西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者として多くのメディアに出演する西寺が私論も交えつつ、愛するポップソングについて伝えていく。
第12回では吉川晃司の「LA VIE EN ROSE」にフォーカス。音楽活動の中で見せたストイックな姿やボーカリストとしてのカリスマ性、西寺が知る吉川の人柄に迫る。
文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ
「ザ・ベストテン」でバク転ダイブ
1984年2月1日にシングル「モニカ」で鮮烈なデビューを果たした吉川晃司さんを初めて「ザ・ベストテン」で目撃した夜のことは鮮明に覚えてます。1984年4月5日、「モニカ」は第7位でランクイン。18歳の吉川さんは、前年「せめて高校は卒業してから」という周囲の反対を押し切って上京し、中退した広島の母校・修道高校から中継で登場されました。彼が水球部時代に練習に励んでいたプールに特設されたステージから、歌い終わってパフォーマンス最後にスーツを着たまま水面に伝説のバク転ダイブ! 予想外の展開に、そのときは曲の印象が消えるほど驚きました(笑)。その後「モニカ」を何度も聴き込むうちに、リズムのエッセンスやプラスティックなボーカルにDuran Duranのデビュー曲「Planet Earth」と同じく独特の浮遊感を感じたんですよね。先日、この連載のために吉川さんの初期作を手がけられたプロデューサーの木崎賢治さんにひさびさにお会いしていろんなお話を聞いてきたんですが、木崎さんも「『Planet Earth』が、Duran Duranで一番好きなんだよねー」とおっしゃっていて。ソーシャルディスタンスを保ちながら空気中で握手しました(笑)。
沢田研二さん、大沢誉志幸さん、山下久美子さん、槇原敬之さん、TRICERATOPS、BUMP OF CHICKENなど、70年代から現在までにそうそうたる面々をプロデュースされている木崎さんと、若かりし頃の吉川さんがデビューからの怒涛の季節に繰り返したギリギリまでの音楽的冒険、衝突と実験。キャリアを重ねたいわゆる当時の“洋楽指向”の作詞・作曲・編曲家、アーティスト、スタッフ、プロデューサーやディレクターにとっても、お茶の間に届けられる中で一番面白いこと、とがったことができる場所として全方位的に機能したのが初期の“吉川組”だったのではないでしょうか。吉川さんはその圧倒的な体躯、実力、パーソナリティ、渡辺プロダクションという大きな事務所で社運を賭けて売り出されるパワーとメソッド、そして“運”のすべてを持っていたので、“ポップ”であることがデビューから決定付けられていた存在。「生意気だ」と叩かれたり、逆に「アイドルだから」と軽んじられたりしながらも、彼の孤軍奮闘こそがその数年後、いろんな形で身を結び、百花繚乱のバンドブームが爆発してゆく基盤となったと思います。
音楽的発語快楽に満ちてる
吉川さんと同じ1965年4月から丙午である1966年3月生まれの学年は、記憶にも記録にも残るアーティストやアイドルが多くて。吉川さんがデビュー後に仲良くなり3人で夜通し遊んだという尾崎豊さん、岡村靖幸さんをはじめ、X JAPANのToshlさんやYOSHIKIさん。ほかにも中森明菜さん、小泉今日子さん、大槻ケンヂさん、THE BOOMの宮沢和史さん、少年隊の錦織一清さん、当時はシブがき隊だった本木雅弘さん、薬丸裕英さん、布川敏和さん、吉川さんと同じく広島出身の奥田民生さんもこの学年生まれ。テレビドラマで言えば「3年B組金八先生」シリーズ歴代最高の視聴率を記録した第2シリーズ「腐ったミカンの方程式」の放送時に、先述の1965年生まれがジャストで中学3年生だった、と考えると空気感がよくわかるんです。
僕自身は年齢的にスポンジのように音楽を吸収してめちゃくちゃハマったタイミングっていうこともあって、吉川さんの最初期の作品が特に好きで。マイケル・ジャクソンだったら「Off The Wall」に収録された「Rock With You」や「I Can't Help It」が好き、「Thriller」であれば「Beat It」より「Human Nature」が好き、みたいな感覚と言いますか。若くてきらめく個性と才能に満ちた天才ボーカリストだからこそ、他者が作る歌詞やメロディでの乱反射の中で深みと軽やかさが生まれると信じていて。そのプリズムこそがすべて。1984年の「モニカ」「サヨナラは八月のララバイ」「LA VIE EN ROSE」、85年の「You Gotta Chance ~ダンスで夏を抱きしめて~」までのシングルは編曲が大村雅朗さん。松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」のときにも大村さんの作曲や編曲について少し触れましたが、バラードはもちろんアップチューンに関してもともかくエレガントで芳醇で……。確かに当時の最先端、今にしてはチープなプログラミングサウンドなんで“80年代感”に好みはあるかもしれないですが。ヴェイパーウェイヴ、レトロフューチャー的な観点で2020年代の今の若い人が聴いたら、どう思うのか知りたいですね。
今回ピックアップする「LA VIE EN ROSE」は1984年9月に発表された吉川さんの3rdシングル。作詞は売野雅勇さん、作曲は大沢誉志幸さん。無敵の布陣。極めて洋楽的なメロディなので、日本語詞を乗せるのは無理だろうと思いながら曲を渡したら、売野さんが見事に日本語の歌詞を乗せてきて、作曲した大沢さんがその仕上がりを喜んだと伝えられています。売野さんの書かれた2番の歌詞「聴きたくもない音楽が 君を踊らせる 目を細めため息で リズムをとるよ」が素晴らしくて。クインシー・ジョーンズが「Rock With You」の作詞作曲家のロッド・テンパートンを褒めるとき、「ロッドは作曲家として絶賛されるが、作詞が輪をかけてすごいんだ」と言うんです。「ロッドの歌詞はメロディを抱きしめる」って、クインシーは称賛するんですが、「LA VIE EN ROSE」は1番Aメロの「エメラルドのカクテルに 消える光のあわ 飲み干して You Say I Love You 聞こえないふり」から色彩、視覚、味覚、時間の経過、聴覚すべての刺激が伝わってくるすごさ。そのうえでまさに「全編メロディを抱きしめる」ような音楽的発語快楽に満ちていますよね。
吉川さんとの思い出
2007年にNONA REEVESも一度「Club Radio Jungle」というイベントで吉川さんと対バンしたことがあって。うちのバンドのライブでのメンバーは、当時、ドラムの小松シゲル、ギターの奥田健介のほかにベースの千ヶ崎学、キーボードの冨田謙さんという布陣でしたが、佐野元春さんのザ・コヨーテ・バンドで小松が叩いていたほか、大沢誉志幸さんや山下久美子さんなどいろんな先輩たちのバックを務めている最強ミュージシャンでして。吉川さんも30代前半の彼らが鳴らすそのサウンドに「あの時代のフィーリング、若いのによく出せるな」と驚かれていたのをよく覚えてます。そのときは吉川さんのバンドに僕が加わる形でCOMPLEXの「BE MY BABY」、NONA REEVESに吉川さんが参加される形で「RAIN-DANCEがきこえる」「Juicy Jungle」を披露しました! 感動的でしたね。ライブの打ち上げは名古屋だったんですが、忘れられないのが、そのとき仲のいいスタッフの1人が結婚されて。ちょっと前にどこかでご挨拶した奥さんがかわいらしい人だったんで、そのままの印象で「おめでとうございます! かわいらしい奥さんですね」って僕が褒めたつもりが隣にいた吉川さんに怒られまして。「郷太! 人の奥さんをそんなふうに『かわいい』とか言っちゃいけないんだ」と。「ルールなんだ」と。なるほどな、と思いそれからはその教えを守ってます(笑)。
そんな流れもあって、2011年の吉川さんのベストアルバム「KEEP ON KICKIN'!!!!!~吉川晃司入門ベストアルバム」のタイトルを僕が名付ける、という光栄な思い出も。「キックし続ける!」と「KIKKAWA」の語感とかけてみたんですが。そのとき、もう1つ考えた案がマイケル・ジャクソンの「Moonwalker」にインスパイアされた「シンバルキッカー」。これもいいなと思ったら「俺は単にシンバル蹴ってるだけじゃないぞ!(笑)」と言われて、却下されました(笑)。吉川さんとのやりとりは本当に細かいこともよく覚えていますね。すごく痩せて、若い頃のようにマッチョな体に戻された時期があって、「どこで鍛えたんですか?」と質問したら「公園で鍛えた」とおっしゃったときも笑いましたね。「え?」と言ったら「ジャングルジムとか鉄棒で」と言うんです。吉川晃司が公園で鍛えてたらみんな見ちゃいますよね(笑)。
最後に会ったのは数年前のデヴィッド・ボウイの回顧展「DAVID BOWIE is」。天王洲の寺田倉庫で、ボウイが亡くなってちょうど1年が経った2017年1月から行われてたんですが、その直前でしたかね。音楽関係者が呼ばれた日に僕は小宮山雄飛(ホフディラン)くんとたまたま一緒に見に来ていたんですが、吉川さんが現場にいらしてひさしぶりにお会いできました。そのとき、吉川さんが並べられたボウイの衣装を見ながら、「ボウイは俺より全然デカかった」と実際に会ったときの印象を教えてくれたんですが、ボウイは180cmないくらいで、吉川さんは182cmなんですよね(笑)。僕が「ボウイがヒールの高いブーツでも履いてたんじゃないですか?」と聞いても、「いや、ホテルで会ったから素足に近かった」と、とにかくボウイのほうが背が高かったと主張するんです。「影武者ちゃいますか?」みたいに返したんですけど何回もおっしゃるんで、それからボウイの音楽を聴いてもそのことばっかり頭に浮かんで……(笑)。それが吉川さんと直近でしゃべった内容です(笑)。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。7月には2ndソロアルバム「Funkvision」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。