作詞家・児玉雨子をゲストに招いてお届けしている「聴くなら聞かねば!」。前・中編に引き続き今回も佐々木敦と南波一海が児玉のクリエイションの深淵に迫っていく。コロナ禍の現実を受け入れつつ、あくまでもポジティブな姿勢で詞作に向き合う彼女が見据える“表現者がボケとして輝ける”未来とは?
構成 / 望月哲 撮影 / 臼杵成晃 イラスト / ナカG
ネットが普及したおかげで、選択肢が増えた
佐々木敦 雨子さんの歌詞には裏の意味が込められてるというか。聴き込むにつれて、言葉にならない気持ちとか、隠されたエモい感情が見えてくる。その筆頭と言える楽曲が、つばきファクトリーの「今夜だけ浮かれたかった」。
南波一海・児玉雨子 ああ!
佐々木 あの曲のサビって、本当に言いたいことは言ってないっていう歌詞じゃないですか。何度も聴かないと本心が見えてこないというか。それが僕は面白いと思ったんですよね。パッと聴いてすぐにハマれるのがポップソングのセオリーなのに、なんかモヤッとしていて、「あれ? なんでこんなところで、こんなこと言うんだろう?」と思って、よくよく考えると、「あっ……」っていう。だって「浴衣を着なかった理由(わけ)」って歌詞とかヤバくないですか?
児玉 あははは!(笑) ヤバくないですかって(笑)。
南波 でも「今夜だけ浮かれたかった」の歌詞の衝撃は本当にすごかったですよ。
佐々木 すごい歌詞だよね。いわゆる匂わせ的な世界だと思うんだけど、“匂わせ”が何重にもなってる。しかも、つばきファクトリーってハロプロの中で女の子っぽい感じが一番強いグループなんだけど、あの歌詞の中で歌われているのは、それまでのアイドルソングで歌われてきたような紋切り型の恋愛ではまったくない。リアルに生きてる子たちのズレや矛盾みたいなものが歌詞の中で表現されている。
児玉 ああ、うれしい。以前、知り合いの小説家の柚木麻子さんが、あの曲の歌詞を褒めてくださったんですけど、そのときに「もし自分がこの主人公の女の子の親だとしたら、家に帰ってきたら一緒に泣いちゃうかもしれない」って言ってくださって。
佐々木 へえ!
児玉 普通の親なら、愛する娘が「抱かれに行きます」みたいな雰囲気で、よくわからない輩と遊びに行ってたら怒り狂うに決まってるのに、柚木さんは「『そっか』って言って抱きしめて一緒に泣くことしかできない」って。
佐々木 それは柚木さんがすごい。普通の母はそうじゃない。
児玉 そういうふうに感じていただけたっていうのは、すごくありがたかったです。自分の中になかった感覚なので。でも、今までアイドルソングや歌謡曲で描かれてきた男の子・女の子像って、極端に振れすぎてるような印象があるんですよね。堕落しているか清純かのどちらかに。その間にすごい幅があるはずなのに、誰も書いてない状態だったんですよ。
佐々木 確かにそうですね。
児玉 多くの人々がその間にいるわけだし、それが普通じゃないですか。“普通”ってたくさんあるのになと思って。「今夜だけ浮かれたかった」の歌詞は特にそういうことを意識して書いたわけじゃないんですけど、柚木さんに感想をいただいて、「ああ、そういう感情もあるんだ」って新しい発見があって。そんなふうに思ってもらえるアイドルソングっていうのもアリなのかなって思いました。
佐々木 母もかつては娘だったわけですもんね。
児玉 アイドルが突っ込んだ恋愛模様を歌うと、今までだったら、たいてい「エッチだ!」ってなってたと思うんですけど、そうじゃなくて一緒に泣けるというのが面白いなって。例えば自分の初恋を思い出して「うう……」ってなってくれたり、これからはそういう表現も必要だと思ったきっかけではありましたね。ただ、こういうのは狙っているのではなく、ほかの人に言われて気付くことが多いんですよ。
佐々木 それは歌詞の解釈とか?
児玉 はい。あんまり言わないようにしてたんですけど、ちなみに「浴衣を着なかった理由(わけ)」っていう歌詞もそんなにエロい意味じゃなかったんですよ。「浴衣を着て張り切ってるって思われたくない」くらいの感じだったんですけど。
佐々木 そうだったんですか(笑)。
児玉 「こいつガチで来た!」みたいに思われるのがイヤだから、「宿題終わったから来た」くらいのテンションで行ってやるっていう。
佐々木 ちょっと外に出てきたくらいの感じで。
児玉 はい。そういうつもりで書いたんですけど、けっこう大多数の方が「あれって、つまりそういうことですよね?」みたいな受け取り方をされていて(笑)。柚木さんからも言われたので、「え!? ……そうですよ?」って(笑)。
佐々木・南波 あはははは!(笑)
児玉 「なるほどそういう解釈もあるな!」って思いました。私はそれが楽しいから、あんまり自分でライナーノーツを語らないようにしています。ハロプロファンの皆さんって解釈厨が多いから、私すごくうれしいんです。ハロプロのファンの方に恵まれているって、いつも思っていて。
オタクが覇権を握る時代がついに来た
佐々木 読解したい人たちに向けて言葉を差し出せるというのは、すごく幸せなことですよね。
児玉 そうなんです。
佐々木 「ねえ あの子誰なの」(「抱きしめられてみたい」の最後の歌詞)のひと言で終わられたらいったいどうしたらいいんだよって(笑)。解釈厨はたまらないでしょうね。
児玉 あははは(笑)。「誰なんだ!?」って。ちょっと前に「ハロオタはボケツッコミでいうとツッコミたい人が多いけど、ほかのメジャーで売れてるアイドルファンの多くは、自分がボケて『何言ってんの!』ってツッコまれたい人が多い」っておっしゃった方がいて。でも最近は全体的にツッコミたい人が増えてるんじゃないかと思うんですよね。あくまで肌感覚ですけど。ツッコミの時代キタ!って(笑)。
佐々木 ツッコミどころがある表現のほうがむしろ好まれるっていう。
児玉 今まではいじられたい人が多かったのに、「ちょい待てーい!」って言いたい人たちがどんどん増えてきて。アイドルファンにもそういう人が増えてると思うんです。
佐々木 もともと存在してたのかもしれないけど、SNSで顕在化したところもあるでしょうね。
児玉 あんまり好きなフレーズじゃなかったんですけど「自分発信」みたいな。YouTubeのチャンネルを持つ人も増えたりして、みんなツッコミをがんばってるというか。ツッコミの時代が来てるから、こっちはいくらでもボケをかましてもいいっていう。
南波 ボケって(笑)。
児玉 ボケれば誰かがどこかで、遠くからでもツッコんでくれるようになってきたんで。
佐々木 すごいポジティブ。テン年代に起きたいろんな変化って、僕とかわりと悲観的に考えてしまうことがあるんですけど、雨子さんにとっては、ことごとくいいことだったっていう(笑)。
児玉 確かにツッコミが悪い方向に行ったりすると誹謗中傷に陥ってしまうし、それは絶対にいけないことだけれど。でもいい面もあると思うんです。今後、解釈厨がどんどん増えていくんじゃないかって。コロナ禍以降、みんなYouTubeとかnoteを始めたじゃないですか(笑)。みんなボケや行間を探してるんですよ。だから私は作家とか表現活動をする人間がボケとして輝ける時代が来たんじゃないかって、歪曲しながらも前向きに捉えてます。
南波 多少複雑なことをしても必ずどこかで拾ってくれる人がいるっていう。
児玉 賛否両論あると思うけど、少なくとも反応はしてくれてるじゃんって思うんですよね。誹謗中傷とかにも「ちょっと待ってよ」って声を上げる人もいる。私はオタクが覇権を握る時代がついに来たと思ってるんです(笑)。
佐々木 オタクという存在は何十年も前に出現したのだが、ようやく本当のオタクの時代がやってきたっていう。
児玉 まさかの(笑)。オタクの友達とも話したことなんですけど、緊急事態宣言中に、テレビでは「皆さん、我慢のゴールデンウィークです」みたいな言葉がしきりに流れていたんですけど、私は特に何も我慢してなかったですから。
南波 これまでと生活が全然変わってない。
児玉 「自分は人として不健全なんじゃないか」と後ろめたい気持ちを引きずりながら、朝から晩まで外に出ず、ひたすらゲームや読書をするような生活を10代の頃から続けてたのに、それが突然、奨励されるようになっちゃったから。
佐々木 みんなが目指す理想の人間モデルに突然なってしまった(笑)。
児玉 そうなんです。だって私は、テレビを観て「なんでみんなそんな怖い思いしてまで海に行くのか全然わからない」って言ってましたし(笑)。そもそもオタクって非対面コミュニケーションに慣れてるから、「あつまれ どうぶつの森」とかしてても、友達と会った感覚でいたんですよ。「そういえば会ってなかったね」って言われて「ああ、その感覚なかったねー」で終わってたんで(笑)。いきなりオタクの時代が来ちゃったから、ちょっと戸惑ってはいるんですよ。「本当にいいんですか?」みたいな。
コロナ以前の感覚を突き通しすぎるとどん詰まる気がして
佐々木 でも我々みたいな物書きは、もともと基本的に在宅作業だから、コロナ禍以前と生活自体はそれほど変わってないんですよね。
児玉 そうなんです。でも大きな声で言うと引かれるから言えなかった(笑)。
佐々木 そうそう、引かれる(笑)。でもオタクってことで言うと、自宅警備員って言葉があって、それはどちらかと言えば本来は蔑称や自虐だったんだけど、でもみんなが自宅警備員にならなきゃいけなくなったときに、前からいた人たちが「俺らベテラン自宅警備員が引きこもってても寂しくない生活を教えるぜ」みたいな感じになった(笑)。でんぱ組.incが、引きこもりの歌をテレワークで作って出したじゃん(「なんと!世界公認 引きこもり!」)。あれも、もともとオタクや引きこもりだったってことが、グルっと回って大きな意味で承認されたわけで。コロナの自粛下に正義の味方が颯爽と現れたら自宅警備員だったみたいなのは、けっこう美しいな、感動的だなと思ったんだよね。
南波 うん、わかります。
児玉 私も人と接するのが苦手だったので、共感できる部分が多かったです。10代の頃は知り合いはいっぱいいるけど、誰にも心を開いてない状態だったんですよ。だからみんなといる時間が本当にイヤでした。「早く帰りたい」でいっぱいの24時間365日。
佐々木 わりとみんなそうだと思いますよ、この場にいる人は(笑)。
児玉 あははは(笑)。帰って1人になったら気楽なんだけど、でも1人でゲームやって楽しいって言うと寂しいやつに思われるんじゃないかっていう変なプライドもあったから、たくさん鎧を着ないと社会に出られなかったんです。もともとがそういうタイプなので、今年になって急に「あれ? 引きこもってても後ろめたさがなくなった」って、すごく生きやすくなった。あと細かいこと言うと、鍋の直箸が心底イヤだったんです(笑)。
南波 なんの話なんだ(笑)。でもわかります。
児玉 潔癖までいかないけど……手すりとかつり革とかもイヤだったし……。
佐々木 じゃあ、今の状況はめちゃくちゃよかったじゃないですか(笑)。
児玉 そうなんです。お鍋食べるときに菜箸を使おうって言って、相手を不快に思わせなくなったっていうのがすごく大きくて(笑)。私、パーソナルスペースもわりと広めだったんで、街に出ても人と適度な距離感を保てるようになって。
南波 でも本当にそうですね。東京のカフェとかも席数確保のために狭すぎたじゃないですか。広くなってよかった。
佐々木 ディスタンス万歳っていう(笑)。
児玉 満員電車も本当に苦手でした。小学生から電車通学していたのですが、閉所恐怖症と広場恐怖症とか、変な発作をちょこちょこ起こしてきました。でもこれが“社会”だから堪えなさい、堪えられないのなら邪魔だからさっさと退場しなさい、というような教育もつらかった。希死念慮もひどかったです。きっと同じように悩んできた人も、堪え続けていた人もいるかもしれない。だから、繰り返しになっちゃいますが、コロナ禍以降って悪いことばかりじゃないはずだと思っています。それを歌詞でも表現できれば。逆にこのまま、コロナ以前の感覚を突き通しすぎると、たぶんどこかでどん詰まる気がします。変化しないと。
佐々木 そうですね。仮に今の状態がちょっとずつよくなっていったとしても、やっぱり前とまったく同じ状態に戻るっていうことじゃなくて、せっかくだからこの機会を前向きに捉えて、よくなかったことを変えていくとか、本当はみんなそういうふうにするべきですよね。でも前のまんまに戻りたい人がすごく多いから。
児玉 意外といますからね。でも、よくファッションも音楽も含めて時代は巡るっていうけど、以前と同じところに戻るんじゃなくて、時は螺旋状に進んでいくと思います。上なのか前なのかに進んでいくものだから。
佐々木 僕もそう思います。20年周期説とか言うけど、上がるなり進むなりしてくれなかったら本当にぐるぐる回ってるだけでなんの意味もない(笑)。
児玉 音楽のトレンドも巡るけど、その都度、現代風なアレンジが加えられたりしますよね。私も時代が変われば同じところには戻らないっていう意識ではいるので。だからもし状況がよくなったとしても、たぶんまったく昔と同じことにはならないと思うんです。カルチャー全般も。
あらゆるアイドルのお仕事、待ってます
佐々木 そろそろ時間ということで、今の話の流れで、ちょっとだけ最後に。時代が巡るということでいうと、歌謡曲と呼ばれていたジャンルが、ある時期からJ-POPと呼ばれるようになり、日本語の歌詞というものは時代や流行とともに常に変化してきたわけですよね。で、雨子さんは近田春夫さんともお仕事されたじゃないですか(近田春夫のアルバム「超冗談だから」で10曲中6曲を作詞)。近田春夫は日本のポピュラー音楽史の生き証人だし、長きにわたり歌謡曲を評論してきた人でもある。近田さんとは、どういう距離感でお仕事をされたんですか?
児玉 歌詞のオファーをいただいたときは、あんなにいっぱい書く予定がなくて、最初は1曲だけだったんです。で、「超冗談だから」っていう表題曲の歌詞を提出したら、近田さんが「ほかの曲もお願いできる?」ってなって。それから「これもこれもこれも」って感じになったんです(笑)。それこそ歌謡曲を歌いたかったら、ほかの先生方に絶対頼むと思ってたんですよ。近田さんだったらツテもたくさんあるだろうし。
佐々木 そもそも自分で歌詞を書ける人ですもんね。
児玉 そう、それをわざわざ私に頼んでくれたってことは、あんまり寄せなくていいんだなと思って。最近は声優さんとか男性の歌詞を書く機会も増えてきたんですけど、あの頃はあんまり書いたことがなくて、男性の一人称の曲を書きたいという時期だったので、「これもいいですか? あれもいいですか?」っていうので、けっこう私も前のめりになって。最初は「おお、こんなにいいんですか?」ってちょっと引きながらスタートしたんですけど。
佐々木 そりゃそうですよね、近田春夫だもんね。
児玉 「嘘でしょ?」って感じだったんですけど、こっちも前のめりで書いて。近田さんとのお仕事では、男性一人称でやってみたいことをかなり自由にやらせてもらいました。男の人の一人称ってけっこう変わるじゃないですか。「俺」「僕」「私」って。なんでそれをみんなもっと活用しないんだろうって思ってたんですよ。私、日本語のよさって、そこにあると思っています。一人称がいっぱいある。自分っていうのは変幻自在なものなんだと思う。男性一人称のときはそれがよりわかりやすく表れるから、近田さんに「そこをもっと書いてみたいんです」って言ったら、「ああ、なんでもいいよー!」って感じだったので、お言葉に甘えていろいろ書かせていただいて(笑)。女の子が「僕」って歌うのもいいんですけど、やっぱり男の人の声で歌ってほしいなっていうのがずっとあったんですよね。
佐々木 「俺」と「僕」と「私」って全然違いますもんね。僕も全部使ってるし。
南波 僕も使ってます。
児玉 実際、皆さんナチュラルに使い分けるじゃないですか。それがすごいなと思って。しかも日本語って英語と違って一人称を立てなくても会話が成立するんです。それも面白いなって。わざわざ主語を書かなくても歌詞が成立するから。
佐々木 今後は男性シンガーの歌詞も、もっともっと書いていきたい?
児玉 書きたいです。なんでジャニーズの仕事がないんだろう?(笑)
南波 時間の問題じゃないですか?
佐々木 男性アイドルグループをバンバン書くようになって、秋元康先生の真逆を行くとか(笑)。
児玉 いや、だからなんで星部ショウさん書いているんだろうと思いましたもん(A.B.C-Zの7thアルバム「CONTINUE?」に「Oh! Teacher」を提供)。ホント、なんでー?って(笑)。
南波 でも、CUBERSとか男性アイドルの仕事も徐々に増えてますから。
児玉 そうですね。声優さんの仕事は私、男性のほうが多いんですよ。声優さんのソロ名義はなぜかメンズばっかりで。女性声優のほうが数少ないんです。変だな、この現象。だから男性アイドルのお仕事、待ってます! というかあんまり、私=“女”ってジェンダーイメージ固めないで! ……あれ、最後これなんですか?(笑)
南波 あははは(笑)。さんざん毒を吐いて。
児玉 最後は営業して終わった(笑)。
児玉雨子
1993年12月21生まれの作家、作詞家。モーニング娘。'20、℃-ute、アンジュルム、Juice=Juice、近田春夫、フィロソフィーのダンス、CUBERS、私立恵比寿中学、中島愛といった数多くのアーティストに歌詞を提供する。アニメソングの作詞も多数行っている。「月刊Newtype」で小説「模像系彼女しーちゃんとX人の彼」を連載中。
佐々木敦
1964年生まれの作家 / 音楽レーベルHEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画ほか、さまざまなジャンルについて批評活動を行う。「ニッポンの音楽」「未知との遭遇」「アートートロジー」「私は小説である」「この映画を視ているのは誰か?」など著書多数。2020年4月に創刊された文学ムック「ことばと」編集長。2020年3月に「新潮 2020年4月号」にて初の小説「半睡」を発表。8月には78編の批評文を収録した「批評王 終わりなき思考のレッスン」(工作舎)が刊行された。
南波一海
1978年生まれの音楽ライター。アイドル専門音楽レーベル「PENGUIN DISC」主宰。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行ない、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミングメディア「タワレコTV」のアイドル紹介番組「南波一海のアイドル三十六房」でナビゲーターを務めるほか、さまざまなメディアで活躍している。「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.1 アイドル三十六房編」や「JAPAN IDOL FILE」シリーズなど、コンピレーションCDも監修。