2010年に解散したアイドルグループ・メロン記念日が、デビュー25周年を記念して期間限定で復活を果たした。解散から15年が経過しているが、メロン記念日の楽曲はハロー!プロジェクトの後輩たちが受け継ぎ、今なお多くのアイドルファンに愛されている。しかし、当時を知らない若い世代にとっては伝説の1ページ、あるいは「曲は聴いたことがある」程度だったりするのではないだろうか。
2010年以降のアイドルシーンにおいて、客席でモッシュやクラウドサーフが起こる場面は珍しいものではなくなったが、メロン記念日のライブ空間は時代をひとつ先取りした熱気に満ちていた。代表曲「This is 運命」が持つカオティックなエネルギーは強烈な熱狂を生み出し、メロン記念日は今では珍しくない「アイドルのロックフェス出演」をいち早く実現している。彼女たちの存在が、その後のアイドルシーンに与えた影響はきっと少なくない。
本稿では8月から10月にかけて全国7カ所のライブハウスを巡るツアー「メロン記念日'25 LIVE TOURー~熟メロン~」を行う斉藤瞳、村田めぐみ、柴田あゆみ(オリジナルメンバーの1人、大谷雅恵は今回の再結成には不参加)の証言を交え、メロン記念日の足跡を振り返っていく。
取材・文 / 西廣智一 撮影 / 臼杵成晃
メロン記念日の終わり、“アイドル戦国時代”の始まり
2025年1月1日未明、突如飛び込んできたニュースに多くのアイドルファンが驚いたのではないだろうか。
古くからのアイドルファンは「おお!」と歓喜し、若い世代の中には「伝説のあのグループが?」もしくは「え、誰?」というリアクションもあっただろう。ハロー!プロジェクト黎明期に誕生しながらも、ほかのハロー!プロジェクトのグループとは一線を画するスタイルを確立させ、独自のスタンスで2010年の解散までの10年間をメンバーの増減もなくオリジナルメンバー4人で駆け抜けたメロン記念日。解散以降も2013年末の「Hello! Project COUNTDOWN PARTY 2013 ~GOOD BYE & HELLO!~」や2018年10月開催の「Hello! Project 20th Anniversary!! Hello! Project ハロ!フェス 2018」というハロー!プロジェクトの節目のタイミングに単発での復活はあったものの、期間限定とはいえデビュー25周年イヤーに積極的に活動をしてくれることは、結成初期からメロン記念日を見続けてきた筆者にとってもうれしいサプライズだ。
今振り返ると、メロン記念日はアイドルシーンが「アイドル戦国時代」と呼ばれ始めた2010年にその歩みを止めている。同年5月3日のメロン記念日ラストライブ終了直後、5月30日にNHK総合「MUSIC JAPAN」の「アイドル大集合SP」がオンエア。アイドリング!!!、AKB48、スマイレージ(現アンジュルム)、東京女子流、バニラビーンズ、モーニング娘。、ももいろクローバー(現ももいろクローバーZ)……その後のアイドルシーンを牽引していくことになる精鋭たちが勢ぞろいしている。また、同年8月には現在まで続く大型アイドルフェス「TOKYO IDOL FESTIVAL」がスタートしたほか、SKE48やスマイレージ、ももいろクローバー、bump.yが出演した伝説のイベント「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」も開催されるなど、アイドルシーンが大きく張り始めていることが伝わるトピックがこの年は目白押しだ(参照:2010年代のアイドルシーン Vol.1 “アイドル戦国時代”幕開けの瞬間)。
もし、あのままメロン記念日の活動が続いていたら……そう夢想したファンも決して少なくなかったことだろう。筆者も間違いなくその1人であり、以降のシーンの盛り上がりを見るにつれ「もしここにメロン記念日がいたら……」と思ったことは数知れない。同じハロー!プロジェクト所属のモーニング娘。や松浦亜弥ほど絶対的な成功を収めたとは言い難いメロン記念日が、なぜこれほどまでに当時のアイドルファンに強いインパクトを残し、一部のファンから復活を熱望されたのか。それは、彼女たちが現在のライブアイドル界隈に強い影響を与えたからにほかならない。
ハロー!プロジェクト期待の新グループ、うまくいかない現実
メロン記念日は1999年、「第2回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」を通じて選ばれた斉藤瞳、村田めぐみ、大谷雅恵、柴田あゆみの4人で結成。翌2000年2月19日、つんく♂プロデュースによるシングル「甘いあなたの味」でメジャーデビューを果たす。当時ハロー!プロジェクトにはモーニング娘。や平家のほか、太陽とシスコムーン、ココナッツ娘。、カントリー娘。、三佳千夏が在籍しており、メロン記念日はこれに続く存在として活躍が期待された。しかし、当時は単独での活動は数少なく、モーニング娘。の冠番組および同グループの全国ツアーへのゲスト参加が主な活動だった。
「ゲストとして数曲、モーニング娘。さんのライブの途中で歌わせてもらっていたんですけど、メロンのステージの時間になると、トイレ休憩に席を立つ方が多くて。当時は悔しい思いをたくさんしました」(柴田)
「会場が少し明るくなるから、空いている席が即座にわかるんですよ」(村田)
「人気や知名度の差はもちろんですけど、そこでいろんな現実を突きつけられるわけです。でも、その当時は『負けんなよ』精神にしがみついていた感はありますね」(斉藤)
グループとしてのカラーも、デビューからしばらくは固まりきらずにいた。「LOVEマシーン」(1999年)のメガヒット以降、ダンス☆マンのアレンジによるダンサブルなファンクチューンを武器にしていたモーニング娘。や、そのテイストをよりアダルト寄りに突き進めた太陽とシスコムーン、北海道在住という特徴を素朴でフォーキーなサウンドに重ねたカントリー娘。などと比べると、デビュー曲「甘いあなたの味」はロック色の強いミディアムナンバー、2000年6月発売の2ndシングル「告白記念日」は適度にダンサブルで爽快感の強いポップチューン、2001年3月発売の3rdシングル「電話待っています」は沢田研二「勝手にしやがれ」などで知られる船山基紀を編曲に迎えた歌謡ソングと、どういったサウンドがメロン記念日に合うのか、プロデューサーのつんく♂も試行錯誤していたように映る。また、衣装に関しても曲調の変化とともにテイストを変え続け、4人おそろいということもあって見る側としてもそれぞれの個性をなかなかつかめずにいた。柴田も当時のことを「曲も衣装も毎回新鮮で、個人的にはすごく楽しかったんですけど、じゃあそれを毎回モノにできていたかと言われると全然できていなくて」と、楽しむと同時に葛藤も味わったと口にする。
「This is 運命」が切り開いたメロン記念日の運命
そんなメロン記念日の運命を大きく変えた1曲が、デビューから2年近くを経て誕生する。それが2001年10月発売の4thシングル「This is 運命」だ。この曲は過去3作同様、プロデュースをつんく♂が手がけているが、作詞・作曲に関してはつんく♂と新堂敦士の共作。新堂は1990年代前半、アマチュアロックバンド・カメレオンの一員としてシャ乱Qと大阪で共闘し、90年代後半からはソロアーティストや職業作家として活動しており、ハロー!プロジェクトへの楽曲提供はこれが初めてのことだった。
メロン記念日の面々は、この曲のデモ音源を初めて聴いたときの印象を今でも鮮明に覚えているという。
「最初に聴いて『これ、曲として成立するんですか?』と思ったことを覚えています。私たち自身も何が正解か、不安を抱えたままレコーディングに臨みました」(斉藤)
「今までの方向性から考えたら『思い切ったな、振り切ったな』っていう感じですよね。しかも、曲の途中に長いセリフまであって……どうなるのか、完成がまったく見えませんでした」(村田)
実は、この曲がメロン記念日というグループにとって正真正銘の正念場でもあった。ほかのグループがそれなりに成功を収め、メロン記念日から1年遅れでデビューした松浦亜弥も早々にスター街道を歩み始めていただけに、スタッフは「今度のシングルが結果を残せなかったらグループ解散」も視野に入れていたという。
「『この船に乗れなかったら解散だぞ?』ぐらいなことを言われていたのに、いざ歌詞に目をやると『ジャジャジャン・ジャジャジャン ジャジャジャ・ジャ~ン!』(笑)。そりゃあ『私たち、船乗れるのかな……』って不安になりますよね」(斉藤)
ポップパンクにも似たストレートなロックサウンドを軸に、「ジャジャジャ・ジャ~ン!」のフレーズからも想像がつくようにベートーベンの交響曲第五番「運命」のオマージュを被せ、矢継ぎ早にパートが切り替わるボーカルワークというこれまでの彼女たちに、いや、ハロー!プロジェクトになかったタイプの新規軸は一聴するとコミックソングのようにも映るが、実のところ非常に計算し尽くされたアイドルポップソングであり、この曲がその後の彼女たちの運命を大きく変えることになる。
「正直、私たちの予想を大幅に超えて、ここまで化ける曲になるとは思ってもみませんでしたし、メロン記念日の名刺代わりの1曲になるなんて」(斉藤)
「私たちにはファンの方たちのことを“ヲタモダチ”と呼んでいるんですけど、きっとヲタモダチのみんなもここまでの流れを見て『メロンの未来が危ない』と感じてくれたんでしょうね。ラジオや有線放送でのリクエストや、時にはDJイベントで回してくださったりして、『ここで終わらせたくない!』という愛や熱を伝えてくれたんです」(村田)
「いろんな人たちから『中毒性が高い曲だね!』と言われる機会も、徐々に増えていって。それこそ、普段アイドルを聴かない友人からも『めっちゃいい曲だね!』って言われましたし。ここで私たちに対する周りの空気が変わったなと感じました。敦士さんが当時、どんな思いでこの曲を作ってくださったのか、いつか聞いてみたいですね」(柴田)
楽曲のみならず、ビジュアル面でもここで大きな変化が生じる。これまでおそろいの衣装を着ることが多かった4人だが、この曲ではセクシー(斉藤)、メルヘン(村田)、ボーイッシュ(大谷)、ナチュラル(柴田)という“担当”に沿って、個々がバラバラのテイストのファッションでジャケットやMVに収まっている。その結果、4人それぞれが異なる個性を発揮し始めることとなる。
「それまでは個性をひとつにすることが求められていたけど、この曲からそれぞれに担当が与えられて、1人ひとりの表現の幅が広がっていった。それまでのハロー!プロジェクトにはなかったことだったので、もちろん不安もあったんですけど、結果として“メロン記念日らしさ”をつかむ最初のきっかけになったと思います」(柴田)
アイドルライブにクラウドサーファー発生!ライブで化けた「This is 運命」
「This is 運命」はオリコン週間ランキングで初のトップ30入り(最高28位)を記録。決して大きなヒットとは言えなかったが、ハロー!プロジェクト合同コンサートやほかのハロー!プロジェクトメンバーのライブにゲスト出演した際にこの曲への反響が徐々に大きくなっていくなど、その話題性もありメロン記念日の活動は首の皮1枚でつながることとなる。ここで得た手応えをもとに、再びロック路線で攻める……のかと思いきや、続く5thシングル「さあ!恋人になろう」(2002年2月発売)ではまたも楽曲の方向性が変化。ボ・ディドリーを彷彿とさせるジャングルビートを軸に、派手でファンキーなテイストをちりばめたダンサブルなサウンドは、どこか岡村靖幸へのリスペクトも感じられる。そのリスペクトはメンバーの歌唱スタイルにも端的に表れており、「This is 運命」からの勢いをそのままに、「さあ!恋人になろう」は前作以上のヒットを収める(オリコン最高20位)。
「『This is運命』で流れが変わったものの、ロック調の曲が続くわけではないんですよね(笑)。そこで一筋縄でいかないのがメロン記念日らしいといいますか。でも、ずっと同じじゃないというのも、周りを飽きさせない意味ではよかったんでしょうね」(村田)
以降も「夏の恋はデインジャー!」(2002年6月発売。最高14位)、「香水」(同年10月発売。最高12位)と、作品を重ねるにつれてセールス / チャートで好成績を打ち出し続ける。そして、2003年1月発売の8thシングル「赤いフリージア」では、念願のチャートトップ10入り(最高10位)を果たす。これら3曲も決してロック調というわけではなく、さわやかさの中にもどこか切なさを覚えるサマーチューン(「夏の恋はデインジャー!」)、メインボーカル(柴田)とコーラス&ラップ(斉藤、村田、大谷)という大胆な歌い分けを導入したミディアムバラード(「香水」)、化粧品のCMソングにも合いそうな王道アイドルポップソング(「赤いフリージア」)と、シングルごとに曲調を変え続けている。しかし、そこには初期のような迷走感は一切感じられず、むしろ「次はどんな曲が来るのか?」とポジティブに受け取られるようになっていた。
「あの頃は、ファンの方たちもそうだったと思うんですけど、『メロン記念日はロックだね!』と言われるようになったことで、私たち的にももっとロックな曲を増やしたいと思っていたんです。でも、『香水』も『赤いフリージア』も私たちにとってはすごく大事な曲。その後も『チャンス of LOVE』(2003年5月発売の9thシングル)みたいにセクシーな楽曲をいただきますけど、『This is 運命』でグループや個々のキャラを確立させるチャンスをいただいた結果、その後どんなタイプの曲を歌わせても大丈夫というところまで持っていけたのかなと、今ではそう思います」(斉藤)
「赤いフリージア」リリース直前の2002年12月9日には、グループにとって念願だった初のワンマンライブも実現。筆者は今でもよく覚えているが、当日は東京で初雪が降るというドラマチックな天候も味方し、メロン記念日は今はなき赤坂BLITZに集結したヲタモダチとともに熱狂的な空間を作り上げた。終盤に披露された「This is 運命」では、当時のアイドルコンサートでは滅多に見られないクラウドサーファーも続出。ここでの体験が、その後のメロン記念日のライブ活動に多大な影響を与えることになる。
「『This is 運命』という曲が、本当の意味で化けた瞬間でしたよね。あの曲のおかげで、私たち自身もライブを通して鍛えてもらったような感じもするので、本当に感謝しています」(村田)
「『This is 運命』のレコーディングのとき、『愛してますか?』を(松田)聖子ちゃん風に歌ってほしいと敦士さんからディレクションされたんですけど、ライブではもはや聖子ちゃんの面影もなくなって……(笑)。そんな変化も楽しんでいました」(柴田)
「この曲のときのお客さんのリアクションに引っ張られるように、私たちのライブでの動きや煽りがどんどんオラオラ系になってしまって。ある意味、その後のメロンのライブスタイルは1stワンマンから始まったのかもしれません」(斉藤)
再び低迷……「メロン記念日ロック化計画」で取り戻したアイデンティティ
2003年3月には、「赤いフリージア」までの全シングルを網羅した1stアルバム「1st Anniversary」をリリースし、同作を携えた全国ツアーも実現。以降もリリースや単独公演を続けていくものの、徐々にその勢いに翳りが見え始める。これは2004年以降、Berryz工房や℃-uteといった新世代のハロー!プロジェクトグループが次々デビューしたことも影響しているのだろう。
「この時期にも解散危機がありました。なかなかシングルを出せなかったんだよね」(柴田)
「リリースの感覚がどんどん長くなり、ライブの数も減って、2005年はシングル1枚(2月発売の14thシングル『肉体は正直なEROS』)だけでライブも年末に1本のみになり。そういう危機感を覚えたりと痛手を負いながらも、それを跳ね返す負けん気だけはあったよね」(斉藤)
デビューから6年が経とうとしていた2006年。メロン記念日は再び新たなフェーズへと突入する。同年6月の中野サンプラザ公演に合わせて、再びロックサウンドを強めた両A面シングル「お願い魅惑のターゲット / Crazy Happy!」をインディーズから発表。同年夏にはライブハウスツアーも開催するなどして、「This is 運命」で手にした自分たちのアイデンティティを取り戻し始める。また、同年夏より主催クラブイベント「Melon Lounge」も定期開催され、メンバー自身がDJを務めるほか、著名なJ-POP DJやロックアーティストとの共演機会が急増。2009年に入ると「メロン記念日ロック化計画」と銘打ち、BEAT CRUSADERSやニューロティカ、ミドリ、THE COLLECTORS、GOING UNDER GROUNDとのコラボシングルを連発し、ロック側へと一気に振り切っていく。さらに、今となっては当たり前となった「アイドルのロックフェス出演」に関しても、メロン記念日は2009年の時点で大阪や広島でいち早く実現させている。
2010年代にはロック色を強めたサウンドを信条とするアイドルグループ、小さなライブハウスを主戦場とするライブアイドルが多発するが、今思えばメロン記念日のこうした活動は、後陣たちへ大きなヒントを与えていたのではないだろうか。
「確かに『お願い魅惑のターゲット』という曲との出会いは、『This is 運命』以来のターニングポイントだったかもしれません。あの曲があったからこそ、のちの『ロック化計画』やバンドさんたちとのコラボへとつながっていったわけですし。楽器を持たない私たちにとってはバンドサウンドというものは身近な存在ではなかったので、コラボ曲のレコーディングに立ち合わせていただくことでどんどん自分たちの体になじんでいきました。デビューして8年、9年経ったこのタイミングでまた新しいことに挑戦できたのはすごく貴重な経験でしたし、そのおかげでグループとしても新しいステージにたどり着くことができたんじゃないかな」(斉藤)
「10年近く経って、ようやくアイドルとしての自我が芽生えたのかもしれないよね」(柴田)
デビュー10周年の節目に解散「あの頃の私たちにとっては最善の道」
一見すると順調そうに見えたメロン記念日だったが、デビュー10周年当日の2010年2月19日に行った「メロン記念日10th ANNIVERSARY LIVE『生誕3654日感謝祭』」のステージ上で、同年春からのツアーを最後に解散することを発表する。
「自我が芽生えたタイミングだったのに(笑)。でも、あの頃の私たちにとっては10年という区切りが本当に最善の道だったんです。今もあのとき解散を選んだことに後悔はありません。でも、もしあのまま続いていたらどうなったんだろうなってことは、たまに思ったりもします」(柴田)
「有終の美じゃないですけど、10年を4人で走り切ったことでひとつの時代を作れた気がしていて、それを自分たちとしても誇りに思っていました。解散してからも『時代の先を行ってたよね』とか『もうちょっと続けていたら、メロンが生きるタイミングがあったんじゃないか』とよく言われましたけど、ああいう形で終えたのもまたメロンらしいのかなと思います」(斉藤)
「当時は『早すぎるよ!』って声もたくさんいただきましたけど、惜しまれて解散できたことはすごく幸せなことだなと思っていて。潔いと思われるかもしれませんが、私たち的にはそこに潔さも感じてないくらい、意思が固かったんですよ」(村田)
こうして2010年5月3日の中野サンプラザ公演「メロン記念日 FINAL STAGE "MELON'S NOT DEAD"」をもって、メロン記念日は10年におよぶ活動に終止符を打った(参照:「メロン記念日でした!」幸せな10年を経て第2の人生へ)。
大人になった“熟メロン”15年ぶりの挑戦状
ここからは話題を2025年に戻す。1月の期間限定再結成発表後、サブスクでの音源解禁や解散ライブの爆音上映イベント開催などがうれしい知らせが相次いだが、中でも新旧ハロー!プロジェクトファンを驚かせたのは3月末開催の「Hello! Project ひなフェス 2025」1日目公演(29日)にゲスト出演したことだろう。筆者も当日の昼公演を会場で観覧したが、おなじみの出囃子SE「メロン記念日のテーマ」が流れ始めた瞬間、体中の血液が沸騰するかのような興奮に襲われた。そして、荘厳なオルガンの音色に導かれるように斉藤、村田、柴田がステージに姿を現し、代表曲の1つ「香水」でメロン記念日復活のステージは幕を開けた。グループ解散後も後輩メンバーが歌い継いできたこの曲を、メロン記念日が歌うオリジナルバージョンで目に耳にしたハロー!プロジェクトファンは、会場にどれだけいたのだろうか……ステージ上の3人はひさしぶりのライブであることを一切感じさせないぐらいに堂々とした佇まいで、懐かしの名曲を届けてくれた。
短いMCを挟んだあとは、彼女たちの運命を変えた2曲……「お願い魅惑のターゲット」と「This is 運命」を連発。特に後者では会場中にコールも響き渡り、荒々しい歌やパフォーマンスとともに客席はメロン記念日色に染め上げられた。たった3曲ではあったが、「メロン記念日、ここにあり!」と証明してみせるに十分なパフォーマンスだったと断言したい。
「会場入りすると、昔から顔なじみのスタッフさんたちから『お、レジェンドが来たぞ!』みたいに茶化されて(笑)。本格的に再始動するのは15年ぶりなので、実はステージに上がる前は3人ともめちゃくちゃ緊張していたんですよ」(斉藤)
「でも、現役のハロー!プロジェクトメンバーたちがメロンの楽曲を歌い継いでくれていたからか、『なんでそんなに知ってるの?』ってぐらいに皆さん好意的に受け入れてくださって。こちらも感動を与えてもらいましたし、今思い出しただけでもこみ上げるものがあります」(柴田)
「『This is 運命』が始まるときなんて、(イントロの)クリックでみんなわかってたよね(笑)。そういうホーム感を含め、ここが再始動の1発目で本当によかったです」(村田)
「心が揺れました。私たちメロン記念日単体ではきっとあれだけの人数を集められないけど、ハロー!プロジェクトという大きな力をお借りして、デビュー25周年という記念すべきタイミングにこの景色を見せていただけるなんて、このうえなく幸せです」(斉藤)
「改めて『ハロー!プロジェクトってすごいんだな、私たちはすごい場所にいさせてもらえたんだな』と実感しました」(村田)
復活のステージを観た感想として「やっと時代がメロン記念日に追いついた、記念すべき瞬間でした」と伝えると、3人は「いやいやいや~」と即座に謙遜する。また、「ポジティブな意味で“変な人たち”だったなと再認識しました」と付け加えると、村田は「“変な人たち”って最高の褒め言葉ですよね。うれしいです」と笑みを浮かべた。
全国7カ所・計14公演におよぶ15年ぶりの全国ツアーが8月9日にいよいよスタートする。ツアータイトルのように、大人になった“熟メロン”がどんなステージを見せてくれるのかにも期待したい。
「私たちも歳を重ねていれば、もちろんヲタモダチの皆さんも年を重ねているわけですよね。どの公演にもゲストとしてハロー!プロジェクトの後輩たちが出演してくれるので、おそらく新しいファンも来てくれるのかな。今から会場が一体になれるその瞬間が楽しみです。あとは私たちの体力次第かな(笑)」(斉藤)
「しかも、今度はライブハウスで距離も近いしね。私たちもヲタモダチに期待してますので!」(村田)
「おお、15年ぶりの挑戦状?(笑)」(斉藤)
「お互い年相応……って言ったらアレですけど(笑)、私たちもコンスタントに歌ってたわけではないし、それでも会場に来てくれる皆さんはきっと期待を持って集まってくださると思うので、そんな思いにちゃんと応えられるような、カッコいいメロン記念日でいたいなと思います」(柴田)
公演情報
メロン記念日'25 LIVE TOURー~熟メロン~
2025年8月9日(土)東京都 新宿ReNY
[第1部]OPEN 15:30 / START 16:00
[第2部]OPEN 18:30 / START 19:00
<出演者>
メロン記念日
ゲスト:竹内朱莉 / 譜久村聖
2025年8月17日(日)新潟県 NIIGATA LOTS
[第1部]OPEN 14:30 / START 15:00
[第2部]OPEN 17:30 / START 18:00
<出演者>
メロン記念日
ゲスト:竹内朱莉 / 譜久村聖
2025年8月24日(日)大阪府 梅田 BANGBOO
[第1部]OPEN 14:30 / START 15:00
[第2部]OPEN 17:30 / START 18:00
<出演者>
メロン記念日
ゲスト:竹内朱莉 / 譜久村聖
2025年9月6日(土)愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
[第1部]OPEN 14:30 / START 15:00
[第2部]OPEN 17:30 / START 18:00
<出演者>
メロン記念日
ゲスト:豫風瑠乃(つばきファクトリー) / 米村姫良々(OCHA NORMA)
2025年9月15日(月・祝)宮城県 darwin
[第1部]OPEN 15:30 / START 16:00
[第2部]OPEN 18:30 / START 19:00
<出演者>
メロン記念日
ゲスト:豫風瑠乃(つばきファクトリー) / 米村姫良々(OCHA NORMA)
2025年9月23日(火・祝)神奈川県 Yokohama Bay Hall
[第1部]OPEN 14:00 / START 14:30
[第2部]OPEN 17:00 / START 17:30
<出演者>
メロン記念日
ゲスト:西田汐里(BEYOOOOONDS) / 北原もも(OCHA NORMA)
2025年10月4日(土)福岡県 DRUM LOGOS
[第1部]OPEN 14:00 / START 14:30
[第2部]OPEN 17:00 / START 17:30
<出演者>
メロン記念日
ゲスト:西田汐里(BEYOOOOONDS) / 北原もも(OCHA NORMA)
