ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.3(前編) 押韻特化の“ICE BAHNスタイル”:FORK
ラッパーのKEN THE 390がホストとなり、日本におけるMCバトルの歴史を紐解く「ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE」。第3回のゲストは、2006年の「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)や2021年の「KING OF KINGS」で優勝したほか、MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」の2代目および3代目モンスターとしても知られるFORKだ。
前編では、所属クルー・ICE BAHNや自身の名を売るために参加した黎明期のバトルシーンについて、徹底して“韻を踏むこと”にこだわるスタイルについて語ってもらった。
取材・文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)
3on3でICE BAHNは反則
KEN THE 390 DARTHREIDERさんが主催していた「3 ON 3 MC BATTLE」の2005年のグランドチャンピオンシップで、僕が所属していたDa.Me.Records(ダメレコ)チームとICE BAHNチームが戦ってて、僕は玉さん(玉露)と当たって負けてるんですよ。
FORK じゃあ俺とは当たってないか。あのときは玉さんがダメレコチームを3人抜きしてるんだっけ?
KEN 当時から「3on3でICE BAHNは反則」と言われてましたからね。僕はMCバトルに出て、ジャッジの前に「絶対負けたわ……」と思うことはあまりないんですけど、あの玉さんとの試合はヴァース中に「負けた」と思ったんですよね。
FORK どんな内容だったっけ?
KEN 「ダメレコは寄せ集め!」みたいなことを言われて、それはよく言われるな、と。
FORK メンバーも多かったし。
KEN でも、そのあとに「(寄せ集め)じゃねえところがすげえ!」みたいに言われて「あ、これはやられた!」と。
FORK はっはっは! 言い返しづれ~。ダメレコ勢とICE BHANは仲がよかったし。
KEN 「寄せ集め!」と言われ、一瞬目が合ってピリッとした空気が走った直後に「じゃねえ!」と、それを否定する“褒め”の切り返しが来て、心を折られましたね(笑)。
初めてのMCバトル、対戦相手は般若さん
──褒められて心が折れるという稀有な体験を(笑)。話は変わって、FORKくんがフリースタイルに興味を持ったきっかけは?
FORK ラップを始めたときは、フリースタイルやMCバトルというアプローチ自体を知らなかったんですよね。でも雑誌「BLAST」で「B-BOY PARK」(BBP)のMCバトルの記事を読んで興味を持って。最初に出たバトルは2001年のBBP。
KEN KREVAさんが3連覇した年ですね。
FORK タイミング的に俺が前のグループ(BIG SWELL)を抜けて、ICE BAHNを結成する前後で、玉露とKITを誘って応募したんですよ。そしたら玉さんが「サンドイッチっていう人から電話かかってきて『出られる』って」と。
KEN ははは! BBPの実務を担当していた三歩一(さんぶいち)さんをそう聞き間違えたんだ!
FORK MC名かと思ったみたい。MCサンドイッチって(笑)。それで予選でクジを引いて当たった1回戦の相手が般若さん。だから、生まれて初めてのMCバトルの相手が般若さんだった。
KEN 強烈すぎる(笑)。
FORK もうボッコボコにされて予選1回戦負け。めちゃくちゃ悔しくて、それでフリースタイルを本格的に始めたんだよね。それからの1年、2002年のBBPまでの間は死ぬほど練習した。
KEN 2001年は玉さんが漢さんに予選で勝って本戦まで行ってますよね。それもあってICE BAHNは最初からめっちゃ強いというか、BBP前からICE BAHN流の超特殊な練習をやってるんじゃないかっていうイメージだったんですよ(笑)。
FORK 俺もKITも最初は予選落ち。で、2回目(2002年)では俺と玉露が本戦に行って。
KEN 2回目で2人も本戦に出るなんて、成長がめちゃくちゃ早いと思うんですけど、そのときから押韻に特化した“ICE BAHNスタイル”は形になってたんですか?
FORK そうだね。俺は韻を踏みたくてラップを始めたし、ラップの“韻を踏んでいるという要素”に興味を惹かれたんだよね。「こことここが韻でつながってるんだ、すげえ!」みたいな部分に食らったタイプだったから。
KEN 韻を追及すること自体にラップの美学を感じていたというか。
FORK 当時は韻を踏むのが先で、言いたいことを探すのが2番目みたいな感じだった。
韻をこじらせてたICE BAHN
KEN 基本的にはICE BAHNの3人で練習してたんですか?
FORK 常に3人。
KEN それで結果的に当時でもすごいレベルに達してたし、“バトルで超踏める3人”が“グループ”として集まってることがまず衝撃で。
FORK 韻好きな3人の間で、どれだけほかの2人を韻でロックできるかをずっと競い合ってたからね。もう、韻をこじらせてた(笑)。
KEN 純粋培養感がハンパなかったですよ。メンバーが出した韻を、ほかのメンバーがバトルで使ったりとかはあったんですか?
FORK 2001年に玉さんがKREVAさんとのバトルで出した韻は「あれ、俺が出したやつだな」というのがあった(笑)。やっぱり一緒に練習してるからほかの2人の韻が刷り込まれるし、ほかのメンバーが使うと「俺らの魂をバトルで背負ってもらった」と感じるんだよ。
KEN バトンを渡してる感じで。
FORK 3人分の韻で戦ってるから、ICE BAHNは。
KEN そりゃ強いわ(笑)。
FORK だけど、毎回毎回ビビり倒してたし、特にBBPの頃はバトル前に吉野家に行って、牛丼の並を全員残すぐらい、みんなナーバスになってたよ。2002年の本選は、始まる前に玉さんが便所でゲロ吐いてたし。
──2006年リリースの「JACK HAMMER」のタイミングでインタビューしたときに、玉露くんが「バトルは体調が悪くなるから出たくない」という話をしてたのがすごく印象に残ってて。
FORK あの頃は年に1度しか大会がないし、「これを外したらまた1年先か……」っていうプレッシャーが大きかったと思う。
KEN 夏の甲子園みたいな感じでしたよね。
FORK その緊張感はいまだにあるよ。今でもバトルには人一倍緊張してると思う。
──これだけバトルの回数が増えても?
FORK 全然。何日か前から「inゼリー」を飲む回数が多くなる(笑)。
──BBPの戦績でいうと、2002年にもFORKくんは般若くんと当たり敗退しています。
FORK それで3回目(2003年)の事件(編集注:審査員判定でFORKが勝利したが、そのジャッジに不服を持った妄走族がステージに乱入し混乱。ほかにも運営の不手際が重なり、この年でBBPのMCバトルは一時中断する)につながるという(笑)。
KEN 般若さんとの因縁はそんなに深いんですね。
FORK バトルで戦う前に「ONE FOR ALL」というコンピでBIG SWELLと妄走族が一緒になってるんだよね。そこで出会ってて。
KEN だからBBPのバトルで般若さんが「タカ」って呼ぶのか。
FORK 俺の本名でね。そういう関係性もあったし、2001年の審査員にZeebraさんがいたり。
──サイプレス上野とロベルト吉野の「日本語ラップKILLA★」で歌われる「BIG SWELLが立てた中指」(編集注:真木蔵人が立ち上げ、Zeebraなどが参加したクルー・NAKAMA RACINGのイベントに参加した、FORKが所属していたBIG SWELLが、ライブの中でZeebraたちのいる関係者席に中指を立てた一件について、目撃したサイプレス上野がその衝撃をリリックに落とし込んだ)ですね。
FORK だからいろいろプレッシャーがすごい回だった(笑)。
KEN 2003年のBBPでICE BAHNと妄走族が衝突したときってどんな印象だったんですか?
FORK 般若さんとは何度も当たってるし、それまでのバトルで般若さんにしか負けたことがなかった。だから「今回こそは」と思ってたし、そこで思いきりぶつかって……世の中を知って(笑)。でも良くも悪くも、般若さんとのバトルによってICE BAHNという存在を世間に知らしめるきっかけになった。
KEN 認知させるという意味でも、般若さんとのバトルは大きかった?
FORK 完全に。「バトルで名が売れた」ということをあのときに最初に感じたし、そもそも「ラッパーとしての売名行為」のためにバトルに出てたわけだから、あの時点でその目的を果たした。当時、ラッパーが名を売るにはBBPぐらいしか方法がなかったじゃない?
KEN 特にアンダーグラウンドはそうでしたね。
FORK 俺の出身の横浜は、当時はDJだけでパーティが成立してたし、 週末なんてハコが主催してる帯のイベントにしっかり客が入ってるから、新参のラップグループが入り込むような隙間もなくて。「どうにか名前を売って、週末のイベントに呼ばれるために、バトルに出よう」という意識のほうが強かった。
KEN あの当時「バトルに出たくて出てる人」「バトルがしたくてバトルに出てるラッパー」って、ほぼいませんでしたよね。
FORK いても本当にごく少数だったろうね。
KEN みんな曲を作ってライブの練習して、その宣伝のためにMCバトルしてた感じですもんね。
FORK だから「バトル」という、有名になれるかもしれない蜘蛛の糸をみんなでつかみに行ってるイメージ(笑)。
KEN ははは! まず誰かに見つけてもらわないと音源を出せない時代ですからね。今みたいに制作もリリースも自宅でできる環境ではなかったから。
常にカウンターを打つような存在でありたい
──「BLAST」2002年12月号で、玉露くんはインタビュー担当の古川耕さんに「良く“クレヴァ・スタイル”って言われて、その気持ちも分かりますけど、そこで比較されたばっかりに、クレヴァを目指しているみたいな捉えられ方をされちゃうのが凄くイヤなんです」と冒頭から話していますが、そう捉えられることが多かった?
FORK 最初はバトルのやり方がわからなかったから、KREVAさんのスタイルを参考にしてたし、確実に当時のバトルスタイルはKREVAさんの方法論が基になってる。それが図星だからこそ、そう言われるのは嫌だったんですよね。KREVAさんに影響を受けたほかのラッパーとひとくくりにされるのも納得がいかなかったし。なぜなら、KREVAさんに影響は受けてるけど、KREVAさんが脚韻でしっかり落としていくスタイルなら、俺らはもっと細かくバチバチに韻を固く落としていこうという、その先のスタイルを目指してたから。
──2001年の段階では模倣であったかもしれないけど、2002年のときにはもう別のスタイルを目指していたと。
KEN KREVAさんが「フリとオチ」を効かせるとしたら、ICE BAHNはとにかく韻を連打して数で勝負する方向に進んでたと思うし、それがフレッシュでしたね。
FORK もう「ずっとオチ!」みたいな感じだよね(笑)。でも、それによってオリジナリティを見せるという方向性は3人で考えてた。だからこそ玉さんは古川さんにそう言ったのかもしれない。本当に当時はライムのボキャブラリーを増やしていく訓練をひたすらしてたし、ライムを蓄えるのに必死だった。
KEN そうやって蓄積されたライムの中に、「これは読めないわ」というサプライズがあったんですよね。
──「フリースタイルセッションで同じ韻が何度も出ると体が拒否反応を覚えて、それを乗り越えると新しい韻が見えるようになる」という異常な話もインタビューでしていて。
KEN 意味がわからない(笑)。どういうことですか?
FORK 2時間も3時間もICE BAHNの3人でフリースタイルしてると、「この韻はもう使ったな」みたいな“韻の2周目”が生まれる。それを繰り返すと自分でも嫌になってきて、それに限界が来ると身体が勝手に新しい韻を生み出してくる(笑)。
KEN そんなスパルタな韻の生み出し方があるんだ(笑)。
FORK 筋トレも最後の1回が大事だっていうじゃない。そういう玉さんが日体大で培った経験則がラップの練習に取り込まれてた(笑)。でも実際、普通だったら「これはもう出てこないな」とあきらめるところを、3人でやってれば何かひねり出そうとするし、そこで自分の想像してない言葉が口をついて生まれるというのはあるんだよね。それでポロッと出た韻を誰かが拾って、そこから新しい方向に連れてってくれるというのは確実にある。
KEN その意味でも、ICE BAHNの強さとオリジナリティは練習量に裏打ちされてるということですよね。
FORK そうかもね。
──体温を低めに設定したラップと抑揚を抑えたフロウを“FORKスタイル“と想定する人が今は多いと思いますが、BBPのバトルを見直すとフロウに高低差や強弱が付いてますね。
FORK あの当時は韻を際立たせて、「ここで踏んでる」ということを強調するために抑揚を付けてたし、それもKREVAさんの影響で。でも、その先を考えるようになって、それこそバンバン韻を踏んでいくようなスタイルになったときに、そういう抑揚が抜けてきたんじゃないかな。そして、そういう“韻のマシマシ”から引き算が始まっていって、厳選された韻や、踏み方のうまさや表現の妙味みたいな部分を、今は形にすることを目指してるから、フロウにも変化が生まれてると思う。
KEN 確かに、特に最近は韻をとにかく重ねていくスタイルではないですね。
FORK だから、また1周回って「フリとオチ」にたどり着いてるのかもしれない。同時に最近は俺の真似をするやつが増えてるから、じゃあさらに違う方向に、と考えてるし、常にカウンターを打つような存在でありたいとは思ってる。そうじゃないと通用しないしね。
DVDで全国に広がった、UMB伝説の試合“HIDADDY VS FORK”
──そしてUMBが2005年にスタートし、FORKくんは2006年の第2回大会で全国優勝を果たします。
KEN FORKくんがUMBに出場した経緯は?
FORK 実は2005年にも1人で出てるんだけど、そのときは予選で負けてて。ICE BAHNとしては、2005年に「3on3」でチーム優勝したときに俺たちの売名行為は完結したと思ってたし、2006年は出る気持ちもなかった。だけど、2006年に神奈川予選が開かれることになって、俺は横浜、ほかの2人は横須賀や葉山の出身だから、神奈川代表としてチャレンジしてみようかなと。
KEN 名前を売ることの延長線みたいな感じだったんですね。2006年のUMBでのHIDADDYさんとFORKくんのバトルは、「アーカイブ化されたバトルが最初に強い影響力を持った対戦」じゃないかなと。あの3回の延長戦は改めて振り返ってもすごいクオリティだし、「即興でのライミングがこれだけのクオリティを生み出せる」という1つの到達点であり、それがDVDとして全国に広がったことで、現場で観られなかった人や、リアルタイムではない世代にもMCバトルの凄味が伝わって、めちゃくちゃ影響を与えたと思う。
──特に30代のラッパーからは、影響を受けたバトルとして頻出します。
FORK このインタビューの前日が「フリースタイル日本統一」の収録だったんだけど、打ち上げで歩歩とCIMAにずっとその話されたもん(笑)。
KEN 17年前の話を(笑)。
FORK 昨日のことのように。でもやっぱりそれはめちゃくちゃうれしいよね。もう「俺とHIDAやんのよさ、言って言って」って感じ(笑)。俺とHIDAやんだったからあのバトルができたと思うし、お互いが相手の熱に乗せられてあの試合になったと思う。
KEN 同時に「ターン性のバトル」が浸透していくきっかけになったと思うんですよね。BBPのような持ち時間制だと、自分でトピックや言葉の供給をしなくちゃいけないけど、ターン制という相手の言葉やトピックに乗ることのできる構成で、それが即興でできる人にとっては「言葉の供給」が無限に可能になって。
FORK 1分間まっさらでラップしろというのはかなり地獄。だからターン制という方式によってフリースタイルができると気付いた人も多いかもね。
KEN そのシステム上で伝説の試合が生まれたからこそ、その面白さが広まった。さらに、韻をお互いに踏み続けることがターン制でも可能だということをバトルで証明することで、リアリティを持ってリスナーに届いたと思う。
──再延長での「日本刀か知らないけどばっちりと落とすこれが伝家の宝刀」から始まる8小節の踏み方は今の耳で聴いても究極だと思うんですが、あのパートの最後を「やばいぞまるでHOO」と終わらせますね。それについて、R-指定くんが「あまりにも韻を踏めすぎてる自分が怖くなって、そんな自分を抑えるために漏れ出た言葉が『HOO』だったんじゃないか」と話していて。
FORK はっはっは! そんなわけない。
KEN 「自分の力が怖い! これ以上いくとヤバい!」みたいな(笑)。
FORK 確かに、あのバトルはKREVAスタイルから脱却するための韻をマシマシにして、韻の連想ゲームが止まらなくなった1つの到達点ではあるし、いろいろ深読みしてくれるのはうれしいけど、それはRが妄想しすぎ(笑)。
<後編に続く>
FORK(フォーク)
横浜を拠点に活動するラッパー。2001年にヒップホップクルー・ICE BAHNを結成し、同年の「B-BOY PARK」出場を皮切りに、多くのMCバトル大会に参加。ICE BAHNで出場した「3 ON 3 MC BATTLE」で優勝し、個人でも2006年の「ULTIMATE MC BATTLE」、2021年の「KING OF KINGS」で優勝を飾っている。2017年8月からテレビ朝日にて放送されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」には、2代目および3代目モンスターとしてレギュラー出演した。徹底した押韻スタイルでシーンに大きな影響を与えている。
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。これまでに11枚のオリジナルアルバムを発表している。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。テレビ朝日で放送されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。2023年11月に新作EP「Unfiltered Red」を配信リリースした。