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映像で音楽を奏でる人々 第9回 Ghetto Hollywoodが狙うのは“日本における「ワイルド・スタイル」”

約4年前2019年02月25日 11:01

ミュージックビデオをはじめとした、音楽と関連する映像の制作に携わるクリエイターたちにスポットを当てるこの連載。今回登場するのは、加山雄三 feat. PUNPEE「お嫁においで 2015」やAKLO feat. SALU, 鋼田テフロン & Kダブシャイン「RGTO」など、ラッパーの楽曲を中心にこれまでさまざまなMVを手がけてきたGhetto HollywoodことSITEだ。

グラフィティライターとして頭角を現し、NORIKIYOが率いるラップグループSD JUNKSTAにも所属、近年は“正体不明の人気インスタグラマー”としても知名度を上げているSITE。映像のみならず多方面に才能を発揮している彼だが、その素顔はほとんどが謎に包まれている。ヒップホップとサブカルチャーへの愛情と造詣の深さがダイレクトに反映されたGhetto Hollywood監督作品の秘密を明らかにするべく、彼にこれまでとこれからについて話してもらった。

グラフィティライターになって味わった初めての感覚

物心ついた頃から、好きなことしかやらないというか、絵を描くこと以外は運動とか本当にまったくできない子供でした。小学校の通信簿も図画工作だけがよくて、ほかはオール1みたいな。授業中も、学級文庫の江戸川乱歩の本を読んでいるか、教科書や机が真っ黒になるまで落書きしてたから、クラスで1人だけ1学期のドリルが3学期になっても終わってなかったり、忘れ物も毎日何個もあったりして初っ端からドロップアウトしかけてたんですが、小学5年生のときの担任に「どうせお前は絵を描く仕事に就くから好きに描いてろ」って言われて。それを聞いたら呪いが解けたように、興味あることなら勉強も嫌いじゃなくなって、成績も全部平均くらいになったんです。

うちは幼稚園の頃に親が離婚して母親が働いてたので、週末になると兄貴と新宿に行って父親と会って、一緒に映画を見る習慣が中学卒業まで続いてました。母親もレンタルビデオが好きだったので、映画ばっかり観てましたね。音楽の原体験はドラマ「はいすくーる落書き」をきっかけにハマったTHE BLUE HEARTSです。小3の誕生日に再生専用のウォークマンを買ってもらって、学校に行ってる以外の時間はずっと、布団の中で寝落ちするまで聴いてました。だからNORIKIYOとPUNPEEに誘ってもらって「終わらないうた(REMIX)」のMVを公認で撮れたのは感慨深かったです。

俺が高校に入った1995年は、Wu-Tang ClanとかDJプレミアとナズに代表されるようなニューヨークのハードコアなヒップホップが全盛期で。宇田川町のレコ村も異様に盛り上がってたし、「さんピンCAMP」につながる日本語ラップブームに本格的に火が着いた時期で、全身迷彩でイスラム帽をかぶって、戦場に行くような格好で登校してました。高校に入ったらバスケ部の同級生にDJをやってる奴がいて、俺も中3のときに雑誌「Fine」で「MC教室」っていう連載を読んでライムだけはちょこちょこ書いてたから、一緒にラップグループを組んでました。

高1の秋に近くの私立高の文化祭に遊びに行ったときに、たまたま1学年上の2人組がショーケースライブをしてたのを観たんですが、それが般若(般若、RUMI、DJ BAKUのグループ)だったんです。おそらく初ライブで、まだ持ち曲もないから20分ぐらいのフリースタイルをやってたのを覚えてます。その半年くらいあとに、TOKYO FMの「HIP HOP NIGHT FLIGHT」を聴いてたらZeebraさんが「ヤバい奴がいる」と言って般若のデモテープをオンエアして、「これ隣の高校の人たちだ!」って超ビックリしました。般若を観たときは「モノが違うな、こういう人が上に行くんだろうな」って漠然と感じましたね。俺、今でもライムを書くのは大好きなんですが、基本的に人前に立つのが好きじゃないから、友達と曲を作るのは楽しいけど、ライブをしても客のほうを見れないし見たくない。パフォーマーとしての才能がまったくなかったんですよね。だからラップが下手なら同世代で一番ヒップホップに詳しくなろうとして、金ないなりにいろいろDIGりまくりました。

高3になったときに、俺が所属してるSDPの創始者でもあるグラフィティライターのKANEくんに、通ってた新宿の美術予備校で出会って、日本にもグラフィティのシーンがあることを教えてもらいました。俺もそれをきっかけに1998年頃からSITEっていうタグネームでグラフティを描き始めたら、もともと絵が得意だったのもあって、そっちのシーンではけっこう知られた存在になれたんです。その頃は街に防犯カメラが付き始めた頃で、今と比べると街にいる警官の数も極端に少なくて。例えば渋谷から原宿まで移動しながら3、4時間ぶっ通しで描き続けてても、たまにパトカーとすれ違ったり、運が悪いと通報されて追いかけられるくらい。当時通ってた桑沢デザイン研究所の旧校舎のベンチで始業まで寝て、出席を取って帰って家でまた寝て、起きたら街に繰り出す、みたいな生活をしてました。グラフィティでは、ラップでは味わえなかった「ゲームの最前線に立ってる」という感覚を初めて肌で実感できたんです。もう時効だから言っちゃうけど、電車の全車両の全面に4人がかりで描くとか、無茶なこともけっこうやりましたが、まさにハイリスクハイリターンで、目立つ場所に描くとその分反響もあるんですよ。その結果、2002年にパルコで展覧会をやるために来日したTWISTことバリー・マッギーのアシスタントとして制作を手伝ったり、今はグラフィティを超えて世界的な人気アーティストになったホセ・パルラと一緒にヤードに忍び込んだりもして。グラフィティはラップよりアンダーグラウンドな分、そういう一流のアーティストとの出会いをたくさん経験することができました。

その頃はグラフィティを扱うメディアでもKAZZROCKさんとTOMI-Eくんくらいしか紹介されてなかったんです。だから日本にもヤバいグラフティのシーンがあるんだっていうのをもっとみんなに知らせたくなって、池袋のBEDでライターから集めた写真を拡大コピーして展示する「東京ブロンクス」というイベントを何回かやりました。それで当時読んでた雑誌に「こういうイベントをやってるから取材に来てくれ」っていう手紙を片っ端から送ったんですが、結局イベントには誰も取材には来てくれなかったんですね。でも後日、「BURST」の副編集長だったジャンク・ユージさんから突然実家に電話がかかってきて、「手紙を読んだんだけど、わかりやすかったから今度グラフティ特集の原稿を書いてくれ」って言われたんです。それで2000年、ちょうど20歳のときに「BURST」に8ページの特集記事を書かせてもらって、なりゆきで“文章を書くほうのライター”としてもデビューしました。

俺は当時、地元幡ヶ谷のコンビニで夜勤のバイトをしてたんですが、近所に住んでたMummy-D(RHYMESTER)さんと一緒に、当時「blast」編集部にいた高橋芳朗さんがお客さんとして来店したので、レジを打ちながら「前にイベントに来てくれって手紙送った者なんですが、『BURST』で記事を書いたから『blast』でも書かせてください」って声をかけたら、俺の手紙がちょっと気になってたらしくて、すぐに特集と連載ページを任せてもらえることになって。そこからスケート雑誌の「WHEEL」や「Quick Japan」「STUDIO VOICE」にもたまに記事を書かせてもらうようになりました。文章を書くときはイベント名から取った東京ブロンクスって名前を使ってました。

「TERIYAKI BEEF」が決定的な出来事だった

20代前半にはそのほかに、地元の先輩と一緒に洋服のブランドを立ち上げたりもしてます。店も出したんですが、半年くらい経ったら出資してた人が詐欺で捕まって、同じタイミングで先輩とも金銭面で揉めたので辞めました。それで26歳くらいのときに地元のカラオケボックスでバイトしてたら、知り合いの会社社長から「そんなことやってるんだったらうちに来いよ」って言われて、そこで働くことになったんです。その社長は小・中学校の同級生でDJをしてた昔の仲間だったんですが、しばらく会わない間にトランスのブームでひと山当てて。それを資金に安室奈美恵さんが使うようなダンスミュージックに特化したスタジオを経営しながら、メジャーと提携して流通も使える準メジャーみたいなレーベルと、音楽出版を扱う会社を立ち上げてたんです。そこに入ってから、まずはA&Rとして、当時周りにいた中で一番ヤバかったSEEDAくんに声をかけて「街風」ってアルバムを作りました。その際にMVを外注したんですが、一見お手軽そうなMVでも、ちゃんとした制作会社に頼むと100万円以上かかるというのを知って。だったら経費削減のためにも俺が撮ったほうがいいなと思って、まずは「seeda.tv」っていうドメインを取って自作のEPK(エレクトリックプレスキット、動画の宣伝資料)をアップし始めたんです。

「seeda.tv」を始めた次の年に、仲間のNORIKIYOのソロ曲「DO MY THING」のMVを、ハンディカメラを持ってる友達と一緒に手探りで撮りました。クオリティはまあ酷いもんでしたが、MVを自分で撮るようになったのはそこからです。映像に関してちゃんと勉強したことがないので、はっきり言っていまだにド素人なんですが、昔からMVが好きでよく観てたのと、絵が描けるからコンテだけは作れたし、MVを撮り始めたのは自然な流れでした。10年前は今みたいにヒップホップ専門で動画を撮ってる人の数も少なくて、注目が集めやすかったのも大きいと思います。

動画の面白さにのめり込んだ決定的な出来事は、SEEDAくんに急に呼ばれてハンディカムで撮影して1時間くらいで編集した「TERIYAKI BEEF」が、次の日にYahoo!のトップニュースになっちゃうくらいバズったこと。同じ時期に作ったPSGの「PSG現る 1972(M×A×D)」は自分の私物のおもちゃや本などをストップモーションで動かして作ったんですが、これは今でも気に入ってます。

MV監督の仕事もA&R的な考え方で

A&Rの仕事を通してわかったのは、プロモーションで大切なのは、クオリティや予算の規模以上に「どこに何を投げるか」ってこと。曲がカッコよくて狙いがちゃんと合ってれば、予算5万でも、スマホで撮った動画でもバズるじゃないですか。レコード会社の人からしたら、アルバム作ってMVを作るのはルーティンの一環だけど、アーティストからしたらアルバムを出すのは一世一代の大勝負。そこの感覚が共有されてないことが本当によくある。上司への報告書のことしか考えてないバカなディレクターはメジャーにもいっぱいいますよ。

昔から「シーンの垣根を超えたメジャーな成功がしたいなら、アーティストは見た目が重要だ」と思ってるんですが、SALUくんと初めて会ったときは、少女マンガから出てきたような顔立ちなのに生い立ちがタフで、ラップもめちゃくちゃうまくて、新鮮な驚きでしたね。ヘッズは自分たちが知らないアーティストが「鳴り物入りでデビュー!」みたいに世に出てくることにすごく拒否反応を示すんで、俺がMVを作ったときは「勝負曲がポップだから、MVだけでなくヘッズにアピールするようなEPKも作ろう」って提案しました。そうやって作戦込みで考えるのが好きなので、アイデアを出してクライアントの発注自体を変えちゃうこともよくあります。

見た目がイケてて様になる、って意味ではBAD HOPも抜群にいいですね。BAD HOPは活動初期の頃に一時期だけ、ポスターやアルバムのジャケット作ったり、企画書を書いてドキュメンタリー映像の制作を提案したり、いろいろ手伝ってた時期があるんです。T-PablowくんとYZERRくんを知ったのは「BAZOOKA!!! 高校生ラップ選手権」の第1回をたまたまYouTubeで観たのが最初。すぐにレフリー役のDARTHREIDERに電話して「あの双子すごくいいから、俺にも絡ませてくれ」ってお願いしたんですよ。その後、ダースが始めた未成年限定のMCバトル「SCHOOL OF RAP」で俺がデザインや撮影を手伝うことになって、その1回目のゲストがBAD HOPで。今みたいに彼らが人気者になる前は、若いヘッズの間で「ラッパーはファッションにこだわるより泥臭くて熱いほうがリアル」みたいな風潮があって、案の定その日もほかの出演者はクールなBAD HOPに対して「カッコ付けやがって」みたいな雰囲気になっていました。それでライブ後にバーカウンターで「君らイケてるから絶対そのままのスタイルで続けたほうがいいよ」って話しかけたら、T-Pablowくんから「Ghetto Hollywoodさんですよね、ビデオ撮ってもらえませんか?」ってその場で頼まれて。彼らとのつながりはそこからです。

彼らの世代は不良マンガだと「WORST」の影響が強いらしいんですけど、昭和の残党から言わせてもらうと、あのマンガって登場人物がやたら優しいしカッコいいし「こんなトレンディ俳優みたいな不良いないっしょ!」って、あんまリアリティを感じないんですよ。でもBAD HOPを見たら「カッコいい不良がここにいた!」ってなっちゃって(笑)。彼らもマンガに影響されてるから、小学校の頃から20対20のケンカでもボス同士でタイマンしてたらしいんですよね。中学に警察が乗り込んできて30人逮捕とか、医療少年院から双子の兄弟に宛てた手紙が初めてのリリックとか、「君たちマンガの登場人物かよ!」っていう。前にYZERRくんが「俺らが髪型やファッションこだわるのは、やっぱヤンキーだからなんですよ」って言ってたのを聞いたときに「全国制覇は近いな」って思いましたね。例えば「HIGH&LOW」とか、いい大人が何十億もかけてBAD HOPのコスプレをしてるみたいなもんじゃないですか。それはすでに彼らがアイコンになったことの証明だと思います。日本武道館ワンマンも観ましたが、成長した親戚の子を見る気持ちというか、頼もしすぎて今ではもはや普通にファンですね。いつか、彼らの実体験をもとに映画を撮ってみたいです。

自分の作風をひと言で表すと「薄めないクロスオーバー」

去年作ったPUNPEEの「タイムマシーンにのって」は初めて全編アニメで作ったMVなんですが、スタッフみんなのスキルが相乗効果を生んで、いいビデオができたなっていう手応えがありましたね。たいていのMVは発注から納品までの時間が短いから、物理的にも予算的にもアニメは難しいことが多いんですよね。でも今回は、依頼があった時点でアルバムの発売から半年以上経ってたし、「これ締め切りないよね? 納期がすげえかかるけどいいっしょ?」みたいな感じでやらせてもらいました。俺は「ヘビー・メタル」やラルフ・バクシの「ストリートファイター」みたいなアニメが好きだったので、昔からやりたかったロトスコープに挑戦して。PUNPEEは好きな映画やアメコミがけっこうかぶってるから、話も早いし、毎回細かいネタを入れたりしてます。

「タイムマシーンにのって」の作業中は、作画スタッフが鬼神の勢いでがんばってくれてて、現代版のトキワ荘にいるみたいな感覚がありました。特に最後の3日はみんなクリエイターズハイ状態で、ほとんど睡眠も取らずに作業してましたね。大変ではあったけど至福の時間でした。

それと同じような感覚はAKLOくんの「RGTO」のときもありましたね。「ヤンキーマンガのオマージュで、学校を舞台にしたMVを撮りたい」というのはずっと考えてたからコンテも楽しく描けたし、撮影監督を普段から遊んでるスタジオ石のMr.麿くんに頼んだので、イメージの共有も楽でした。あのMVは世界観を作り込んでるうえに出演者が多いから、たぶん普通の制作会社が同じようなものを作ったら倍以上の予算がかかってたと思うんですけど、DARTHREIDERとT-Pablowくんが声をかけてくれて、現役の高校生ラッパーが足代と弁当だけで20人くらいエキストラとして集まってくれたんですよ。学ランも人数分用意してくれて。今改めて観るとシーンの第一線で活躍してるラッパーがたくさん出てるので、見直すのも面白いと思います。

このMVはヤンキー同士の抗争を描いていますが、最後はラップで本音をぶつけ合って、敵対してた2人が抱き合って終わります。これはたまたまじゃなくて、俺は昔から“アンチ暴力”を一貫して裏テーマにしてるんです。BRON-Kの「PAPER,PAPER…(MxAxD)」やNORIKIYOの「夜に口笛」も同じテーマです。ストリートには暴力が蔓延してたけど、俺は昔から人を殴るのはまったく好きじゃないんで、そこはアイデンティティとして大切にしてます。

自分の作風をひと言で表すと「薄めないクロスオーバー」かなと思います。EPMDが1992年にリリースした「Crossover」って曲は「クロスオーバーするな。ヒップホップにR&Bを混ぜるんじゃねえ」という、ある意味保守的なリリックなんですが、今振り返ると90年代に狂い咲いたヤバい音楽って、ジャンルをクロスオーバーしてるものが多いと思うんですよ。例えば、映画「ジャッジメント・ナイト」のサントラは全曲、メタルやオルタナのバンドとヒップホップグループのコラボ曲で構成されてるんですけど、あれこそが90年代を象徴する1枚だと思います。今聴いても全然いけてる。クロスオーバーを嫌う人は、混ぜると薄まると思い込んでるんです。でも本当は、1つの作品の中にいろんなものをぶち込んでいけばラーメンのスープみたくどんどん濃くなっていきますよね。もし薄まってるとしたら、それは元の素材が薄っぺらいか、誰かがビビって世に出す前に薄めてるだけだと思います。俺は自分が好きなものをクロスオーバーさせていくことに躊躇はまったくないですね。例えばヒップホップに少女マンガを混ぜても、児童文学や絵本を混ぜても、「こんなのヒップホップじゃねえ」とは絶対に言わせない自信があります。

日本における「ワイルド・スタイル」は絶対に俺にしか撮れない

こんな連載に出ておいて本当に申し訳ないんですが、正直なことを言うと最近はもうMV制作にはほとんど興味がなくなってしまっていて。以前は暇さえあればYouTubeを観てたけど、最近はそれすらあんまりしなくなってます。今興味があるのは断然ドラマと映画ですね。この10年間、MVを撮りながら、これがいつか映画やドラマにつながったらいいなと漠然と思ってたんですが、業界も違うし、そういう展開にはならなくて。Webドラマを作るのは可能だったけど、「フリースタイルダンジョン」の一般層への浸透ぶりを目の当たりにすると、探さないとたどり着けないWeb上のコンテンツじゃなくて、どうしても民放の深夜ドラマ枠がやりたいんです。ここ2年くらい、何度か民放の企画会議に案を出してみたんですが、やっぱりなかなか難しくて。

構想中のドラマは「少年イン・ザ・フッド」っていう題名で、30分×12話分のプロットと簡単な企画書を書いてあります。どうせやるなら世界観も作り込みたいから、監督は無理でも脚本だけじゃなくて、キャスティングと全体の監修もやりたいんですよ。企画会議に出す前にプロットをPUNPEEとMACCHO(OZROSAURUS)くんとNORIKIYOに読んでもらったんですが、みんな「超面白いから、何かあれば協力する」って言ってくれて。それで意気揚々と企画を出してみたら、「ヒップホップのドラマ企画は珍しい」ってことで最初の反応はそこそこいいんだけど、俺にはドラマに携わった実績がまったくないのと、マンガや小説みたいな、人気作品の原作がないってこともあって、結局どこにも引っかからなかった(笑)。俺はブームの勢いで行けちゃうんじゃないかって期待してたんだけど、テレビ局からしたら、ヒップホップドラマは面白そうでも、企画だけ買って経験豊富な人に作らせたいですよね。

なので最近は発想を変えて、ドラマの原作になるようなマンガを作っちゃおうという方向に切り替えました。まだ詳しくは言えないんですが、夏頃からとある週刊誌で「少年イン・ザ・フッド」のマンガ連載を始める話を進めてます。そっちに集中するためにMVは今受けてるぶんで休業します。次に映像をやるときは、ドラマか映画がいいですね。ドキュメンタリーも撮りたいです。

俺は「CONCRETE GREEN」(SEEDAとDJ ISSOによるミックスCDシリーズ)世代だから、そこに参加してたような同世代のラッパーのMVをいっぱい撮ってきたけど、気付いたらゲームに残ってる同世代もだいぶ少なくなってきて、シーンの最前線にいる若いアーティストはもはや歳が半分くらい。やっぱ若い世代のリアルを撮るなら、実際につるんでる若い監督が撮ったほうが絶対いいですよね。新保拓人くんとかSpikey JohnくんのMV観てると、クオリティが高いだけじゃなくて、アーティストと同じノリで作ってるのが伝わってくる。最近は俺に監督のオファーがあっても「それなら新保くんがいいと思いますよ」って言ったりしますよ(笑)。

最近はフリースタイルやラップをテーマにしたマンガもいくつかあるけど、結局フリースタイルバトルが流行っただけで、ちゃんとヒップホップを扱えてる作品はほとんど作られていないと思います。だから俺は、日本のヒップホップのマスターピースと呼ばれるような、初めての映画を撮りたいってずっと思ってて。井上三太さんの「TOKYO GRAFFITI」と「TOKYO TRIBE」シリーズが昔からあんまり好きじゃないんですが、園子温監督が「TOKYO TRIBE」を監督するって知ったときに、演じるメンツも豪華だったし「やべえ、これは先を越されたか……」って焦ったんですよ。で、けっこうドキドキしながらMr.麿くんと映画館に行ったら、出てるラッパーは最高の人選なのに、演出が絶望的にダサくて、つまんないけど安堵もしました(笑)。今度は俺の敬愛するマンガ家、高橋ツトム先生がプロデュースしてANARCHYくんが監督する映画「WALKING MAN」が公開されるってニュースも見たので、今はMV撮ってる場合じゃないんですよね。俺も急がないと。

音楽について勉強していて詳しい人は日本にもいるけど、グラフティやブレイキンのことはほとんどの人が何も知らないんですよ。4大要素とかすぐに言うわりに、ぼんやりしたイメージで、スタイルのよし悪しとか、タグの読み方すら全然わかってない。だから日本における「ワイルド・スタイル」みたいな映画は、絶対に俺にしか撮れないはずだっていう自負があります。ラッパーが普段どうやって歌詞を書いてるかとか、ドラッグ描写のディテールとか、今まで見てきたものや経験のすべてが注ぎ込める。最後に、俺の誕生日は“ヒップホップの誕生日”と言われている8月11日なんですが、そこらへんに合わせていろいろ仕込むので、よかったらなんとなく覚えといてください。

Ghetto Hollywoodが影響を受けたMV

Saian Supa Crew「y'a」(1999年)

当時のラップフランセのドリームチームで結成された、“フランス版Jurassic 5”みたいなグループです。このMVは曲もいいので一時期繰り返し観てましたね。街中でただひたすらサッカーをしてるだけの内容だけど、編集も曲調にあってるし、レンズにゴミが付いてたりもするけど、なんか雰囲気が好きなんですよね。ライティングなくても「これでOKなんだ」という自分の中の基準の1つになってる気がします。

Justice「Stress」(2008年)

最初はこれが本当の出来事なのかどうかわからずに、ただただ興奮して観てました。繰り返し観てるうちに構成とか狙いがわかってきて、最終的には本当にうまくできてるなと感心しました。遠くからズームで撮るカメラワークの心理的な効果とか、緊張感とリアリティがある描写はかなりイケてますよね。殴られてる人たちは絶対に仕込みだけど、部分部分に挿入される、離れたところで嫌な顔をしてるギャラリーはたぶん本物の観光客だと思います。とにかく演出のテンポと内臓を抉られるような嫌な感じが最高ですね。

取材・文・構成 / 橋本尚平 撮影 / ツダヒロキ

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