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細野晴臣、ブライアン・ウィルソンを語る

「細野ゼミ」メインビジュアル
16分前2025年10月11日 11:06

細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、細野の音楽観をより深く学ぶべく2023年より“補講”を開講している。

ゼミ生として参加するのは、細野を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。今回のテーマは、今年6月に82歳で亡くなった、The Beach Boysを象徴するメンバーのブライアン・ウィルソン。本ゼミにもたびたび名前が登場してきた彼の功績と、細野が受けてきた影響を振り返る。

取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん

不動の存在としてのThe Beach Boys、The Beatles

──2025年は、ポップミュージック界の巨星の訃報が相次いでいます。6月には、本ゼミでもたびたび名前が上がっていたブライアン・ウィルソンとスライ・ストーンがどちらも82歳で亡くなりました。そこで今回はブライアン・ウィルソン、次回はスライ・ストーンをテーマに話を伺います。ゼミ生のお二人がブライアン・ウィルソンを知るきっかけになった作品などはありますか?

安部勇磨 「Pet Sounds」です。幼いときに……。

ハマ・オカモト 「幼いときに」?

安部 10代の終わりの頃ね(笑)。最初に聴いたときは、なんか怖かったです。“楽しそうだけど、怖い”。「なんだろう、この響きは?」っていう、魔術的で怖かったイメージがあるの。The Beatlesも最初はそんなイメージだったんですけど。

ハマ 僕はThe Beach Boysの「I Get Around」を好きになったのがきっかけでしたね。中学生のときに初めて聴きました。ブライアンのトリビュートイベント(2005年の「Musicares Presents A Tribute To Brian Wilson」)で、Red Hot Chili Peppersがカバーしていたんです。あの印象的なコーラスも再現していました。それから数年後に「The Beach Boysと言えば!」みたいな感じで「Pet Sounds」を知って、さぞやサーフィンミュージックみたいな感じなんだろうなと思って聴いたら……「これはどう咀嚼したらいいんだろう?」って。当時15、6歳だったんで、わかるようになるまでちょっと時間がかかりましたね。細野さんが最初にThe Beach Boysを聴いたのは?

細野晴臣 中学生のとき。初めて聴いたのは「Surfin' U.S.A.」だね。FENのトップ20を聴いてたら耳に飛び込んできた。

安部 やっぱり、「面白い録り方をしてるな」とか思ったりしたんですか?

細野 キックの音が大きい、とか。あと、異質なものだと思った。それまでの“プロの作家が曲を作ってアイドルが歌う”ってパターンじゃないというか。「Surfin' U.S.A.」は……1963年か。最近「なんだこれは?」と思わされるような音楽ってないけど、当時のThe Beach Boysはそうだったんだよ。初期の頃はサーフィンとホットロッドの流行の中でも特別な存在だったね。

──それぞれ思い入れのある作品は違うと思いますが、皆さんにとってブライアン・ウィルソンはどういったアーティストですか?

安部 僕から話していいですか? というのも、事前に学習しておこうと思ったんですが、実はテーマを勘違いしてしまってブライアン・イーノを聴いてきちゃったんです……。

ハマ 勇磨、疲れすぎだよ(笑)。

細野 全然違うよ(笑)。

安部 だから今回は勉強モードです! すみません! ただ、ぼんやりとした印象だけはあるんですよ。“革新的なレコーディング技術で作品を作った人”みたいな。

ハマ 確かにThe Beatlesとともに、レコーディングのときに「こんなんやったらどうなるんだろう?」みたいなことを試し始めた最初の人たちという認識がある。The BeatlesもThe Beach Boysも、お互いに手の内を探り合っていたというエピソードもあるし。アイドル的な感じから徐々にアーティスト的になっていったThe Beatlesに比べて、The Beach Boysは急激に実験的なサウンドを追求し始めたから、ファンもついていけなかったのかも。

細野 The Beatlesが音楽的に変化していった時期に、The Beach Boysも同じように進化していった。お互いに作品を聴き合っていたんだよね。ポール・マッカートニーがブライアンのところに行って、レコーディングについて話を聞いたこともあったらしい。デビュー時は交流がなかったけど、どんどん刺激し合う存在になっていった。しかも、ブライアンはレコーディングにしか興味がなかったんだよ。途中からライブをやらなくなっちゃった。

ハマ 今みたいに録音技術の選択肢も広くない時代じゃないですか。そういう時期だからこそ、純粋に互いのことが気になっていたんでしょうね。結局The BeatlesもThe Beach Boysも、レコーディング技術の話になっていきますもんね。そういうところが語られるバンドって、実はあんまりいない。だからその2組はパイオニアであり、不動の地位にいるんだろうな。

大瀧詠一の前で「Surfin' U.S.A.」を歌ったら

細野 とにかくブライアン・ウィルソンは伝説のアーティストなんだ。1967年にThe Beach Boysがリリースするはずだった「Smile」という作品が大問題になったんだよ。ブライアンがメンタルを病んで1人でスタジオにこもって、サウンドを模索して……彼は当時、自分が作るサウンドを“ポケットシンフォニー”と呼んでいたんだ。つまり小編成ながらスタジオで創造するシンフォニーにこだわった。それでプロのミュージシャンを集めて、長い時間をかけて、スタジオで思いついたことを全部実行していったわけだけど、莫大な時間とお金がかかってね。しかも結局、未完成で発売されなかった。それが1つの伝説になったんだよ。そういうこともあって、彼の作る音楽は日本にいる僕たちミュージシャンにとって“アメリカの音楽史のすごい位置にある秘密の音楽”なんだ。だからこの時期、日本ではそれほどポピュラーではなかった。コピーするバンドも少ない。山下達郎ぐらいじゃない? もし僕が高い声だったらコピーしてただろうな。昔、はっぴいえんどの頃、大瀧詠一の前で「Surfin' U.S.A.」を歌ったことがあるんだよ、低い声で。それで大笑いされたことがある。

ハマ 真面目にコピーしたんですよね?

細野 笑わせようとは思っていなかったよ(笑)。

ハマ 大瀧さんなんてまさに、The Beach Boysを研究されていたんじゃないですか?

細野 彼は好きなことは深く研究するからね。

ハマ ……愚問でした(笑)。

細野 コーラスの組み方とかね。The Beach Boysは、誰もやっていなかった時代に初めてああいう複雑なコーラスを取り入れたわけだけど、元はThe Four Freshmenなんだよ。すごく繊細かつ技巧的なコーラスアレンジメントをしているグループで、ブライアンは彼らにすごく影響を受けていたみたい。ブライアンは僕より上の世代で、1940~50年代の音楽にすごく思い入れがあるから。ジョージ・ガーシュウィンが好きだったりしてね。とにかく、僕らの周りでThe Beach Boysに影響されてない人はいないんじゃないかな。僕の世代は日本の音楽の主流とはズレてるけどね、ズレてる人にとっては大事な存在なんだ。ブライアン自身、アメリカの音楽界の中心からだんだんズレていったんだけど。とにかく初めてラジオで聴いてから、何十年も追いかけてる。ブライアンの死で1つの区切りがついたね。

“1日サーファー”細野晴臣

ハマ 僕らは神格化されたブライアンしか知らないけど、細野さんはご自身の人生とともに彼の音楽に触れてきたわけですね。

細野 1960年代は、メンバーが浜辺で女の子とイチャイチャしてる写真がアルバムジャケットに使われていたりもしていて、当時は彼らもアイドル的なところがあった。それを見て僕も「いいな」って憧れてたんだ(笑)。細いホワイトジーンズを履いているのにすごく影響されて、買いに行ったよ。アメ横に米軍の放出品を扱っているお店があってね。そこで買ったんだけど、「股引きみたいだ」って家族にからかわれた(笑)。

安部 細野さんもThe Beach Boysとかを聴きながら友達と浜辺で走ったりしてたんですか?

細野 憧れて、茅ヶ崎までサーフィンをしに行ったことがある。友達のお兄さんがサーフクラブを運営していて、1回やらせてもらったの。でも僕は“1日サーファー”。全然波に乗れなくて、すぐにあきらめた(笑)。サーフィンは、サーフィンミュージックと別に関係ないと思ったね。

──ブライアンもサーファーではなかったと聞きますからね。

安部 そうなんですか!? The Beach Boysという名前からそういうイメージが付いてるけど、違うんですね。

細野 海が嫌いだったんだよね。弟のデニス・ウィルソンはサーファーだったけど、彼は海で溺れ死んじゃった。まあ、とにかく初期のThe Beach Boysの音楽には裏がないというか。サーフィンだとかファッションだとか、遊びの文化の中から生まれたものだった。サーフィンブームの終わりくらいの時期……僕は中学生だったんだけど、FENを聴いてたら突然ブライアンが出てきて、リスナーに何かを呼びかけているんだよ。「何を話しているんだろう?」って聞いてみたら「ドラッグは止めよう」って(笑)。

安部ハマ えー!

細野 「僕みたいになっちゃうよ」って。当時、彼は薬物中毒だったんだね。明らかに呂律が回ってないんだよ。まあ人のことは言えないけど、キャリアの後半は歌もちょっと変なんだ。ヨレヨレで音程も怪しい。でも、そういうことも含めて、すごく感慨深いんだよね。アメリカ音楽の歴史の1ページというか、そういうことを感じるんだ。“ドラッグカルチャーの音楽への影響”みたいな。

ハマ 強烈な体験ですね……。

安部 ね……。

細野 うん。生々しかったね。

細野晴臣が感じるブライアン・ウィルソンへのシンパシー

──最初の安部さん、ハマさん両方の発言に「Pet Sounds」が出てきましたね。1966年発売のThe Beach Boysのアルバムで、代表作の1つです。ぜひ触れておきたいのですが。

細野 「God Only Knows」とか、大好きだね。

ハマ 初めて聴いたとき、うちのバンドメンバーの中で自信を持って「いいね」って言ったやつが1人もいなかったんですよ。「うん……よくわからないけど、この曲は好き」みたいな(笑)。でもデビューして数年経った頃、ボーカルが突然スタジオで「俺、昨日『Pet Sounds』が全部わかった!」って言い出したんですよ(笑)。あと、ジャケットも有名じゃないですか。アートピース的な意味でも語り継がれているし、不思議な作品ではありますよね。細野さんは初めて「Pet Sounds」を聴いたとき、「これはどういう音楽だろう?」という不思議な気持ちはあったんですか?

細野 1つもなかったね。安部くんがさっき「怖かった」と言っていたけれど、あの作品の世界、僕には怖くないんだ。「この深みはなんだろう?」と感じた。初めて聴いたときからずっと取りつかれている感じ。それ以前のThe Beach Boysはサーフバンドという印象だった。暗さがないんだ、少しも。でも、その世界が、暗くなっていく。それはなぜなのかと考えるようになった。そういう意味でも、僕は一生The Beach Boysの変化に影響され続けているのかもしれないね。ただしブライアンの曲自体は、途中で大きく変化したわけではないんだ。基本的には自分の中にある音楽観に沿ってる。メロディや和音の特徴は基本的に変わってない。一番の特徴は、コードのルート音をベースに使わないところ。そこから不思議な響きが生まれるんだ。だからレコーディング以前に、曲の作り方がユニークなわけだよね。

安部 サウンドに関係なく、楽曲そのものが面白いわけですね。

ハマ 客観的な感覚で作っていたんでしょうね。ベーシストなのにレコーディングでは本人があまり弾いていなかったとか。キャロル・ケイという女性ベーシストが演奏してたんだって。ベースだけじゃなく、ある時期以降のレコーディングではほとんどの楽器をスタジオミュージシャンが演奏していたらしいよ。

細野 キャロル・ケイはモータウンの楽曲でもけっこうベースを弾いてるね。ドラムはハル・ブレインが参加してた。

──細野さんがブライアンにシンパシーを感じるとしたら、どういったところになりますか?

細野 曲作りのひらめきが素晴らしいところが一番かな。あとは、メロディラインと声がマッチしてる感じとか。まあ、曲が好きなんですよ。ずっと心に残ってる曲が何曲かあるよね。作曲家では、ジョージ・ガーシュウィンやアーヴィング・バーリンと並んで僕の中では不動。そんなアメリカの名作曲家の系譜の最後にブライアンがいる。だから彼がどんどんダメな感じになって、ソロで新作を出すたびにガッカリしてた時期もあったんだ。で、あるとき、彼はカリフォルニアからシカゴのほうに引っ越したんだよ。そこで記者会見を開くというから、僕もシカゴまで行ったんだ。

安部 えええ! それは仕事で、ですか?

細野 インタビューするために。一番の目的は、僕のラジオ「Daisy World」のジングル用に声をもらうためだったの。ブライアンに「Daisy World」って言ってもらったよ(笑)。ほかに何を話したかは覚えてないけど、「目の前にいる僕が尊敬する人物は、ダメな感じになっちゃってるな……」って思った。薬の後遺症でかなりダメージを食らってた感じだったんだ。少し寂しい気分になったね。

ハマ ちょっと気になっていたんですよ、「細野さんはブライアン・ウィルソンに会ったことがあるのかな?」って。

細野 その翌日に、シカゴの公民館でライブをやるっていうから行ったの。テレビ番組の収録か何かだったんだけど(1998年にアメリカで放送された「Brian Wilson's Imagination」)。そのときはThe Wondermintsという若いバンドがバックを務めていたね。演奏もバッチリだった。彼らの演奏に乗せて、ブライアンががんばって歌ってた。それを切なくなるような気持ちで見てたんだけど、完璧なサウンドだったな。

ハマ 最後の最後にすごい話を聞いちゃいましたね(笑)。

安部 うん、お会いしてたんですね……。

プロフィール

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2023年5月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」が発売50周年を迎え、アナログ盤が再発された。2024年より活動55周年プロジェクトを展開中。2025年6月に2ndソロアルバム「トロピカル・ダンディー」のアナログ盤が再発された。

安部勇磨

1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト兼ギタリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、アジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2024年11月に2ndソロアルバム「Hotel New Yuma」をリリースし、初の北米ツアーを行った。never young beachとしては2025年12月8日に初の東京・日本武道館公演を行う。

ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。2025年2月に10枚目のアルバム「4EVER」をリリースした。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。

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