西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺が私論も織り交ぜつつ、愛するポップソングを紹介する。
第20回ではV6最後のオリジナルアルバム「STEP」に収録された「雨」にフォーカス。1995年のデビューから誰1人欠けることなく26年間走り続けた6人の功績を称えるとともに、KOHH提供の「雨」で表現した彼らのクリエイティビティに迫る。
文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ
光GENJI解散の翌日にデビュー
2021年11月1日、幕張イベントホールで行われた「LIVE TOUR V6 groove」最終公演をもって26年間の活動に幕を下ろしたV6。ジャニーズ事務所所属グループがオリジナルメンバーのまま解散ライブをするのは、シブがき隊に続いて2組目、33年ぶりのこと。
V6が結成され、デビューした1995年は現代史の大きな転換期となりました。1月17日に阪神・淡路大震災、3月20日にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、Microsoft Windows 95が世界的に発売され一般家庭に急速に普及したことで、現在に至る“インターネット前提の社会”がスタートしたのもこの年。アイドルの世界でも象徴的な出来事が……。1987年夏にデビューし、一世を風靡した光GENJIが1995年9月3日、名古屋レインボーホール(現:日本ガイシホール)のステージ中央にローラースケートを脱いで置き、解散。このときすでにデビューを伝えられていたV6のメンバーは解散直前の8月に行われた横浜アリーナ公演に全員そろって駆けつけ、先輩グループの姿をその目に焼き付けたそうです。
彼らの回想を聞いて面白いなと思ったのが、まだマネージャーがいなかった6人が待ち合わせて電車に乗り、新横浜の1つ手前の駅で降りて2台ずつに分かれタクシーで現場に向かったということ。坂本昌行さんと長野博さんはGENJI(光GENJIの内部ユニット。“光”と“GENJI”が合体して結成されたのが光GENJI。)メンバーと同世代。それぞれ一度事務所を辞め、芸能の道を諦めた時期もあったわけですから(長野さんに至っては、当時ジャニー喜多川社長から「YOU、光GENJIに入れておけばよかった」と言われたそう)、これから10代の4人とともに迎えるデビューにあたって特別な感情に包まれたであろうことは想像がつきます。
光GENJIは“80年代的アイドルの代表”となったがゆえに90年代、昭和から平成へと元号が変わった頃から逆風が吹き荒れ、脱退によるパワーダウンなど困難な舵取りの中で解散に追い込まれたように感じます。レコードからCDへのフォーマットの変化もありましたし、歌番組が次々と終了した時代の波も重なりました。楽曲のクオリティ、爆発的な魅力、パフォーマンスとともに今、再評価されるべきグループだとは思うのですが……。いずれにせよ光GENJI解散翌日の9月4日に、六本木のヴェルファーレ(2007年に閉店したディスコクラブ)でデビュー記者会見を行ったV6。今になってみると彼らの中に「もしも終わらせるなら全員そろった美しい形のままで」という共通意識が芽生えた原体験は、そのスタート地点にあるのかなと思ったりもします。
リーダー・坂本昌行に起こった変化
V6の魅力。2011年からの数年間は、実際に楽曲制作やコンサートでの共同作業で6人と接する機会も増えたのですが、メンバーと直で言葉を交わしコミュニケーションをとる中で改めて気が付いたのが、それぞれの役割分担と適度な距離感を保つ優しさ。ここぞ!というときに団結し協力する姿勢。特にデビュー当初は「最年長の自分が指揮をとるんだ」と情熱的に年下の3人(森田剛、三宅健、岡田准一)を指導する立場にあったと言われる坂本さんが、時を重ねるごとに、若いメンバーにクリエイティブ面での指揮を任せ、あえて「自分はパフォーマーに徹する」と我々制作陣に対しても客観的かつ柔軟な姿勢をとられるまでに至った変化。「若い人に責任を譲ってゆく」というその立場の難しさに関しては、僕自身も彼らと“出会った”38枚目のシングル「Sexy.Honey.Bunny!」リリース時、2011年から10年重ねた今になって気付き感謝することも多くて……。V6は個人活動も多岐にわたるアイデアマンぞろいのグループ。V6が成熟して以降、自らは「何もしていない」とたびたびおっしゃる坂本さんが作り上げた“新しいリーダー像”の元だからこそ、彼らは最後の最後まで攻める姿勢を貫き通せたのではないかと今、思っています。
さて。コロナ禍となった25周年イヤーの2020年、彼らはYouTubeでミュージックビデオやライブ映像などさまざまな動画を公開し、ステイホームを強いられたファンを楽しませてくれました。僕の大学時代からの友人のシンガーソングライター・土岐麻子さんが作詞を担当された「PINEAPPLE」は、会えない思いをV6らしいクールネスで包んだ傑作。イスを使った印象的な振り付けは錦織一清さん演出のミュージカル「JAM TOWN」でも協力した日本が誇るダンサーでこれまた盟友のYOSHIEちゃん。この時期までは、年を重ね、さらなる充実期にある彼らの解散など夢にも思いませんでした。もちろんアニバーサリーイヤーが終わればまた個人活動に重心を移していくのだろうと予想していたのですが。
コンサートに見るストイックなダンディズム
今年3月12日16時、突然告げられた11月1日をもっての解散……。緊急事態宣言下の制約もある中でスタートした最終コーナーまでのカウントダウン。怒涛の日々の中で実現した大きな企画がAmazon Prime Videoでの「V6 LIVE COLLECTION 2007~2020」公開でした(参照:V6のライブ映像をAmazonプライム・ビデオで配信、25周年ライブ含む8作品)。2007年「V6 LIVE TOUR 2007 Voyager -僕と僕らのあしたへ-」から、昨年11月1日、彼らの聖地・国立代々木競技場で行われたデビュー25周年無観客配信ライブ「For the 25th anniversary」までの8作品が解禁。ジャニーズグループを愛するうえで最大の醍醐味が、キラキラと輝く彼らが放つパワーを生で直接浴びられるコンサートにあることに異論はありませんが、ソールドアウト前提の超人気公演ゆえ熱狂的なファン以外にはなかなか体感するチャンスがないのが実情。特に男性の場合、音楽的に彼らの楽曲が好きだったり注目していても、そもそもどうすればチケットを購入できるのかわからない、とコンサート未体験の人も多いのではないでしょうか。
解散後もニュースは続き、2021年12月10日からは、10月23日にさいたまスーパーアリーナ にて開催された「LIVE TOUR V6 groove at SAITAMA」も配信! 「百聞は一見にしかず」ということわざもありますが、スタートからの数曲を観てもらうだけで、これまでV6が進んできた道と、ファンへの熱い思い、それぞれが目指す現在と未来への凄まじい気概、誠意がビシビシと響いてきて……。男たちの結束とストイックなダンディズムに震え慄くことを保証しますのでぜひ。
華やかなアイドル像を封印
メンバーそれぞれがプロデュースした新曲のみで構成されたV6最後のオリジナルアルバム「STEP」(2021年9月発売)を聴き、僕がもっとも心動かされたのは、森田剛さんの希望によりKOHHさんの楽曲提供が実現した「雨」でした。「LIVE TOUR V6 groove at SAITAMA」でもセットリストの1曲目として選ばれた、彼らの歴史でも重要な位置を占めるこの曲。華やかなアイドルのイメージとはほど遠い、モノトーンに暗く煌めくビジョンの中に次々と登場する6人の凛とした表情。終わりまでのリミットを知り、だからこそ光を放つ“V6としての人生”。 かけがえのない一瞬、1秒を全力で味わおう、分かち合おうとするそれぞれの目に美しき“闘志”が宿っていて。
たまに「人生最後に食べる食事は何がいい?」などという質問や、「もし1年後に自分が死ぬとしたならやり残したことは何か」などと考えたりするタイミングがあります。「解散までに何をするか? 何ができるか?」。彼ら6人は、解散を決めてもなお真剣勝負で前進し続け、その姿をファンに届ける道を選びました。僕は個人的にジャニーズグループはそれぞれ憧れた先輩たちが成し遂げていない「何か新しい自分たちだけにしか表現できないエンタテインメントの在り方」に到達しようと奮闘してきたと考えています。少年隊、光GENJI、SMAP、TOKIOなどそれぞれ独自の個性を持ち光り輝く“スーパー集団”の中、V6にしかたどり着けなかった場所がある。その1つのゴール、世界観がYouTubeでも公開された「雨」のミュージックビデオなのではないかと。
「雨」は、歌詞を構成する言葉や音数自体は少ないけれど、研ぎ澄まされていて。曲中で繰り返される「雨」というフレーズが、彼らの心の奥底から発せられる声色と相まって僕にはだんだんと「アーメン」に聞こえてくるんです。このダブルミーニングは、単なる“深読み”かも知れませんが……。古来から伝わる雨乞いの儀式のごとく、神に祈る切実な思い。「アーメン」について、辞書で調べると「キリスト教徒が祈祷、讃美歌などの終わりに唱える言葉」と記されています。「祈りの終わり」に唱える言葉! 続く「降れ」という歌詞は「フレー フレー」という激励にも聞こえて。振り付けはs**t kingz。V6メンバーも制作に深く携わったこの作品、一度は死ぬ直前まで追い詰められた男たちが山奥に集まり、ともに踊るというストーリーなのでしょうか、ボロボロに泣いて虚ろな目をした彼らの姿は品格を保ちながら鬼気迫り、醜さ、不格好さまでも飲み込んだ映画のワンシーンのよう。死にゆく寸前の、階段から転げ落ちたり、息苦しく身悶える姿までもがそれぞれエレガントなダンスとして“浄化”されてゆく。
激動の26年の日々で、10代の少年達は40代になり、長らくジャニーズのデビュー最年長記録を保持した(24歳3カ月)坂本さんは50歳を迎えました。しかし、その“年輪”がなければ表現できない領域を彼らはこの1曲だけでも証明してくれています。後輩たちにとっては、また超えなければいけない巨大な壁が生まれたことでしょう。年齢差9歳、全員が40代以上になってここまで輝き続けられるのか? 6人がそろった瞬間に浮き上がる誇りに満ちた“V6”の文字。それを見れば、寂しさ以上に彼らが選んだ未来に対して感謝と祝福の思いがあふれてきます。僕自身の喜びは20th Century(トニセン)の存続。これからの6人の活動が心から楽しみで仕方ありません。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」「家族って」といった著作を発表。最新刊は「しまおまほのおしえてコドモNOW!」。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。