このテキストを読む人には説明不要かもしれないが、“Creepy Nutsのラッパー・R-指定”といえば、もはやヒップホップリスナーだけではなく、お茶の間レベルでもその存在を強く知らしめる、音楽シーンのトップランナーだ。そして、その彼がスターダムに登り詰めるまでのキャリアを考えるうえで欠かせない要素として“MCバトル”がある。
「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)グランドチャンピオンシップ3連覇という前人未踏の功績に加え、数々のバトルで優勝し、「フリースタイルダンジョン」では初代モンスター、二代目ラスボスに就任。2010年代のMCバトルブームを牽引し、追従する多くの新たなラッパーを生み出し、スタイルや構造自体に影響を与えた存在であることは間違いないだろう。
“MCバトルを完成させた”とも評される彼は、どのようにMCバトルに挑み、絶対王者となったのか、そして距離を置いた現在はバトルシーンをどう見ているのか。KEN THE 390がその胸中を聞いた。
取材・文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)
UMBの“HIDADDY 対 FORK戦”は世代の歌
KEN THE 390 RがMCバトルを知ったきっかけってなんだったの?
R-指定 もう恥ずかしいぐらい映画「8Mile」ですね。びっくりするほどド真ん中で「8 Mile」(笑)。中1ぐらいでヒップホップを聴き始めて、映画観て、「エミネム、めっちゃカッコええな」と普通に憧れましたね。
KEN 日本のMCバトルより先に「8 Mile」だったんだ。
R-指定 ほぼ同時ぐらいですね。ネットにKREVAさんが「B-BOY PARK」(BBP)で3連覇したときの映像が上がってて、「日本でも、日本語でもできんねや!」と思った記憶があります。それから2002年のBBPでの漢さんと般若さんのバトル。特に漢さんのリリックは衝撃的でしたね。「え、腐乱死体とか言ってる? 怖い!」みたいな(笑)。
KEN そこだ(笑)。
R-指定 それから中3のときに、バスケ部の後輩からMSCやCOE-LA-CANTHみたいなアンダーグラウンドのヒップホップを教わって、「この漢ってBBPに出てた人やんな?」というつながりから「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)にたどり着いて、そこで2006年のUMBでの“HIDADDY 対 FORK戦”に出会ってしまうわけですよ。
──Rさんの世代はあのバトルに影響を受けている人が本当に多いですね。
R-指定 80年代後半から90年代前半生まれまでのラッパーは、みんなあの内容を暗記してんちゃうかな。「俺FORKさんやるから、お前HIDAさんな」って分けたら、みんなカバーできますよ(笑)。世代の歌ですよ、もはや。
──「NOW」みたいな年代別コンピがあったら……。
R-指定 2006年版の1曲目(笑)。当時、もうすでに自分でリリックは書いてたんですよ。でも「こんなレベルで即興ができるんやったら、俺もやってみたい」と、あの試合を観て自分でもフリースタイルをやろうと思ったんですよね。
KEN あれは相当コミュニケーション性の高い試合だったよね。
R-指定 「俺もできるかも」と思った根本の理由は言語化できないんですけど、「勉強も運動も苦手で嫌いやけど、これはできそうやし好きかも」っていうワクワクを感じたのは間違いなかった。もともと「ああ言えば、こう言う」減らず口が得意やったし(笑)。
──Rさんにとって“HIDADDY 対 FORK戦”の魅力は?
R-指定 味がめっちゃ濃いうえに、HIDAさんの面白い言い回し、FORKさんのクールな言葉の展開みたいに、スタイルも対照的という部分ですかね。「このHIDAさんの切り返しや引き出し方は完璧やな」「このFORKさんの韻の踏み方すごない?」と何回観ても発見があるし、噛んでも噛んでも味が出るんですよ。それこそ「中学校時代」「バトルにガンガンに出てた時代」「今現在」と自分の状況によっても見え方が変わるバトルですね。
KEN KREVAさんが即興で韻が踏めることを証明して、漢さんが会話するようにラップできることをスタイルとして成立させた、という両方の流れを汲んだうえに、それをすごいクオリティで形にしたという意味でも、“HIDADDY 対 FORK戦”は1つの到達点だよね。
“R指亭狂HEY”時代、梅田サイファーとの出会い
KEN “HIDADDY 対 FORK戦”に影響を受けたのが中学生のときで、さらにすでに自分でリリックを書いてたというのは早熟だね。
R-指定 一緒に梅田サイファーに参加した同級生のラードってやつに「お前、ラップうまいやん」とか言われて調子乗ってたし、「同世代で一番ラップがうまいの俺やろな」と思ってたんですよ。そういう14、5歳ならではの「俺は何者かであるはずだ」ということを、根拠もなく確実に信じてる時期にバトルとも出会って、さらに「これや! きたきた!」みたいな(笑)。
KEN 実際にそれが今に至るんだからすごいよね。梅田サイファーに参加したのもその時期?
R-指定 その1、2年後ですね。モバゲーで同世代を調べてたら、「15歳です。自分でラップ録ったんで聴いてください」とアップしてたのがKOPERUやったんですよ。同い年で曲が作れる、録れる、アップできる、しかも大阪で……嘘やろ! ヤバ!と衝撃でしたね。それで情報を見たら「梅田サイファーに行きます」って書いてて、ほぼ同じタイミングでラードからも梅田の情報が入ってきたんで「じゃあ行ってみるか」と。
KEN ネットで存在を知ったんだ。
R-指定 モバゲーかmixiか……基本的にはみんなネットやったと思いますね。テークエムもモバゲーにおったんですよ。モバゲーの掲示板でライムし合うカルチャーがあって、そこで存在は知ってたんですけど、梅田で出会って「ネットライムしたことあるで」と言われて。
KEN その掲示板ではすでに“R-指定”だったの?
R-指定 そのときは“R指亭狂HEY”でしたね。
KEN 思ってた数倍ヤバかった(笑)。
R-指定 ちゃんと恥ずかしい(笑)。梅田に参加する前は、この歳でラップができて、しかもちゃんとHIDAさんやFORKさんのラップのすごさも理解してるやつはほかにおらんやろと思ってたんですよね。だけど、サイファーに参加したら、全員淀みなくバチバチにラップできてるし、同い年のKOPERUは普通にうまいし、「え、なんなん? これ?」と。ある程度ラップできてるという自負がグラッと揺れた瞬間でしたね。
KEN ほかの人もちゃんとクオリティが高かったんだ。でも、サイファー自体が当時は珍しいよね。全国にサイファーができたのは「フリースタイルダンジョン」ブーム以降だし。
R-指定 それこそKENさんやダメレコ(Da.Me.Records)周辺の人たちがやってた、「ハチ公前サイファー」の影響は大きかったと思いますね。それから毎週土曜日に梅田に遊びに行くようになって。その中で、みんなバトルにも出てるし、俺も出てみるかというのが、バトル参加のきっかけで。
KEN 「高校生でバトルに出る子がいるらしいよ」という話はその時期から増え始めたんだけど、RやKOPERUはそのはしりだよね。サイファー内でもバトルはやってたの?
R-指定 やりましたね。2、3時間サイファーして、ひとしきり終わったら、「じゃあ、ちょっとバトルでもやってみようか」と。
KEN 予行演習みたいな。
R-指定 サイファーの段階から「俺がもしこの人と戦うんやったら、どんなこと言うんやろな」とか、ちょっとしたシミュレーションもしてた甲斐があったのか、その梅田内バトルで優勝もできて。
KEN もうその頃から強かったんだ。
R-指定 どうなんすかね……みんなサイファーの延長線上で、相手を笑かすぐらいの温度でバトルをやってた中で、俺だけめちゃくちゃキルなラップをしてたんで(笑)。
KEN 遊びのバトルで相手を殺しにいくのは一線超えてるよね(笑)。
R-指定 「あれ、ちょっと空気ちゃうかな……」と思いながらも、「ぶちかましたい」という欲望を止められなかった(笑)。
KEN でも、そこにRの強さの原点がある気がする。Rって、オールラウンドな強さがあるけど、根本的にハートが強いし、それを仲間内でも出せてたというか。空気の読み方は間違えてたかもしれないけど(笑)。
R-指定 KENさんにそう言ってもらえるとうれしいです。俺、日本人ラッパーの中で根性がある人を挙げてくださいと言われたら、真っ先に浮かぶのがKENさんと般若さんなんですよね。
KEN そうなんだ。
R-指定 根性が具現化して人間の形になると般若さんになる(笑)。KENさんは見た目としてはそうは見えない、ナードでもない、サブカルでもない、いい意味で“普通の人”なのに、最高にイケイケのときの漢さんとゼロ距離でバトルしてるんですよ? その感じはやっぱりエグいし、奥底に秘めた根性の座り方がすごい。
KEN ありがとう(笑)。
R-指定 梅田の連中も、かなりKENさんの影響を受けてますよ。梅田のメンツは基本的にハードではないし、どっちかと言えば普通な、ラップ好きな人間の集まり。でもUMBのDVD観て、「おい見ろよ、KENさん、こんなイカつい人にバチバチいってるやん! 俺らもできるよ!」と勇気をもらったというか。
KEN でも、結局それで“裏でゼロ距離”もあるわけだからね。
R-指定 そうなんですよ! KENさんと同じようにバチバチにいって、結局裏で胸ぐらつかまれて「あれ? DVDと違って普通に詰められるやん! 契約違反ですよ、そんなん!」みたいな(笑)。
相手も武器を持ってるし、俺も刺していいんでしょ?
──Rさんは漢さんとも戦ってるんですよね。
R-指定 人生1回目の公式バトルは、高槻POSSEの志楽さんに負けたんですけど、人生2回目のバトルが2009年の「ENTER」で、その2回戦の相手が漢さんだったんですよね。そのときは「これは殴られてもしょうがない。爪痕を残せれば」と思って戦いました。結果勝てたんですけど、バトル後に漢さんが冗談交じりに「これが5年前じゃなくてよかったな」って(笑)。
KEN ははは。
R-指定 結局、決勝でERONEさんに負けたんですけど、手応えと結果を残せたと、そのバトルで思いましたね。
KEN 成長スピードが超早いよね。普通「ENTER」の決勝に、バトル2度目では上がれないよ。
R-指定 でも、KOPERUやふぁんくさんがすでに優勝してたし、ペッペBOMBも準優勝してたんで、梅田はその時点ですでに“バトルで勝つ集団”という感じやったんですよ。当然、俺も優勝する気でいたから、悔しい気持ちのほうが強かったですね。
KEN シンプルに梅田のフリースタイルのレベルが高かったんだろうね。
R-指定 梅田は何時間もサイファーしてたというのもあるけど、ラップを分析して、研究して、実践する集団でもあったんですよね。どっちかと言えば「バイブスってなんやねん。それより“うまいラップとは何か?”を、ちゃんと考えたほうがええやろ」という意識をみんな共通で持っていて。
──スキルをロジックで考えてたというか。
KEN 梅田は“地元”には根付いてない集団だから、“先輩・後輩”のような関係性から切り離されてたのも大きいよね。
R-指定 チケットノルマとか上下関係、いわゆる“地元のピラミッド”がダルくて、梅田にたどり着いたやつばっかりやったんで。
KEN 地元のピラミッドにいるメリットもデメリットもわかってるけど……。
R-指定 そこへの憧れもあったりするんですけど、いろいろ考えるよりも、とにかくラップがしたかったんですよね。そういうやつが梅田に集まって、夕方から夜中までサイファーして、終電逃したら朝まで延々ラップの話をしてたら、そらラップもうまくなるよな、と。
KEN やっぱり、梅田はラップオタクが多いもんね。
R-指定 そうですね。そもそも出自が違うし、相手にされなかったからってのもあるけど、当時は反不良、反ファッションみたいな方向に、こじらせてましたね。
KEN ダメレコのメンツもそうだったから、聞けば聞くほどよくわかる。バギーパンツにニューエラとか「なんだよ、コスプレかよ!」とか思ってたし(笑)。
R-指定 ははは!
KEN そういう“ザ・ヒップホップ”が好きだし、憧れてるのに、そうなれない自分と、受け入れてくれないシーンへの憎しみが渦巻いてた(笑)。
R-指定 まさしくそう(笑)。俺も梅田サイファーと出会って、「ガワよりラップが大事なんやな」と気付かされたし、梅田に参加しなかったら、無理して“マッチョなラップ”してたかもしれない。
KEN だから、こじらす時期は大事なんだよね、人間。
──しみじみと(笑)。梅田は常勝集団になる一方で、バトルに出ると「あんなオタクどもやっつけろ」という罵声が飛ぶこともあったようですね。
R-指定 梅田は大阪シーンの中心とは距離がありましたからね。
KEN 大阪のヒップホップはアンダーグラウンドが中心で、オーバーグラウンドが強くなかったから、どちらかと言えばキャッチーな梅田は余計にそう見られてたのかもね。
R-指定 SHINGO★西成さんや、レゲエのシーンも強かったけど、やっぱり俺らの世代はアメ村のど真ん中に韻踏合組合がおって、韻踏が大看板やったし、その流れにストリートっぽいラッパーも、ヘッズもみんなおって。
KEN 東京だと、雷がいて、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDがいて、MSCがいてというように、いろんなシーンがあって、それとは違う軸としてダメレコがあった。でも特にあの当時の大阪は韻踏合組合が象徴であり、大本流って感じだったよね。
R-指定 俺らも韻踏が大好きなんですけど、そのすぐ近くにCOE-LA-CANTH、ZIOPSみたいな存在がおって、俺らはそっち側ではないんやろうな、と自覚することも多くて。だから、アメ村シーンや文化圏を重んじるリスナーから、梅田は嫌われてたという感じでしたね。「あいつら全然アメ村で遊んでんの見いひんやん」「クラブおらんやん」「どうせスケートもでけへんやろ」という。
──最後は運動神経の問題な気もするけど(笑)。
KEN でも、そのシーンの中で10代やハタチそこそこの連中がヘイトされるということは、それだけ目立ってたってことだよね。みんな1回戦で負けてたら、好きも嫌いもないだろうし、結果を出してたから、余計に癪に障るというのはあったと思う。
R-指定 俺らも態度が悪かったと思います。そうやってヘイトされること自体、ヒール的でちょっと気持ちいいと思ってたし、シーンを崩してるような痛快さを感じてたんですよね。もっと言えば、悪くて強くてモテそうな、人間として、生物としてのスペックで全部自分より勝ってる人を、ラップでボコボコにできるという部分に快感を覚えてた。しかもそれがバトルだとより増幅されるし、人をこっぴどく打ち負かす残虐な快感に酔ってたっすね。だから10代後半のバトルしてるときの自分は、今考えるとめちゃくちゃ嫌い。「ラップスタア」に出てきたら一発で落とす。世の中のためにも(笑)。
KEN でも、そう思ってたということは、負ける気自体してないわけでしょ?
R-指定 ライムの幅や脳みその回転速度、ビートの聞こえてる範囲が全然違うと思ってましたからね……嫌なやつやな(笑)。負けるとしたら、ストリートっぽさ、バイブス、客の支持層の話で、スキルでは一切負けると思ってなかった。
KEN 相手を完全に見下してたんだ。
R-指定 最悪ですけど、そうですね。人に見下されてばかりの人生やったから、見下すのはこんなに気持ちええんや、って……よくなさすぎますね。「相手も武器を持ってるし、俺も刺していいんでしょ? そういう場所でしょ?」みたいな。
──戦争がなくならない理由だ(笑)。
KEN でも無双状態に入ってると、そういうマインドになりがちだよね。
R-指定 完全にバッドバイブスで生きてましたね。今までの復讐みたいな……そりゃ嫌われますよ。
“相手を打ち負かすラップ”から、“キングだと認めさせるラップ”に
KEN それでもUMB2010から5年連続でUMBの大阪代表になるのはすごいね。
R-指定 それが2010年の本戦1回戦で晋平太さんに負け、2011年も本戦1回戦でDOTAMAさんに負け、完全に自信をへし折られるんですよね。梅田のみんなも応援しに来てくれて、そんな仲間への感謝と同時に申し訳なさも感じて。
KEN 人間性を取り戻していったんだ。でもその足下にはRにケチョンケチョンにされた人たちが転がってるわけでしょ?(笑)
──その人たちからしたら「俺らにも謝ってから改心してくれ」って感じですよね(笑)。
R-指定 ははは。最初に大阪代表になったとき、やっぱり「なんであんなやつが」という声もあったんですよ。でもSHINGO★西成さんが「あいつはイケてたし、優勝やろ」と言ってくれたり、韻踏が「梅田はラップうまいし、カッコええやん」と認めてくれたのも大きかった。それで動きやすくなった部分は確実にある……けど、その先輩方の度量の広さを考えると、それまでの俺の心が狭すぎましたよね(笑)。そんで3度目の大阪代表に選ばれたときに、ERONEさんに意気込みを聞かれて「まあ、普段通りっすね」とか、ちょっと斜に構えたことを言ったら、「『大阪を背負っていくからみんなついてこい』ぐらい言ったほうがカッコええで」と言われて、ハッとしたんですよ。それまでのように「俺以外全員ザコ」みたいな気持ちではたかが知れてるんやろなと。実際、それで1回戦負けしてるわけやし。それよりも「街を背負う」ぐらいの気持ちで向き合うのが誠実やと気付いて。
KEN そういう気持ちじゃないと、大きい大会で勝つのは絶対に無理だよね。「俺たちの気持ちをこいつに預けられるか」という、集団心理を味方につけられるか否かはかなり大きい。
R-指定 それまで「俺はメインじゃない」と思ってたけど、「ヒーローで、アカレンジャーでええやん」と思い直したんですよ。だから“相手を打ち負かすラップ”から、“あいつがキングだと認めさせるラップ”になった。
──マインドが変わったと。
R-指定 それまではバトルマシーンというか、相手を倒すだけで“その先”がなかったんですよ。でもバトルで観客を爆沸きさせて、その先に自分の人生を前向きにしたいみたいな、“バトルの出口”が見えたというか。その気持ちが芽生えたことで、UMBの優勝を成し遂げられたというのは、確実にあると思います。
KEN 何かを達成するときに、意識の変化は必要なファクターだと思うし、その変化をラップにつなげられたのが大きいよね。
R-指定 そこで“ヒップホップの思想”がラップにちゃんと入ったと思うんですよ。確かに“殺戮マシーン”だったときのほうがテクニックは上がった。でも「何も持ってないやつがヒーローになるのが、やっぱりヒップホップやんな」という原点に立ち返る意識を持つことで、そこでラッパーらしい存在になれたと思うし、それによって日本一をつかむことができたと思います。
<後編に続く>
R-指定(アールシテイ)
大阪府堺市出身のラッパー。2015年にDJ松永とCreepy Nutsを結成。日本最高峰のMCバトル大会「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)大阪大会にて5連覇。2012年、2013年、2014年には全国大会「UMB GRAND CHAMPIONSHIP」で優勝し、史上初の全国3連覇を成し遂げた。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」では、初代モンスター、二代目ラスボスとして活躍。数多くの楽曲に客演として参加するほか、梅田サイファーのメンバーとしても活動。2004年1月にリリースしたCreepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」は、iTunesヒップホップチャートにて10カ国以上で1位を獲得。Billboard Global 200でトップ10入りするなど、世界的にヒットしている。
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。