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西寺郷太のPOP FOCUS 第2回 少年隊「ABC」

「西寺郷太のPOP FOCUS」
約5年前2020年03月19日 10:04

NONA REEVESの西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲取り上げ、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺が、私論も展開しつつポップソングの魅力を伝える。

第2回では、初回の「星屑のスパンコール」に引き続き、少年隊の楽曲にフォーカス。西寺がアイドルソングの最高峰と絶賛する「ABC」について紹介する。

1987年の少年隊

1985年12月12日、大きな期待を集めながら表舞台と下積み双方の経験を重ねてきた少年隊が、満を持してシングル「仮面舞踏会」でデビューしました。

1985年、当時僕は小学6年生でした。忘れられないのが、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ビリー・ジョエルなどのビッグアーティストが、アフリカの飢餓救済のために集結したチャリティプロジェクト「U.S.A. For Africa」 。プロデューサーは名匠クインシー・ジョーンズが務めました。

彼らのシングル「We Are the World」がリリースされたのが、1985年春。夏には、世界中に中継された歴史的コンサート「Live Aid」が行われました。Queenの映画「ボヘミアン・ラプソディ」に描かれた鮮烈な野外ライブシーン、あれがまさに1985年7月の「Live Aid」です。少年隊がデビューしたのはあの半年後、と言えばなんとなく当時のファッションや時代の空気感が伝わるかもしれません。

年末に発売された「仮面舞踏会」は、翌86年のオリコン年間シングル売上で第3位。作詞はちあき哲也、作曲は筒美京平、編曲は船山基紀という鉄壁の布陣。特に矢沢永吉さんの「YES MY LOVE」や、ライブでタオルを投げる定番曲「止まらないHa~Ha」も手がけた、ちあきさんによる作詞は派手なフックがありながら大人びてもいるという意味で、“アイドルのデビュー曲”としては新機軸だったのではないでしょうか。確実にヒットを狙うプロジェクトでありながら、タイトルに使われた「仮面舞踏会」というワード自体が歌詞には出てこないのも「客を子供扱いしていない」と言いますか。

86年の少年隊は「仮面舞踏会」のヒットに始まり、「デカメロン伝説」「ダイヤモンド・アイズ」「バラードのように眠れ」とシングルを次々リリースしてその地位を固めてゆきます。ただ、これはあくまで個人的な見解ですが「仮面舞踏会」以降の86年の彼らのシングル群は少年隊という規格外のアイドルグループの“若さ”と“実際の実力から放たれるイメージ”のバランスが今ひとつとれていない気がするんです。もちろん3人がデビューしたばかりのフレッシュな新人であることは間違いないんですが、成人した彼らのパフォーマンスはいわゆるそれまでの日本のアイドルポップスの枠組みにとどまらない成熟の領域に達していたと思うので。

その少しズレたパズルがピタッとハマったのが、87年だと思います。「1987年の少年隊」という書籍をいつの日か書きたいな、と何年も前から温めているほどなんです。作詞、作曲、編曲、演奏などすべてを含む楽曲クオリティ、制作スタッフのプロデュース能力、メンバー3人の歌唱、ダンスのレベル、さまざまな経験。すべてが日本歌謡界において前人未到の領域に達し、大爆発したのがこの年の彼らのシングル3曲だと僕は考えています。まず、3月に「STRIPE BLUE」、6月に「君だけに」がリリースされます。ちょうどマイケル・ジャクソンが「Bad」を発表し、日本にもチンパンジーのバブルスくんを連れてきた、あの秋。光GENJIが第2弾シングル「ガラスの十代」をリリースしたのが11月26日です。その約2週間前、11月11日に少年隊が発表したのが今回紹介する「ABC」。僕にとって人生で一番好きな曲です。小西康陽さんやRHYMESTERの宇多丸さんも以前、同じようなことをおっしゃっていましたが、日本のポップス史に燦然と輝くこの名曲を愛してやまない人は多いはず。

編曲された船山さん自身も「自分が関わった京平先生の曲で一番好きな曲ってパッと思い出すのは『ABC』だね。アレンジするときも大好きな曲だったから、本当にうれしかった」とおっしゃっているほどです。

手作りのゴージャス感

まず、船山さんが構築されたこの幸福感あふれる豪華絢爛なアレンジ、音像から解説してゆくと、結果的に1980年代版の“ウォール・オブ・サウンド”になっていると言いますか。“ウォール・オブ・サウンド”とは、直訳すると“音の壁”。1960年代前半に名プロデューサーのフィル・スペクターが確立した、多重録音によって音像に迫力とキラメキをプラスする手法なんです。フィル・スペクターはトラック数の少ない時代に独特の音の厚みを出すため、多数のミュージシャンを使ってギターやピアノをいくつも重ね、そこで生まれる“膨らみ”や“揺らぎ”の中に魔力が潜むことを発見し、世界中に衝撃を与えます。The BeatlesやThe Beach Boysを筆頭に、フィル・スペクターがその後のポップミュージックに与えた影響は計り知れないのですが、ともかく1960年代初頭にそういったムーブメントが存在しました。

それから20数年の時を経た1987年。「ABC」において、当時考えられる最高レベルの生演奏とデジタル楽器の全部盛り、録音芸術のその時期までの集大成である“日本のウォール・オブ・サウンド”が鳴り響いた、と僕は感じているんです。船山さんにインタビューしたところによると、レコーディングはVICTOR STUDIO 2 Studioで行われたそうです。FAIRLIGHTでプログラミングされた多種のサウンドとリズム、ROLAND TR-808、YAMAHA RX-7で打ち込んだパーカッションに島村英二さんが生ドラムを重ね、シンセベースはOBERHEIM ELECTRONICS OB-8とMIDIで動くように改造されたMOOGによるものでした。そこに高水“大仏”健司さんによる生ベースのミックス。ピアノやDX7などのシンセサイザーは山田秀俊さんによる生、ギターは今剛さん。シンセブラスと生ブラスも両方鳴っているというように、ほぼすべての楽器をデジタルと生、わざわざダブルに重ねてレコーディングしているんです。

今は当時に比べてレコーディングの予算が限りなく少なくなっていますから、例えば「予算がないから、できるだけシンセサイザーで弦楽器はそっくりにシミュレートして、バイオリン1本だけ生のうまい人を呼んで質感にリアルさを出そう」とか、悲しいかなそういう場合も多いんですが、このときの「ABC」は全然違っていました。船山さんの構想のもとで莫大な予算をかけて、あえてデジタルと生を混在させた一大絵巻。日本はこの時期、いわゆるバブル景気の真っ只中であり、少年隊は日本歌謡界の看板アーティストでした。潤沢な予算と磨き上げられた職人技を使い、その時点で考えられる最高のレコーディングだったと言えます。プログラミングやマニピュレートも機材の限界で今のように簡単に早く作業するのは不可能なので、そのすべての譜面を船山基紀さんは書かれていた、というわけです。

生のストリングスをレコーディングする場合、アレンジはもちろん楽器隊の人数分のギャラや天井が高く広いスタジオ代などかなりお金がかかります。現在はPCのソフト上でいろんな音を自由に、簡単に重ねられるのですが、当時はMIDIという一種の信号を使って複数のシンセサイザーを同期させるしかなかった時代です。船山さんから実際に伺ってちょっと想像して笑ったんですが、YAMAHA DX-7が3台、OB-8が2台、SEQUENTIAL CIRCUITS Prophet-5、改造されたMOOG、どでかいFAIRLIGHTをスタジオに集めてレコーディングしたようです。今ならノートパソコンでもできなくもない作業ですが、搬入だけでも気の遠くなるような作業ですよね。今、たまにYouTubeの動画などで複数のシンセを並べて当時のヒット曲を再現するような手法を配信してる人もいて、観る分には「ピタゴラスイッチ」みたいで面白いんですけどね。

僕は90年代半ばに本格的なスタジオレコーディングを始めたので、まだテープでの録音ではありましたが「同じ機種のシンセをわざわざズラっと並べて」みたいな体験はないんですよね。船山さんは、名匠・内沼映二さんのエンジニアとしての凄腕があってこそ、それだけの楽器が破綻することなくまとまったんだとおっしゃっていました。

ただそんなふうに予算と手間隙をかけたからこそ「ABC」の音像は、アナログ的なそれ以前ともデジタル的なそれ以降の世界にもない異常な“手作りのゴージャス感”にあふれているんですよね。「ABC」は、15年の時を経て嵐の「a Day in Our Life」(2002年2月発売)にもサンプリングされていて、彼らの初期の代表曲になってますよね。僕も錦織さんが演出を務められたA.B.C-Zの舞台「ABC座2016 株式会社応援屋!! ~OH&YEAH!!~」のテーマ曲「サポーターズ!」で、思い切りオマージュを捧げています。

アルファベット3文字の威力

松本隆さんの歌詞に触れると、「恋は最初じゃないのに めぐり逢うたびこわい」という歌い出しからとにかく凄まじくて。この冒頭の2行だけで、ある程度恋愛経験のある男性と女性が主人公であることがわかりますよね。1987年夏にローラースケートに乗った光GENJIという後輩が登場して以降の少年隊は、もはやジャニーズの最若手グループではありません。長い下積み時代を過ごし、デビューから2年経った少年隊を応援しているファンも歳を重ねて大人になり、今、何度目かの恋の季節を迎えていることを印象付けています。松本さんの歌詞のすごさは今後何度も掘り下げることになると思います。

ちなみに「ABC」は、先ほども触れましたが、マイケル・ジャクソンがアルバム「Bad」を発売し、来日公演を行った直後にリリースされました。「ABC」と「Bad」というアルファベット3文字の威力。マイケルにとってもThe Jackson 5期の2枚目のナンバー1シングルが「ABC」ですし、モータウンからの歴史も感じさせます。この曲で少年隊の3人はマイケルが「Bad」のジャケットで着用しているような上下黒の衣装を着て舞い踊るんですが、日本に衝撃を与えたマイケルにかなりダイレクトにインスパイアされたであろう楽曲だ、というのも両者のファンとしてシビれるところです。

西寺郷太(ニシデラ ゴウタ)

1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。文筆家としても活躍し、代表作は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。

しまおまほ

1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。

文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ

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