各界の著名人に、愛してやまないアーティストについて話してもらう本連載。第37回となる今回は、デビュー作「みどりいせき」で「第47回すばる文学賞」「第37回三島由紀夫賞」を受賞した小説家の大田ステファニー歓人にSCARSについて話を聞いた。SCARSは2000年代前半に結成され、国内のハスラーラップの代表的存在として今も絶大な支持を得ているヒップホップグループであり、大田はハスリング(違法ドラッグ売買)に巻き込まれる高校生を主人公とする「みどりいせき」でそのリリックを引用している。ユニークな文体で多くの中毒者を生んでいる大田が、SCARSから受けた影響とは? 彼が小説に込める思いや次回作のテーマも含め、たっぷりと語ってもらった。
取材・文 / つやちゃん 撮影 / 西村満
BESさんとSEEDAさんのラップは誰が聴いても夢中になる
そもそも自分はヒップホップを聴く前に、まずはパンクに目覚めた経験があるんです。中学時代、いろいろなことがうまくいかなくて周囲に当たっていた時期に、パンク──具体的には甲本ヒロトとマーシー(真島昌利)の2人──に夢中になった。鬱屈としていた自分の人生に、そこで初めて音楽が密着してきた実感があったんです。いろんなバンドを聴くようになって、三鷹と吉祥寺のレコード屋を回って中古のレコードを掘りました。ヒロトはソウルが好きなんですけど、自分も少しずつそういったジャンルに傾倒し始めて。というのも、パンクを聴いていく中で、ファッションパンクみたいなものに嫌気が差してきたんです。パンクというジャンルが完成したあとにスタイルだけ継承してパンクをやっているバンドが多いように見えた。子供だったし、「今のパンクなんてしょーもねえな!」と思いながら、徐々にソウルやヒップホップを聴いていきました。
その流れで、高校生になると日本のヒップホップも聴くようになった。最初はBUDDHA BRANDのNIPPSさんをめちゃくちゃ好きになって、NIPPSさんがBESさんとも一緒にやってるのを大学生のときに知ってBESさんを聴き、そこからSEEDAさんも知って……という感じでSCARSにたどり着きました。BESさんとSEEDAさんのスキルは、誰が聴いても夢中になる高いクオリティがあって、すげえなって。まだ耳が育ってないから、SCARSにたどり着くまでは「音」としてラップを聴いていたんですよ。でもSCARSは1つひとつの言葉が「意味」として耳に入ってきて、初めてリリックでラップを全部しっかり聴いていった感じ。STICKYさんも意味がハッキリと聴き取りやすい耳に残るラップですよね。メンバーのソロ曲も好きなのがたくさんあります。SEEDAさんの「Mary Mary」や「Son Gotta See Tomorrow」とか。
強さと弱さを併せ持つSCARSに惹かれた
自分はSCARSがデビューした頃のことは知らなかったので、初めて聴いたとき衝撃でした。もちろん、アメリカのヒップホップを聴く中で、黒人社会とハスリングが密接というのは知ってましたけど、SCARSは日本でそれをやったうえで、ブレない哲学もある。葛藤を隠さないし、ハスリングラップを通じて1つの価値観が見える。今の生活から抜け出したいと思っている一方で、それを誇ってもいるというか。特にA-THUGさんのラップからは葛藤だけじゃなく温かさも感じられますよね。彼らとは全然違う世界にいるはずなのに、1つひとつの言葉がなぜか響いた。自分自身もちょうど今後の生き方について考えていた時期だったから、すげえ食らったんです。弱さと強さを両立してるし、人生観に大きな影響を受けました。当時は、学校行きながら働いてて、疲れた帰り道に何気なく聴きながらたくさん勇気付けられました。今でも「よっしゃいくぞ!」というときは「1 Step, 2 Step」を聴いて自分を奮い立たせる。大好きな曲の1つです。
ヒップホップは聴いていると強くなった気分になる。例えば「STARSCAR」。あれを聴いて外歩いてると、周りがザコく見えてくる(笑)。それぞれのメンバーの心理が全部描かれているのもいい。「みんなでラーメン食べに行こう 餃子も頼んでビール飲もう 腹一杯なら幸せだろう」という歌詞は、初めて聴いたときに泣きそうになりました。そうだよなあ、って。SCARSを聴いたことがない人は、ぜひこの曲から入ってほしいです。
ちなみに「みどりいせき」では「1 Step, 2 Step」のリリックを引用していますけど、小説を書いているときにあれが頭に流れてきて、ぶち込んじゃいました(笑)。作中には非合法なブツの売買をする女子高生の春という人物が出てくるんですが、その人物描写は理想のラッパー像をいくつか投影してつなぎ合わせています。ただ強いだけの手押しする女の子だと男の都合で描かれたものになってしまいそうだから、そうではなく弱さも内包したようなキャラクターにしたくて。そのあたりも、強さと弱さを併せ持つSCARSの影響があるかもしれない。
「みどりいせき」で描いたハスリングについて
「みどりいせき」に出てくるような非合法なブツの売買を個人じゃなくて集団でする人たちって、極限状態の中においてある程度統制を取らないといけないと思うんです。そういうときに、自分はトップダウンで物事が決まるような組織を描きたくなかった。SCARSも、それぞれがストリートで得たものをそれぞれの風景として描いていて、混ざり合って曲やアルバムになってる。その複雑なニュアンスは書くうえで気を付けた。
それと「みどりいせき」は、物語として大人を介さずに自分たちだけで経済的に自立する子供を描いていて、SCARSが非合法ながらもハスリングで経済的に自立している部分にもインスピレーションを受けているかもしれない。売人じゃなく、詐欺のモチーフも考えたんですけど、そうすると犯罪としてシステマチックすぎるというか、ビジネス面が強くなりすぎる。被害者を生まないシノギゆえというか、なんかもうちょっと無邪気に手を汚す感じのリアリティを描きたくて、ああいう設定になりました。
自分はB-BOYというより、バイブス的にはどちらかというとヒッピーなノリが強い。親も平和運動の活動家をしていて、自分もソウルやロックを聴いたり、映画だと60~70年代の反体制的なアメリカンニューシネマがルーツ。SCARSをはじめヒップホップが好きだけど根はヒッピー的、というバイブスは無意識に「みどりいせき」にも出ていると思います。セリフでヒップホップの曲のリリックを引用しているし、文体のレベルで作品=ビートに合うフロウは意識するけど、ライミングしているわけではないです。新人賞の授賞式で自分の詩を朗読して韻を踏んだので、作品の文章をヒップホップ的なリズムだと捉える人は多いかもしれないんですが、あれはスピーチで人前に出るのがまずダルすぎて。緊張もあるし、声が震えたりしちゃいそうだから、自分を勇気付けるためにああいう感じになりました。ただ、エッセイでは積極的にヒップホップ的なノリを出していますね。「群像」(2024年3月号)に書いた「憂鬱な気持ち持つ陽気な躁鬱」では、ヒップホップに対するリスペクトを爆発させました。文章だったらフリースタイルできるかも。
現実離れしていても自分が読みたいことを祈るように書きたい
自分が書く小説においては、風通しのいい物語を自分が読みたい。作家の村田沙耶香さんが小説は「小説の神に祈るように書く」って言っていて、自分はそれにすごく共感する。自分も「リアル」より「世界こうなれよ!」って理想を込めて書いた。だからストーリーに性別は関係ないし、「みどりいせき」も自然とジェンダーバランスがフラットになって「女子高生が舐達麻を聴きながらウィードさばいてたら笑える」って着想が自分なりにうまく広がった。現実をそのまま描写するんだったら、ほかの作家のほうがうまく書くと思うし、自分は現実離れしていても自分が読みたいことを祈るように書きたい。
今は次の小説を書いているんですが、薬物依存症の男が主人公。「みどりいせき」は友情の話だからウィードのドリーミーな部分をこぼさないように描いていたけど、ウィードには、怠け者になったり食べすぎになったり、一応悪い部分もあるっちゃある。次作はウィードじゃなく、人間が作り出した薬物のそういったいい面悪い面を隠さず書いています。誰かが薬物で捕まったニュースが流れると、みんなが「終わった人」扱いするじゃないですか。当人の日常は続くのに、捕まったら平気で人をおもちゃにする。それって「人間辞めますか?」っていう日本の薬物教育、人権教育の影響もあるし、周りに薬物中毒の人がいなくて当人の苦しみを想像することもできないからだと思う。そういった蔑まれてきた人たちにも表現は光を当てられるかもしれない。小説は物語だから、読んでもらえますよね。もちろん光を当てるのは小説を書く目的ではなく結果ではありますけど、次作は薬物で苦しむ人間の内面のリアリティも描けたらいいなと思います。
そして何より今自分は毎日ガザで起きている虐殺に心が痛んでいて、次の作品には世界の出来事も反映できればと思います。自分は新しい命を授かったのに、ガザでは子供とか関係なくたくさん民間人が殺されている。毎日心が引き裂かれている。まだ詳しくは言えませんが、書くことで自分の胸に空いた穴を塞ぎたいです。
プロフィール
大田ステファニー歓人
1995年東京都生まれ。2023年に小説「みどりいせき」で「第47回すばる文学賞」を受賞しデビュー。同作は「第37回三島由紀夫賞」にも選ばれた。現在ゴミ収集の清掃員として働きながら小説を書いている。
大田ステファニー歓人 (@ill_big_donuts)・X