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藤井怜央(Omoinotake)のルーツをたどる|“踊れて泣ける”音楽の源流とは?ロック好きがブラックミュージックに出会い、手繰り寄せた自分のスタイル

藤井怜央の音楽履歴書。
5か月前2025年12月12日 10:05

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は、ライブナタリー企画で尊敬するceroとの初ツーマンライブが決定しており、2026年3月15日には自身初の東京・日本武道館公演を控えているOmoinotakeのボーカル&キーボード、藤井怜央の音楽遍歴に迫った。

取材・文 / 森朋之

実はブラックミュージックに触れていた小学生時代

ピアノを弾き始めたのは6歳か7歳の頃。いわゆる習い事ですね。姉が先に習っていて、家にあったアップライトピアノで一緒に「ねこふんじゃった」とかを弾いて、それがすごく楽しかったんですよ。レッスンはバイエルで始まって、練習用の楽譜をどんどん進めていく感じでした。そこまで前のめりではなかったけど、やらされてイヤイヤ通っていたわけでもないし、わりと楽しくやってたと思います。通っていた教室はクラシックバレエも教えていて、むしろそっちがメインだったんです。母と姉もバレエを習っていて、実は僕も幼稚園の頃にやっていました。男子生徒は先生の息子と僕だけだったし、かなり珍しいですよね。コンテストに参加したこともあるし、クラシック音楽、バレエ音楽にはそれなりに触れていたと思います。

初めて買ったCDは平井堅さんの「Ken's Bar」(2003年)。小5のときだったかな。母親がよく平井さんの曲を聴いていた影響もあるし、ちょうど「大きな古時計」のカバーがヒットしていて、小学生の間でもすごく知名度があったんですよ。「Ken's Bar」はカバーアルバムで、入っている曲の原曲は全然知らなかったんですけど、子供ながらに「すごくいいな」と思ってました。中学生になってからはバンドの音楽にのめり込んでいったんですが、Omoinotakeを組んで幅広いジャンルを聴くようになってから、「Ken's Bar」を通して実はブラックミュージックに触れていたんだと気付きました。あと、当時はORANGE RANGEがめちゃくちゃ流行っていて。CM、ドラマ、映画の曲を通して「ORANGE RANGEってバンドなんだ」とわかってきたというか。バンドというスタイルもそうだし、ラップを初めて聴いたのもORANGE RANGEだったかもしれないです。

ゴイステにロックの初期衝動を食らった

習い事としてのピアノは小学校までで、中1のときにドラムを始めました。理由はぼんやりしてるんですけど、小6の春休みにデパートのおもちゃ売り場の「太鼓の達人」の体験コーナーに通い詰めていたこと……らしいです。覚えてないんですけど(笑)。叔父も趣味でドラムをやっていたし、いくつかきっかけがあってドラムを叩きたくなったんじゃないかなと思います。最初はヤマハ音楽教室で習って、その後、別の先生のところに通い始めて。その先生がジャズ畑の方だったので、ある程度はジャズドラムも叩いてましたね。ジャズは聴きなじみがない音楽だったからそこまでのめり込むことはなかったんですが、「今後のドラムのプレイに生かせるはず」と思っていて、ちゃんと吸収しようとがんばってました。ちなみに、その先生のもとでOmoinotakeのドラゲ(冨田洋之進 / Dr)と知り合ったんですよ。

ドラムを始めたことで、バンドを聴くことが多くなりました。最初に好きになったのはX JAPANです。僕はピアノとドラムの両方をやっていたので、まずYOSHIKIさんに興味を持ちました。その後、ベースのエモアキ(福島智朗 / B)と仲よくなって、ゴイステ(GOING STEADY)を教えてもらって。そのときですね、ロックの初期衝動みたいなものをガツンと食らったのは。

それからメロコア、青春パンク、エモをガッツリ聴いてました。モンパチ(MONGOL800)、ハイスタ(Hi-STANDARD)とか。HAWAIIAN6も大好きで、中学のときに鳥取のライブハウスまでライブを観に行ったんですよ。だいぶ早く着いて、リハーサルが終わって外にいたメンバーのところに突撃して「ファンです」と話しかけて。確か写真を撮ってもらったのかな? それが人生2度目のライブ。初めて観たライブは、JELLY→というパンクバンドでした。

X JAPANから受けた影響

エモアキとはバンドを組んでいろいろコピーしてました。あいつがベース&ボーカルで、僕がドラム。ドラム教室で教えてもらっていたのはジャズなのに、バンドでは速いツービートばっかり叩いてました(笑)。でも、X JAPANはコピーしてなかったですね。難しかったからかな? シンプルに曲を聴いて楽しんでました。

Omoinotakeとは音楽性が違いますけど、X JAPANにはかなり影響を受けていると思います。メロディが切なかったり、壮大だったりするじゃないですか。あとはピアノやストリングスの取り入れ方もすごいなと思って。ジャンルというより、メロディやアレンジの部分を自然と吸収してたのかもしれません。

その頃やっていたバンドではドラムとコーラスを担当していて、歌うのも好きでした。家で遊びで歌ったり、カラオケに行く程度でしたけど、X JAPANも歌ってたし、声変わりに翻弄されることなく、高音もけっこう出てた気がします。コーラスも得意だったんですけど、当時はエモアキの“歌力”に対して劣等感があったんですよ。うまいとか下手ではなくて、とにかく訴えかけるものがあって。僕は高い声が出せるし、音程もある程度は取れるんだけど、「それだけだな」と感じていたというか。銀杏BOYZの峯田和伸さんがまさにそうですけど、パッションやエモさがすごいじゃないですか。エモアキはそういう部分を持っていて、自分にはそれがないという認識だったんですよね、その頃は。

シティポップ経由でブラックミュージックに接近

ブラックミュージックをしっかり聴くようになったのは、上京して、2012年にドラゲ、エモアキとOmoinotakeを結成したあと。それまでは中学、高校のときに聴いてた音楽の延長線上でバンドをやっていて、ボーカル&キーボードを担当するのはOmoinotakeが初めてだったし、“バンドサウンドの上物としてのピアノ”がどういうものかわからなかったんです。学生のときに好きだったメロコアや青春パンクにはピアノが入っている曲がほとんどなかったし、どうやって入れ込めばいいんだろう?とずっと悩んでいて。

ちょうどその時期に、シティポップという言葉が音楽シーンの中で再燃してきたんです。その頃にシティポップと呼ばれていたバンドはブラックミュージックを取り入れていることが多かった。そういう音楽を聴いているうちに、意識が縦ノリから横ノリになってきたというか、「こういう感じだったら、ピアノ、ドラム、ベースの編成にも生かせるんじゃないか」と。メンバーとも「ブラックミュージックを取り入れたほうがいいね」という話をして、そこから少しずつ曲の雰囲気やアレンジが変わっていきました。ドラゲはジャズドラムを習得していたし、音楽の専門学校のジャズ・ポピュラー学科に通っていて、ブラックミュージックをちゃんと聴いていた。だから、ドラゲが先陣を切っていろいろ教えてくれたところもありますね。

その頃、一番影響を受けたのはceroでした。当時はceroもシティポップの文脈で語られていたと思うんですけど、アルバム「My Lost City」(2012年)に入っている「わたしのすがた」がガツンと来て。僕らは切なさが感じられる音楽や感情が乗っている曲が好きで、「わたしのすがた」のそういう要素にすごく惹かれたんです。“おしゃれ”と言われることもあったと思うんですけど、全然それだけに留まっていなくて、めちゃくちゃ心に迫るものがあって。その頃はエモアキと一緒に住んでいたんですけど、リビングで一緒に「わたしのすがた」を聴いて、「この曲ヤバいね」と話したのを覚えてます。

その後もceroはずっと聴いていました。2015年に出たアルバム「Obscure Ride」ではロバート・グラスパーあたりの現行のジャズのエッセンスが入っていて、僕らもそういう音楽を探っていくようになりました。

履歴書に書いたブルーノ・マーズ、山下達郎さんなどを聴き始めたのも同じ時期だったと思います。ブルーノ・マーズのアルバム「24K Magic」(2016年)は古き良き時代のブラックミュージックをかなりリファレンスしていて、こういうやり方もあるんだなと。めちゃくちゃ掘っているわけではないですけど、古いソウルなどもある程度は聴いてましたね。達郎さんとブルーノ・マーズはボーカリストとしても一流じゃないですか。達郎さんのライブを観させてもらって、「自分も年齢を重ねてもこんなふうに歌っていたい」と思ったり、デモ音源を作るときにちょっとブルーノ・マーズを意識してメロディを作ったり。いろいろなところに影響が表れていると思います。

転機になった「惑星」

ブラックミュージックを取り入れるといっても、最初からうまくいったわけではないんですよ。2015年から2017年くらいまではインプットとアウトプットを繰り返していて、「自分たちのフィルターを通した曲です」と自信を持って出せていたか?と言われると、そうじゃなくて。“ガワ”がブラックミュージックっぽいだけで、中学、高校の頃に好きだった自分のルーツと言える音楽のエッセンスを入れ込めてなかった。歌詞に関しても同じだった気がします。Omoinotakeは基本的に僕が作曲、エモアキが作詞を担当しているんですけど、当時の歌詞は耳なじみばかりを大事にしてた感じがします。いろいろ試行錯誤してましたね、その頃は。

転機になったのは、「惑星」(2019年)という楽曲です。ブラックミュージックを取り入れながら、切なさだったり、エモさだったり、自分たちがずっと聴いてきた音楽のよさをしっかり込められた最初の楽曲という印象があります。僕ら自身も手応えがあったし、聴いてくれた人たちの反応もそれまでとは違いました。ヒゲダンの聡さん(Official髭男dismの藤原聡)がFM802の「MUSIC FREAKS」で「惑星」をかけてくれたこともよく覚えています。あの曲をきっかけに、バンドの知名度もだんだん上がってきたんじゃないかな。

少し話が前後しますが、2015年から2017年までの2年間は渋谷でストリートライブをがっつりやっていた時期でもあって。その頃は“動画コンテンツを作ってSNSで認知される”という手法が流行り始めてたんですけど、僕らはそういう方法に苦手意識があったんです。それよりも現場で演奏するほうが性に合っていた。直接面識があるわけじゃないですけど、SANABAGUN.なども路上ライブをやっていて、盛り上がってるという話を聞いてたので、自分たちもやってみようと思ったんです。ストリートライブでは切ない曲を届けるというより、踊れることを意識しました。そしたら街を歩いている人が立ち止まって、踊ってくれて。そういう経験を重ねる中で、やっぱりノリのよさも大事だなと感じました。そこでバンドの熱量も増したし、熱さを楽曲に落とし込めるようになったのかもしれないです。ストリートとブラックミュージックの相性のよさも実感できました。

アイスランドも松江も切ない音楽が似合う

オーディエンスとしてのライブの経験は……地元にいたときはそんなに観てないんですけど、東京に来てからはいろいろ行くようになりました。ブルーノ・マーズ、達郎さんもそうだし、X JAPANも幕張メッセで観て。大学のときにアイスランドの音楽にハマって、「Airwaves」というレイキャビクでやってるフェスに行ったこともあるんですよ。ライブ会場だけじゃなくて、カフェやレストランも使って、街のあちこちでいろんなアーティストがライブをやってて。すごく印象に残ってますね。

アイスランドの音楽に興味を持ったのはSigur Rósが最初だったと思います。高校のときにポストロックを聴き始めて、Mogwaiやtoeが好きだったんですけど、その流れでSigur Rósを知ったのかな。メロディの切なさ、美しさに惹かれましたね。アイスランドもそうなんですけど、地元の松江は曇りや雨の日が多くて、ちょっとどんよりしてるんですよ。その空気感や景色も相まって、切ない音楽が似合うし、好きになった気がします。それはメンバー3人に共通しているところかもしれないですね。

「幾億光年」のヒットで何かが変わったのか

昨年は「幾億光年」がヒットして、たくさんの人に聴いてもらえて。バンドの知名度も上がったと思いますが、ヒット曲が出たことで何かが変わったかと言えば、そんなことはないんです。ずっと切ないメロディが好きだし、“踊れて泣ける”というワードを大事にしながら制作を続けています。

ボーカルの高音に注目してもらえることが多いんですが、僕はとにかくメロディアスな曲が好きなので、どうしても高低差をつけたくなるんですよね。裏声も地声でも、平坦なメロディではなくて、跳躍したくなる。あと、もともとドラムをやっていたのもあって、いろんなビートに触れるのも相変わらず好きです。ブラックミュージックを聴き始めた延長線上で、まだやったことがないリズムの曲を作りたいという気持ちがすごくあるんですよ。例えば「ラストノート」でアフロビートを取り入れたのもそう。レゲエのリズムも好きだし、エレクトロやテクノも聴いてて。打ち込みのリズムをどうバンドに取り入れるか?というのも、腕の見せどころだと思ってます。

最近はナイジェリアの音楽チャート上位の音楽を聴いてます。アサケというラッパー / シンガーソングライターがいるんですけど、フロウが独特で、めちゃくちゃカッコよくて。最近では一番の衝撃でした。それで「今のナイジェリアの音楽ってどんな感じなんだろう?」と掘り始めたんですけど、明るい曲があんまりないんですよ。切なさ、ふつふつとした感情が乗った曲が多くて、「全部いいな」と思ってずっと聴いてます。

最近発見したアーティストで言えば、Plus-tech Squeeze Boxもすごくいいです。Cymbalsが好きで、その周辺の音楽を聴いてるときに出会ったのかな。とにかくサンプリングをしまくっていて、音の重ね方とかアレンジがすごく面白くて「こういうやり方もあるんだ?」とビックリしました。今はジャンルを問わず聴いて、その中で“踊れて泣ける”というテーマをいろんな角度で追求できたらいいなと思ってます。

励まされたcero髙城晶平の言葉

ライブナタリーでceroと対バンできるのが本当にうれしいし、当日は大きな刺激をもらえるんだろうなとワクワクしています。ceroは「次はどんな作品を出すんだろう?」というワクワクが常にあって、メンバーのお三方がいろんな音楽を吸収し続けていて。曲を聴くと、その姿勢が見えてくるんですよね。自分たちも凝り固まらず、いろんな音楽に刺激を受けながら曲を作っていきたいし、そうすることでもっともっと豊かな音楽が生み出せるはずだと思っています。

8年くらい前、ceroの髙城晶平さんがやっている阿佐ヶ谷のRojiというお店に行ったことがあって。そのとき髙城さんもいらっしゃって、少し話をさせてもらったんです。さっきもお話したようにOmoinotakeは2015年頃からブラックミュージックを取り入れ始めたんですけど、自分たちのルーツを楽曲に落とし込めていないことにちょっと劣等感があって。そういう悩みを髙城さんに話したら、「それは僕たちも一緒。雑多に音楽を聴いてきたから、“これがど真ん中のルーツです”みたいなものはあまりない」みたいなことをおっしゃってて、それがすごく印象に残っているんです。励まされたし、ルーツかどうかをあまり気にせず、やりたいことをやっていけばいいのかもなと思えたので。ライブナタリーでお会いしたら、そういう話もできたらいいなと思っています。だいぶ前のことなので、さすがに髙城さんは覚えていないと思いますけど(笑)。

藤井怜央(フジイレオ)

1992年生まれ、島根県松江市出身。ピアノトリオバンドOmoinotakeのボーカル&キーボード。2012年にOmoinotakeとして活動を開始し、渋谷の路上をはじめ都内を中心にライブ活動を展開する。2021年11月にEP「EVERBLUE」でメジャーデビュー。2024年リリースの「幾億光年」が大ヒットを記録し、同年末に「NHK紅白歌合戦」への初出場を果たした。2025年10月29日、両A面シングル「Gravity/イノセントブルー」をリリース。2026年3月15日に自身初の東京・日本武道館公演を行う。

公演情報

Omoinotake Live at 日本武道館

2026年3月15日(日)東京都 日本武道館

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