細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、氏の音楽観をより深く学ぶべく前回より“補講”を開講している。
ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。今回のゼミで取り上げるのは、5月25日にリリースから50周年という大きな節目を迎える、細野晴臣の1stソロアルバムであり名盤として名高い「HOSONO HOUSE」。安部とハマは本作とどんな形で出会い、リスナーとしてどう聴いてきたのか? 前編では細野本人の発言を交えながら探っていく。
取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん
ゼミ生2人が熱弁する「HOSONO HOUSE」の魅力
──今回は、細野さんの1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」がテーマです。1973年に発表され、今年で発売50周年を迎える名盤ですが、5月にはアナログ盤が再発されるということで。お二人が「HOSONO HOUSE」を初めて聴いたのはいつですか?
安部勇磨 僕は10代後半でした。それ以降、本当にずっと大好きな作品で。今日も聴きながらスタジオに来ました。聴き直すたびに気付きがあるんですよね。いつも必死に音を追っていたつもりだったんですけど、聴くたびに「ここでこんな音が鳴ってたんだ」「こんなにリズムが豊かなんだ」とか。
ハマ・オカモト 聴き手の状況や感覚も変わってるだろうからね。僕は高校生の頃です。「はっぴいえんどをやっていた人がソロもやってて、さらにその人は、実はYMOの人でもあります」って同時に知った感じでした。「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」とか「風街ろまん」とか「HOSONO HOUSE」を同時に知るわけで、パニックですよ(笑)。同じ人だと思えないから。
細野晴臣 そうだろうね(笑)。
ハマ その頃はSly & the Family Stoneやニューオーリンズファンクを聴き始めた時期だったので、当時はどっちかというと、はっぴいえんどやYMOよりも細野さんのソロの「HOSONO HOUSE」とか「トロピカル・ダンディー」の音像のほうが好みでした。「ファンキーだな」「カッコいいな」と思ったのが出会いですかね。
──お二人それぞれ「HOSONO HOUSE」のフェイバリットソングを挙げるとすれば?
ハマ 以前、林立夫さん、鈴木茂さん、猪野秀史さんと一緒に「薔薇と野獣」をライブで完コピして、それを細野さんに観ていただいたことがあるんです(2018年6月12日に東京・Billboard Live TOKYOで行われたライブ「猪野秀史x 鈴木茂 Special Support with 林立夫&ハマ・オカモト~Tour 2018~」)。そうやって実際に演奏したからというのもデカいけど、「薔薇と野獣」はホントに好きな曲なのでぜひ挙げたいですね。
安部 僕は時期によって変わるけれど、今は「Choo Choo ガタゴト」ですかね。「2番の頭にクラップが2発入るけど、そのあとは入らないな」「なんだろう、この変な曲は」とか考えちゃう。
細野 林くんが入れたんだよ(笑)。彼はああいうアイデアをよく出してくるんだよね。イヤーキャンディみたいな考え方、というかね。
安部 怪しいけどカッコいいし、遊び心もあってめちゃめちゃいい曲。だから今のフェイバリットは「Choo Choo ガタゴト」ですね。
ハマ 「冬越え」とかは曲名も含めてすごく好きです。「HOSONO HOUSE」はアルバムとしてホントに秀逸だなって思いますね。30分くらいで終わるのもいい。
細野 短い(笑)。
安部 ね、いろんなタイプの曲があってすごく面白いし。
ハマ だから「HOCHONO HOUSE」(※2019年に発表された細野による「HOSONO HOUSE」のリメイクアルバム)で、オリジナルから曲順をひっくり返したアイデアにはびっくりしました。それはそれは「超すげえ」って思いましたよ。そういえば勇磨は、細野さんが「HOCHONO HOUSE」を作るきっかけになった重要人物ですよね。
細野 そうそう。きっかけだったよ。(編集部注:アルバム「Vu Jà Dé」リリース時の細野と安部の対談で、安部が「HOSONO HOUSE」を録り直すという話に関心を持ったことが「HOCHONO HOUSE」誕生につながった)
安部 「HOCHONO HOUSE」も大好きです。最初にバンドメンバーのみんなで車の中で聴いて、「なんだこれ、全然ちげえ!」って。年齢とかは関係ないと思いますけど、これだけ世代が違う人がこんなにチャレンジングなんだというか……曲順を逆転させたり、アレンジをまったく違うものに変えたりとかして、「なんでこんなに遊んでいるんだ!」って。
細野 いつもそうなんだよ。
安部 自分たちのほうが若いのに、細野さんに比べて全然固いんじゃないかっていう。みんなで盛り上がりましたね。
ハマ しかし、曲順をひっくり返したのはすごいアイデア。だいたい好きなアルバムって、曲順や曲間の感じまで記憶されているじゃないですか。それもあって、より仰天したよね。
安部 全部仰天だよ。アレンジもそうだし。
ハマ 強制的に「『HOSONO HOUSE』とは違うんだぞ」ってところからスタートできるじゃん。同じ曲順だったらどうしてもオリジナルとの聴き比べになってしまうけど、逆だからこそ、新作だって感覚も強くなるし。
細野 オリジナルと比べても意味がないと思って、だからこそ曲順を考えるのにすごく苦労したんだよ。普通にオリジナルのままで並べてもみたんだけど、「この順番じゃダメだな」って感じてね。安部くんに「『HOSONO HOUSE』を作り直したら?」と言われて、軽く「できるかも」って思っちゃったのは間違いだった。かなり苦労したよ(笑)。
ハマ ただ録り直したんじゃない。それがホントにすごい。意欲作ですよね。
細野晴臣とハリー・スタイルズの邂逅
細野 そういえば、昨日ここにハリー・スタイルズが来たんだ。話だけしたんだけど(取材は3月末に実施)。
ハマ えええ!
──One Directionのメンバーの。
安部 「HOSONO HOUSE」が好きなんですよね、彼。
──彼が昨年リリースした「Harry's House」というアルバム名が、「HOSONO HOUSE」からインスピレーションを受けたものだと話題になりました。
ハマ 僕、ラジオ局の人に「ハリー・スタイルズの新譜チェックしてる?」って聞かれて、「いや、まだ聴いてないですね」って言ったら「聴いてみな! 『HOSONO HOUSE』の……」って教えてもらって。「いや、偶然でしょ」って思ってた(笑)。それがまさか本人同士でお会いしているとは。
安部 まだ聴いてなかったけど、聴いてみよう。細野さんって、昔からそうですよね。ビル・ラズウェルとか、すごいミュージシャンから「家の近くにいるんだけどお茶しない?」って電話かかってくるとか(笑)。
細野 ハリー・スタイルズはまだ29歳なんだよね。つくづく若いなと思ったよ。見た目はそうでもないけど。
ハマ One Directionなんて10代でデビューしたんだよね。彼の造詣の深さはわからないけど、すごく音楽が好きだってことですよね。いいよね。彼をきっかけに「こういう音楽があるんだ」って広がるわけだから。
安部 その対談は、どこかのメディアに出るんですか?
細野 出ないよ。プロデューサーと来て、こっちは通訳の人を入れて。すごく真面目な人だった。1時間半、全部音楽の話。
安部 One Directionの方が「HOSONO HOUSE」が好きって、どこでどうつながったんだろう。
ハマ 去年アメリカに1週間行ったんですけど、細野さんとかYMOの作品は普通にレコード屋に面出しされてましたからね。日本でどこのレコード屋に行っても「Led Zeppelin II」があるみたいな感じ。だから触れる機会も多いでしょうね。
安部 世界の1つの基準としてレコード屋に並べられている、みんなのスタンダードになっているような作品ですよね。でも当時のテンションを聞いても、細野さんは「作ってって言われたから作ってみたんだよ」って言いそうなのが……(笑)。
細野 まあ人によるだろうけど、僕の中では「HOSONO HOUSE」は“習作”だよね。初めてのソロだったので、やってみなきゃわからなかったから。
安部 ハリー・スタイルズもそうだけどさ、マック・デマルコもデヴェンドラ・バンハートもVampire Weekendも、名だたる海外のアーティストがみんな細野さんの音に反応してるわけじゃん。ハリー・スタイルズが実際に来て、細野さんは当事者としてはどういう気持ちなんですか?
細野 昨日会うまでは「なんでなんだろう?」って思ってたよ。
ハマ でも必然な感じもするけどね。垣根のない時代だし。そもそも、音楽好きだったら聴いている作品として、脈々と存在していたわけで。それを初めて実感した感じ。
細野 それはそうだね。
安部 わかるけどさ、でもけっこう大変なことじゃん。50年前に作られた作品が今でもこうしてカルチャーの一部として脈々と受け継がれているところがロマンというか、すごいよなって。
自分の家でダラダラ作った「HOSONO HOUSE」
安部 僕、自分のソロアルバム「Fantasia」を作ったときに「HOSONO HOUSE」をすごく参考にしたんです。「なんでこんなにいいんだろう?」って研究して。それですごいと思ったのが、曲の終わり。最後のサビでそのまま終わったり、フェードアウトで終わったりして、僕の「こうやって終わらせるべき」っていう固定観念を超えてくるというか……“終わり”って感じで終わらない。だからアルバムを通してフワーッと続いているような感覚になって、ずっと緊張感を持って聴けてしまうんです。曲の始まりも、わりとすぐに歌が始まる曲があったりする。それも僕の中の勝手な常識と全然違っていて、そのバランス感覚をめっちゃ研究したんです。
細野 すごいな。それ教えてよ、今度(笑)。
安部 いずれにしてもすごく面白いバランスのアルバムで。どうしてあんなふうに作れたのかが不思議なんです。
ハマ 以前伺った話では、ミュージシャンみんなで集まって、アレンジしながら作っていったとおっしゃっていますけど、やっぱりそれが大きかったんですか?
細野 そうそうそう。自分の家だからダラダラやってたけどね。
ハマ すごく練って、ミュージシャンに「イントロはこうで」と指示を出すわけでもなく?
細野 そういうことは全然やらなかったよ。レコーディング前にちょっと練習して、その場で「あそこはこうしよう、ああしよう」って決めて、それを録音する。まあ、みんなの感覚任せだよね。「せーの」で出した音がもうアレンジになるっていうか。
安部 たまに、細野さんの中で「絶対にここは外せないんだ!」みたいなポイントはなかったんですか? 演奏のイメージがちょっと違ったりして。
細野 いやいや、なかった。ボーッと生きていたんだね(笑)。みんなも僕を頼るわけじゃないし。
ハマ アイデアも、皆さんから出てきた感じ。
細野 そうそう。
ハマ 確かにそうじゃないと成立しない部分も感じますよね。「薔薇と野獣」でも、あのイントロ、尺も不思議じゃないですか。ああいうのは決め切ってやったら逆にできないだろうなって。先ほど練習っておっしゃいましたけど、1セッションや2セッションくらい?
細野 1セッションくらいだったかな。
安部 へええ!
ハマ あのイントロ、ホントにすごいなって思う。改めて。
安部 そうだよね。アルバム通してだけど、「なんでここで終わるんだろう」とか。「バランス的にはここまであってもいい」っていう勝手な感覚で聴いていると、その常識から外れた終わり方でびっくりしたり。
ハマ 細野さんは「みんなに任せた」っておっしゃいますけど、やっぱり勘ぐっちゃうよね。緻密さも感じるから。
安部 そう。緻密さもあるけど気持ちよくて、いやらしくないし、自然に聴けちゃうし。あの不思議さはなんなんだろう。自分だったら考えないとできない。
細野 たぶん、みんな何も考えてなかった。自然なまんまだったと思うなあ。
ハマ 確かに、以前、立夫さんに「どこで入るとか、どう決めたんですか」って聞いたら「みんなでやったことだから、わからないな」って(笑)。勇磨が言ったようなフェードアウトのアウトロもあれば、「薔薇と野獣」のようなすごいイントロもあるし、そういうバランスがアルバムを通してすごい。
細野 僕がラジオでヒット曲を聴いていたときは全部フェードアウトだから。当時フェードアウトは自然な終わり方だったんだよね。今、フェードアウトってあまりないけどね。
安部 厚みのあるイントロって、そのままアウトロにも使われることが多いと思うんです。でも細野さんの曲は、イントロのフレーズがめちゃくちゃ素敵だからもう1回どこかで使いたくなるはずなのに、使わない。1番のサビ終わりとかでもイントロとちょっと違うアプローチをしていたりして、さらにアウトロも違うからぜいたくっていうか。
ハマ リイントロじゃないもんね。
安部 そうそう、繰り返してないの。ドラムも「今、気分でそこ叩いた?」みたいなプレイもあって。「とても計算してできるものじゃないよな」っていうのがすごくある。
細野 計算は誰もしていなかったよね。
スタッフに誘われるままに……
安部 今「HOSONO HOUSE」を聴いて、「ここをこうしておけばよかったかな」などはあるんですか?
細野 いいや、全然聴かないんだよ(笑)。安部くんに言われて「そんなにいいの?」って思いながら聴き返したくらいだから。
ハマ そのタイミングがなかったら、「HOSONO HOUSE」をいつ聴き直すかなんかわからないですよね。50年ですし。
細野 ホントだよ。
ハマ 聴き直すと、「あれが好きだったから、こんな感じになったんだろうな」みたいな当時の感覚がよみがえってくるなどは?
細野 それはあるよ。みんな一緒にレコードを聴いていたりしてる中で、当時はファンクを聴いている人が多かったんだよね。林と僕なんかはそうで。
ハマ 「HOSONO HOUSE」、確かにファンキーですよね。
細野 だからカントリーとファンクが混ざっているような、ワケのわからないアルバムになっちゃったよ。まあ「HOSONO HOUSE」は「ソロ作りましょうよ」ってスタッフに誘われるままに作った感じだったんだ。それでセッティングだけバーッとできて、家で録ることも決まったんだけど、でも「曲はまだ何もないや」って。曲を作りながらレコーディングもやっていたんで、あんまり余裕はなかったね。
安部 僕、「HOSONO HOUSE」を聴きながら「絶対にワウが必要だ」って思って、ワウペダルを買っちゃいました(笑)。さっきも聴いていて、「こんなふうにさりげなく鳴っていたんだ」って気付いたんですよ。「途中でいっぱい面白い音が入ってるんだ。なんて刺激的なアルバムなんだろう」って。遊び心っていうんですかね。そう言えばさ、アルバムを作るときって、発売日が先に決まってることもあるけど、基本的にはある程度曲ができてから「アルバム作りましょう」ってならない? ハマくんはどう?
ハマ ウチは量産オバケなんで、ある程度ストックがあるんだよ。そこからアルバム用に選ぶこともあるし、新しく曲を作ることもあるけど……でも大抵はそうだよね。
安部 僕もデモとかを溜めておくわけだけどさ。でも細野さんの話を聞いていると、曲もないのに「アルバム出そう」ってなるパターンだったわけでしょ? それってけっこうすごいよなって。そういう状況になったことある? 「全然曲がない状態でアルバム作ろう」って言われて、発売日だけは決まってて、みたいな。
ハマ うーん、半分くらいはそうだったりするけど……時代性もあるでしょうね。今はホントにシステマチックだけど、昔はもうちょっとミュージシャンとレーベルの関係もいい意味で一方通行だったり、ぶっきらぼうだったりしたのかなと思う。
安部 そういう状況で作ったからこその勢いとか、細野さんの言う「みんなで作っていったよ」みたいな雰囲気が閉じ込められているのもすごく魅力的だと思うんだよね。自分がその環境に身を置きたいかって言われると、怖くてできないけど。「曲ができなかったらどうしよう」とか「いろんな人に怒られちゃうかも」って考えちゃうから。
Little Featのセッションがもたらした功績
ハマ 「HOSONO HOUSE」はおいくつくらいのときの作品でしたっけ?
細野 23、24歳くらいじゃなかったかな。
ハマ すごいですね……聴くと、細野さんってホントに音楽好きだったんだなって思う。23歳であれを演奏するって。
安部 「ソロを作ろう」って言われてなかったら作ってなかったんですか?
細野 うん、作ってなかったと思う。
ハマ “たられば”ですけど、遅かれ早かれソロを作っていたかもしれないけれど、あのタイミングではそれほど意欲はなかった、みたいなことですか?
細野 そうだね。はっぴいえんどでは、大瀧詠一くんがソロを作っていて。「いいな」と思っていたけれど、僕は歌うのが得意じゃなかったんで、そんなに積極的に作ろうなんて思ってなかったんだよ。
ハマ あの「風をあつめて」を歌ったにもかかわらず、歌うことに対する苦手意識は変わったわけではなかったんですね。
細野 うん。はっぴいえんどで言えば、最後のレコーディングをロサンゼルスでやったでしょ。そのときLittle Featのセッションを見て、その体験がずっと残っちゃって。それが一番「HOSONO HOUSE」に影響したことかな。
ハマ 以前、細野さんに伺ったヘッドアレンジのお話ですね。譜面にバチバチにコードが書いてあるんじゃなくて、コードネームだけあって、その場で「こう」って作っていくのを目の当たりにしたんだって。そのやり方を日本に持って帰ってきたのが細野さんたちで。「HOSONO HOUSE」は、それを自宅でやった感じなんですね。
安部 それでできたのもすごいよね。
ハマ この作品がここまで歴史に残る名作じゃなかったら、「譜面の読み書きできないやつは音楽やっちゃダメ」みたいな世界になってたかもしれない。今の日本の音楽の現場がどうなっていたかわからないですよね。僕、辞めてますよ、もう(笑)。
安部 つまり、考えるだけじゃなくて、流れに身を委ねながらレコーディングすべきということなのかなあ。細野さんの作品から感じる“緊張感があるのに自由”みたいなところ、研究対象ですよ。どうやったら自分はそれができるんだろう。どうもシステマチックにやる癖があって、反省しています。
ハマ 「HOSONO HOUSE」は、そう思わせる威力があるってことですね。
安部 ある!
<後編に続く>
細野晴臣
1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリース。2023年5月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」が発売50周年を迎え、アナログ盤が再発された。
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・細野晴臣 | ビクターエンタテインメント
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安部勇磨
1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト兼ギタリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2023年5月に新作EP「Surprisingly Alright」を配信と12inchアナログでリリースした。
・never young beach オフィシャルサイト
・Thaian Records
・never young beach (@neveryoungbeach)|Twitter
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ハマ・オカモト
1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。
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