細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。前回に続きこの記事では、発売50周年という大きな節目を迎えた細野の2ndソロアルバム「トロピカル・ダンディー」を取り上げる。
当時は独創的な作品として評価されていた「トロピカル・ダンディー」を、現在の細野はどう解釈しているのか? 当時のレコーディング現場の定石や特に思い入れの深い楽曲のエピソードなどを交えて明かしてもらった。ぜひ、「トロピカル・ダンディー」を聴きながら楽しんでほしい。
取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん
「トロピカル・ダンディー」を聴いた「HOSONO HOUSE」ファンは逃げていった?
──50年前に細野さんが「トロピカル・ダンディー」をリリースした際、世間の反応はどういったものだったのでしょう。
細野晴臣 当時のマネージャーの長門芳郎くんに「『HOSONO HOUSE』のファンがみんな逃げていきましたよ」って言われたよ。「HOSONO HOUSE」は確かに馴染みやすいと思うんだよね。はっぴいえんどの続きっぽいから。でもこのアルバムはさすがにね、それまでのリスナーには違和感があったと思う。怖いと感じる人も多かった。
安部勇磨 わかる気がする。
ハマ・オカモト 呪術的というか、おどろおどろしいと捉える人もいたかもしれない。
細野晴臣 でも、それも半分なんだよ。B面はわりと馴染みやすい。「三時の子守唄」とか。
ハマ 名曲ですよね。
細野 次の「泰安洋行」ではもっとかけ離れて、本当に怖い世界に行った(笑)。矢野顕子さん、大貫妙子さんに「Roochoo Gumbo」のコーラスをやってもらって、レコーディングが終わったあと、あっこちゃん(矢野)は喜んでいたんだけど、ター坊(大貫)は「さらわれていく感じがするって」と言ってた(笑)。「トロピカル・ダンディー」に話を戻すと、今みたいにSNSもないし、遠くで聴いてる人の顔なんかわからないでしょ? 周りの人の反応しかわからない。だから、なんにもフィードバックがない。
ハマ ライブもあまりやっていなかったんですか?
安部 ツアーを年に何本、とか。
細野 ツアーはソロではやったことがなかったね。はっぴいえんどではあるけど。
ハマ じゃあ、中華街ライブは貴重な映像なんですね。それ以外では、お客さんの生のリアクションを見ることもないし、レコードの売り上げがどうだっていうのも気にしないし。
細野 僕は全然気にしてなかった。自分が楽しいからやってるだけ。でも長門くんは数字を見ていたんだろうね。だから「お客さんが逃げた」って。イメージとしては、それまでのファンが300mくらい向こうに逃げていったみたいなね(笑)。
「細野晴臣は風流人」
ハマ 逆に、どっぷりハマった人もいたでしょうけど。ただ、大衆に響くことをあざとく狙っていたわけではないとはいえ、細野さん、ポップスはお好きじゃないですか? こういう作品を大衆が聴いてくれるようになったらいいなという気持ちはあったんですか?
細野 それははあるよ。中学生のときシングル盤をいっぱい持って学校に行って、ホームルームにポータブルのレコードプレイヤーでみんなに聴かせたことがあるんだよ。当時の流行り物のトップ20みたいな洋楽の曲。みんな大喜びするだろうと思ったんだけど、いざ曲をかけたらシーンとして。なんの反応もないわけ。つまんなそうな顔してるの。それがショックで、断絶を感じたね。自分が好きなものは特殊なんだと思って。そこからかな。みんなとはコミュニケーションできないと思うようになった。
ハマ 壁というか、ほかの人たちとの感覚の違いみたいなものに気が付いたんですかね。
細野 そうだね。それまでは、みんな自分と同じ感覚だと思ってたんだよ。
──しかしミュージシャンになってからは、感覚が合う人たちに恵まれて、こういった作品を作っていくことになるわけですね。
細野 まあね。好きなもの同士が集まるしかないというか。やっぱり林(立夫)、(鈴木)茂、佐藤博、みんなそういう人たちだったんだよね。似たような気持ちになってると思う。
ハマ 一緒に演奏させてもらったとき、茂さんも立夫さんも、「楽しいし、好きだからやってた」と当時を振り返っていました。
細野 先日車でラジオを聴いてたら、山下達郎くんとマンガ家のヤマザキマリさんが対談していて。達郎くんも大衆にウケることを全然考えてないって言ってた。クリスマスの歌がヒットしたでしょ(「クリスマス・イブ」)。それも、ウケることは考えずに淡々と作ったと言っていたね。
ハマ シュガー・ベイブのインタビューでも、細野さんと同じことをおっしゃいますよね。達郎さんも「誰が聴いてるか全然わかんなかった」って。当時は実際、数字も全然出てないし。
細野 少数派の中の少数派だったんだよね。日本だと、米軍基地があるところには米軍向けのラジオ放送がある。久留米とか三沢とかね。大瀧(詠一)くんも岩手でそういうラジオを聴いていたし、鮎川誠くんも久留米のほうで聴いてた。そういう場所からはロックバンドがいっぱい出てくる。そしてそういう人同士で感覚がマッチすると、自然といい音楽が一緒にできるわけだよね。そういえば、「トロピカル・ダンディー」のレコーディングでは、たまたまスタジオに南こうせつさんがいて。
安部 たまたま?(笑)
細野 彼はクラウン専属だったから。ニコニコして興味深そうにスタジオに入ってきて、いつの間にかコーラスに参加していた(笑)。
ハマ それ以前に面識はあったんですか?
細野 いやいや。そこで初めて会った。その後、全然会わなくて、20年後くらいにどこかのフェスの楽屋でひさしぶりに会って話したら、彼は僕のことを「風流人だ」って言うんだよね(笑)。
ハマ 「トロピカル・ダンディーだ」に次ぐ、人に言われるやつ(笑)。
細野 次のアルバムタイトルは「風流人」かな(笑)。
ゼミ生が感じる細野晴臣の歌声の“近さ”
──こうして50年経ってみて振り返ると、細野さんのキャリアの中で「トロピカル・ダンディー」はどういった位置付けの作品になっていると感じますか?
細野 そういうこと、自分ではわからないんだよね、この作品があったから次の「泰安洋行」ができて、その後移籍して「はらいそ」が生まれたというのはあるけれど。そこらへんから時代が変わっちゃった。音楽環境が変わったっていうのかな。「はらいそ」のあたりから、シンセサイザーも使われ始めて。
ハマ 興味がまた違う方向に。それで言うと、前回のコンソールの話、すごく面白かったです。卓の録り音を生かすアプローチで「泰安洋行」を作ったという。録り音がインスピレーションの1つだったんだなと思いました。
細野 当時はTridentに対する認識がそれほどなかったんだけど、「はらいそ」を作ってるときに、「ずいぶん変わっちゃうんだな」って。Tridentの特長がわかったというか。「はらいそ」は自分としてはすごく好きだったんだけど、山下達郎くんが「『はらいそ』よりも『泰安洋行』の音のほうが好きだった」って……そういう意見には強烈なインパクトがあるよね(笑)。
安部 曲どうこうじゃない(笑)。
細野 Tridentは最初から音が歪んでるんだよね。エンジニアと初対面で、緊張しながらやるわけだけど、当時のミュージシャンは絶対にコンソールを触らなかった。エンジニアは専門家として、卓をコントロールしてる。もちろん、こちらも要望は言うけどね。で、最初の歌入れでエコーをすごくいっぱいかけてくれた。当時のクラウンはフォークが強い会社だったから、エコーを多用していたんだよね。だから僕の声にもエコーを目一杯かけた。それにすごく違和感があって、「エコーを切ってくれ」って頼んだんだ。そのとき、初めてTridentのよさが出てきた。エコーがあるとあまりよさがわからないのかも。それに、僕の声にもエコーが合わない。
ハマ ドライというか、近い感じがするよね。細野さんの歌声のイメージ。
安部 そうそう。あの“近さ”がいいんだよ。だから僕も真似しちゃって、これぐらい(口がくっつきそうになるくらいのところに手を当てて)近付けてます。
細野 いや、マイクの近さじゃないよ(笑)。
ハマ 音像の話だから(笑)。
安部 そうだったんですね……エンジニアさんにいつも「近すぎるよ」って言われて、「いや、でも細野さんが近いって言ってたんで」って(笑)。
細野 それでいくと、口の中にマイクを入れないといけなくなるよ(笑)。
ハマ 四コママンガみたいなやりとり(笑)。
安部 ……ミックスのやり方だったんですね、遠い、近いは。今日話してよかった。参考になりました(笑)。
細野さんの歌声は自然の音に近い
ハマ 細野さんの独特のミックスはそういうところから生まれたんですね。ちょっとジャズボーカリストっぽいし、フォーキーなニュアンスも残ってる感じがします。
細野 だって、聴いてる音楽がだいたいそんな感じだったからね、みんな。
ハマ 細野さんのダブル(同じメロディラインを重ねる手法)は唯一無二だと思いますよ。
安部 気持ちいいよね。ズワズワズワ……って感じで気持ちいい。
ハマ “ズワズワズワ”って、聞いたことないオノマトペ(笑)。
安部 聴いてて疲れる歌ってあるじゃないですか。でも細野さんの歌声って、風とかそういう自然の音に近いというか。ずっと聴いてても全然疲れない。ふわっと耳に入ってくるんですよね。
ハマ 赤ちゃんが泣き止んだりしないのかな?
細野 ははは。
安部 「細野ゼミ」で、細野さんのボーカルミックス講座とか開いてほしい。どういうふうに細野さんがボーカルを処理してるのか知りたい。
細野 いやいや、それは個性だから。みんなそれぞれ合わせなきゃ、自分にね。
ハマ やんわり取材拒否(笑)。
安部 今、自分の浅はかさを感じています(笑)。
当時“トロピカル”な音楽をやっていた男がもう1人いた
──「トロピカル・ダンディー」の中で、あえて細野さんご自身のお気に入りの曲を挙げるとしたら、どの曲になりますか。
細野 「北京ダック」は思い出があるという意味では気に入っているよね。今もライブで演奏してる。それに、最近ライブでやりたいと思っているのは「熱帯夜」。でも、どうやって作ったのか覚えてないっていう(笑)。
──以前ゼミで、「『熱帯夜』はエアコンが壊れて暑い中で歌詞を書いた」というエピソードをお話ししてくださいましたね。
細野 うん、エアコンが効かない熱帯夜に四畳半の部屋で作った(笑)。
安部 でも曲になると、見える景色が変わるから面白いですよね。
ハマ 四畳半の景色ではない。
安部 「三時の子守唄」ってインストバージョンもあるじゃないですか。あれは歌が入っているバージョンが先で、そのあとにインストも面白そうだから録ってみたんですか?
細野 いや、あれは映画のために作った曲なんだ。神代辰巳監督の「宵待草」という作品のテーマソングとしてインストを作った。「HOSONO HOUSE」の頃に作った曲だよ。そういう意味でB面は“あり合わせ”っていうか(笑)、「トロピカル・ダンディー」の1年前くらい前の時期の曲が多いね。
ハマ きちんとA面とB面でコンセプトというか、内容の差別化があるんですね。
細野 レコードのよさは、そこなんだよ。A面とB面で違う世界を味わえる。
安部 「三時の子守唄」、いいよね。アルペジオもカッコいいしさ。当時A面から聴いてて、こんな怪しいおじさんが最後こんなに温かい、陽だまりのような曲を歌って。「三時の子守唄」のインストが入ってる理由、ずっと気になっていたから聞けてうれしかったです。
ハマ 確かにバンドマンからソロになっての2作目だから、そういう意味ではまだバンドの名残りもある作品。しかし周りのミュージシャンたちも、細野さんが作る音楽は楽しみだったろうし、一緒にやってて面白いなと思っただろうね。「こういう曲を作ってくる細野くんって、やっぱり面白いよな」って。そういう気持ちにそりゃなるよな。
安部 周りのミュージシャンの方々の当時のリアルな気持ちを聞いてみたいね。A面、B面の話も面白かったです。
──今回はアナログレコードが再発されますので、レコードを購入される方は気にしながら聴いていただきたいですね。
細野 蛇足だけど、当時“トロピカル”な音楽をやっていた男がもう1人いたんだよ。高中正義くん。
安部 高中さん! 最高ですよね。
細野 アメリカのマイアミ系のトロピカルっていうか(笑)。
ハマ 高中さん、先日アメリカでライブをやっていましたね。「アイム・オールド」ってMCしてました(笑)。でも、そっか当時の高中さんのサウンド、確かにトロピカルですね。
安部 大人気でチケットもすぐソールドアウトしたみたいです。高中さんとは親交があったんですか?
細野 彼はサディスティック・ミカ・バンドにいたから、うっすら近いとこにいたんだよね。でもあまり接点はなかった。つまり場所が違うトロピカルだな、と(笑)。
ハマ 「トロピカル・ダンディー」の話をして、まさか高中さんのお名前が出てくるとは思わなかったのでびっくりしました(笑)。「トロピカルをやってた男がもう1人いる」っていうのは、すごくワクワクする言葉。
安部 「男がいる」(笑)。
ハマ うん。いい言葉だよね(笑)。
<終わり>
プロフィール
細野晴臣
1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2023年5月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」が発売50周年を迎え、アナログ盤が再発された。2024年より活動55周年プロジェクトを展開中。2025年6月に2ndソロアルバム「トロピカル・ダンディー」のアナログ盤が再発された。
安部勇磨
1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト兼ギタリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、アジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2024年11月に2ndソロアルバム「Hotel New Yuma」をリリースし、初の北米ツアーを行った。never young beachとしては2025年12月8日に初の東京・日本武道館公演を行う。
ハマ・オカモト
1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。2025年2月に10枚目のアルバム「4EVER」をリリースした。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。
