲は、果たしてどのようにセレクトされていたのだろうか。
「とにかく新しいアーティストや楽曲の情報を定期的にレコード会社から集めていましたね。で、もらった音源を全部聴いて、その中からいいと思ったものをやる。それだけです。スタッフがそれぞれいいと思ったものを持ち寄って、会議室に集まって全員で聴くんですよ。その中から最終的に小畑がジャッジするんです」
当時「ポンキッキーズ」に携わっていたスタッフはディレクターやADを含めて20人ほど。それらすべてのスタッフがいいと思った曲を持ち寄り、そこからオンエア曲が選ばれる。そのセレクト方法を聞くと、上に書いたようなラインナップの雑多さも頷ける。そしてその雑多さは「子供たちに、とにかくいろんなジャンルの音楽を聴いてほしい」という思いの表れでもあっただろう。
「ポンキッキーズ」を制作するうえで一番大切にしていた意識は何か? そんな質問に小畑氏は「子供たちに多種多様な価値観を持ってほしいと思っていました。子供たちが最も受け入れやすいのが音楽だと思います。合わせて感受性の育成に寄与すると思っています」と答えてくれた。「多様な価値観を持ってほしい」という子供たちへの思いから、小畑氏はレコード会社から届いた音源をすべて聴き、気になったアーティストには直接会いに行き、「P-kiesメロディ」を作り上げていったのだ。
「子供を子供扱いしない」と決めていた
山田氏が「『ポンキッキーズ』は『やまかつ』の延長線上にある」と語る通り、確かに「ポンキッキーズ」はそれまで小畑氏が行ってきた“バラエティ”と“音楽”を掛け合わせた番組作りの方法論に則って制作されていたように思える。とは言え「ポンキッキーズ」は子供番組。視聴ターゲットの違いから、従来の制作方法とは異なる部分もあったのではないだろうか。
「いや、僕らは『子供を子供扱いしない』と決めていたんです。だからそこまで大きな違いはなかったと思いますよ。どういうものが子供向けかはメディアが決めることじゃないし、子供としてじゃなくて1人の人間として扱うべきだというのを、スタッフ全員が共通認識として持っていたので。例えば『これは子供向けじゃないから』と言って曲を変えたりとか、そういうことは絶対にしない。いい音楽に年齢は関係ないですから。もっと言うと人種も言語も関係ない。海外の曲だって、歌詞がわからなくてもいいものはいいと思えるし、クラシックなんかは曲名すら知らなくてもいいフレーズは頭に残る。それが音楽のすごさだと思うんです」
「子供を子供扱いしない」。そんな重要な価値観のほかに、「ポンキッキーズ」の制作陣が大切にしていたのは「自分たちがいいと思うものをやろう」という、シンプルかつ実直な姿勢だった。
「音楽に関しても映像に関しても、『自分たちがいいと思うものをやろう』というのは『ポンキッキーズ』スタッフにとって大きなテーマだったと思います。裏を返すと『自分がいいと思わないものは絶対にやっちゃダメ』ということでもあって、『自分が好きじゃなかったら誰も好きにならないよ』というのは小畑にも言われてました。その時代に自分たちが何をいいと思ったか、その感覚だけを頼りに作られた番組なんですよ、『ポンキッキーズ』って。だから『とにかくアンテナを張れ』とも言われてましたね。何が子供に受けそうかとかではなくて、『とにかく自分のアンテナに引っかかったものをピックアップしろ』って。中には単にスタッフが『この人と仕事をしてみたい』と思って決まったものもあるんです。僕で言うとさっき話した達郎さんの『パレード』がそうですし、EPOさんとか杏里さんとかもそう。そういうふうにある意味自分たちのわがままを叶えさせてもらっていた番組でもある。振り返ってみると、意外とただの音楽バカたちが作っていた番組なんですよ(笑)」
とにかくアンテナを張って、自分がいいと思ったアーティストを取り上げる。そんな純粋な姿勢が、ブレイク前の安室奈美恵や、当時小学生だった三浦大知擁するFolderを起用するという先見の明に結果的につながったのだろう。
「ポンキッキーズ」を象徴するあのフレーズ
「P-kiesメロディ」で使用された楽曲は数多あるが、「『ポンキッキーズ』の曲と言えば?」という質問に最も多く挙がるのは、斉藤和義の「歩いて帰ろう」ではないだろうか。今でこそ斉藤は言わずと知れた大人気ミュージシャンだが、当時はまだデビュー2年目の新人。彼もまたブレイク前に「ポンキッキーズ」に見出されたアーティストのうちの1人だ。
「レコード会社から届いた大量の音源の中に斉藤和義さんの曲があったんですけど、それがすごくよくて。『このアーティストいいね』という話になり、後日レコード会社の方に頼んで、小畑が斉藤和義さんと話して番組向けに作ってもらったのが『歩いて帰ろう』です。『朝の番組なのに“帰ろう”でいいのか』という話もあったけど(笑)、聴いていて気持ちいいからいいんじゃない?ということでオープニングに決まりました。斉藤和義さんはデビューしたての頃だったので、当時はまだ世間にあまり知られてなかったと思います」
「電気グルーヴの曲が子供番組で流れていたというのも、今考えるとなかなかすごいことですよね。彼らがやっていた音楽は、当時からかなりインパクトがありましたから。『ポポ』はもともと、曲の内容に寄せた映像を作っていたんですけど、寄せすぎてかなりサイケになってしまって。映像的にはすごくカッコよかったけど、さすがにこれを朝から見せるのはまずいんじゃないかという意見が挙がり、SLが走っている映像を使用することになりました。あと、鹿賀丈史さんの『Ja-nay』は、実は鹿賀さんが小畑と同級生だという縁から決まった曲なんです。当時鹿賀さんはフジの『料理の鉄人』でMCをしていたので、その流れもあって出てもらうことになりました」
そして「ポンキッキーズ」を代表する楽曲といえば、やはりなんと言っても「パーパラパッパパラッ パーパッパパッパパラ」から始まるオープニングソング「Welcome to Ponkickies」だろう。この曲は、小畑氏が原曲となるスチャダラパー「GET UP AND DANCE」を聴いて「この印象的なフレーズは子どもたちにも刺さるはず」と感じたことから、オープニングソングとしての使用が決まったという。「多くの人にとって“『ポンキッキーズ』=あのフレーズ”になっている」とまで語る山田氏は、子供番組と音楽の関係性についてこう述べる。
「子供の頃に聴いた曲とかフレーズって本当に残り続けるんですよね。そういう、聴いた人の中にいつまでも残り続ける曲を発信しないといけないなというのはずっと思っていました。それができるのがメディアの力だと思いますし。子供番組に『曲を作ってほしい』と言われて嫌がる人って、実はあまりいないんですよ。アーティストの方も『売れたい』とかそういう気持ちとは別に、『自分の楽曲が次の世代に残ってほしい』という思いを持っているはずで。子供たちに自分の曲を聴いてもらえること、それ自体が財産になりますからね」
「ポンキッキーズ」とほかの子供番組の大きな違い
「ひらけ!ポンキッキ」から「ポンキッキーズ」へリニューアルするにあたって、ほぼすべてのコンテンツを一新しながらも、中には受け継がれたものもあった。その1つが番組で流れるThe Beatlesの音楽だ。
「小畑がすごいのは『ポンキッキ』をリニューアルすると決まったときに、それまでの20年分の映像をすべて観たんですよ。それで『これはいい』と思うものは残して、『ポンキッキーズ』にも受け継いだ。『ポンキッキ』は、スポットと呼ばれる1分以内の短い映像が特徴的で。ストップモーションアニメーションとか紙芝居とかいろんな種類の映像があったんですけど、アクセントとして海外の楽曲を使用していたんです。そこで最も多く使われていたのがThe Beatles。それを受け継いで『ポンキッキーズ』でもThe Beatlesの曲を使用するようになりました。いのっち(井ノ原快彦)がMCをしていた時代や、BSに移動してからもずっと使ってましたね」
またもう1つ、「ひらけ!ポンキッキ」から「ポンキッキーズ」に受け継がれたものとして、子供番組としての特徴的な作り方があるという。そしてその作り方こそが、ほかの子供番組と「ポンキッキーズ」の大きな違いだと山田氏は語ってくれた。
「NHKさんの『おかあさんといっしょ』や『ピンポンパン』と違って、『ポンキッキーズ』には子供が出てこないんですよ。一般的な子供番組は、スタジオに大勢の子供がいて、視聴者はその子供たちと同じ目線で番組を観る。でも『ポンキッキーズ』はBoseさんやピエール瀧さん、ガチャピンやムックがいるだけで、子供はいない。彼らはあくまでテレビの向こう側にいる子供たちに語りかけるようにしているんです。この番組の作り方は『ポンキッキ』から一貫してますね。あと『ポンキッキーズ』は基本的に『お母さんお父さんと一緒に観てください』と言っていました。『番組を子守に使わないでください』と。スタッフの間でも『お母さんお父さんと会話しながら観てもらえるような番組を作らないといけないよね』という話をしていたし、そのためにも、親御さんにも好きになってもらえるような曲を流さないといけないと思っていた。子供の頃に親が車でどんな曲を聴いていたかって、自分の趣味にも影響を与えたりするじゃないですか。親がどんなものを好きかは子供にとってすごく大きいし、自分が好きなものを親も好きだと子供はうれしかったりする。そういう、親子で共有できるものを、『ポンキッキーズ』という番組を通じて発信していきたかったんです」
今、子供番組が果たすべき役割は……
小畑氏が「多種多様な価値観を持ってほしい」という思いとともに「ポンキッキーズ」を立ち上げてから30年。今では多くのアーティストが「ポンキッキーズ」からの影響や当時番組を視聴していたことを公言している。STUTS、PUNPEE、Awich、常田大希(King Gnu、millennium parade、PERIMETRON)、岡崎体育、Avec Avec、Seiho 、DJみそしるとMCごはん、NegiccoのMeguと同グループのプロデューサー・connie、清浦夏実(TWEEDEES)、福富優樹(Homecomings)、原田晃行(Hi,how are you?)、ササノマリイ、メイリン(ZOMBIE-CHANG)、テンテンコ……思いつくまま挙げてみても、ジャンルや活動しているシーンは見事にバラバラだ。音楽を愛するスタッフによる実直な姿勢が、多くの子供たちにポップミュージックへの“目覚め”をもたらし、そこで蒔かれた種がさまざまな形で実を結んだということだろう。しかし、当の小畑氏本人は「音楽を好きになる子供たちが増えてほしい」という期待は持ちつつも、それが音楽業界にまで影響を与えるとは思っていなかったとのことだ。一方の山田氏は「当時観ていた子供たちに何を残せたかはわからないけど」と謙遜しながら、「ポンキッキーズ」という番組がもたらした影響について感慨をにじませる。
「いろんなタイプの曲を流していたので、それが誰かの何かのきっかけの1つにはなったんじゃないかなと思います。あるインタビューで、『ポンキッキーズ』で流れていた『パレード』を聴いて山下達郎さんの音楽に目覚めました、と言っている方がいて。そういうのを見ると『よかったな』という気持ちになりますね。そしてそれは、小畑が当時選んだものがズレていなかったということだと思います。時代の先を行きすぎていてもダメで、大事なのは“その時代に合ったいいものをどう発信していくか”。その見極めが、メディアに力があるときにできていたということなのかもしれないですね」
「メディアに力があるときにできていた」。裏を返せば、メディアの持つ影響力は30年前と比べて弱体化していると受け取ることもできるはず。そんな時代に、子供番組はどのような形で存続していくべきなのか。そして、かつての「ポンキッキーズ」的な役割を果たしているコンテンツはあるのだろうか。我々の問いに小畑氏は「『ポンキッキーズ』とは違いますが、Eテレでいくつか素敵な番組があります。現在は、少子化の議論を踏まえ子供に対する意識は高まっていますが、依然としてテレビ番組ではその状況は変わらないように思えます」と率直な答えを返してくれた。また、現在もガチャピン・ムックに関するプロジェクトに携わっている山田氏は、今子供番組が果たすべき役割や自身が思い描く理想をこう語る。
「少子化の今、子供たちとどう接するか。家族に向けてどう働きかけるか。みんなが『子供を作って育てたい』と思える社会をどうやって作っていくか。そのことは真剣に考えないといけないし、そのためにも親子で楽しめるものを発信していく必要がある。そういう点において、Eテレさんの番組だったり、テレビ東京さんの『シナぷしゅ』だったり、すごいと思う番組はちゃんとあります。音楽の使い方など『ポンキッキーズ』をオマージュしていただいているなと感じることもありますし、中には『ポンキッキーズ』のスタッフだった人が関わっている番組もあったりして。番組が終わっても、そういう形で“『ポンキッキーズ』イズム”が受け継がれているのはうれしいですね。理想は『ポンキッキーズ』を観て育ったミュージシャンたちによる番組ができること。『ひらけ!ポンキッキ』から『ポンキッキーズ』へ。そして新たな子供たちへ。そんなふうにバトンを渡していけるのが一番の理想です」
30年前、「ひらけ!ポンキッキ」が持っていたバトンは下の世代に確かに受け渡された。それは前編でのBoseの「子供の頃『ひらけ!ポンキッキ』がすごく好きだった」という言葉にも表れているはずだ。そして今は「ポンキッキーズ」から影響を受けたアーティストが、それぞれの場所で活躍し、また新たな影響を与え続けている。かつて「ポンキッキーズ」が蒔いた種は、これからも芽吹き続けていくのだろう。