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“高校生RAP選手権”という衝撃:T-Pablow

左からT-Pablow、KEN THE 390。
約1か月前2024年02月27日 10:02

「『高ラ』と『ダンジョン』がなかったら、今の日本のヒップホップはないというのはみんな言うことだし、僕もそう思います」。「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」の第1回と第4回大会の優勝者であり、「フリースタイルダンジョン」に初代モンスターとして登場、現在のMCバトルブーム、そしてヒップホップシーンの隆盛に大きな役割を果たしたT-Pablowはそう話す。そして、その言葉が決して大言壮語ではないことは、彼が所属したBAD HOPが東京ドームで単独公演を果たしたことが証明しているだろうし、彼がスターになったことで、新しい風が起き、シーンが次の段階に登ったことは間違いない。

「ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE」第5回は、この企画のホストであり、「ダンジョン」では審査員を務めたKEN THE 390を聞き手に、T-Pablowのバトル史を通して、バトルシーンを紐解いていく。

取材・文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)

中学3年、アメリカでヒップホップの面白さを知った

KEN THE 390 パブロがMCバトルの話をするのは珍しいよね。

T-Pablow お話をいただいたときに「KEN THEさんの企画だったらぜひ!」と。

KEN それはうれしいな。まずパブロがMCバトルを知ったきっかけから知りたいんだけど。

T-Pablow 明確なことは覚えてないんですけど、多分「8 Mile」が最初だった気がします。

KEN 映画が入り口だったんだ。

T-Pablow 中学3年のときにアメリカに行って、そこでヒップホップの面白さを知ったんですよね。それでアメリカから帰ってきてすぐに、幼馴染だったBAD HOPの仲間とかに「俺はもうヤンキーみたいな格好はやめるから、お前らもB-BOYファッションにしろ」って(笑)。

KEN そんなにハマったんだ。

T-Pablow そしたら地元の先輩に「そんな服を着てんだ。じゃあ『8 MILE』は観た?」「まだ観てないっす」「ダメだよ! あれは観なきゃ!」と。それで先輩の家で観せてもらって「エミネム、ヤバいな!」みたいな。バトルの表現もわかりやすいじゃないですか。

KEN ちゃんとカッコいいしね。

T-Pablow それでMCバトルのことをネットで調べたら、日本にもあることを知って。

KEN 調べて出てきたのは「B-BOY PARK」(BBP)のMCバトルとか?

T-Pablow そうですね。特にZORN(当時はZONE THE DARKNESS)くんのバトルを観て、こんなことが日本人でもできるんだ、カッコいいなと驚きました。それが14、5歳ぐらいですね。

──自分でラップやフリースタイルを始めたのもその時期ですか?

T-Pablow それを観てすぐですね。ビートもなんもなくて、アカペラで始めたんですけど、実際にやったら「めちゃくちゃ難しいことをやってるんだな」と。どうしても言葉に詰まっちゃうから、「これは頭の作り自体が違うのかな……」って普通に悩みましたね。

KEN いきなりZORNのようなラップはできないもんね。

T-Pablow 今考えれば、当時は韻の踏み方もなんもわからないで始めたから、できなくて当然だったんですけどね。それでできないなりに仲間内でもサイファーをするようになって、カラオケでラップ曲を流してフリースタイルする、みたいな。

出たくなかった「高校生RAP選手権」で優勝

──キャリアのお話を進めると、そこからすぐ2012年7月放送の「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」(以下「高ラ」)へ、K-九名義で参加されるんですよね。なんと「高ラ」への参加はラップを始めて3、4カ月だったという。

T-Pablow ちゃんとマイクを握ったのが高1のときで、それから3カ月ぐらいで話を受けたんですよね。

KEN それはオーディション?

T-Pablow いや、違います。その時期に双子の弟のYZERRが少年院から出てきて、一緒にラップをちゃんと始めたんですよ。同じ時期から、先輩に川崎のクラブの運営を任されるようになって。

KEN でも16ぐらいでしょ?

T-Pablow ええ(笑)。それでイベントや営業が終わって、朝6時ぐらいから掃除しながらラップして、周りが付き合いきれないって脱落していっても1人で夕方までやってる(笑)。やればやるほど言葉が次々と出てくるようになっていったし、それが楽しくてひたすらラップしてる感じでしたね。本当に人生で初めて何かにハマったというか、打ち込める素晴らしさに気付いた感じでした。今で言う半グレの子がラップやってんのと一緒ですよね。あの子たちもラップが楽しくて、そこに夢中になるわけじゃないですか。だから、その気持ちはすごくわかる。ただ当時は自分がラップで食っていけるなんて思いもしなかったから、生活としては不良とかギャングの道に進んでいて。その中で先輩から「お前ら、向こうのギャングはちゃんと人前でラップできるから」って言われて、その先輩からクラブでデビューさせられて。

KEN させられて(笑)。

T-Pablow それで出たイベントのホストMCが真木蔵人さんで、「あの双子、面白いじゃん」と目をかけてもらって、その流れで「BAZOOKA!!!」に紹介されたんですよね。それがクラブでマイクを握って1回目か2回目ぐらい。

──「BAZOOKA!!!」は真木蔵人さんがMCだったので、その流れだったんですね。

KEN めちゃくちゃ展開が早いね。

T-Pablow でも「テレビには出たくない」って言ってたんですよ。やっぱりテレビのエンタメ番組みたいなものに出ると、どんな扱われ方をするかもわからないし、それによって潰しが効かなくなって、ストリートにいられなくなるんじゃないかな、と。だけど地元の先輩に強制的に出させられて。川崎の中華料理屋で「出たくないっす。勘弁してください」「ダメだよ」と(笑)。

KEN 選択の余地なし(笑)。

T-Pablow いわゆる、不良の流れから芸能界に入る人っているじゃないですか。そういう流れを川崎でも作りたかったみたいなんですよね。

KEN なるほどね。「高ラ」に出てみてどうだった?

T-Pablow すげえ緊張しましたよ。収録自体、当日までどこでやるか、どんな内容なのか全然教えてもらえなかったんです。だから、公園でサイファーするのかな、ぐらいの気持ちでいたんですよね(笑)。

KEN ははは!

T-Pablow で、蓋を開けたらすげえデカいスタジオだし、カメラは何台も入ってるし、まったく知らない高校生とラップバトルするっていうので、本当にハメられたと思いましたよ。なんか学生服着てる子とかもいたし、バラエティ番組感があったから、YZERRと「ああ……終わったな……」と(笑)。

KEN 結果的にはティーンのラッパーが有名になる登竜門的な企画として有名になったけど、第1回が失敗してれば、マジでイタい企画だったかもしれないもんね。

T-Pablow 収録中も「ガチンコファイトクラブ」のラップ版っぽい内容になるのかなと思ってましたね。当時自分たちが目指してたりイメージしてたラッパー像は「リリカルなギャングスタラップ」だったから、もうその道を進めなくなるなと絶望しました。

KEN 「高ラ」以前に、バトルの経験はあったの?

T-Pablow なかったですね。

KEN ぶっつけだったんだ。

T-Pablow 仲間内でのサイファーぐらい。でもその経験は「高ラ」にも生かされたし、勝つ自信もありました。ラップしてる期間は短いけど、時間はほかの人よりも長いだろうなというのが、自信になってて。ゾーンに入って、気付いたら10時間とかラップしてたときもあったんで。それは今でも自分のラップスキルに反映されてますね。

KEN 実際にほかの高校生のラッパーと戦ってみての感触はどうだった?

T-Pablow 「こんな感じか」と。自分も相手も、スタッフでさえも、この番組がどうなるのかわかってないから、手応えもなかったし、「なんか優勝したな」ぐらいで。

──審査員にはZeebraさん、DABOさん、SIMONさんが登場していました。

T-Pablow その3人の前でラップするなんて考えられないことだったけど、それがチャンスにつながるとは、俺も含め誰も思ってなかったんじゃないかな。そんな余裕もなかった気がします。

KEN Zeebraさんやスタッフに話を聞くと、この企画がどうなるか不安だったけど、パブロとYZERRが登場した瞬間、これはイケると思ったという話をしてて。実際、あの時期はMCバトル自体がマニアックなものになってたけど、パブロやYZERRはストリートのバックグラウンドがあって、そういうスタイルの人間が勝ち上がるのは当時のMCバトルの主流とも違ったから、それも新鮮に映ったと。R-指定やKOPERUが16、7歳ぐらいでBBPで活躍したときに、「その年代でフリースタイルがこんなに巧いんだ」と驚いたけど、彼らとはまた全然スタイルが違ったから。

嫌な言い方をすれば「ヒップホップに人生を狂わされた」

──そして、優勝した直後に川崎を離れて、沖縄に行かれたそうですね。

T-Pablow 365日のうち、350日以上は地元の先輩たちと一緒にいる状況だったんですけど、「少し休んでいいぞ」と。

KEN 「高ラ」で優勝した反響とかは気にならなかった?

T-Pablow 沖縄の電波がほとんどないような島に行ってたんで、情報が入ってこなかったんですよ。SNSもやってなかったから、エゴサーチもしなかったし。

──第2回、3回とT-Pablowさんは不参加でした。

T-Pablow 優勝したあとに、Zeebraさんの登場するイベントに呼ばれて、Zeebraさんのビートボックスに乗せて何千人もの前でフリースタイルする機会に恵まれたんですね。でも、それが先輩方に「あいつは調子に乗ってる」みたいな感じで受け止められて、ちょっと地元で面倒くさい事態に巻き込まれて。結果、関東に入れなくなってしまい、それで全国を放浪することになったんです。だから、嫌な言い方をすれば「ヒップホップに人生を狂わされた」と思ってましたね。

KEN その当時はいくつ?

T-Pablow 17歳ぐらいですね。

KEN 巻き込まれ方が……(笑)。

T-Pablow もう自分の意志でなんにも動いてないんですよ、当時は(笑)。

──第4回の「高ラ」にはT-Pablowさんが再び参戦し優勝を果たします。

T-Pablow 単純に、地元の川崎に入れない、帰れない状態が1年半ぐらい続いてたんですよ。その最中に、自分のバックDJをやってくれると話してた小学校からの友達が亡くなってしまって、それで「こういうことがあったんで、一度だけ地元に戻らせてください」と先輩に連絡して帰ったんですね。そのタイミングで「高ラ」の第4回があることを知って、スタッフさんに連絡をしたんです。そうしたら「事情はYZERRくんから聞いてます。でも、また優勝したら、今度はいろんな大人の人も守ってくれると思いますよ」みたいに言ってくれて。

KEN 壮絶……。

T-Pablow だから第4回は自分の意志で出場を決めたんですけど、出場するまでどれだけ“誰にもバレないでいられるか”という問題もあったんですよね。バレたらどんなことになるのかもわからないし、当日もBAD HOPの連中がボディガードじゃないけど、スタジオに入るまでずっと一緒にいてくれて。

──別のインタビューで「ここで優勝できなかったらラップを辞めるつもりだった」と話していますが、観念的な決意というよりは、実際問題として勝たないといけなかったと。

T-Pablow 優勝したら何かが変わる保証なんて、実際は何もなかったんですけどね。放浪してる間はヒップホップからは離れてたけど、頭の中でラップしてたんですよ。でも、まったくポジティブじゃなくて、それこそ被害者意識のような内容が強かったと思います。ヒップホップに出会ってなければ、ラップさえやってなければこんなことになってないのに、って。地元の人たちにも思ってましたよ。「だから出たくないって言ったんだよ。俺の不安が正しかっただろ」と。生活としても、ほとんどホームレスですよね。親戚に頭を下げて生活費を工面してもらったり、本当に情けない状態に置かれてましたね。

──自尊心が挫かれる情況というか。第4回のT-Pablowさんのラインは、内省的な内容だったり、「人間として」みたいな言葉が強くなっていたので、そのマインドの変化はどこで生まれたのかなと思っていたんですが。

T-Pablow 仲間が捕まったり、いろんな圧も強かったり、そういう自分の置かれてた生活が、言葉に反映されてたのかもしれないですね。

KEN それがライムに出て、より人を惹きつけたんだろうなって。

──「人が思う以上に人は弱い / 本音は怖い / でも死ぬまでトライ」というラインが、かしわとのバトルで出ますが、そこで「こういうことを言うんだ」と驚いた記憶があります。

T-Pablow 精神的にも病んでたんですよね。でも「耳から音を入れて、頭で言葉を考えて、それを口に出すっていう行為がセラピーになるよ」と精神科の先生に言われて、実際に「こんな目にあった理由はラップなのに、それでも俺はラップをしたいんだな」と自覚したんですよね。その経験やマインドも、自分のラップをうまくしてくれた要因だったと思います。

KEN その意志は絶対に自分のバックボーンになるよね。

T-Pablow だから、第4回のときはどんな言葉を相手からぶつけられたとしても、全部返せるだろうな、って自信はありましたね。

KEN 第4回で優勝して、実際に状況は変わった?

T-Pablow かなり変化しましたね。そこでちゃんと考えて動こうと決意したというか。

音楽で生きていくんだ、やるしかない

──「高ラ」もブームになり、2014年にはT-PablowさんとYZERRさんは2WINとしてGRAND MASTERと契約を締結、BAD HOPとしてもアルバム「BAD HOP ERA」をリリースしました。

T-Pablow ここで道が拓けたと思ったし、ラッパーとして、音楽で生きていくんだ、やるしかないという感じでしたね。ストリートとも一旦距離をおいて、音楽と向き合いラッパーとして自分が大きくなるまで活動に集中しようと。だから、昔の先輩や仲間とまた昔みたいにつるむようになったのもBAD HOPの日本武道館(2018年に行われたBAD HOPのワンマンライブ「BreatH of South」)前後で。

KEN 名前が高まってから、いわば「音楽で食えるようになってから」という感じだったんだ。

T-Pablow そうですね。先輩たちの反応も変わってました。「お前らやるじゃねえか」みたいな。

<後編に続く>

T-Pablow(ティーパブロウ)

神奈川県川崎市出身のラッパー。2012年、K-九名義で出場した「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」第1回で優勝。2013年には、同大会の第4回で現在のT-Pablow名義で再び優勝を飾った。2014年、地元・川崎で結成したクルー・BAD HOPとしてコンピレーションアルバム「BAD HOP ERA」をリリース。同年に双子の弟であるYZERRとのユニット、2WINを結成した。2015年よりテレビ朝日で放送開始されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に初代モンスターとしてレギュラー出演。2017年には、ソロデビュー作となるミニアルバム「Super Saiyan1 The EP」をリリースした。2024年2月19日、東京ドームにて開催されたライブ「BAD HOP THE FINAL at TOKYO DOME」にてBAD HOPを解散。

BAD HOP オフィシャルサイト

KEN THE 390(ケンザサンキューマル)

ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。2024年3月2日、ワンマンライブ「KEN THE 390 UNFILTERED LIVE 2024」を東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて開催。

KEN THE 390 Official

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