韻踏み夫改め中村拓哉がヒップホップについて批評した書籍「日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること」が8月下旬に書肆侃侃房より発売される。
本書ではRHYMESTERの宇多丸を最も重要な日本語ラップ批評家だと位置付けつつ、ヒップホップとは「“一人称”の文化」だというテーゼに注目。ヒップホップの本質を「反復=肯定」と概念化して思想的に展開し、作品論の実践として、SEEDAの「花と雨」を具体的に読み解いていく。
中村は2015年に韻踏み夫名義で批評家 / ライター活動を開始。2022年には同名義で日本語ラップの入門書「日本語ラップ名盤100」を発表している。
大和田俊之推薦コメント
「日本語ラップ」と呼ばれる政治的/詩的な運動/文化の重力に真にふさわしい批評の誕生を心より祝福したい。
1970年代のサウスブロンクスで生まれたヒップホップ──このどこまでも「一人称」であることに固執するアートフォーム──の日本語における可能性をこれほど誠実かつ挑戦的に論じた書は他にないだろう。
歴史編、理論編、実践編とでも分けられる三部の構成を通して、本書は反復(the changing same)と迂回(signifying)を繰り返しながら、ヒップホップの日本(語)的「生」へと肉薄する。
中村拓哉「日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること」本文より抜粋
ヒップホップに特権的な身振り、身体性とは、「繰り返し首を縦に振ること」である。それは反復の身振りであり、かつ肯定の身振りである。首を振るという身振りにおいて、反復と肯定が結合されるのだ。首を振ること、すなわち反復=肯定。これこそ、私たちが最も重視する、ヒップホップの本質を表現するアレゴリーである。
中村拓哉「日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること」目次
序文
第一部 日本語ラップの「一人称」
第一章 日本語ラップ批評宣言 いとうせいこうから宇多丸へ
第二章 「一人称」の翻訳性
第三章 「空虚」な「一人称」からストリートへ
第四章 ヒップホップ・フェミニズム
第五章 「J」の殺戮者としての日本語=反日ラップ
第六章 ポスト68年としてのヒップホップと日本語ラップの皮肉な勝利
第二部 反復=肯定の思想
第一章 微分、一義性、反復=肯定
第二章 中性的なものの反復=肯定
第三章 非感性的類似と韻
第四章 同じであること、非人称的ナルシシズム
第五章 反復的な生の救済のドラマ
第三部 ディスクールの詩学
第一章 ラップの詩学
第二章 ミュトス、ミメーシス、隠喩
第三章 SEEDA『花と雨』
「一人称」のディスクール━━あとがきにかえて
