日本のヒップホップシーンにおいて、プロデューサー / ビートメイカー / ラッパー / DJのJJJと、プロデューサー / トラックメイカーのSTUTSの関係は単なる音楽仲間を超えた深い絆で結ばれてきた。2008年の渋谷のクラブでの偶然の出会いから始まり、「Changes」をはじめとする数々の名曲をともに生み出してきた2人の創作活動は、日本のヒップホップ史に重要な足跡を残している。
2025年4月13日にもたらされたJJJの訃報から今日で1年が経つ。このタイミングに合わせて音楽ナタリーでは、STUTSへのインタビューをオファー。取材に応えたSTUTSは、18年におよぶ2人の友情と音楽的成長の軌跡、アレンジとミックスを手がけたKID FRESINOによるJJJ追悼曲「hikari」を含めたコラボ曲、関連曲の制作秘話まで詳細に語ってくれた。
取材・文 / 小野田雄 撮影 / Daiki Miura(STUTS)、A.masanobu(JJJ)
出会いは18年前の2008年、当時は“ひろじゃむ”
──JJJさんとの最初の出会いについて教えてください。
最初は2008年の5月か6月頃、渋谷の道玄坂にあったクラブ・HAZARDでのイベントでした。その頃のHAZARDでは若手の登竜門的なイベントをいくつかやっていて、今も活躍しているようなラッパーさんも何人か出ていたりしたんですよね。当時、JJJは“ひろじゃむ”という名前で川崎の大所帯クルーにDJとしてふわっと所属していて、ラップも始めたばかりの時期。僕は大学進学で上京したてで、携帯サイトで知り合ったラッパーのバックDJとしてイベントに出たんですけど、出演者にはYoung Drunkerもいたりして、JJJも川崎のクルーの人が出てたのがきっかけで遊びに来てたんだと思います。
──JJJさんは高校在学中にYoung Drunkerも所属するFIVE STAR RECORDSのクルーと出会って、卒業3カ月前に高校を中退して、真剣に音楽の道を志すようになったんですよね。
その頃、自分の周りにはヒップホップ好きがまったくいなくて、クラブに行ったりしないと出会う機会がなかったし、同い年でラップもやっていて、なおかつ、ヒップホップの嗜好も近かったということもあって、JJJとは一気に仲よくなりました。僕の話で言うと、高校生の頃にMTRを買って、自分のラップを録ったり、同級生に無理やりラップやってもらったのを録ったりもしていたんです。それで東京に出てきてからクラブやライブで知り合ったラッパーさんのレコーディングを自宅でやるようになって、JJJも誰かが作ったビートを持って、僕の家にラップを録りに来るようになりました。
──その頃、JJJさんはまだビートを作り始めていなかった?
まだ作り始めてなかったか、作り始めたばかりの時期で、僕がJJJの音楽に最初に触れたのはビートではなく、ラップでした。ラップを始めてそんなに時間が経ってないのに、もうすでにめちゃくちゃうまくて、「この人すごいな」というのが第一印象でした。ちなみにそのときレコーディングで使ったのも僕が高校生の頃に買ったMTRだったと思います。
ビートメイカーとして初めて「負けた!」と思った
2008年から2009年くらいの時期に僕もJJJもビートを周りのラッパーに提供し始めました。2010年に僕がビートを提供したYoung DrunkerのEP「Open The Sesame To The Next Stage」に、JJJも“ひろじゃむ”名義でラップとビートメイクで参加したんですけど、同い年ということもあって、僕の中でライバルとしてJJJを意識していたところもあったと思います。一時は会う頻度が減ったりもしたんですけど、2010年だったかな? JJJがFIVE STAR RECORDSが代々木に構えていたアジトに出入りする中で、Febbくんっていうすごい中学生DJ、ビートメイカーと会ったという話を聞いたりもして。そんな中でJJJがもともとビートメイクに使っていたMPC500からRoland MV-8800に機材を移行して制作した作品集「ggg」(2012年)を聴いたら、ビートが激変していて、めちゃくちゃカッコよくなったんですよ。それまでは若気の至りで同世代で自分が圧倒的にカッコいいビートを作っていると思ってたんですけど、「ggg」を聴いて、初めて「負けた!」って。その音源にはFebbくんがラップしているFla$hBackS名義の「Oil Musik」も入っていて、ものすごい衝撃を受けましたね。
──正式リリースは2013年2月ですが、Fla$hBackSのアルバム「FL$8KS」は、実はその1年くらい前にはすでに完成していたそうですね。
そうなんです。当時、JJJが家に遊びに来たとき、「Fla$hBackSのアルバムはとりあえず1000枚プレスしようと思ってるんだよね」って教えてもらったんですよ。発売前のライブでやってたFla$hBackSの曲がとにかくヤバかったので、「いや、もう、1000枚とか余裕だよ」って返した記憶があるんですけど、いざ蓋を開けてみたら、バーンと跳ねて。単純に自分より圧倒的にすごいビートを作るしラップもダントツでカッコいいし、それも当然だよなと思いつつ、自分がJJJにラップしてもらうのにふさわしいビートを作れていないことに悔しさもありましたね。
初期のJJJのシグネチャーサウンド
──作風が激変した「ggg」からFla$hBackSの「FL$8KS」、2014年の1stソロアルバム「Yacht Club」にかけてのJJJさんのプロダクションについて、同じビートメイカーとしてどのように感じますか?
本当にすごい人が作るトラックって、どういう発想で作っているのかわからないと感じたりもするんですけど、JJJのビートもまさにそんな感じですね。遊び心があって、鳴りもカッコいい。そして、「Cowboy」をはじめ、Fla$hBackSのトラックに顕著なんですけど、サンプルを細かくチョップして連打する独特なスタイルは、一聴してその当時のJJJとわかるシグネチャーサウンドですよね。
──個人的には、細かいチョップの執拗な連打とハードなロックギターをフィーチャーしたスタイルは、2000年代前半にThe Diplomatsのビートを手がけたThe Heatmakerz、それからカラフルでサイケデリックなサンプル使いは、同時期に勢いがあったCurren$y率いるJet Lifeクルーのプロデューサー、MonstaBeatzの影響が大きかったんじゃないかと思いました。
そうですね。当時、どちらも好きだと言ってましたし、サウンド、ラップどちらも影響は大きかったと思います。あと、ラップで言うと、後ろで乗るアプローチは、同じく大好きだったEvidenceの影響もあったんだと思います。
初めてのコラボ曲は2014年のクリスマス
──そして、JJJさんの1stソロアルバム「Yacht Club」リリースから1カ月後、2014年12月にSTUTSさんがビートを手がけ、JJJさんがラップした「Choose」がSoundCloudで公開されました。この楽曲の制作、発表の経緯を教えてください。
JJJはFla$hBackSで活動するようになってからも年に1、2回は会って遊んでくれて……って、変な言い方になりますけど(笑)、当時の自分の感覚としては、JJJがはるか上に行ってしまったように感じて、「遊んでくれた」という感じだったんですよ。でも、JJJは昔の仲間を大事にしてくれるところがあって、「Yacht Club」が出た直後に連絡をくれて、クリスマスのフリーダウンロード用に「何か一緒に作ろう」と言ってくれたんです。それで当時、僕が住んでいた駒込の家に来て、その場で僕が作ったビートでJJJがラップを録ったんです。それが本当にうれしかったですね。というのも、それ以前にレコーディングはいっぱいやっていたんですけど、JJJが持ってきたビートにラップを入れる作業で終わってしまって、僕がビートを作って、曲を制作することがなかったので、2人のコラボレーションは「Choose」が初めてだったんですよ。
アルバムごとに変わっていったJJJのスタイル
──その後、STUTSさんの1stアルバム「Pushin'」(2016年)収録の「Shadow feat. JJJ, KID FRESINO & DJ Scratch Nice」、JJJさんの2ndアルバム「HIKARI」(2017年)にSTUTSさんがビートを提供した「ORANGE feat. STICKY」と、2人のコラボレーションは続きます。
僕が1stアルバムを作るにあたっては、自分がそれまでの活動で知り合うことができた素敵な人に参加してもらいたくて、もちろん、JJJにも参加してほしかった。ただ、JJJはビートに厳しいから、本当にカッコいいと思えるものが出たら、声をかけようと思っていたんですけど、2015年にできた「Shadow」のビートを聴かせたら、「このビートすごくいいじゃん」って言ってくれて参加が決まりました。JJJがヴァースを入れ終えたあと、フックを佐々木(KID FRESINO)くん、間奏のスクラッチをニューヨークのDJ Scratch Niceさんにお願いしたのもJJJのアイデアでした。
「ORANGE」は僕が「Pushin'」を出した2016年の秋にJJJから「ビートを作ってほしいんだよね」と連絡があって。僕が当時住んでいた駒込の部屋で一緒にネタを探して、そのサンプルをもとに作ったビートです。ちなみに今年3月に出たJUMANJIのアルバム「SUP」に収録された僕とJJJの共同プロデュース曲「views」は「ORANGE」と同じ時期に作ったビートですね。
──ネットを介してデータをやり取りするのが当たり前な時代になっても2人は顔を合わせて共同作業していたんですね。
基本的に、JJJとの制作は実際に会ってやっていましたね。2016年、2017年あたりはJJJのライブで僕がバックDJをやらせてもらうことも多くて。そんな中、JJJから「一緒にEPを作りたいんだよね」って誘ってもらっていたんですけど、その前に自分の2ndアルバムを完成させようと制作を続けていたら、タイミングがズレてしまって、結局、実現しませんでしたね。
──JJJさんの2ndアルバム「HIKARI」はどう聴かれましたか?
機材がRoland MV-8800からMaschineに変わったことで、ビートは1stからガラッと変わりましたよね。もっと洗練されてシンプルになった。ビートメイカーにとって機材を変えるのは大きなことで、僕も普段使っている機材と違うもので制作すると、それだけでできあがるものが大きく変わるし、そう考えると、JJJはプロダクションのスタイルはアルバムごとにけっこう変わっていますよね。ラップに関しても、怖いくらいにとがっていた「Yacht Club」に対して、「HIKARI」は人間味が出てきたというか、角が取れて丸くなった気がしました。
Febbへの追悼曲「Changes」の制作経緯
──そして、「HIKARI」のリリースから約1年後の2018年2月15日にFebbさんが亡くなり、その年の9月にリリースされたSTUTSさんの2ndアルバム「Eutopia」に収録されたのが、Febbさんの追悼曲となる「Changes feat. JJJ」。この曲の制作について教えてください。
もともと、「Changes」のビートは、JJJと話し合って、2017年のクリスマスに何か配信しようということになり、作り始めたものだったんですよ。でも、ビートができてから、JJJのラップが完成するまでに時間がかかってしまって、その間にFebbくんが亡くなったことで、またさらに時間がかかってしまった。それでラップを録り始めたのが2018年の4月か5月あたりだったかな。そのときは最初のヴァースだけだったんですけど、それを聴いて、Febbくんのことを歌っているのを初めて知ったというか、ものすごく心を揺さぶられたことを覚えていますね。
──その最初のヴァースから曲の完成まで、さらに時間がかかったと。
そうこうするうちに、アルバムの締切が近付いてきて、そろそろヤバいと。それでJJJに連絡したら、「2ndヴァースのビートを変えたいんだよね」って。そこでJJJの家で一緒に作業して、JJJ自身でビートを組んだり、フックにも追加で音を足したりしつつ、ラップを録っていきました。JJJがありのままの思いを僕のビートに乗せてくれたのがうれしかったし、名義上、僕の曲ではあるんですけど、JJJが僕のビートに乗せてくれた曲だなって。
──それ以前の作品で、JJJさんがここまでストレートでエモーショナルな曲を作ることはなかったですもんね。
それだけFebbくんの存在がJJJにとっては大きかったんだなと改めて思いますね。僕があまり会っていなかった時期のJJJをよく知る日本横丁さん(aka Kazuhiko Fujita)に話を聞いたら、JJJはFebbくんと出会ったことですごく変わったみたいで、周りを蹴散らす勢いで「俺たちが一番でしょ」というムードになっていったと。実際、2010年から2011年にかけてのJJJは僕から見てもガラッと変わったという感覚があって、その変化はFebbくんとの出会いが大きかったんだろうし、彼が亡くなったことでJJJの中には本当にいろんな感情が渦巻いていたんだと思いますね。
初めてのラップも真っ先に聴かせた
──その後、2017年の2nd「HIKARI」から3rdアルバム「MAKTUB」完成まで6年かかっていますが、2019年には、JJJさん、STUTSさん、Friday Night Plansの共作曲「PRISM」、2022年にはSTUTSさんのビートにJJJさんとBIMさんが乗った「Voyage」と、その間にもSTUTSさんとJJJさんのコラボレーションは続きました。
「PRISM」は「Eutopia」が出てからわりとすぐあとにFNMNLさんの企画で作った曲で、Friday Night Plansさんを紹介されたのもFNMNLさんからだったと思います。ビートに関しては最初から2人の共作として進めて、僕が基本となるビートを組んで、JJJが自分のヴァースの後半部分のビートを組んだんですけど、すごくいい曲ができたなという手応えがありました。
その後、「Voyage」まで2年半のブランクがあるんですけど、その間にもJJJとは頻繁に会っていました。僕は自分から誘うのが苦手なので、特定の人と毎日毎週会ったりとか、そういう友達付き合いではなく、大事な人と会いたいときに会うという感じなんですけど、僕がJJJの家に行ったり、逆にJJJが僕の家に遊びに来たり。その時期の出来事で印象深かったのは、2020年にリリースしたミニアルバム「Contrast」で、僕が初めて自分でラップした「Vapor」と「Seasons Pass」という2曲を作って。そのリリースがあまりに不安だったので、完成して真っ先にJJJに聴いてもらったら、「いいじゃん」って言ってくれて、すごく安心したのをよく覚えています。
2人でドライブしながら曲を聴いて、「やりたいことはなるべく早くやったほうがいいよ」とも言ってくれて、背中を押してくれたんですよね。
何でも相談に乗ってくれる「保護者」
そういうやりとりもありつつ、僕の3rdアルバムにはJJJに絶対参加してもらおうと思っていたんですけど、その収録曲「Voyage」はもともとJJJのアルバム用に作ったものだったんですよ。でも、その後の作業がなかなか進まなかったので、自分のアルバム用に引き取らせてもらって。僕のビートでJJJと誰かがラップでやり合う初めての曲としてBIMくんを迎えて作ったんです。
──その「Voyage」のMV撮影のために伊豆大島の三原山を訪れたことが、JJJさんの3rdアルバム「MAKTUB」収録曲「Mihara」のリリックにつながったんですよね?
三原山で泊まった宿で「これ最近作ったビートなんだよね」って「Mihara」のビートを聴かせてくれたんですけど、そのときにリリックを書いていたんだと思います。「Voyage」の撮影旅行はいい思い出ですね。確か、あのときは僕からの相談事があって、JJJに話を聞いてもらったんですよ。その頃、JJJは「俺はSTUTSの保護者だから、なんでも相談してよ」ってよく言っていて(笑)、自分が大事な決断をする際には話を聞いてもらいましたね。
──「MAKTUB」収録の「心 feat. OMSB」もSTUTSさんが相談事を持ちかけたことがきっかけになって生まれた曲だと聞きました。
そうですね。また別の相談事があって、話を聞いてもらったんですけど、ひと通り話が済んだあと「それを曲にしようよ」って言ってくれて。「何か問題と戦える系のビートが欲しい」ということだったので「どんなビートなんだろう」と思いつつ(笑)、何曲か送った中からSTUTS Bandで鍵盤を弾いてもらっている高橋佑成くんとベースの岩見継吾さんのセッションをサンプリングしたビートをJJJがピックアップしてくれたんです。
──この曲のビートとラップ、リリックからJJJさんとSTUTSさんが音楽家としても友人としてもいい関係を続けてきたからこその深みや温かさを感じます。
人生の中での大きな決断や悩み事があったら、JJJには必ず相談していましたし、JJJが言ってくれると、すごく安心するというか、これで大丈夫なんだと思えたし、いろいろ気付きを与えてくれる存在だったので、本当にありがたかったですね。中高の同級生とか仲のいい友達はいるんですけど、同世代で同じ音楽をやってる者同士でしか共有できない悩みもあって、そういうことも相談できるし、音楽以外のことも何でも話せる存在がいるというのは自分にとってめちゃくちゃ大きかったです。あと自分に子供ができてから「Changes」を一緒にライブで披露するときには、絶対僕の目を見て「その命に送るはピース&乳母車」と言ってくれたり(笑)、その後本当にベビーカーを送ってくれたり、子供の名前を考えようとしてくれたりとか、毎回彼の温かさを感じてました。
──しかも、同い年で、お互いが試行錯誤しながら、キャリアを重ねていくところを間近で見ていたわけですからね。
でも、僕からしたら、JJJは同い年で対等な間柄というより、ヒーローのような存在だったんです。ああいうカッコいい音楽を作りたいなと思うような存在……だから、すごく尊敬していましたね。
JJJがすべてを曝け出した最後のアルバム
──そんなヒーローのような存在が苦悩しながら作り上げた「MAKTUB」という最後のアルバムを聴いて、どんなことを思われますか?
JJJの作品の中ではすべてを包み隠さずさらした一番の作品だなって。「言いたいことは何もない」というのがJJJの初期の基本スタンスだったと思うんですけど、このアルバムは言葉がすごくえぐってくるというか、深いところまで悩んでいたことがひしひしと伝わってきますね。近くで見ていて、あのとき話していたことが、こういう形で消化されているのかと思うところもある一方で、JJJの歌詞は一聴しただけで何を言ってるのか、すぐにわかるものではないので、まだ全部読み解けていない部分もあると思います。
深い悩みを感じる一方で、それが音楽として消化されていくような感覚もあって、ただつらい出来事を歌っているというより、最終的にポジティブに変換される何かがあるような本当に素晴らしい作品ですね。ビートも「HIKARI」よりさらに洗練されていて、あれだけのボリュームがあるのにアルバムを通しで聴けるのもすごいし、それぞれが別のベクトルで1曲1曲に思いが込められていて、JJJの人生そのものが表現されているアルバムだなと思います。
KID FRESINOとともにJJJへの思いを乗せた「hikari」
──そして、1年前の2025年4月13日にJJJさんが亡くなり、その3カ月後にリリースされたKID FRESINOさんによるJJJ追悼曲「hikari」にもSTUTSさんはミックス、アレンジで携わっています。この曲はどんな思いで制作に臨みましたか?
声が掛かった段階でどういう曲にしたいのか、そういう話はまったくなく、音だけが送られてきて、2ndヴァースにビートを入れてほしいという要望と、それ以外にも何か入れられる音があったら入れてミックスしてほしいという話だけ。でも、最初に聴いたときに「これはJJJのことを歌うんだろうな」と感じて、自分なりにFRESINOくんの思いが乗せられるようにがんばろうと思いました。もともとのバンドの素材が素晴らしかったので、僕がやったのは2ndヴァースのビートプログラミング、それから曲全体に少しホーンの音を追加したりとか。最後のフックにはよく聴くと「Changes」のフックと同じパーカッションの音も入っているんですけど、そうやって自分なりに感じるままに手を動かしました。
ただ、FRESINOくんがラップを書いてきたとき、歌われている光景の中には僕が見た光景もあったし、FRESINOくんがあそこまでストレートに表現しないといけなかったという思いも伝わってきて、本当に泣きましたね。ミックス作業では曲を何十回、何百回と聴くんですけど、プレイバックのたびに何回も泣いていたので、ミックスするのが本当に大変でした。でも絶対に悔いが残らないように、みんなが納得する形で仕上げたかったので、泣きながら僕ができることをやり切りました。
──語る言葉は尽きないと思いますが、こうして18年にわたる親交を振り返っていただいたうえで、改めてお伺いしたいんですけど、STUTSさんにとって、JJJさんとはどんな存在だったんでしょうか?
本当にたくさんの思い出があって、自分にとっては本当に心の支えで親友だったなって思います。今は会って話したりはできないんですけど、亡くなった今でも支えられている気がするんです。この前のツアーでJJJとの曲を演奏させてもらったときも一緒にライブしているような感覚になったし、やっぱり、そばにいてくれているんだなって、本当にそう思えるんですよ。そして、そう思っているのは僕だけじゃなくて。JJJがその存在を最初に世に知らしめたDaichi(Yamamoto)くんなんかも同じように感じているんじゃないかな。FRESINOくんがラップをし始めたのもJJJがきっかけですし、僕がSPACE SHOWER MUSICからこうやってアルバムを出して今みたいに活動できるようになったのもJJJが参加してくれて、JJJの担当の井坂さんが1stアルバムを担当してくれたから。周りで同じように思っている人はたくさんいると思います。本人は友達の輪を広げるタイプではなく、むしろ、真逆な人だったんですけど、心の奥底には「みんなでアガっていこう」「友達をアゲていこう」という気持ちがすごくあって、残した作品はもちろんのこと、JJJの思いや縁でつながったみんなの関係の中でJJJは生き続けているんだと思います。
プロフィール
JJJ(ジェイジェイジェイ)
1989年生まれ、神奈川県川崎市出身のトラックメイカー、プロデューサー、MC、DJ。febb as Young Mason、KID FRESINOとFla$hBackSを結成し、2013年にデビューアルバム「FL$8KS」をリリースする。ソロアーティストとしては、2014年に1stアルバム「Yacht Club」を発表。2017年に2ndアルバム「HIKARI」、2023年に3rdアルバム「MAKTUB」をリリースし、いずれも高い評価を得ている。2025年4月13日に35歳の若さでこの世を去った。
STUTS(スタッツ)
1989年生まれのトラックメイカー / MPCプレイヤー。自身の作品制作やライブ活動と並行して、数多くのアーティストのプロデュースやコラボレーション、テレビ・CMへの楽曲提供など活躍の場を広げている。2016年4月に1stアルバム「Pushin'」、2018年9月に2ndアルバム「Eutopia」、2022年10月に3rdアルバム「Orbit」を発表。2026年11月7日に東京・日本武道館で活動10周年のアニバーサリー公演「Alone with」を開催する。


