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音楽シーンを撮り続ける人々 第12回 その日その場でしか撮れない1枚を追求する鳥居洋介

5年以上前2019年07月19日 8:05

アーティストを撮り続けるフォトグラファーにスポットを当て、カメラとの出会いから現在の活動に至るまでを紐解いていくこの連載。今回は、UVERworldやnever young beach、吉澤嘉代子ら日本人アーティストのほか、海外アーティストの撮影も多く手がける鳥居洋介に話を聞いた。

カメラが楽器の代わりだった

カメラを持ったのは大学1年生のときです。入学してすぐ、学生の中でも一風変わった個性的な連中とつるむようになって。彼らとRage Against The Machineのカバーバンドをやることになったんですけど、僕、楽器できないんですよ。子供の頃から音楽はずっと好きで、ギターやベースに挑戦したこともあったけど、できるようにはならなかった。そのバンドではドラムが空いてたから一応ドラム担当になったんですけど、8ビートすら叩けない(笑)。このままだとバンドに不要な人間になってしまう、こいつらとつるめなくなってしまうという危機感を持ったときに、「そういえば、バンドには写真が必要だよな」ということに気が付いたんです。それで「僕、カメラマンやるわ」と。たまたま祖父からNIKONのFMという銀塩カメラをもらったところだったので、それで写真を始めた感じですね。

バンドを撮りたかったというよりは、そのコミュニティに関わり続けるためにカメラが必要だった。楽器の代わりにカメラを持つことで、僕の場合はバンドに居場所を作ることができたんです。これが違う人だったら「楽器はできないけどマネージャーやるわ」みたいになったかもしれない。実際、そういう感じで始めてプロのマネージャーとして活躍している人もたくさんいますからね。ちなみにそのときのボーカリストと「お互い大人になって、売れたら一緒に仕事しようぜ」と話していて、若い頃はそれが1つの目標でした。その約束は何年かあとで果たすことになるんですよ。彼がインディーズの頃からアー写やジャケ写、ライブ写真を撮り始めて、メジャーデビューのときにはミュージックビデオの制作も手伝いました。その彼は今もMASHという名前で活動しています。

25歳で上京、なかば強引に弟子入り

上京したのは25歳になる年でした。僕は生まれてからずっと愛知県の名古屋市に住んでいたんですけど、本格的に写真をやっていきたくて、東京の写真事務所や撮影スタジオに入ろうと思ったんです。でも、募集しているところに電話して「アシスタントをやりたい」と言っても、東京在住じゃないとそもそも話すら聞いてもらえない。「決まったら上京します」じゃダメなんです。しかも僕は写真学校もスタジオも出てないから、「東京で学校に入るなりしてからもう一度連絡して」みたいなことしか言われなかった。だったらもう、とりあえず東京行くか、って。ハイエースに家財道具を詰め込んで、なんのあてもなく上京しました。

こっちに来てすぐ、たまたま見かけて気になった写真があったんです。それを撮ったフォトグラファーを見付けて、マネージャーに電話しました。そしたらまた名古屋にいたときと同じように門前払いされかけたんで、東京まで来たのにその対応というのにはさすがに腹が立って「会ってもいないのに頭ごなしに否定するとか、あり得なくないっすか」みたいなことを言ったんですよ。僕も若かったんで(笑)。そしたらちょっと面白がってくれて、マネージャーが会ってくれることになった。それでどうにか3rdアシスタントになって、運転手とか雑用をこなしながらノウハウを学んでいきました。そこはデジタルをいち早く導入していたので、Macの使い方も教わることができて、僕自身もそこでデジタルに移行した感じです。給料とかは一切もらってなかったので、アルバイトと並行してトータル3年くらい通ってましたね。師匠のところへ通いながら、自分のコミュニティの中で小遣い稼ぎにちょっとした撮影を請け負ったりもするようになっていったんです。

偶然が重なって撮れたリアーナ

きちんとしたプロの仕事としては、雑誌の企画でリアーナを撮影したのが最初になるのかもしれない。当時、千葉の幕張メッセで国内外のいろんなアーティストが出る音楽イベントが開催されて、付き合いのあった雑誌がイベント出演者たちの撮り下ろし企画をやったんですよ。だけど、予定していたカメラマンが当日急に来られなくなって。で、編集部の人に「3時間後には最初のアーティストを撮らないといけないんだけど、機材はあるからとりあえず洋介くん来れる?」って言われて、「とりあえず行くわ」って。カメラだけ持って車で駆けつけて撮影していたら、「リアーナ撮れるかもよ」と現場が急にざわつき始めたんです。

2時間くらい待ちましたが、ライブを終えて上機嫌のリアーナが本当に現れたんです。で、与えられた撮影時間は1分弱くらい。時間がない中でも数パターン撮りたかったので、指2本をクルクル回しながら「ターンしてくれ」と拙い英語で指示を出したんですけど、それがリアーナにはうまく伝わらず、「ああ、ピースね」とピースサインをしてくれた(笑)。当時、彼女がピースしている写真は珍しかったんで、偶然ではあるけどちょっと話題になったんです。その写真が表紙に使われました。撮影クレジット入りで載ったので、それを見て「あれってお前が撮ったの?」と地元から連絡が来たりもしましたね。

撮られる側との信頼関係

その後、東京でバンド関係のコミュニティを広げていったり、細かい仕事で食いつないだりして、なんとか生活できるようになっていって、バイトは28歳くらいで辞めました。辞めたきっかけはハッキリ覚えてるんです。ある日、表参道でポスティングのバイトをしていたら、知り合いのインディーズバンドのマネージャーに偶然出くわして、その人に「あ、鳥居さんってバイトしてるんですね」と言われたんすよ。悪意もなく、なんの気なしに言っただけだとは思うんですけど、僕はその言葉にカッチーンと来ちゃって、その日バイト先に「辞めます!」と(笑)。辞めて以来、バイトは一切していない。今年で40歳になるんで、もう10年以上ですかね。もちろんバイトしながらやりたいことを続けるのは全然悪いことではないんですけど、腹くくっちゃったほうが人生楽じゃんって思いますね。僕の場合は常にリスクはあったほうがいい。リスクを抱えることって、マイナスじゃないどころか、考えようによってはプラスにしかならないし。そうやって経済的にリスキーな状況に身を置いたことでわかったのは、人間ってお金がなくても意外と死なないようにできてる、ということです(笑)。

そもそも何を撮りたいのかって話をするなら、それは人ですね。ブツ撮りは被写体とコミュニケーションが取れないので極力やっていません。人が相手であっても、コミュニケーションが取れないことは少なからずありますけどね。「はじめまして」だと全然レスポンスをくれないアーティストとかもいるし。でも、会話が成立しない状況というのもコミュニケーションの1つの形だと思うので、その緊張感の中でどう距離感をつかむか。そういうことは、ブツ撮りでは起こらないですよね。必要に迫られてブツ撮りをすることもあるんですけど、一気にテンション下がるんですよ。だから物をカッコよく撮れる人はすごいと思います。僕には絶対無理ですもん。

ターニングポイントになったのは、やはりBO NINGENとの出会いです。彼らの写真集を作るとなったとき、メンバーの家に居候して、ツアー中もホテルの同じ部屋に泊まって、床とかエキストラベッドとかに寝かせてもらってたんです。彼らは「いつどこでどう撮られてもいいよ」という状態。そのときに撮る側と撮られる側には、信頼関係が大事なんだなって感じました。それからは、誰を撮るにせよ下手に出るのをやめたんです。相手がリアーナだろうがカーリー・レイ・ジェプセンだろうが、撮ってるときは対等なので、遠慮して壁を作っちゃうほうがよくない。

ビビリだから荷物が多い

撮影では特に構図こだわります。必ず事前に入念な準備と綿密な計算をして、アー写ならロケハンは絶対にするし、ライブであればリハから入れてもらえるよう必ずお願いするんです。もらったセットリストにある曲は全曲を聴き込むし。照明の感じや本人たちのテンションを見てシミュレーションをして、「この曲はこの位置からこう撮ろう」とかプランを立ててます。だからセットリストの紙にはものすごく書き込みしてるんですよ。でも客が入ったらアーティストのテンションだって全然変わっちゃうし、最終的には出たとこ勝負になるんですけどね。だとしても、準備できることは全部しておかないと勝負にならない。カメラもいろいろ持っていきます。基本的にライブならCANONの5Dを使うとか、アー写やポートレートなら富士フイルムのX-Pro2とか中判デジタルのPhase Oneとか、用途によって使う機材はだいたい決まってはいるんですけど、必ず3種類以上の選択肢を用意します。現地でもう1回悩んで、何を使うのがベストかを判断します。だから荷物がめちゃめちゃ多くなる。そこまで下準備を入念にするのはビビリで心配性ゆえだと思います。いつも撮影の前はゲロ吐きそうになっているくらいなので(笑)。

自分しか信用できないと思っているところもあるんですよ。機械は信用できない。人も同じで、ほかの人を使って「これをこう撮ってね」と言葉で言っても、解釈は人それぞれ違うじゃないすか。身長が少し違えば見えてる景色も絶対に違うし。だから僕、アシスタントを雇ってないんですよ。荷物運びとか、誰でもできるような雑用を頼みたいときは、写真の経験とかはまったく問わずに暇な知人を適当に連れて行きます(笑)。

意図を持って撮った写真だけが残る

クライアントワーク以外では、写真展をやっていきたいと思っています。2016年にBO NINGENの写真展をやったときに、自分の環境がすごく変わったと感じたので。ただ、ライブ写真のアーカイブを並べた写真展は一生やらないだろうなと思います。長いこと撮らせてもらっているUVERworldとか、お客さんを呼べるアーティストのライブ写真はたくさん出せるので興行的には成功するだろうけど、あまりにも他力本願すぎて。アーティストが写っているから観に来るという人はいても、“鳥居洋介が撮った写真だから”という理由で来てくれる人なんて1%いるかどうか。とはいえライブ写真を撮ることは好きなので、ライブ撮影自体は続けていきたいです。

誰しも1枚や2枚、記憶に残っている写真はあるはずだと思っていて、僕はそういう“残るもの”を作りたいという思いが強いんです。今流行りの写真や、求められる撮り方がどういうものかは当然わかっていますが、それをやっているとどれもこれも似てきちゃう。僕は、その日その場所でしか撮れない写真じゃないと撮る意味がないと思っています。ライブ写真でもポートレートでも、明確な意図を持って撮ったものしか残っていかないと思って撮っているんです。これからもそういう“人の記憶に刻まれる1枚”を少しでも多く残していきたいと思っています。

鳥居洋介

1979年生まれ。愛知県出身。国内外問わず数多くのアーティストのライブ撮影やポートレート撮影を中心に幅広い媒体で活動している。2016年にBO NINGENに密着し、イギリスでの彼らの日常生活やライブを撮影したものをまとめた写真集「BO」を発表した。

取材・文・インタビュー撮影 / ナカニシキュウ ヘッダ写真 / BO NINGEN(提供:鳥居洋介)

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