さる4月29日に小坂忠が永眠した。73歳だった。小坂は1966年にザ・フローラルのボーカリストとしてデビュー。細野晴臣、松本隆らと組んだエイプリル・フールでの活動を経て、1971年には初のソロアルバム「ありがとう」をリリースし、その後、数々の作品を発表する。中でも、ティン・パン・アレーとレコーディングした1975年のアルバム「HORO」はジャパニーズR&Bの金字塔として、世代を超えて多くのミュージシャンに影響を与えている。
今回追悼文を寄せてもらったオカモトショウ(OKAMOTO'S)も小坂をリスペクトしてやまないアーティストの1人だ。彼は2021年12月にALFA MUSIC YouTubeチャンネル内の企画「My Favorite ALFA」に出演し、晩年の小坂と共演を果たしている。共演時のエピソードなど、オカモトショウに小坂への敬愛の思いをつづってもらった。
文・オカモトショウ(OKAMOTO’S)
ツアーの移動中にメンバー全員で聴いた「HORO」
最初に小坂忠さんを知ったのは、ツアーに出ていたとき。初めに教えてくれたのはハマくんだった気がする。ツアー車の中ではメンバー全員、長い移動時間を各々イヤフォンやヘッドフォンをつけて過ごすのが通例なのだが、そのときは何故かみんなで車の中で小坂忠さんのアルバム「HORO」を聴きながら移動した。バンドのグルーヴも、レコーディングの録り音も素晴らしく、そこに乗っかるボーカルも含め、みんなで「ここがいい」「あそこがすごい」とやんや言いながら。あとにも先にもそんなことはそのときしかなくて、いまだに印象深く心に残っている。
今はもう潰れてしまったけど、ちょうどその頃みんなでよく使っていた合宿もできるレコーディングスタジオが河口湖にあった。みんなでそこを使い始めて2、3回目の頃だったか、小坂忠さんが「HORO2010」をリリースした。そのクレジットを見て、アルバムをレコーディングしたのが同じ河口湖のスタジオだと知り話題をかっさらった。ここで!? しかもちょうど俺たちが使っていた時期と重なるタイミングで! 俺たちの憧れのミュージシャンがここにいたのか……なんて、まだ20歳になったばかりくらいの俺たちはキャアキャアはしゃいでしまった。それぞれ違う音楽の趣味を持つ4人で組んでるバンドだからこそ、同じ音楽に歓喜する珍しい瞬間だったのだ。
夢の中にいるようだった小坂忠との共演
そこから時は経ち、小坂忠さんに初めてお会いしたのは、アルファレコードのYouTubeチャンネルに呼んでもらったとき。初めて「ほうろう」を弾き語りでカバーして演奏し終わったときに、サプライズで小坂さんが現れた。いわゆる“ご本人登場”的な古典的サプライズだが、俺も言ってももう10年ちょっとこの世界にいて、小坂さんとは近くですれ違うことはあれど、ちゃんとお会いしたことがなかったから、どこか夢の中にいるような不思議な出来事だった。
小坂忠さんがキラキラした目で当時のいろんな出来事を話してくれたのがとても印象的で、そりゃこっちからしてみればどの曲も埃を被ることなくフレッシュだが、作ってる本人も何十年も前のことをこんなに新鮮に語ってくれるんだ、と驚いた。だからこそ、聴き手がこんなに飽きることなく聴ける音楽なのかもしれない、やっぱ違うな、見習わなきゃなと思った矢先、なんと俺の使っていたギターをおもむろに手に取り、目の前で「ほうろう」と「ありがとう」を小坂忠さんが弾き語ってくれた。
本当にファン想い、というのか、生粋のショーマンというべきか、こういうことをサラッとやってのけてしまうこの人は、やはりステージに立つべくして立った人なんだろうなと、鳥肌が止まらなかった。
時代を超えて愛されている小坂忠の歌
その初めての出会いから数カ月後、自分たちの初めてのアコースティックツアーでも「ほうろう」をカバーした。もともとみんな好きだったし、俺がちょうど弾き語りでカバーしたのを聴いて、「じゃあ、タイミングいいから俺たちでもやろうよ!」なんて、自然な流れで。改めてやってみると「演奏すごいね」「歌のキーは意外とショウに合ってるんだね」なんて話しながら毎公演、唯一のカバーナンバーとして披露していた。
そんな最中訃報が入り、小坂忠さんが亡くなられたことを知った。
俺がカバーした歌を聴いて「こんな若い人が僕の歌を歌ってくれてうれしいよ、よかったよ」と優しく、うれしそうに言ってくれた小坂忠さん。
知人伝いでバンドでカバーした動画も送ってもらっていたので、もし、俺たちの演奏も観てもらえてたら……とつい想像してしまう。俺が1人でやるよりカッコいいんですよ、OKAMOTO'Sの「ほうろう」どうですか? ここがまだまだとか、あそこが違うんだとか、教えて欲しかったな。そして、俺たちだけじゃなく、あなたの作った音楽が時代を超えていろんな人に愛されてるんだと、改めて伝えたかった。
音楽っていうのはそもそも遺伝子のように受け継がれ紡がれていくもの、だと俺は思っていて、民族の古の歌からクラシック音楽からポップスまで、普遍的に時代を超えて子から孫へ消えることなく伝わるものだと思っている。小坂忠さんが生み出した素敵な音楽も、俺たちはもとより、いろんなきっかけで時代を超えた出会いを経て伝わっていくものだと信じているし、もしその一端に俺たちがいたとご本人にも知ってもらえてたら、それはどんなことよりも幸せだ。
たった一度お会いしただけ、でも、あのタイミングを逃していたら俺は一方的にしか小坂忠さんを知ることはなかったと思うと、あの出会いに心から感謝しかありません。亡くなられる前にお会いできて光栄でした。
でもまだ一度も一緒に演奏させてもらったことはないし、天国でいつか同じステージに立てたらいいな。会ったとき恥ずかしくないように腕を磨かなきゃ。
忠さん、素敵な音楽をたくさんありがとう。