1990年代に日本の音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げていく本連載。第9回はLOW IQ 01と松田“CHABE”岳二の対談をお届けする。80年代後半からさまざまなバンドを渡り歩き94年に3ピースバンドSUPER STUPIDを結成し、Hi-STANDARDらと共に“AIR JAM世代”を牽引する存在となったLOW IQ 01。かたや90年代初頭から中旬にかけてFreedom SuiteやNeil and Iraizaといった渋谷系周辺のグループに参加し、現在はロックバンドLEARNERSの活動と併行してDJとしても活躍しているCHABE。今回は90年代から交流がある2人に当時のライブハウス / クラブシーンの状況を振り返ってもらいつつ、渋谷系とAIR JAM世代のクロスオーバーついて語ってもらった。
90年代、新たなパンクシーンの誕生
──お二人は、どのようなきっかけで知り合ったんですか。
松田“CHABE”岳二 イッちゃんとは、知らない間に仲よくなってました(笑)。僕は1990年から5年くらいアポメディアというレゲエのクルーに参加してたんだけど、イッちゃんがいたACROBAT BUNCHというバンドと対バンしたことがあって。それが、90年くらいかな。ステージの上ですごく動く人がいるなと思った記憶がある(笑)。そのときに初めてしゃべったんだと思う。
LOW IQ 01 うん、代チョコ(代々木チョコレートシティ)のイベントで一緒になって打ち上げで話したんだよ。CHABEと330(ex. 電気グルーヴ、ex. CUBISMO GRAFICO FIVE)が一緒に渋谷109の洋服店で働いてて、俺もバイト先が渋谷だったからしょっちゅう遊びに行ってたな。
CHABE 裏の倉庫でずっと話してた(笑)。
──もともとCHABEさんはレゲエDJとして音楽活動をスタートしているんですよね。
CHABE そうなんです。クラブを中心にラガマフィンスタイルでDJをやったり自分でイベントを企画したりしてました。80年代後半から90年代前半にかけて、徐々にバンドとDJが共演するようなイベントが増えてきたんですけど、その時期にWack Wack Rhythm Bandのギタリストの山下洋くんと出会って。山下くんがFreedom Suiteという別のバンドを始めるときに、「パーカッションやってみる?」って誘われて、「やるやる!」って、その場のノリでメンバーになりました。それまでパーカッションなんて叩いたことなかったんですけど(笑)。それが93、94年で、そこからパーカッション奏者としていろんなバンドに参加させてもらう機会が増えていったんです。
──イチさんはずっとバンド畑で?
LOW IQ 01 そうだね。俺は、もともとアイゴン(會田茂一)やGARNIの(古谷)エイジとGAS BAGっていうミクスチャー色の強いハードコアバンドをやってたの。その後、アイゴンに続いてAPOLLO'Sってバンドにサックス担当で加わって、しばらく活動を続けたんだけど、新しいことをやりたくてバンドを脱退して。当時はRed Hot Chili PeppersやFishboneみたいなバンドが出てきたミクスチャー幕開けの時代でさ。APOLLO'Sはクラブミュージック寄りだったんだけど、俺はもうちょい男臭い音楽をやりたくなって、アイゴンたちとACROBAT BUNCHを始めたんだよ。
──当時東京のライブハウス界隈では、のちのAIR JAM系につながるバンドシーンができつつありましたよね。
CHABE 「NEO HARDCORE TAIL」(NUKEY PIKES、BEYONDSなどが出演していたイベント)とかを中心にね。
LOW IQ 01 そうそう。俺、当時はシアターブルックと仲よくて。シアターブルックのライブを観に行ったときに対バンでNUKEY PIKESが出てきて「すげーカッコいい!」と思ったのを覚えてる。その世代のパンク系でいうと、ニューキー、COCOBAT、BEYONDSっていうのが代表的なバンドだよね。もちろんそれ以前にもカッコいいバンドはたくさんいたけど、パンクバンドがポップな存在になったのは確実に90年代に入ってからだったな。
──海外の新たなシーンとリアルタイムで連動していた感じがありますね。
LOW IQ 01 そう。だから面白かった。90年くらいって、アメリカを中心にミクスチャーのバンドが出てきたり、あとイギリスだとマンチェスターブームとか、いろんな新しい音楽が同時に出てきたよね。日本でもそういう感じがした。あと、あの時代でいえば、GAS BOYSもインパクトあったね。
CHABE COKEHEAD HIPSTERSも、もろミクスチャーだったよね。
LOW IQ 01 そうそう。俺は勝手に、ABNORMALS、Hi-STANDARD、COKEHEAD HIPSTERS、ACROBAT BUNCHを92年組って言ってたの。その前がBEYONDS、NUKEY PIKES、COCOBATって感じだね。で、94年組が、颱風一家、NAILS OF HAWAIIANとか。
CHABE BRAHMANはいつ?
LOW IQ 01 95年組。
CHABE 三茶のHEAVEN'S DOORでやった330くんのイベントでBRAHMANを観て、カセットテープを買った記憶がある。その頃、よく330くんとライブを観に行ってたな。で、行く先々に必ずイッちゃんがいて騒いでた(笑)。みんなでよく昔の新宿LOFTの外で酒飲んでたよね。
LOW IQ 01 ロフトの隣のファミリーマートが居酒屋みたいだったもん(笑)。横の駐車場で飲んだりしてさ。好きだったね、あの駐車場。けっこういろんな思い出があるなー。
クラブシーンの盛り上がり
──バンドとDJが一緒に出るイベントも、90年代の初頭ぐらいから徐々に出始めましたよね。
LOW IQ 01 80年代から90年代に変わった瞬間、シーンがバンドブームからクラブミュージック寄りに変わった感じがする。レゲエとかスカが熱かったよね。
CHABE ヒップホップも盛り上がり始めたし。
LOW IQ 01 下北沢ZOO(のちのSLITS)とか盛り上がってたもんね。レゲエ、ヒップホップ、ロックとか曜日違いでイベントやってて。ああいうゴチャッとした感じが面白かった。
CHABE 僕も曜日をまたいでいろんなイベントに遊びに行ってたよ。
LOW IQ 01 なんか、90年代に入った瞬間にレベルミュージックと呼ばれてたものが一気に世の中に出た感じがする。ごくごくマイノリティな存在だったけど、俺たちはそれをすごく楽しんでた。下北とか代々木でワイワイやってたよ。
CHABE 代チョコ、ZOO、DJ BAR INKSTICKとかによく行ってた。
LOW IQ 01 そうだね。海外のバンドが初来日してライブをやるのが、だいたいINKSTICK芝浦FACTORYかINKSTICK鈴江で、よくライブを観に行ってた。その頃、渋谷CLUB QUATTROができたりしてライブハウスの周辺が熱い感じになってきてさ。
──パンクやニューウェイブのDJイベントといえば、大貫憲章さんの「LONDON NITE」の存在が大きかったですよね。
CHABE 大貫さんは、80年代からそういうことをやってたからすごいですよ。
LOW IQ 01 本当にね。自分ら周りの話をすると、当時は仲間を集めた企画モノのライブが多かった。代チョコやHEAVEN'S DOORでやることが多かったかな。
CHABE 下北の251もね。
LOW IQ 01 251のオールナイトのイベントにはすげえ出てたよ。俺、一時期普通のライブの時間じゃなくて夜中のイベントしか出てないときがあったもん(笑)。で、友達がめちゃくちゃ増えた。
──当時は今ほどジャンルが細分化されていなかったから、イベントでの共演を通じて、横のつながりが自然と広がっていったんじゃないですか。
LOW IQ 01 そうそう。ヒップホップだと、石田さん(ECD)とかキミドリとはACROBAT BUNCH時代に仲よくなったよね。「OMNIBUS#1~玄人はだし」ってオムニバスのアルバムがあったじゃん? あれは面白かったな。
──「玄人はだし」は、ACROBAT BUNCHの演奏にさまざまなラッパーをフィーチャーするという画期的な作品でした。
LOW IQ 01 ラッパーとバンドが一緒にやるって当時の日本ではまだなかったから。ちょうどBeastie Boysが生演奏をやり始めた頃でさ。
CHABE 確かに、ビースティの「Check Your Head」にはみんな影響を受けてた気がする。
LOW IQ 01 それまでって、ヒップホップはヒップホップ、ロックはロックって分かれてたけど、その壁を打ち崩したいと思ってアイゴンと始めたのがACROBAT BUNCHだったんだよ。で、いろんなラッパーと仲よくなって、一緒にやろうよってことになったのが「玄人はだし」。ECD、MICROPHONE PAGER、キミドリとか参加してくれて、ある意味伝説かもね。
シーンをまたいだ交流
──イチさんは、CHABEさん以外の渋谷系周辺のアーティストとは交流があったんですか?
LOW IQ 01 うん。渋谷系の頃って、アシッドジャズの影響でレアグルーヴっぽいサウンドのインストバンドがたくさん出てきたじゃない。COOL SPOONとか、あのへんのバンドとはAPOLLO'Sの頃から仲がよかったよ。
CHABE 僕が参加してたSoul Missionとか。
LOW IQ 01 あとWack Wack Rhythm Bandも。そういえば俺、Wack Wack Rhythm Bandのライブでベロベロに酔っぱらってステージからダイブして出禁になったことあるよ。
CHABE ははは(笑)。イッちゃんはめちゃくちゃだったもんね。だってDJしてるとブースの前で中指突き立てるんですよ(笑)。
LOW IQ 01 「もっと激しい曲かけろー!」って(笑)。当時はクラブとかライブハウスに音楽聴きつつお酒を飲みに行ってたんだよ。
CHABE 基本みんなそんな感じだったよね。遊びに行けば誰かしら友達がいたし。
LOW IQ 01 そういえば、さっきの話に戻るけど、自分ら周辺の渋谷系のバンドでいえば、ラヴ・タンバリンズの存在も大きかったよね。俺、パンクとかハードコアが好きだけど、ラヴ・タンバリンズも仲よかったし好きで聴いてた。めちゃくちゃ影響受けてるよ。
──ラヴ・タンバリンズは完全に一般層にも届きましたよね。
LOW IQ 01 ラヴ・タンバリンズがCrue-L Recordsっていうインディレーベルから10万枚以上のヒットを出して、あのときは世の中変わったなと思った。渋谷公会堂でライブやったりしたじゃん。
──イチさんはブレイク前からラヴ・タンバリンズのメンバーと交流があったんですか?
LOW IQ 01 ギターの(斎藤)圭市さんと仲よくてしょっちゅう遊んでたの。圭市さんはおとなしいタイプだけど中身が熱いんだよね。WRENCHが企画した新宿LOFTのオールナイトイベントに、WRENCH、ACROBAT BUNCH、ラヴ・タンバリンズ、シアターブルックで出演したこともあったよ。
CHABE へえ、そんなことがあったんだ。でも、あの頃って本当にそんな感じだったもんね。5つくらいのシーンがあって、みんなシーンをまたいで交流してた感じがする。
──渋谷系周辺との交流といえば、イチさんは小沢健二さんがテレビの音楽番組に出演した際に何度かバックでベースを弾いていましたよね?
LOW IQ 01 ああ、やったやった。94年くらいかな? 「ミュージックステーション」とか、何度かテレビに出たよ。「Mステ」で昔の小沢くんの映像が流れると、たまに俺も出てくるもん(笑)。
CHABE あれは、おいちゃん(及川浩志)から声が掛かったの?
LOW IQ 01 そう。ACROBAT BUNCHのパーカッションだったおいちゃんが小沢くんのバンドのメンバーだったから。「イッちゃん、テレビ出ない?」「出る出る!」って(笑)。小沢くんのバックには、木暮(晋也)さんとか真城(めぐみ)とかヒックスヴィル勢が参加してたよね。
CHABE その3人は今もメンバーだね。
LOW IQ 01 そういえば、APOLLO'Sのときにロッテンハッツと対バンしたこともあった。「ベースの人(高桑圭)デカいなー」って思ったの覚えてるよ(笑)。その後、ロッテンハッツが解散して、片寄(明人)くん、(高桑)圭くん、けんちゃん(白根賢一)がGREAT3を作ったんだ。で、木暮さんや真城はヒックスヴィルを始めて。あの頃はみんな、それぞれの音楽を独自に追及してたよね。
──イチさんはACROBAT BUNCH 解散後の94年にSUPER STUPIDを結成しますが、当時はどんなサウンドを目指していたんですか?
LOW IQ 01 ACROBAT BUNCHが徐々にミクスチャーというよりも、もっと本格的な方向に向かっていってさ。例えるなら、レッチリよりもP-FUNK寄りみたいな感じ? でも俺の周りの友達はみんなコークヘッドとか元気な音楽をやってて、自分でもそういうのをやりたかったんだよね。「とにかく速いのやりたい! 上半身裸でやりたい!」って(笑)。それで最強のバンドを組もうと思って始めたのがSUPER STUPIDだったの。
CHABE そういえば僕、「Pull Up From The Underground」(輸入レコード店シスコ・ラウド店によるハードコア系レーベル)のコンピレーションでSUPER STUPIDのレコーディングに参加したよね。あれが初めてのセッション仕事だったんだよ。
LOW IQ 01 なんでCHABEに頼んだかっていうと、パンクはもちろんクラブシーンも知ってるから。パンクの曲にパーカッションが入るのって異質だと思うんだけど、やっぱり自分がやるからにはミクスチャーっぽいものにしたくて。だったら両方のシーンを知ってるCHABEが適役かなって。それ以来、かれこれ今もお願いしてるっていう(笑)。
AIR JAM世代の快進撃
──90年代中盤になると、いわゆるAIR JAM世代のバンドを中心とした東京のパンクシーンが一気に盛り上がっていきます。
CHABE 94年までは、そうでもなかったんですよ。僕、Soul MissionかFreedom Suiteで大阪に行ったとき、前日にSUPER STUPIDがライブをやるっていうから観に行ったんだけど、そのときは全然お客さんが入ってなくて(笑)。それをすごく覚えてる。
LOW IQ 01 ははは(笑)、そうだったね。SUPER STUPID初の大阪ライブで、対バンが吉本興業のSo What?ってバンドだった。まだ俺らの名前じゃ人を呼べない時代で、BAYSIDE JENNYってデカいハコにお客さんが5人しか集まらなかったよ(笑)。
CHABE でも、その後いきなりドンって入るんだよね。
LOW IQ 01 半年後にBAYSIDE JENNYに行ったらお客さんがめちゃくちゃ入ってびっくりした。95年になったらこんな変わるんだって。
──95年に入って空気が一気に変わった?
LOW IQ 01 そう。一気に変わった。
CHABE Hi-STANDARDの「GROWING UP」とか、さっき話に挙がった「Pull Up From The Underground」のコンピレーションが95年にリリースされたのがデカかったんだろうね。
LOW IQ 01 お客さんが爆発的に増えたね。ハイスタが先頭切ってくれて、それまで一部のスケーターが聴いてたような音楽を一般の人も聴くようになった。それまでは新宿LOFTが満員になったら「すげえ!」って感じだったんだけど、95年に入ったら突然大騒ぎが始まって「あれ? なんかが起きてるぞ」ってなって。
──当時AIR JAM世代のバンドが人気を得た要因ってなんだったと思いますか?
LOW IQ 01 やっぱりメロディがキャッチーで聴きやすかったからじゃない? あとはそれぞれのバンドの個性かな。ハイスタの登場をきっかけに、ミクスチャーっぽいBACK DROP BOMBとかギターポップをスピーディに荒々しくしたようなHUSKING BEE、SCAFULL KINGとか面白いバンドがどんどん出てきて一気にシーンが盛り上がって。AIR JAM世代のバンドってメロコアだけじゃなくてジャンルがバラバラで、それもよかったんじゃないかな。似たバンドがいないのが面白かった。いい意味でみんなライバル精神を持ってたし。
CHABE 確かにね。そうやって、いろんな要素が重なって短期間に状況が変わったのかも。
LOW IQ 01 とはいえ突発的に生まれたムーブメントじゃなくて、そこにはちゃんとした下地があったわけよ。それこそ大貫さんが「LONDON NITE」を長くやってくれてたこともそうだし、あとは雑誌がパンクシーンをちゃんと取り上げてくれてたり、いろんなことが重なったんだと思う。でも、あの盛り上がりは一番インディらしい形だったんじゃないかな。どのバンドもテレビとか出てないしね。あんな手作りで、よくあそこまで動かせたよ。すごいと思うな。
──日本中を巻き込むムーブメントになると思ってましたか?
LOW IQ 01 思うわけないって(笑)。誰もそんなこと思ってなかったし、知らない間にそうなっちゃったとしか思えなかったね。そりゃもちろん音楽をやり始めた頃には「有名になりたい!」とか漠然とした気持ちはあったけど、まさか自分たちがやってるような音楽を一般の人が受け入れてくれる時代が来るなんて考えたこともなかった。
2000年代、ムーブメントの終焉
──2000年には千葉マリンスタジアムで「AIR JAM 2000」が開催されました。Hi-STANDARDの活動休止もあり、ムーブメント的にはあそこでひと区切りついた感覚がありますが、当時を振り返ってみていかがでしょうか?
LOW IQ 01 俺は自分のユニットのMASTER LOWでCHABEたちと一緒に出たんだけど、やっぱり「AIR JAM 2000」で、90年代中盤からの流れにひと区切りついたようなところはあったよね。2000年代はそれぞれのバンドが違うステージに向かっていったような気がする。世の中の音楽的にも、ギターの音が歪んでたのが徐々にシャリシャリしてきて。音楽は常に変わっていくものだし、時代の流れもあったと思うんだよね。
──渋谷系界隈も、小沢健二さんが98年以降、表立った活動を休止したり、ピチカート・ファイヴが2001年に解散したりとさまざまな変化がありました。TOKYO No.1 SOUL SETも99年から実質活動休止状態に突入しましたが、以前その頃の話を川辺ヒロシさんに聞いたとき、「90年代が終わってパーティが1回終わった感じがした」と話されていました。
CHABE ああ、その感覚はすごくわかる。
LOW IQ 01 俺もそういう感じがした。俺らの周りは世代的にみんな2000年前後に30代に突入したんだよね。20代のエネルギーを90年代に使っちゃって、2000年代は、みんなそこからちょっと大人になっていくわけよ。何も考えないで走ってきたけど、そこで一旦立ち止まって、自分のやりたい音楽とか立ち位置を見つめ直したというか。あの頃突っ走ってた連中が、「これからどうしていこうか」と考え始めたのが2000年ぐらいだったんだと思う。
渋谷系とAIR JAM世代の共通点
──渋谷系とAIR JAM世代のアーティストの共通点をあえて挙げるとするとなんだと思いますか?
LOW IQ 01 うーん……わかった! ただの音楽好き!
CHABE そうだね(笑)。
LOW IQ 01 いや、マジで。その一言に尽きると思うよ。音楽とお酒が好きな人が多かっただけ(笑)。それが混ざるとこうなるんだよ。
CHABE でも僕も90年代初頭にレコードショップ(ZEST)で働いていたり、今思えば渋谷系カルチャーのど真ん中にいた感じだけど、実際自分たちが渋谷系だとは思ってなかったよね。特に渋谷系という言葉が出始めた頃は、「僕ら渋谷系って言うんだ?」って感じだった(笑)。
LOW IQ 01 CHABEもそうだし、カジ(ヒデキ)くんやCrue-L Records周辺の人たちとか、みんな洋楽が大好きで自分たちで音楽をやったら、たまたま渋谷系って呼ばれちゃった感じじゃん。
CHABE ホント、そんな感じ。
LOW IQ 01 で、スタイリッシュな雰囲気もあったから、女子たちが王子様扱いしたわけで。俺らも同じく洋楽好きだったんだけど、みんな上半身裸だから王子様って感じじゃなかったよね(笑)。
CHABE ははは(笑)。でも渋谷系とAIR JAM世代って完全に別のシーンとして捉えられてるけど、僕らからすると全然近くにいた感覚なんだよね。
LOW IQ 01 そうだよ。一見対極っぽい感じだけど、音楽好き同士つながってたし。
──この連載に登場したドレスコーズの志磨遼平さんやカジヒデキさんが「渋谷系はパンクにも相通じる若者によるカウンターカルチャーだった」と言われているんですが、そのあたりはどう捉えていますか。
CHABE 僕もそうだと思います。個人的には特にフリッパーズ・ギターの存在が大きくて。あの2人の態度や発言がまさにパンクでしたからね。それまでの旧態依然とした音楽シーンに牙をむくっていう(笑)。それでいてスタイリッシュで。僕もすごく影響を受けました。
LOW IQ 01 俺も渋谷系はパンクカルチャーだと思う。モッズもそうだけど、それまでの古いカルチャーに対するカウンターという意味でもパンクだったと思うね。実際、パンクみたいに音楽シーンに大きな影響を残したわけだし。
──何かをひっくり返すパワーがあったってことですよね。CHABEさん的に捉えると、渋谷系ってどんなものだったと思いますか。
CHABE さっきイッちゃんが言ったように、めちゃくちゃ音楽を好きな人たちが、それぞれのやり方で世界中のいろんな時代の音楽を吸収して、それをアウトプットする中で生まれたカルチャーというイメージですね。
──引用と再構築のカルチャー。
CHABE そう。だからそういう意味ではSUPER STUPIDも渋谷系ですよ(笑)。カントリーだとか、いろんな音楽の要素が入っているし。
──実際、ZESTでもSUPER STUPIDのアナログ盤を取り扱っていました。
LOW IQ 01 渋谷系周辺の人たちがSUPER STUPIDのレコードをDJでかけてくれたのは、すごくうれしかったよね。あと、ツボイくん(Illicit Tsuboi)がSUPER STUPIDのレコードを2枚がけしてたのも衝撃だったな(笑)。
──では最後に、イチさんが渋谷系カルチャーから学んだことを聞かせてください。
LOW IQ 01 穏やかさですかね(笑)。内に秘めた男らしさというか。渋谷系周辺のアーティストって見た目のイメージで文科系っぽく見える人も多かったけど、みんな本当に音楽が大好きで、熱いこだわりを持ってたじゃん。むしろゴリゴリなロックな人よりも頑固なんじゃないか?って思うくらいに(笑)。自分のやりたいことを誠実に突き通していく大切さを俺は渋谷系から教わったね。
LOW IQ 01
10代の頃から数々のバンドでベース、ボーカルなどを担当し、1994年にパンクロックバンドSUPER STUPIDを結成。1996年にアルバム「WHAT A HELL'S GOING ON」でメジャーデビューを果たし、精力的な活動を展開した。その後1999年のSUPER STUPID活動休止と同時にソロ活動を開始。2016年には自主レーベル「MASTER OF MUSIC」を設立。最新作は2019年4月リリースのアルバム「TWENTY ONE」。2020年4月に全国ツアー「LOW IQ 01 LIVE TOUR 2020」がスタートする。
松田“CHABE”岳二
CUBISMO GRAFICO、Neil and Iraiza、LEARNERSなど、さまざまなバンドやユニットで活躍。また、FRONTIER BACKYARD、LOW IQ 01のライブバンドMASTERLOWのサポートも務める。ミュージシャンと併行してDJとしても精力的に活動。2001年には、映画「ウォーターボーイズ」の音楽を手がけ、第25回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞している。2020年2月19日にLEARNERSのニューアルバム「HELLO STRANGER」がリリースされる。
取材・文 / 土屋恵介(a.k.a. INAZZMA★K) 撮影 / 相澤心也