現在ヒット中の映画「シン・ウルトラマン」の魅力を音楽面から深く掘り下げるこのコラム。前編では映画の前半で使用された宮内國郎のオリジナルスコアについて解説したが、後編では物語の後半を熱く盛り上げた鷺巣詩郎による劇伴や、細かいところまでこだわり抜かれた効果音、米津玄師による主題歌「M八七」について考察する。
文 / タカハシヒョウリ(オワリカラ、科楽特奏隊)
※こちらのコラムは、作品のネタバレを多分に含みます。「シン・ウルトラマン」未視聴の方はご注意ください。
※曲タイトルの表記は、基本的にパンフレット収録の曲目リストに準拠しています。
後半の劇伴は、ジャンル横断な鷺巣ワールド全開
前述のように、「シン・ウルトラマン」後半の劇伴は、鷺巣詩郎氏による楽曲となる。
再び公式書籍「シン・ウルトラマン デザインワークス」の庵野秀明氏の手記に目を通すと、今回の鷺巣氏の音楽は「エヴァ」シリーズや「シン・ゴジラ」のために制作され、使用されなかった楽曲の中から「シン・ウルトラマン」に合うものを選んだ旨の記述がある。
「シン・ウルトラマン」のための書き下ろしに言及されているのは、「Break down the Buddy〈相棒失格〉」(浅見と神永の会話のシーンで流れる楽曲)のみであり、ほかのどの曲が未使用ストックからの流用で、どの曲が書き下ろしなのかは、現時点では判別することはできない(加えて鷺巣氏による楽曲は、タイトルは発表されているが、現時点ではどの曲がそのタイトルに当たるのかは判明していない。ここでは基本的に登場順で収録されていると考えて、タイトルを判別できるものはそのタイトルを使用している)。
個人的には、大人気キャラとなった人間態メフィラスの登場あたりから流れる長尺の「L’invasion du silence: quatuor〈静かなる侵略:四重奏〉」、ブランコでの外星人談義に流れる「Brebis égarée: violon et piano〈迷える子羊:提琴〉」あたりのメロウな楽曲群は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の第三村のシーンあたりで流れてもまったく違和感のない楽曲という印象で、流用の可能性があるのではないかと推測している。
このあと、映画はウルトラマンとメフィラスの直接対決へと突入していくわけだが、その前にもう1曲。神永(ウルトラマン)とメフィラスが杯を交わす居酒屋の店内BGMとして流れている曲が、1974年のTBSドラマ版「日本沈没」の挿入歌、五木ひろし氏の「小鳥」である。作曲は、歌謡曲の王様・筒美京平氏。庵野秀明氏、樋口真嗣両氏ともに幾度となく「日本沈没」への愛を表明しているため、一種のオマージュとして採用された楽曲と思われる。
さて、メフィラスとの戦闘に使われた楽曲について。
2021年に公開された予告編で使用されたのを皮切りに、公開まで何百回耳にしたかわからない打楽器のリズムのみで構成された楽曲は、壮大な組曲の前奏部分だったのか!とブッ飛んだ。打楽器によるリズムパートに、荘厳なオーケストラが重なり、分厚い男女合唱、そして歪んだギターでハードロック化、さらにデジタルなブレイクビーツへと、次々ジャンルを横断するように変貌していく構成は鷺巣節全開。それまでの戦闘が、宮内音楽によるどこかノスタルジックな劇伴の中で繰り広げられていたため、ここで突如として出現する現代的なサウンドがより際立っている。
次いで、ゾーフィによって送り込まれた巨大兵器・ゼットンにウルトラマンが立ち向かうシーンで使用されているのは、クラシカルで重厚な合唱を中心とした悲壮感あふれる楽曲。敵わないと知りながら死地に向かうウルトラマンの覚悟が、その曲調でもストレートに表現されており、どう見ても「勝てない戦い」だと一発で分かるような劇伴である。空中から落下していくウルトラマンに重なるように、流麗なストリングスの下降音で楽曲が終わるのも印象的だ。
そして、“終わり”の時を知らずに待つ人々の日常に流れるのは、「Brebis égarée: alto et piano〈迷える子羊:菫琴〉」。こちらは、メフィラスとのブランコ談義シーンで流れた曲の別バージョンである。どこか浮遊感のあるメロディが人々の生活の儚さを浮かび上がらせつつ、そのメロディはメフィラスのシーンと共通というのも面白い。
劇中での最後の曲となるのが、命を懸けてゼットンとの最終決戦へと挑むウルトラマンを奮い立たせるようなドラマチックな楽曲。この楽曲のタイトルが、「Is Humanity to die? 〈世界の終わり?〉」だと思われる。
この曲は、4月18日に公開された予告映像でも前奏部分を聴くことができるが、映像の下部分に残り時間を示すタイムカウンターが表示されると同時に、勇壮なブラスが響き出し、分厚いコーラスとヒロイックなテーマが最終決戦を盛り上げる。
ウルトラマンが2度目のベータカプセルを点火してゼットンへぶつかったところで、音楽は一度小さく減衰し、そして平行宇宙への穴が開くと同時に、再度大きく爆発する。
再爆発後は、平行宇宙の闇へと取り込まれまいと飛ぶウルトラマンの姿に、悲痛な曲調が重なり後半最大の音楽的(音量的にも)ピークを迎え、そして平行宇宙への穴がウルトラマンを吸い込んで閉じると同時に、音楽も虚しく消える。そのあとには、無音の宇宙が広がり、以降劇伴は使用されない。
後半に使用される鷺巣氏による楽曲は、重厚なオーケストレーションに、男女合唱によるコーラス、そしてメタリックなギターと、鷺巣ワールド全開のヘビーな楽曲が目立ち、前半までの宮内音楽の軽快さとの対比となっている。
あわよくば、「世界中の学者によるゼットン攻略国際会議!?」のときに、一瞬でも「EM20」(エヴァの作戦シーンでお馴染みの曲)をかけてくれたら僕は昇天できた……と思うのだが、そこは脳内補完で楽しみたいと思う。
原典を徹底的に再現した効果音、でも「あえて鳴らない音」がある?
「シン・ウルトラマン」もう1つの音の注目ポイントは、やはりその効果音だろう。
ウルトラマンの飛行音や光線音、怪獣の鳴き声や足音、外星人が出現したときの奇妙な環境音から、果てはPCが発光し故障する音も、SNS上の画像が消えるときの効果音(!)まで、あらゆる音がみーーーんな原典の効果音。まさか米空軍の爆撃機の飛行音にまで、「ウルトラマン」のビートルの飛行音が使用されているとは予想できず、驚かされた。
とにかく、「シン・ゴジラ」以上に徹底して、どの音を聴いてもどこかで聴いたことがある、という不思議な世界がそこに広がっていた。
そんな中で個人的に注目したいのは、禍特対本部に設置された固定電話の呼び出し音だ。
自分の記憶では、田村班長の机の電話は、いわゆる「ウルトラマン」の科学特捜隊の呼び出し音ではなく、「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊の呼び出し音が鳴っていた。エレクトーンの電子音で演奏されている科学特捜隊の呼び出し音は、東宝のゴジラシリーズに登場する宇宙怪獣キングギドラの鳴き声の流用であり、また「エヴァ破」の葛城ミサトの携帯の呼び出し音でもあったため、ファンの間ではぶっちぎりで有名な呼び出し音となっている。てっきり「シン・ウルトラマン」でもどこかで鳴るものだと思っていたが、最後まで使用されることはなかった。
物語の後半で、禍特対本部の電話が次々と鳴るシーンでは、ウルトラ警備隊に加えて「帰ってきたウルトラマン」のMAT、「ウルトラマンA」のTACという別の防衛チームの呼び出し音も確認できた。そのシーンでは電話機自体も大きく映し出されるのだが、そこには「IWATSU」のロゴが。こちらは「岩崎通信機」という通信機器メーカーの電話機なのだが、実は55年前の「ウルトラセブン」でも同じメーカーの電話機が使用されている。「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊本部に設置された薄緑色の電話機は、岩崎通信機製だと判明しているのだ(出典:「ウルトラセブン研究読本」洋泉社)。
この電話機は、「セブン」だけでなく「帰ってきたウルトラマン」のMATの基地内にもその姿を確認できる。おそらく、この電話機に敬意を表して「シン・ウルトラマン」でも岩崎通信機の電話機を使用しているのだろう。
55年前にウルトラ警備隊に置いてあった電話機と同じメーカーの電話機が、「シン・ウルトラマン」で同じコール音を響かせていた、と思うと感慨深いものがないだろうか。ぜひ、もう一度鑑賞する際は、電話の音や、電話機に刻印されたマークにも注目してみてほしい。
以上のように、徹底的に原典に忠実な「シン・ウルトラマン」の効果音なのだが、そんな中でウルトラマンにまつわる「とある重要な音」が使われていないことにお気付きの方も多いだろう。そう、ウルトラマンの残り活動時間が少ない事を告げる「ピコーンピコーン」というカラータイマーの音と、「シュワッチ!」という独特の掛け声だ。
これに前述の「ウルトラマンの歌」を加えると、誰もが「ウルトラマン」と聞いた時に思い浮かべるであろう「3つの音のアイコン」を奪われているのだ。
カラータイマーが存在しない点については、ウルトラマンをデザインした成田亨氏の初期の構想にできる限り近付けたいという意図がすでに発表されているが、それだけではない「ウルトラマンを現代に新生させる」という作り手の意図を感じずにはいられない。つまり、誰もが先入観として持っているアイコンを剥奪することで、すでに固定されているウルトラマンのイメージを解体し、現在進行形の存在として再提示しようという意図だ。
言ってみれば、神格化されたウルトラマンから神性のアイコンを奪うことで、再度この“現在”の“現実世界”にウルトラマンを受肉させるような試みなのだ。
そこから見えてくるのは、今回の「シン・ウルトラマン」の根底にある、「ウルトラマン」という作品自体をトレースするのではなく、「ウルトラマンを見た」という体験をトレースしたいという狙いだ。樋口監督らが、かつてテレビの中で「銀色の巨人を初めて見た」ときの衝撃、そのファーストコンタクトの衝撃を新しい世代に向けて追体験させるためには、広く定着している固定観念を払拭する必要がある。そのための、「あえて採用されなかった3つの音のアイコン」と考えると、劇中で鳴らない音にも意味があるように感じられるのだ。
最後に、「M八七」
というわけで、耳で楽しむ「シン・ウルトラマン」の注目ポイントをさまざまに紹介してきたが、最後に主題歌「M八七」についても少しだけ触れておきたい。
「シン・ウルトラマン」のエンディング曲に採用されたのは、米津玄師氏による楽曲「M八七」であった。
本来のタイトル案はウルトラマンの出身地であるM78星雲から取った「M78」であったが、庵野秀明氏の発案で「M八七」になったそうだ(参照:米津玄師「M八七」インタビュー)。「ウルトラマン」の本来の設定の「M87」が、誤植によって「M78」として定着したという経緯を踏まえて、原点への回帰の意図があるのだろう。
歌詞の中には「微かに笑え」というフレーズも登場し、ここにはウルトラマンをデザインした成田亨氏の「本当に強い者は戦うとき、微かに笑うと思う」という言葉や(出典:2015年7月29日放送 BSテレ東「美の巨人たち 成田亨『MANの立像』ヒーローにしてアート!ウルトラマン誕生秘話」)、ウルトラマンのモチーフとなった仏像の微笑み(アルカイックスマイル)などのイメージが重なり、さまざまな言葉が多くの人々にとっての「ウルトラマン」を乱反射する楽曲となっている。
だが、僕はこの楽曲について、プロモーションとして作品同士が補強し合う完璧な結合に感銘を受けたのだ。
「新世紀エヴァンゲリオン」では「残酷な天使のテーゼ」、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズでは宇多田ヒカルさんによる楽曲という、音楽的な“バディ”の存在が、作品の世界観の確立と普及に大きな意味を持ったことは疑いようがない。「シン・ゴジラ」では、その役割をあえて伊福部昭氏による東宝特撮映画音楽に託したわけだが、今作では見事に米津玄師氏が果たしている。
実際に、米津氏が主題歌を担当するというニュースで、米津氏自身がリスペクトを込めて描いたジャケット画で、ウルトラマンと接点を持たぬ多くのファンが「シン・ウルトラマン」に注目し、その橋を渡ったのだと思う。
そういう意味で、「ウルトラマンの新たな時代の主題歌」として、1つのふさわしい形であったと言えるだろう。