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エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第15回 Cornelius、くるり、スピッツ、indigo la End、sumikaらを手がける高山徹の仕事術(前編)

4年以上前2020年05月12日 8:02

誰よりもアーティストの近くで音と向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているサウンドエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回はCornelius、くるり、スピッツ、indigo la End、sumikaらの作品を手がける高山徹に、彼が拠点としているSwitchback Studioで話を聞いた。

車のエンジンを分解していた幼少期

──高山さんはどんな子供でしたか?

もともと機械が好きで、目覚まし時計とかラジオとか、目についたものはほとんど分解していました。そのうち車のエンジンも分解し始めて、親が「それ以上は止めてくれ」って言って、代わりに親戚の農家から壊れた耕耘機のエンジンをもらってきてくれたんです。それを分解してきれいにして組み直したらエンジンかかっちゃって、かなり焦った記憶があります(笑)。

──音楽との関わりは?

6歳上の兄がバンドをやっていて、Led ZeppelinとかDeep Purpleのコピーをしていました。その影響で洋楽を聴くようになって。当時はThe BeatlesとかThe Monkeesとか、ポップなものが好きでしたね。あと、あるときテレビで、テープレコーダーの消去ヘッドにビニールテープをいっぱい貼って、前に録った音を消さずにどんどん音を重ねて摩訶不思議なノイズミュージックみたいなものを作ってる人が出ていたんですよ。それを観て、「これ面白い!」と思って自分でもやってみました。当時、英語学習用のLLカセットというラジカセがあって、2trの片チャンにお手本の英語の発音が入っていて、もう片チャンに自分が発音したものを録音して学習するというもので、それ使って片チャンにリズムを録って、もう片チャンにコード、消去ヘッドにテープを貼ってそのうえからメロを重ねたりしてました。オープンリールのMTRが出始めた頃なんですけど、とても買える値段じゃなかったので。そんなことを小学生の頃にしてましたね。中学生のときにはYAMAHAのCS01というシンセを買って1人でYMOの真似をしたり、高校生のときは当時流行っていたAsiaやJourneyのコピーバンドでドラムを叩いたりしてました。

──そこからどうしてエンジニアになろうと?

高校のとき、ようやく買えたカセットMTRで友達と多重録音するのが好きで、ハービー・ハンコックの「Rock It」やポール・ハードキャッスルの「19」なんかを真似して、ニュースのナレーションを録音してリズムトラックに乗せたり、テープコラージュ的なことをやったりしていたんです。お金がなくてリバーブが買えなくて、そこで思いついたのが井戸リバーブ(笑)。田舎なんで庭に古井戸があったんですよ。そこにマイクと自作のスピーカーを吊るして、天然の残響音を録音していました。何回かやってるうちに湿気でスピーカーがカビてきちゃいましたけど(笑)。そうこうしているうちに、自分は人前で演奏するより音を作るほうが好きだと気付いて。いろいろ調べているうちにレコーディングエンジニアという職業があるのを知って、親に大反対されたんですけど専門学校に行きました。

──専門学校に行ってからはどういう流れでエンジニアに?

その専門学校のロビーに、当時代々木にあったSTUDIO TWO TWO ONEというレコーディングスタジオの求人が貼ってあったんです。エンジニアの求人じゃなくて駐車場の移動係と電話番のアルバイトの募集だったんですけど、行ったらどうにかなるだろうと思って応募して。バイトが終わっても全然帰らないで先輩のエンジニアにレコーディングのことを根掘り葉掘り教わってたら、牧野英司さん(※BUMP OF CHICKENなどを手がけるエンジニア)に拾ってもらってアシスタントを始めました。

──拾ってもらうというのはどういう形で?

STUDIO TWO TWO ONEは青山レコーディングスクールという専門学校が出資したスタジオだったんですけど、母体の会社が潰れてスタジオが閉鎖されて、中にいた人が全員解雇されちゃったんです。その後また新しいオーナーが見つかって、再開することになったときに、牧野さんが「あいつ使おうよ」って言ってくれて入れてもらいました。

フリッパーズは最後の最後までよくわからない

──そのスタジオにフリッパーズ・ギターが来て高山さんがレコーディングを担当されたんですよね?

はい。2枚目の「CAMERA TALK」(1990年6月リリース)のときに、最初は吉田仁さんがプロデューサーをやりながらレコーディングもしていたんですけど、僕がアシスタントエンジニアとして横についてサポートしていたら、そのうちに「録りもやって」と言われて。

──当時のレコーディングはどういう感じだったんですか? 「DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」(1991年7月リリース)はサンプリングが多いですけど、その頃はPro Toolsは使っていないですよね?

SONYのPCM-3348という48trのデジタルテープレコーダーがあったんですけど、それを2台並べて同期させてました。あのマシンはタイムコードベースで動いていたので、この小節は何分何秒何bitというのを毎回計算して、「アブソリュートタイムがいくつだから、ここでパンチインしてつないで……」っていうのをずっと計算して。そういうめちゃくちゃ面倒くさいことをやってました。作り方としては、本人たちの頭の中では鳴ってるんですが、最後の最後まで周りはよくわからないんです。「なんでこれ録るんだろう?」みたいな。「ヘッド博士」では、パーツごとに全部レコーディングしていって、最後に「あ、これとこれが組み合わさってこうなるんだ」とわかる感じでした。

──では生楽器の録りも素材録りみたいな、サンプリングみたいな感じだったということですか?

そうですね。あとレコードもいっぱい聴いて「こういう感じの音にして」と言われることが多かったです。「すごい汚いんだけどカッコいいこの音は、いったいどうやって作っているんだろう?」と推測していくことで、けっこう鍛えられました。たぶん好きじゃないとやれないくらい面倒くさい作業の連続でしたけど、僕は子供の頃からそういう作業が好きだったので。

単音で録ったものを左右に配置してコード感を出す

──そのあと小山田さんがソロでCorneliusを始めてからもずっとやられていますよね。「FANTASMA」(1997年8月リリース)は実験的な作品だったと思いますが、あの作品はどういう感じで制作したんですか?

「FANTASMA」のときはまだ僕はテープが基本で、当時マニュピレーターで、今メインでCorneliusの録りをやっている美島(豊明)さんがPro Toolsを使い始めた頃ですね。あとサウンドアーティストの藤原和道さんが作ったダミーヘッドマイクを使って、スタジオの屋上や目黒川沿いでいろんな音を録りしましたね。藤原さんは虫の交尾の音とか不思議な音を録ってる人で、普通のレコーディングスタジオだと、ノイズに埋もれちゃってそんな弱音とても拾えないのですごく面白かったです。

──小山田さんとは30年近い付き合いになると思うんですが、関係性の変化みたいなものはありますか?

昔は「こういう感じにしたい」というお手本を提示されて、僕はそれに近付けるにはどうしたらいいか考えていたんですけど、今のCorneliusってものすごくオリジナルな世界に入っていて、もはやCorneliusでしかないじゃないですか。なので今はもう、聴いたものに対してどう表現するか考えるようになっていますね。

──最近の作品で言うと、「あなたがいるなら」(2017年4月にアナログリリースされたあと、6月リリースの「Mellow Waves」に収録)ではどういうやりとりがありましたか?

「え! 歌モノじゃん、どうしたらいいの?」って最初はビックリしました(笑)。それまで、彼はアレンジでズバ抜けた才能を発揮する人だなとは思ってたんですけど、ものすごい美しいメロディが出てきたので、「メロディメーカーとしても才能すごいんだな」と思って。作業的には、事務所のスタジオで美島さんとものすごく細かいところまで詰めて、そこで録音されたものを僕がスタジオで微調整する形ですね。空間を大きく取って、細かいところまでよく見える音楽の作り方をしてるので、より小さな部分が重要になってきていて。音量を0.2dBぐらいずつ、ちょっと上げたり下げたりすごく時間をかけてやってます。

──音の抜き方がヒップホップに近い流れというか「ストリーミング時代に対応してきたな」と思いました。ただ、音色はまるでヒップホップじゃないので、それがすごいオリジナルだなと。例えば、ドライにザラッと音を出す感じではなくて、ギターもドラムも初期反射(※壁や床から最初に跳ね返ってくる部屋鳴りの成分)っぽい感じの音色は付いていますよね。それはもう録音の時点から付いている部屋の音なんですか? それともミックスで付け加えているんでしょうか?

初期反射的なやつは正直に言うと、エディットの粗が見えないようにあとでぼやかせてるんですよね。単音単音で録ってると、音の途切れる最後の最後で空間がプツッと切れちゃって、どうしても音楽よりそっちに耳が引っ張られてしまうので。なので、そのフラッターエコー的なものはミックスの段階で足しています。音の隙間の消えていく瞬間をおいしく味わっていただくように。あとスプリングリバーブとか、そういう意思を持った残響的なものは音楽を作っていくうえで小山田くんのほうでかけてますね。

──ドラムなどはすべて、キットごと鳴らさずにパーツを個別で録ったものを受け取っているんでしょうか?

最近はほとんど打ち込み音源ですね。前はあらきゆうこちゃんにフレーズで叩いてもらって、それをサンプリングすることもあったんですけど。

──では録ってる素材はギターと歌だけ?

そうですね。「Mellow Waves」では、中にはアコギもあえて単音で録ったものを左右に配置してますね。並べるとコードになるように単音のデータで来て、定位を分けたりとか。さすがに「ジャラーン」ってコードを弾いているのは1つのサンプルですけど、重なってコードになるのは単音です。2ミックスだけじゃなくて、5.1chサラウンドも作ったし、1曲だけ実験的にDolby Atmosでミックスしたりもしていて、ギターの音がいろんなスピーカーから同時に鳴って、それで和音が構成できるように考えてやってるんです。普通にマイク1本でコード弾いてるのを録るとモノラルでしかないけど、音程ごとに分けて録れば、右のスピーカーと左のスピーカーで和音を作るみたいなやり方もできるので。

──ギターだけでも、ものすごいトラック数になりそうですね。ちなみに最近の作品はサウンドがものすごくクリーンで真空っぽいですが、これはコンピュータ内部でミックスしているんですか?

そうですね。Corneliusに関しては完全に内部処理です。でもそれはアーティストによっていろいろで、アウトボードを通す場合もあります。

映像に収められない高橋幸宏のドラミング

──例えば最近では、どのアーティストでアウトボードを通したんでしょうか?

バンドものは多いですね。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソルファ」の再レコーディング盤(2016年11月リリース)は、このスタジオで全部アウトボードを通して、それをまたPro Toolsに録音し直しました。

──METAFIVEは通してないですか? 「META」(2016年1月リリース)とか。

曲によってバラバラですね。通したのもあるし、通してないのもあるし。僕がSound Cityで録った「Don't Move」は確か通したかな。

──あれが出た当時「こういうふうに高域が抜けた感じのリバーブ感にしてほしい」というオーダーが僕のところにもきて、全然できないなと思った記憶があります(笑)。空間の上が広いというか、天井が高い感じってプラグインのリバーブだけでできるものなのかなと。

リバーブはほぼプラグインです。ただ、サンプリングリバーブが多いかもしれないです。AUDIO EASE Altiverbを使いました。

──普通ですね(笑)。なんでそういう感じに抜けてるのか不思議で仕方ないです。「Don’t Move」のスタジオライブバージョンとか、The Power Stationみたいな感じなのに空間が広くて。

よく言われますね。みんなが演奏しながら、撮影隊も入れて同時に映像も録るっていう趣旨だったんですけど、(高橋)幸宏さんのドラムが素晴らしかったです。普通、ゴーストノートってスネアで「ダララ」って入れたりするじゃないですか。幸宏さんはハットで入れるんですよ。32分とか64分音符くらいの「チッチタララ、チッタチ」みたいなのが入ってるんです。映像で観れるかなと思ったんですけど、映像って1秒間に30フレームとかなので、64分の細かいフレーズはコマの間に抜け落ちて映らないっていう。たぶん、ハイスピードカメラじゃないと撮りきれない(笑)。

──これだけ個性が強い人が集まると、方向性を決めるだけで大変そうな気がします。

そうですね。METAFIVEはネタがあふれちゃってて、削るのがもったいなくて大変でした(笑)。どんどんアイデアがメールで送られてくるんですけど、ちょっと恐れ多いですが削っていかないといけなくなって。本人たちも途中でそれ気が付いて、後半はやっぱり抜いていこうよっていう話になっていきましたけど。

──METAFIVEのドラム録りではどういうプリアンプを使っているんでしょうか?

基本的にはSSLのHA(※ヘッドアンプ=マイクプリアンプ)を使ってるんですけど、アルバムのときはRed Bull Music Studios Tokyoで録ったので、そこにあったNEVEのHAをキックとスネアでちょっと使ったかな。でも僕、機材はあまりこだわってなくて、基本的にありものでなんとかするタイプです。

──これだけスタジオに機材がたくさん並んでいてこだわってないと言われると不思議な気持ちになってきますが(笑)。FAIRCHILD670(※The Beatlesが使用した事で有名なコンプレッサーの名機)なんかも置いてありますよね。

これは大好きですね。METAFIVEのドラムも670を経由してます。ドラムをまとめたステムミックスに対してかけてます。バンドものを録るときは使いますね。この上に置いてあるCHANDLER LIMITED TG1(※The Beatles後期やPink Floydの作品で使われたコンプレッサーの復刻版)もドラムに通すことが多いですね。

小室サウンド全盛の時代にジョン・レノン

──Charaの「やさしい気持ち」(1997年4月リリース)は、録り音自体はきれいなのかなと思ったんですけど、すごい勢いでコンプで潰してますよね。かなりキラキラした音があふれている小室サウンド全盛の時代に、どういう経緯でああいう音に?

プロデューサーの渡辺善太郎さんとCharaとの間でけっこうやり取りがあったみたいで。最初僕、「ドンパンドンドンパン」って足踏みとクラップを聴いて、「Queenの『We Will Rock You』みたいな感じにしたいの?」ってCharaに聞いたら、「いや、違う。ジョン・レノンの感じにしたい」って言われて。そっち系の音を参考にしたら……ものすごくコンプかかってるじゃないですか(笑)。

──そうですね(笑)。

それで、ああいう感じになりました。あの曲は青葉台スタジオで録ったんですけど、地下に行くためのリフトが鉄板で囲われていて、そこの響きがすごくよかったのでスピーカーとマイクを突っ込んで、そこで「ドンパンドンドンパン」って鳴らして離れた距離で残響を拾ってリバーブにしたんですよね。

──へえ! エコーチャンバー的な使い方ですね。井戸リバーブの経験がそこで役に立ったんですね! ちなみにボーカルを潰すのに使ったコンプはどういうモデルですか?

ボーカルはUREI 1176LNだと思います。76全部押し──ブリティッシュモードだったと思います(※1176では音の圧縮比を決めるレシオのボタンを、すべて同時に押すと激しくかかる裏技が知られている)。

──あそこまでブレスの音がでかいのは今でもなかなか聴いたことがないなと思って(笑)。

そうですよね。今だったら細かくオートメーションカーブを書いて、ブレスの音量だけ下げることもできるけど、当時はそこまでできなかったので。あと、もともとのダイナミックレンジがすごく広いから。

──ではあれは、完全にミックスの段階であとから作り込んでるんですか? 普通に録っておいて、あとからグチャッと潰すみたいな。

録りの段階でわりとかけちゃいます。あれよりは若干弱かったとは思うんですけど、でもかなりかけます。できるだけ完成形に近い形でミュージシャンに聴かせてあげたほうが、表現の仕方も向こうも無意識のうちにやってくれるんで、やっぱり音楽的にいいんですよね。

──とは言え、あそこまでやると取り返しがつかないですよね。それでOKで行けるジャッジがすごいなと。アコギとかも、後ろからサステインがせり上がってくるぐらいかかっていて。アタックの頭が完全にない音になっていて。あの感じは、コンプ使いたての頃のThe Beatlesぐらいでしか聴いたことない感じがします(笑)。

バウンバウンいってますよね(笑)。でも、そういう感じを狙っていたので。僕、吉田仁さんとロンドンのスタジオに行って、僕の録ったものを向こうのエンジニアにミックスしてもらう機会があって。そのときの人たちが全部過激にやるんですよね。当時のイギリスはあまり景気がよくなくて安い機材ばかりで、日本のほうがいい機材だったんだけど、アイデアやセンスでカッコいい音に仕上げるんです。それを見て、「機材じゃないんだな」「何でもありなんだな」って思ったんですよね。そこに行くまでのプロセスとか関係なくて、出音がすべて。メーター振り切ってるのに全然気にしないし、音楽的によければ何でもアリなんですよ。だから自分でやるときも、あまり手法にこだわらないようにしてますね。うまくいかないだろうと思ってもあえてやってみたり。鳴っている音を再現するだけならきれいな音で録ればいいけど、エンジニアは表現しないといけないと思ってるので、時には振り切ることも必要だと思ってます。

──あれだけ潰すのは、チャド・ブレイク(※シェリル・クロウやThe Black Keysを手がけたエンジニア。ミックスでディストーションペダルを使うことで有名)の流れもあるのかなと。

うん、好きですね。あと、デイヴ・フリッドマン(※元Mercury Revのメンバーで、The Flaming LipsやMGMTのエンジニアとしても知られる)とかが大好きで。

──デイヴ・フリッドマンは、サンプリングっぽい質感で録る感じはありますよね。

そうですね、The Flaming Lipsとか、最近だとTame Impalaとか。フリッパーズをやっていた頃はトーレ・ヨハンソン(※The CardigansやEggstoneのエンジニアで、スウェディッシュポップの立役者)が好きで。彼もすごいコンプかけてて、ローファイの走りみたいな感じですよね。

高山徹

1967年千葉生まれ。1985年にSTUDIO TWO TWO ONEで働き始め、名称がMUSIC INN 代々木となったあと、アシスタントエンジニアとして数多くのメジャーアーティストのセッションに立ち会う。2004年に自身の会社「Switchback」を設立。これまでにフリッパーズ・ギター、Cornelius、Chara、くるり、ASIAN KUNG-FU GENERATION、スピッツ、フジファブリック、sumikaら多数のアーティスト作品に関わっている。2008年には「第51回グラミー賞」最優秀サラウンド・サウンド・アルバム賞に「Sensurround + B-sides」で、ノミネートされる。2010年に日本レコーディングエンジニア協会の理事に就任。

※高山徹の「高」ははしご高が正式表記。

中村公輔

1999年にNeinaのメンバーとしてドイツMile Plateauxよりデビュー。自身のソロプロジェクト・KangarooPawのアルバム制作をきっかけに宅録をするようになる。2013年にはthe HIATUSのツアーにマニピュレーターとして参加。エンジニアとして携わったアーティストは入江陽、折坂悠太、Taiko Super Kicks、TAMTAM、ツチヤニボンド、本日休演、ルルルルズなど。音楽ライターとしても活動しており、著作に「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」がある。

取材・文 / 中村公輔 撮影 / 藤木裕之

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