細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、細野の音楽観をより深く学ぶべく2023年より“補講”を開講している。
ゼミ生として参加するのは、細野を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。番外源となる今回取り上げるアーティストは、前回フィーチャーしたブライアン・ウィルソンと同様に、2025年6月に82歳で亡くなったスライ・ストーン。細野がリスペクトして止まない稀代のヒップスターの魅力に迫る。
取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん
細野晴臣とハマ・オカモトが大好きな「Fresh」
──今回はスライ・ストーンについてです。前回取り上げたブライアン・ウィルソンと同じく、スライも6月に82歳で亡くなりました。スライと言えば、1960~70年代の音楽を語るうえでは欠かせないSly & the Family Stoneの中心人物です。本ゼミではブライアン・ウィルソンよりも名前が多く登場していたような印象がありますね。
ハマ・オカモト 僕は大好きです。自分が出演しているラジオでも追悼企画をやりました。
細野晴臣 ハマくんが最初に聴いたのはどのアルバム?
ハマ Sly & the Family Stoneの「Fresh」(1973年)ですね。楽器を始めた頃に、安い値段で名盤がCDで再発され始めたのがきっかけで知りました。Sly & the Family Stoneだと「暴動」(1971年)が名盤とされていたんですけど、僕は「暴動」より「Fresh」が好きで。でも、それがちょっとコンプレックスだったんですよ。「なんで名盤とされている作品より、こっちの作品が好きなんだろう?」って。だから「Fresh」が好きってあまり堂々と言えなくて。あとから「暴動」も好きになったんですけど、思い入れがあるのは「Fresh」です。
細野 僕も同じなんだよ。
ハマ え、本当ですか!? 「暴動」からメンバーが変わっているので、バンドとしてのSly & the Family Stoneが好きな人からすればいろんな意見があると思うんですけど。自分がベーシストだということもあって、「If You Want Me To Stay」のベースラインがとにかく衝撃的だったので……っていうか、1曲目の「In Time」からめちゃくちゃカッコいい。
細野 わかるよ。
ハマ ですよね……「ですよね!」とか言っちゃった、細野さんに(笑)。
安部勇磨 あはははは。僕は星条旗のジャケットのアルバムしか聴いたことがないんだけど、あれは「暴動」だよね?
ハマ そう。次のアルバムが「Fresh」。
安部 そうか、聴いてみよう。
細野 「Fresh」はドラムがすごいよ。アンディ・ニューマークというドラマーが叩いてるんだ。彼が来日したとき林立夫と一緒に観に行ったの。ボブ・ジェームスのバックで来日したんだけど、そのときの演奏は全然面白くなかった。
ハマ そうだったんですね(笑)。僕は「Fresh」をきっかけにスライを知って。人種問題やベトナム戦争の泥沼化などでアメリカ社会が混沌としていたタイミングで「暴動」をリリースしたり、作品を通したメッセージ性のすごさというのは、のちにいろんな角度で知っていきました。星条旗のジャケットも含めて。
細野 そういう意味でも名盤だよね。ただ「暴動」をリリースしたあとは、スライの悪い噂ばかり出てきた。ライブをすっぽかしたとかね。
ハマ ステージに出てこないとか。
安部 ええ……。
細野 だから、めちゃくちゃな人なんだろうなって思ってた。そしたら「Fresh」がリリースされて、聴いてみたら本当にフレッシュだった(笑)。すっきりしたサウンドでね。
ハマ どの楽器もフレーズがカッコいいですからね。あんな作品はもう世の中に出てこないと思うんです。もちろん初期の「Dance To The Music」とか「Stand」も大好きなんですけど。
細野 僕はリズムマシンの使い方が衝撃的だったなあ。
ハマ まさにリズムマシン使いのパイオニアですよね!
安部 そうなんだ……!
ハマ うん、聴いてほしい! 絶対好きになるよ。“機材大好き・安部勇磨”なんだから。
細野晴臣、人生で初めてスタンディングオベーションする
──安部さんは「暴動」をどのタイミングで聴いたんですか?
安部 20代前半のときですね。名盤と言われているから聴いてみたら、カッコいいなと思って。サウンドの質感も日本の音楽と全然違うし。特にベースラインがすごくカッコイイなという印象でした。
ハマ ベースと言えば僕、ラリー・グラハム(Sly & the Family Stoneのベーシスト)のライブを観たことあるんですよ。19歳ぐらいのときだと思うんですけど、初めてビルボード東京で観たライブがラリー・グラハムだったんです。トレードマークのMOONのベースを持っていて。ベースの裏側からマイクが伸びてて、そのマイクで歌うんですよ(笑)。後にも先にも、そんな人見たことない。超“ショーマン”。「ここからみんな70年代にタイムスリップしよう!」みたいなMCからスライの曲をやるんですけど、「Dance To The Music」とかを歌うとお客さんがみんな爆笑するんですよ(笑)。
安部 あはははは。
ハマ いやあ、すごくいいショーでしたね。人種混合という意味でもSly & the Family Stoneは超革新的なバンドですよね。MG'sもそうですけど、あの時代に白人と黒人が一緒にバンドをやるのってすごいことだと思うんですよ。人種の壁を取っ払うスタンス。スライは本当にすごい人ではありますよね。問題児的なところはあったにせよ(笑)。
──細野さんがスライの音楽と出会ったきっかけは?
細野 やっぱり「Dance To The Music」だね、大ヒットしたから。でも最初は、「なるほどな」と思っただけだったな。びっくりしたのは「Runnin' Away」だったよ。初めて聴いたとき「ファンクの人がこんな曲を作るんだ」って、すごくショックだった。名曲だと思った。
ハマ ファンクというか、スライ自体がジャンルですよね。ファンクでもソウルでもない。あの人自身がジャンル。
細野 そういうところ、前回のブライアン・ウィルソンと重なるかもね。ジャンルを超越しちゃってる。スライで言うと、僕はすごく大事な経験をしているんだ。2人はスライのライブを観たことある?
安部&ハマ ないです。
細野 日本に来たんだよ、2008年に。「東京JAZZ 2008」というジャズフェスティバルにスライが出るというんで観に行ったんだ。そしたら本当に出てきて「Family Affair」を歌ったんだ、ちゃんと。あの名曲を。それで僕は、人生で初めてスタンディングオベーションを送ったんだよね。感動しちゃって。改めて「僕はスライの大ファンなんだな」と思った。
安部 えええ!
ハマ 細野さんにそこまでさせるって、もう……。
細野 でね、その後スライはBLUE NOTE TOKYOでワンマンライブをやったんだけど、それはものすごく不評だったんだって。ちゃんとやらなかったらしい。
ハマ そのライブを観に行った友人に話を聞いたんですけど、とにかくスライがステージに出てこなかったみたいで。ライブが始まって1時間くらい経っても出てこない。「もしかして、今ステージの上にスライがいるんだけど、ビジュアルが変わりすぎていて自分が気付いていないだけなんじゃないか?」とまで思っちゃったみたい。そしたら最後の最後に袖からゆっくり出てきて、少しだけしゃべって終わったって。
細野 本当に?(笑)
ハマ はい……「はあ?」みたいな感じで終わったみたいです。友達は「拝めただけでうれしかった」とは言ってましたけど、ある意味、伝説。イベントよりもワンマンのほうが気合いが入りそうなものだけどね。
安部 ワンマンのほうが全員が自分を観に来てるわけだからね(笑)。
ハマ だから、限られた人しかちゃんと歌った姿を見れていないんですよね。細野さんはそんな伝説のライブをご覧になってる。
細野 ラッキーだったよ。
誰も真似ができないスライの曲作り
──細野さんがここまで“ファン”な感じでお話しされるのも珍しい気がします。
細野 まず、“ミュージシャン”という意味で好きになったから。自分がベーシストの頃にね。やっぱりスライの曲作りというのは誰も真似ができない。特に日本人は。
ハマ 先ほど話に出た「Running Away」とか、本当に独特な曲ですよね。なんでしょうね、あの不思議な感じ。コーラスワークもホーンアレンジも面白いし、あとは間奏の複雑なベースライン。近年で言われるミニマルファンクみたいなものの源流なのかもしれませんね。ジェームス・ブラウンとか、あの手のものとはワケが違うファンク……というか、“ファンキーな音楽”。
細野 スライはダンスミュージックから逸脱しちゃってるんだね……全部いいんだよ。
──スライがバンドとしての全盛期だった1970年代あたりは、日本ではどういう評価だったんですか?
細野 どうだったんだろうな。僕の周りのミュージシャンはみんな影響されていたけどね。僕はベーシストとしてチャック・レイニーを追いかけていたけど、全然違う音楽スタイルだから「これは勉強しないとできないな」とは思った。チャック・レイニーからも影響を受けたけど、まったく違うジャンルとしてスライが好きだったよ。そういえば、僕の孫もベースを弾いてるけど、チャック・レイニーにベースを教わったと言っていたよ。ベース教室みたいなものに行って、一緒に写真を撮ってた(笑)。
ハマ チャック・レイニー、来日したときにベースクリニックをやっているんですよね。
──ここまでゼミを通してチャック・レイニーの名前が挙がっていますから、このゼミにもお呼びしたいですね。
細野 緊張しちゃうよ(笑)。
安部 あははは。
ハマ 細野さんが一番キッズになりそう(笑)。スライの話に戻ると、ちょっと余談なんですけど、僕は学生の頃テクニカルなものやエキサイティングなものが好きだったので、バラードとかミドルテンポの曲のよさがイマイチわからなかったんですね。でも「Fresh」の「Que Sera, Sera」のカバーを聴いたとき、「あ、バラードってこういうふうに聴けばいいんだ」って思えたんです。初めてあの手の曲を聴いて感動したんですよ。そういう原体験があるから「Fresh」が好きなんですよね。
細野 「Que Sera, Sera」のカバー、いいよねえ。あのカバーは誰も思いつかなかった。
安部 ここまでみんな大盛り上がりしてますけど……僕、1個も頭の中で音が鳴ってないんですよ。
一同 (笑)。
安部 だから、今日帰りに聴くのが楽しみです。
ハマ 「Que Sera, Sera」を聴いたら泣いちゃうかもよ。
安部 「Fresh」ね、聴いてみます。
ハマ でも、「Fresh」までの作品はどれも素晴らしいですよね。いい曲ばかり。
僕にとっての20世紀の音楽の締めくくりが、スライとブライアン・ウィルソンの死だった
細野 それにしても、スライとブライアン・ウィルソンが同じ年に亡くなったのは僕にとって大きな意味があるな。20世紀の音楽がどんどん消えていくというか、現役の音楽家がどんどんいなくなっているというか。ドクター・ジョンや、ニューオーリンズ音楽の礎を築いたデイヴ・バーソロミューが2019年に亡くなったとき、僕の中でのニューオーリンズ音楽は終わったと思ったんだ。そして今年になってスライとブライアン・ウィルソンの訃報が届いて、「これからは20世紀の音楽を懐かしんで聴くしかないな」と思った。僕にとっての20世紀の音楽の締めくくりが、スライとブライアン・ウィルソンの死だったね。
ハマ 2人の訃報が続いたというのも、ちょっと感じさせるものがありますよね。
安部 確かに、そうだよね。
細野 そうなんだよ。しかも同い年でしょ。あれほど影響力と才能を持ってる人、見当たらなくなってきたよね。
──先日オジー・オズボーンも亡くなって……とまた訃報を持ち出すと締め方が難しいですけど、そろそろお時間です。前回のブライアン・ウィルソンの回に比べると、今回は“スライの思い出”を語り合うような回になりましたが、楽しく話を伺うことができました。
ハマ でも、こうして素晴らしい音楽をみんなで語り合って紹介して、次の世代に伝達していくことしか、もはやできない感じもするので。山下達郎さんも「サンデー・ソングブック」のブライアン・ウィルソン追悼回では、おしゃべりするよりも曲をかけ続けていたらしいんです。そうやって残したり広めたりするしかないよな、と思いつつ。
──達郎さんは、The Beach BoysのCDのライナーノーツを執筆されていたほどの初期からのフリークですからね。
細野 彼は特に感慨深いだろうね。
ハマ そして物悲しく終わるのが嫌だとかではないんですけど、前回と今回のトピックの中で細野さんがブライアン・ウィルソンにインタビューをしに行ったというのは、僕の中で最高のエピソードでした(笑)。
安部 驚いたよね、「会ってたんだ」って(笑)。
プロフィール
細野晴臣
1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2023年5月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」が発売50周年を迎え、アナログ盤が再発された。2024年より活動55周年プロジェクトを展開中。2025年6月に2ndソロアルバム「トロピカル・ダンディー」のアナログ盤が再発された。
安部勇磨
1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト兼ギタリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、アジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2024年11月に2ndソロアルバム「Hotel New Yuma」をリリースし、初の北米ツアーを行った。never young beachとしては2025年12月8日に初の東京・日本武道館公演を行う。
ハマ・オカモト
1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。2025年2月に10枚目のアルバム「4EVER」をリリースした。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。
