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アーティストの音楽履歴書 第44回 OMSBのルーツをたどる

OMSBの音楽履歴書。
約1年前2023年03月08日 11:03

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回はSIMI LABのMC / トラックメイカーで、ソロ活動やさまざまなアーティストの作品への客演でも存在感を示すOMSBのルーツに迫る。

取材・文 / 宮崎敬太

有名じゃないアーティストを毎朝紹介してた「saku saku」

アメリカのニュージャージーで生まれて2歳くらいのときに日本に来ました。地元は神奈川県の座間ってとこです。片親家庭で、母ちゃんは米軍基地で働いてました。俺がすごいちっちゃい頃から母ちゃんは家とか車でヒップホップを爆音でかけてましたね。Wreckx-N-Effectの「Rump Shaker」とかノトーリアス・B.I.G.の「Big Poppa」とか。当時はマジでうるさいと思ってましたけど、爆音でヒップホップを聴く感覚はこの頃に自然と身についたのかもしれません。アメリカにいた頃や触れていた時代の空気感もなんとなく自分の中にはあって。だからヒップホップの世界観に自然と入っていけたのかもって思いますね。

でも俺自身が意識的に音楽を聴くようになったのは中1くらいの頃。テレビ神奈川(tvk)で平日の朝に木村カエラさんもMCをしていた音楽番組「saku saku」が放送されていて、毎朝、学校に行く前に観てたんですよ。あの番組って有名なアーティストだけじゃなくて、これから売れそうなインディバンドとかも紹介してて、番組きっかけでHermann H.&The Pacemakersにハマった記憶があります。初めてCDを買ったのもこの頃で、宇多田ヒカルさんの「traveling」を中1のときに買いました。普通に流行ってたけど、飛び抜けてカッコよかったと今でも思います。ただ影響云々についてはたぶんないかな。だってこの頃は自分が将来ヒップホップをやるとは思ってなかったから(笑)。

でも同じ時期にCDを買った椎名林檎さんにはちょっと影響を受けてるかもしれない。「本能」とかも印象的でしたが「茎(STEM)~大名遊ビ編~」のミュージックビデオがすごく面白かったんですよ。ラーメンズの小林賢太郎さんが出てて、世界観も凝ってた。「こんな音楽があるんだ!」って思ったのを覚えています。そのあとに出た「加爾基 精液 栗ノ花」ってアルバムがめちゃくちゃ好きで、この作品からクレジットも見るようになりました。シングル単位じゃなくアルバムの構成まで意識するようになったのも、この作品がきっかけですね。

メインストリームもアングラもヒップホップは全部好きだった

「ニュー・ジャック・シティ」とか、ブラックムービーのビデオがわりと家にあったんですよ。母ちゃんは仕事で家にいないことも多かったから、学校から帰ってきたあと、よくそういうビデオを観てたんですね。で、確か小6のとき、2パックが出てる「ジュース」を観たんです。DJバトルのシーンとか、カウチに座りながら仲間と話してる「EPMDは古い」とかそういうなんでもないトークがマジでカッコよくて、「ジュース」をきっかけにDJをやってみたいと思うようになりました。だけどまだガキだし、機材も高くて。数年間、バイトで金を貯めて、16歳のときにCDJとミキサーを買いました。

買ったのがCDJだったのは、ばかみたいにCDを買ってたからです。tvkの影響はデカくて、朝に「saku saku」「ミュートマ(ミュージックトマト)」、深夜に「Billboard TOP40」を観ていたら邦楽も洋楽もけっこう満遍なくMVが観れた。日本のバンドにハマると同時に、エミネムの「Without Me」とかにも流行ってたときにハマりましたね。ただ、これは俺の性格というか嗜好なんですけど、みんなが知ってるメジャーな音楽より、仲間内で俺しか知らないようなマイナーな音楽のほうがどちらかというと好きなんです。「え、知らないの?」って言われるとムカつく(笑)。だからtvkを観つつ、タワレコの「bounce」ってフリーペーパーを隅から隅まで読んで、気になるCDはメインストリームからローカル、アンダーグラウンドまでなんでも買って聴いてました。

高校は厚木の定時制で、ヒップホップを聴く人がけっこう多かったんです。俺も大好きだけど、みんなメインストリームのヒップホップを聴いていて、ハードな感じでもG-Unitとかイグジビットとか。俺がWu-Tang Clanの2軍、3軍のアーティストを聴いてると「暗くない?」とか言われてました(笑)。ウータンの荒廃的なのにキャッチーな世界観が好きなんですよ。「Triumph」のMVなんてなんでもありって感じだし。

知らずにゲットしたスクリューにハマり、しゃべり方もスローに

そういえば「bounce」の「G-SPOT RIDIN'」って連載が大好きでした。サウスとかギャングスタラップのディープなとこを紹介してて、その連載でDJスクリューの存在を知りました。当時はスクリューのCDなんて簡単に入手できなかったから、最初はどういう音楽か全然わかんなかった。ただ母ちゃんが米軍基地で働いてたから、俺は基地内のCDショップに行けて、そこには輸入盤の面白いのがいっぱいありましたね。日本じゃ買えないやつがあったし、なによりタワレコとかより入荷が早かった。で、俺は当時めちゃ流行ってたジュヴィナイルの「Slow Motion feat. Soulja Slim」が入ってるアルバムを買いに行ったんですね。それを家に帰って聴いたら、なんかやたらテンポが遅い。よく見るとジャケの色とかデザインが知っているものとちょっと違うし、不良品だと思ってたんですけど、「G-SPOT RIDIN'」を読んで、チョップド&スクリュード仕様の盤を自分が知らずにゲットしてたことに気付いたんです。それで改めてそのアルバムを聴き直したら、なんかいい感じだった(笑)。なんだかんだで俺もミーハーなんでしょうね。それからスクリューにめっちゃハマりました。昔からドラッグは一切やらないけど、当時はしゃべり方も遅くなってたと思います(笑)。

ヒップホップって、国はもちろん地域やコミュニティによっても表現する音が全然違うじゃないですか。そこが面白かったんですよね。もちろんロックとかにもそういうのはあると思うけど、俺にとってはヒップホップが一番わかりやすく違いを感じることができた。そこがヒップホップにハマった一番のポイントです。

自分のリズムを表現することのカッコよさに気付いた

めちゃがんばってCDJとミキサーを買ったはいいものの、そもそもスクラッチもできない機材でしたし、思ったようにDJができなかったんですよ。でもそれから音楽をさらに意識して聴くようになって、そこからビートを作ってみたいと考えるようになりました。俺にとって最初はラップよりもビートが面白かった。RZAやプリモ(DJプレミア)を聴き込んでいくうちに、「そいつのドラムを打つこと」「そいつのリズムが出ていること」のカッコよさに気付いたんです。メロディにはそんなに興味がなかったけど、不協和音とかネタをチョップしたときの不思議な感覚は好きだった。当時、母ちゃんのケータイに着メロを作る機能があって、それで打ち込んだ音が初めて作ったビートだと思います(笑)。自分のケータイは持ってなかったんで。

あと高校の頃ブックオフでクソゲーというかマイナーゲーを探すのも趣味で、「BEAT PLANET MUSIC」というプレステの音ゲーを買いました。全然知られてないんですが、そのゲームは全クリするとビートメイクやサンプリングができて、めちゃハマりました。着メロとか、このゲームとかがステップシーケンスだったので「拍子のどこに何を置くとどういうものができるか」みたいなことがわかり始めたんです。で、17歳のときにリズムマシンを買って。サンプリングとかもできない、プリセットの音を組み上げるだけの機材だったけど、マジでめちゃくちゃハマりました。たぶんその機材で500曲くらい作ってると思う。もちろん未完成のものもたくさんあるし、めちゃくちゃ粗削りだけど。便利な機材がない中で、あれこれこねくり回して、自分なりの面白いビートを作るって意味では、ここらへんの流れがルーツかもしれません。

「SAG DOWN」でQNと運命的に出会う

高校を卒業したあと、車の免許の筆記試験場で当時そんなに遊んでなかった友達で、ペルー人のハーフのマブってやつと偶然会ったんですよ。マブと仲がよかった共通の友達がいて、そいつは兄ちゃんもヒップホップ好きでDJもやってて、MPCまで持ってたから借りたりしてました。マブとそいつとは、のちにIDBってグループを組んでちょっと活動しました。IDBはIn Door Boyzの略。基本的にみんなそういうタイプの人間なんですよ(笑)。あとマブはSD JUNKSTAを教えてくれて、SDPの自主制作の今となっては超レアなCDを買ってて聴かせてくれました。それから俺もめっちゃハマって、町田のクラブでやってた主催イベント「SAG DOWN」に毎回一緒に行ったりしました。

「SAG DOWN」はすごかった。入るにも超並ばなきゃいけなくて、毎回ハコがパンパンでした。その列に並んでいるときに自分のイベントのフライヤーを配ってたやつがいて、それがQNだったんですよ。「今度イベントやるから遊びに来てよ」と話しかけてくれて。実際にQNのイベントに行って、「マジで来てくれたんだ!」みたいな感じで仲よくなりました。

QNの実家によく溜まっていて、いつもいろんなやつが集まってました。ヒップホップが好きな友達の友達みたいな感じのやつらで、みんなが「自分でもなんかカマしてみたい」と思ってた。俺は最初DJとして活動してたんですが、ある日、QNのイベントでトラブルがあって音が止まっちゃったことがあって。QNに「これから『SAG DOWN』で知り合ったフリースタイルヤバいやつがラップをカマします!」ってムチャぶりで無理やりステージに上げられて、8小節くらいフリースタイルをしたのがラップを始めたきっかけです(笑)。

SIMI LABの結成に関しては、当時QNは別のグループをやってて、俺はIDBにいたけどしょっちゅう一緒にいたんで「じゃあもう一緒にやっちゃおう」みたいな感じ。その段階ではMARIAやダン(DyyPRIDE)、ショウくん(Hi'Spec)はまだ合流していませんでした。最初期メンバーにはカッコいいラッパーがいたけど、ヤンキーだからかすぐ来なくなっちゃって。それでクラブとかで仲よくなったいろんなやつを連れてきたり抜けたりして残ったのが、今のSIMI LABです。その頃はズットズレテルズやKANDYTOWNのドカットカット(YUSHI)とも仲がよかった。ドカットはIOやRyohu、BSC、Dony(Joint)とBANKROLLというクルーもやっていて、同じイベントに出たりしてました。でもその前にクルーをやってるのを知らずにSIMI LABに誘ったら「入る」と言ったので、メンバーにカウントしてた時期もありましたね。一瞬ですが(笑)。思えば俺が初めてラップを録音したのは、QNとYUSHIが曲を作ってるときだったんです。たまたま一緒にいて、俺はビートを作るだけで何もすることないから暇で、「俺もやってみよう」みたいな。ちなみにズットズレテルズのメンバーだった(オカモト)レイジやハマ(・オカモト)ちゃんともその頃からの友達です。

ありのままの生き様をラップして、カッコいい。これってラッパーとして最強だと思う

「SAG DOWN」ではもう1つ大事な出会いがあって。METEORさんがゲストライブをしに来たことがあったんですよ。確か1stアルバム「魔獄の分裂」を出したタイミングです。そのライブ後からちょくちょく遊んでもらえて、バックDJをしてた時期もありました。そこからMETEORさんが2ndアルバム「DIAMOND」を出して、そこに参加させてもらったあたりでSIMI LABの今のメンバーで初めて曲を作ったんです。METEORさんに「俺らのビデオ、作ったんで観てください!」と送ったら、SIMI LABの「WALKMAN」を速攻ブログで紹介してくれた。当時の日本語ラップ界隈で、METEORさんのブログはものすごい影響力があったんですよね。この出来事はデカかった。それこそ今所属してるSUMMITの代表の増田(岳哉)さんや、P(PUNPEE)さんもMETEORさんのブログで俺らのことを知ってくれました。

増田さんは当時まだFILE RECORDSで働いてました。「WALKMAN」で俺らのことを見つけてくれて、QNのソロ曲「Welcome 2 My Lab」のビデオを観て連絡をくれたんです。俺のビートも気に入ってくれていました。それからRAMB CAMPのリミックスの話を振ってくれたり、QNのソロアルバム「THE SHELL」が出る前から俺のソロを出したいって言ってくれたのを覚えています。その時期くらいにツボイ(illicit Tsuboi)さんの存在を知りました。きっかけはDEXPISTOLSの「ヌンチャクJAZZ」って曲。キャンピー(Campanella)が参加してて、ツボイさんがリミックスとミックスもやっててめっちゃカッコよかったんです。そこから興味を持って、増田さん経由で俺の作品のエンジニアをしていただけないかお願いしました。あとそのちょっと前にSIMI LABの1stアルバムのリリパをLIQUIDROOMでやった際に声をかけていただいたこともあったんですよ。俺なんかを認識してくれてるんだ!と思いました。

実は日本語ラップに関しては、かせきさいだぁさんとか90年代の作品もけっこう聴いてはいたんですが、なぜかクレジットまでチェックできていなかったんです。でもツボイさんとの出会いをきっかけにいろいろ聴き返すと「あ、これツボイさんだったのか!」と気付かされることがしょっちゅうありました。日本語ラップで一番好きな漢(a.k.a. GAMI)さんの「導~みちしるべ~」のミックスやプロデュースをやってるのもびっくりしましたね。それから「あ、ECDさんの作品もツボイさんが関わってたのか」という発見も。ECDさんとはライブで何度かお会いしたことがあったけど、寡黙な方で会話も挨拶と二言三言くらいでした。でもカッコよかった。これはMETEORさんにも通じることなんですが、ECDさんはめちゃくちゃ現実的ですよね。日本で暮らして、セルフボーストも悲哀もありのままに生き様をラップしててカッコいい。これってラッパーとして最強だと思う。めちゃくちゃ影響を受けてます。あとけっこう前に赤坂見附かどっかでやった反原発のイベントに誘われて、ショートライブで参加したことがあったんです。そこにECDさんもいらしてて。ライブの声量も半端なかった。そのときも軽くご挨拶しただけだったんですが、そのあとにTwitterで俺について「ニューヨークでビギーを観たときを思い出すような衝撃を受けた」的なことを書いていただけて、すごくうれしかったですね。

仲がいいミュージシャンは同じSUMMITのVaVaちゃんですね。一時期、夜な夜なApexを一緒にやりながらあーでもないこーでもないと毎日しゃべってて。VaVaちゃんは最初の印象としては、CreativeDrugStoreのたくさんいるメンバーの1人って感じだったんですけど、三宅唱監督の「THE COCKPIT」で共演したのをきっかけに明確に認識するようになった感じです。とにかく気が合いますね。最近はJ(JJJ)ともよくApexをやりますね。JJJとして活動する前も名前は知ってたし、JJJが自主制作で出したトラック集「ggg」がめっちゃ好きで、そこから俺の2ndアルバムに参加してもらったりしたけど、以降しばらくは会う機会が少なくて。そしたらVaVaちゃんとApexをやり始めた時期くらいに「今日はスペシャルゲストが来てます」ってJをAPEXに呼んでくれて。そこからVaVaちゃんと同じように、3人でダベったりするようになりました。

音楽に興味を持ってから今まではこういう感じですかね。もう履歴書なんて書くことないと思ってたんで、オモロいすね。これを読んでから俺の曲を聴き直してもらえれば、「あーこういうことだったのか」と思うかもしれません。ありがとうございました。

OMSB(オムスビ)

神奈川県相模原市を拠点に活動するヒップホップクルー、SIMI LABのMC / トラックメイカー。SIMI LABは2009年末にYouTubeで公開した「WALKMAN」のミュージックビデオが注目を浴び、これまで2枚のアルバムをリリース。DCPRGの2012年のアルバム「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA」などへの客演でヒップホップシーンのみならず幅広い音楽ファンに存在感を示した。OMSBのソロ作品としては2012年に1stアルバム「Mr. "All Bad" Jordan」、2015年に2ndアルバム「Think Good」を発表し、2022年に7年ぶりとなる最新アルバム「ALONE」をリリース。2021年にはテレビアニメ「オッドタクシー」の劇伴をPUNPEE、VaVaとともに担当した。

OMSB ONE MAN LIVE "KROOVI'23"

2023年3月10日(金)東京都 WWW X

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