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細野ゼミ 番外編(後編) 「HOSONO HOUSE」50周年記念企画

「細野ゼミ」メインビジュアル
11か月前2023年06月03日 11:06

細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、氏の音楽観をより深く学ぶべく前回より“補講”を開講している。

ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。今回のゼミで取り上げるのは、5月25日にリリースから50周年という大きな節目を迎える、細野晴臣の1stソロアルバムであり名盤として名高い「HOSONO HOUSE」。前編ではゼミ生2人の“「HOSONO HOUSE」愛”や、レコーディング時のエピソードを掘り下げた。後編では引き続き、同作の制作時の裏話とともに、当時の時代背景について氏に聞いた。

取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん

信頼感が生み出した“音のよさ”

ハマ・オカモト 「HOSONO HOUSE」を聴いて毎回感じるのは、音のよさなんですよ。“高音質”とか“音の分離がいい”とかって意味ではないんですけど。

細野晴臣 それが自分ではわかんないんだよ。部屋のアンビエンスとか、そういうことかな。

ハマ それもそうなんですけど、失礼な言い方かもしれませんが……演奏がホントにうまいんだなって思うんですよ、全員(笑)。今は音響機材もこんなに発達していて、機材もいっぱいあるけれど、そこは逆行できないじゃないですか。「ああいうふうに録ろう」というのができないんですよ。あの時代には“取り戻せないあの質感”みたいなのが明確にある。「家で仲間と録ったんだよね」と簡単に言うには、あまりにも芸術的すぎて。そういう意味の音のよさを感じるんです。でもそれですら、細野さん的には「わかんないんだよね」ってことになるから(笑)。

細野 なるほどね。でも録ったあと、音がすごく気になってはいたんだよ。部屋が狭かったんだよね。遮音もほとんどなかったし。

安部勇磨 何かで見ましたけど、当時のレコーディング現場には畳みたいなのが置いてありましたよね。

細野 そう。畳を置いて。

ハマ 間取りだって、そんなにね。

安部 ギュウギュウだった。

細野 だからシンバルは音がデカすぎたんだよね。シンバル以外はよかったんだけど。

ハマ アンプの出力はどのくらいだったんですか?

細野 そんなに大きくは出さなかったな。隣近所もあるし。

ハマ 家だから(笑)。でもあの音のよさ、音量もあるのかもしれないよなあ。バッチバチに吸音されたスタジオで出す音量ではない音量。

細野 隣に小坂忠が一家で住んでいてね。「うるさい」って言われたりしていたから。

安部 「録音始めたな、あいつら」って(笑)。でも、それも込みで憧れてしまう。単純にカッコいいんですよね。友達と集まって、「場所もここでいいんじゃない?」って感じで家で録るっていう。それも込みで、モノ作りの面白さが全部入ってる。

ハマ でも、家で録ること自体は今もあるじゃない。「HOSONO HOUSE」の音のよさを考えるに、バンドだったっていうのも重要なのかもしれませんね。

細野 確かにドラムとベースの響きは重要かもしれないね。

ハマ それに、宅録みたいに1人でやってしまうと、逆にシビアになりすぎちゃうだろうから。あとは、友達とやったっていうのもデカい。

安部 そうだよね。ちょっとユルっとしてるだろうし。

ハマ 「これでいいんじゃない? もう」みたいな。でもそういうことじゃない? 踏ん切りを付けるのは1人だと難しい。それに、ずっと一緒にやってるバンドメンバーだとそれぞれ自分の意見を譲らなかったりもするじゃん。だから関係性の妙もあるんだと思うな。

細野 そうそう、あるよ。みんなのミュージシャンとしての力量を信頼しているからできたやり方。「あれ、このドラマー、ダメだな」って思っていたらできないからね。

俗っぽさがすごい好き

──発売50周年のタイミングでアナログレコードが再発されますね。「HOSONO HOUSE」は、これまで中古レコード店で高額で販売されている印象がありますから、喜ぶファンも多いでしょうね。

細野 高いんだ。

ハマ リリース当時、そんなにたくさん枚数が出たわけではないだろうし。だから必然的に高くなっちゃうんですよね。

細野 ぜんっぜん出てなかった。数千枚だったね。はっぴいえんどでさえそうだったよ。

安部 数千枚かあ。

ハマ 大瀧(詠一)さんが「『A LONG VACATION』を出すまで誰にも応援されてなかった」みたいなことをおっしゃっていましたけど、それと一緒ですよ。それまではある意味マニアックだったから。あとからちゃんと評価されていくという。

細野 大瀧くんはいい意味で野心があったよね。ポップスが大好きで、「売れなきゃポップスじゃない」って。僕はミュージシャンっぽい資質が強いから、大瀧くんとは違う道を歩むのかなとは思っていたな。大瀧くんは作家っていうか、ソロでいく。僕はミュージシャンとしてやっていこうって考えだった。ベーシストのほうでね。僕の場合、1つの作品を作ると、もうその場で忘れてしまうんだよ。その作品が残るなんて思ってないから。つまり、誰も聴いてないと思っているから気楽なんだ。責任がない(笑)。

ハマ だから「これをやってみよう」と感じた通りにどんどん作風を変えていけた部分があるんでしょうね。

細野 そうだね。もちろん、そのときどきで作りながら気が付くことも多いけど。ソロ2枚目の「トロピカル・ダンディー」は、作り始めたときは全然あんな作風にしようとは考えてなかったんだ。初めは、頭の中ではスライ(Sly & the Family Stone)とかビリー・プレストンとか、そういう演奏を思い描いていたわけだ。それがああいうふうになっているわけだから、つまりは考えずにやり出しちゃうんだよね。

ハマ 制作を始めてから、だんだんああいう形になっていったんですね。

細野 最初はオークランドファンクみたいなオケが録れたんだよ。自分の家で作っていて、オケを聴きながら歌ってみたら、全然歌えないわけ。自分の声が合わなかったんだよね。ファンクじゃないんだよ(笑)。それでやめちゃったの、1回。

ハマ ファンキーでブラックな伴奏のトラックを作っていたけれど、歌と合わなくてやめちゃった、という。幻のトラックですね。

細野 そう。そのオケはカセットで残っているよ。でも、そういう曲は1曲しかやってない。スパッと辞めちゃった。それで「どうしようか」って考えていたら、久保田麻琴くんが来て、「細野さんはトロピカル・ダンディーだね」って言うわけだ。全然そんなこと考えてなかったんだけど。

ハマ それで、「その線でやってみるか」ってなったんですか?

細野 自分でやろうとは思ってなかったけど、そういう音楽を聴いてはいたんだよ。中村とうようさんの編集したラテンのアルバムで、ラテンが大好きになったりしてね。それである曲を作ったら、「なんか、このサウンド聴いたことあるな」って。考えていたら、「小学生の頃にラジオで聴いたマーティン・デニーだ」って思ったんだ。そうやって1曲ごとに気付きながら作っていったのが「トロピカル・ダンディー」だね。だんだんカリプソにのめり込んでいったりして。

安部 「トロピカル・ダンディー」もセッションで作ったんですか?

細野 あれは曲がしっかりしていたから、「HOSONO HOUSE」とは違ったかな。あんまりオタマジャクシは使わないけど、写譜用のペンを買って譜面を書いたりして。つまりその頃は、すでに「HOSONO HOUSE」のことはもう忘れてるんだよね。気持ちはもう……林くんと僕はビリー・プレストンばっかり聴いていたんだ。そのときはね。

安部 なるほど。

細野 (鈴木)茂とかはスライを聴いていた。だから、そういうものしか作る気がなかったんだ。でも、演奏はいいんだけど、ホントに歌えない。小坂忠じゃないと歌えない。

ハマ ビリー・プレストンやスライを聴いていて目指した音楽はありつつ、「トロピカル・ダンディー」のような方向性になっていくにあたり、再びミュージシャンを集めるじゃないですか。ミュージシャンの皆さんは、ああいった音楽性に理解や造詣があったんですか?

細野 ベーシックなところにあるのは、民族音楽的なアプローチじゃないから。普通のポップスの気持ちでやっていたんだよ。

ハマ “なんちゃって”というか、ああいう音楽のエッセンスを拝借している感じだったんですね。

細野 そう。だからリズム隊はそんなにとらわれないじゃない。本格的にやるわけじゃないわけだから。だから普通のロックだったんだよ、結局。カルメン・ミランダのサンバみたいに本物っぽくやりたかったけど、できないよね。ギターだけでやればなんとかできるのかなって思ったけど、バンドではできなかった。ドラムと合わないわけだ。その当時は、ドラムはみんな2、4の世界から抜けられない時代だった。

ハマ なるほど。でも、新しいですよね。完全にそういうジャンルをバンドでやるっていうのは。

細野 そうそう。だから今聴くと、ロックなんだよね。

ハマ ロック畑の人がやる“ファンキー”だったり、“民族的”だったりっていう。

──だから一般の人でも聴きやすいっていうのがあるのかもしれません。

ハマ そうですね。細野さんのソロの作品って、音楽好きな人であれば分析的に聴くこともできますけど、一般の人が聴いても小難しくない。その塩梅もすごいんですよね。本来そのジャンルをめっちゃ研究して深く取り組んでいくと、たぶんポップスにはならないじゃないですか。それは1stの頃から感じます。

細野 それはうれしいね。俗っぽさがすごい好きだもん(笑)。

「人生にも締め切りがあるじゃん。だから、なんかやんなきゃね、いろいろ」

──安部さん、様子がおかしいですが大丈夫ですか?

安部 ……いやあ。頭の中がいっぱいいっぱいになってきて、帰ってすぐに曲を作らないとって……。

ハマ あなた、ずっとこの連載で細野さんと話をしてて、いっつも頭がいっぱいになってるけど大丈夫?(笑)

安部 自分が細野さんに聞いてみたかったことだったり、想像していたことを、ご本人の言葉で言われると「ああああ!」ってなってしまう。自分の浅はかさとか、「家に帰ってもっとやらなければ」とか、そういうのを感じるんですよね。

細野 僕もそういう気持ちになりたいよ(笑)。「早く家に帰って作りたい」って。

安部 でも細野さんはずっと考えているわけですよね。「こんな曲を作ってみようかな」「よし作ろう」って。

細野 うーん……最近ちょっとダメかな(笑)。もちろん曲作りが嫌なわけじゃないんだ。やらないだけなんだよ(笑)。頭の中には、もう無限の可能性があるわけでしょ。でも、出すときは1つに絞らなけばならないわけで。だから今はそれを溜めているの。頭の中で遊ばせておくんだ。

安部 それを出そうかなって思うのは、どういうきっかけなんですか?

細野 締め切りがあるから。

ハマ はははは。

細野 人生にも締め切りがあるじゃん。僕もそろそろ締め切りが近いけど(笑)。だから、なんかやんなきゃね、いろいろ。

安部 焦りじゃないけどさ、僕も33歳になるわけで。「倍にすると60越えるな」と思うと、自分たちがあとどのくらい作品を残して、どのくらい演奏できるかが限られてきてるんだなってつくづく思う。

ハマ 今ツアーやっているんですけど、20代前半の頃に作った、ものすごいBPMでものすごい音符数の曲を、ひさしぶりに演奏してるんです。それが現段階でもギリギリなんですよ。「はっや!」って感じて。だから最近録るものは「自分が60歳になっても弾けるフレーズにしておこう」と(笑)。いい意味なんですけど、将来のことがチラつくようになったんです。細野さんのようにちゃんとステージに立ち続けたいからこそ、完全再現がすべて、みたいな時期はもう過ぎたんだなって気持ちになるよ。

細野 それが人の一生の面白さだよね。年齢によって違う表現になってくるのは大事なことなんだよ。いつまでも同じスタイルでがんばろうというのは見ててもツラいから。

ハマ そういうタイミングなのかもしれないですね、30代っていうのは。20代中盤とかは思わなかったでしょ?

安部 思わなかったけど、ミュージシャンってスポーツ選手と近いのかな。体を動かすものだし。

細野 ミュージシャンは応用が利くというか、自分でコントロールできるから楽なんだよ。大変なのはシンガーだよね。シンガーこそアスリートだよ。

安部 細野さんも歌うじゃないですか。歌うために何かやってたりするんですか? 運動とか、「ちょっと喉の調子悪いからボイストレーナーを入れてみようかな」とか。

細野 やってないよ(笑)。それをやり出すとホントにアスリートになっちゃうから。出なかったら出ないでしょうがないし。僕は基本的に声は出にくいんで、気にならない。

ハマ 勝手に言うのもアレだけど、細野さんはやってないよね(笑)。「実はライブ前にカラオケ行くんだよ」って言われたら「わあ!」とはなるけど、「それは違うよな」とも思うもん(笑)。

安部 歌を録り直したりすることは?

細野 いやいやいや、そりゃするさ。昔はエンジニアの人にお任せだったけど、「そこからパンチインしてください」ってことはよくあったね。今は自分で録ってるから、繰り返しのフレーズがある場合は同じファイルを貼り付けちゃおうかなと思うこともあるよ(笑)。でも、それをやると緻密な研究をやり出すリスナーの人に、「波形を合わせてみたら同じだった!」って言われるだろうなって。だからやらないようにしてる(笑)。

安部 マニアックなことする人多いですよね(笑)。

細野 だから、そういうことは考えるよ。

ハマ あとは、自分で気になっちゃってね(笑)。「ここ一緒だしな」って思いながら聴くことになっちゃうのは嫌だよね。

細野 嫌だね(笑)。

「絶望もしてないけど、希望も持ってない。やってることと言えば“誰が聴いてるのかわからない音楽”」

──話を「HOSONO HOUSE」に戻すんですが、細野さんが直近で聴いたのはいつですか?

細野 えっ?(笑) 聴いても聴かなくてもわかってるから。初めて聴く気持ちで聴いてみたいけど、さすがにそうはいかない。

ハマ そうですよね、めちゃめちゃ愚問でしたね(笑)。

──いや、細野さんは今どういう気持ちで「HOSONO HOUSE」をお聴きになるのかなって。

細野 習作の時代の作品だし、青臭い自分が恥ずかしいよ。

ハマ 当時をボンヤリと思い出したりもするんですか? 部屋の景色とか。

細野 それは思い出す。生活のサイクルの中で作っていたからね。セッションはだいたい夕食前には終わって、ごはん食べて、とか。

安部 めっちゃいいですね。

ハマ そういうことのほうがむしろ知りたいですよね。音楽的なデータは潤沢にあるから。

安部 メンバーに電話して招集をかけるんですか?

細野 いやいや、1カ月くらい合宿みたいな感じでレコーディングしてたから。近所にいっぱい空き家があって、ミュージシャンたちはそっちに寝泊まりして。当時はまだ狭山のアメリカ村はそこまで知られてなくて、空いてる家がいっぱいあったんだよ。

ハマ みんな同じ間取りなんですか?

細野 そう。けっこう部屋が多くて。レコーディングが終わってごはんを食べるときはミュージシャンも集まってね。エンジニアの吉野金次さんやアシスタントの人、自分の家族などを含めると7人くらいかな。

安部 家族ぐるみだったんですね……って、え? 20代前半でご結婚されているってこと?

細野 うん、24歳で。ってことは、「HOSONO HOUSE」は24歳の頃か。

安部 すごくない? 24歳であの音楽を作って、ご家族もいたって。今自分が33歳で、奥さんを持つのも不安だったりしていろいろ考えちゃうのに。

ハマ ご家族を持たれている方、周りも多かったんですか?

細野 うん。隣にいた小坂忠も夫婦で住んでいたね。

安部 そのときの年代の若者たちの感覚を知りたいんですけど、結婚が怖いとかないんですか? どういうテンションで結婚するんですか?

ハマ もう! 5個上の先輩と飲み屋で話してるんじゃないんだからさ(笑)。

安部 だってさ、今、細野さんの音楽が好きな若者って、その年で結婚しないじゃん。お金のこととか住まいのこととか時代的なところも含めて、今結婚できない若者、多いじゃん。結婚っておおごとだけど、細野さんの時代はもっと軽く、「結婚する?」みたいな感じだったのかなって。

細野 軽いよ。

ハマ 「軽いよ」って(笑)。

安部 「結婚すると機材代がなくなる」「子供のために蓄えなきゃ」とか、そういうことを考えちゃう気がするんです。

細野 そんなことは考えないよ。

安部 ああああ……。

ハマ ほら、あなたはその時点で無理だって(笑)。割けないんだから、機材に(笑)。

細野 その頃って、時代的なこともあると思うけど、みんなワクワクして結婚してたんだよ。はっぴいえんどでは、まずは松本隆が結婚したんだ。次に大瀧くんが結婚して、僕も結婚しなきゃって思ったんだよ(笑)。

ハマ へえ! はっぴいえんどは、あのとき2人がご結婚してたっていう……そんな見方ではっぴいえんどの写真を見たことないから新鮮。余計カッコいい。

安部 「結婚すると保守的になって尖れない」じゃないけど、作る物は変わると思っているんです。でも細野さんたちってあの時代に結婚していて、それでいてああいう作品を作っていたって……僕はただ結婚を言い訳にしてるだけなんだな。

細野 時代の空気もだいぶ違うからね。あの時代、日本なりにヒッピームーブメントがあったんだよ。多数派はヒッピーじゃなくて、フーテン系の人だったのかな。いずれにしても、アメリカナイズされている音楽が好きな人だと、どうしてもヒッピーになっちゃう。“バック・トゥ・ザ・カントリー”って言葉が流行って、結婚してコミュニティを作って……って。だから、そんな気持ちで結婚したんだよ。

安部 不安はなかったんですか? 若者が誰しも通る、「将来どうなるんだろう」「こんなんじゃ生活できない」みたいな。

細野 なかったんだよね。その日暮らしだったし、将来の展望もなかった。別に絶望もしてないけど、希望も持ってない。それでやってることと言えば、“誰が聴いてるのかわからない音楽”だし(笑)。

安部 「聴いてほしい!」のような承認欲求は?

細野 それもない。今の時代だったらあるかもしれないけど。ネットがこれだけあると気になっちゃうじゃん。でも当時はそういう情報を得られる手段もないし。だからフィードバックもなくて。

安部 友達とかの感想は?

細野 友達がいなかったからね(笑)。

ハマ っていうか、友達と作ってるから(笑)。

細野 うん。その中でのお互いの評価はするよね。でも、それ以外の人たちは関係なかったんだよ。今は全然違って、ほかの人のことも意識するけどね。だから同じフレーズは貼っちゃダメなんだよ(笑)。

ハマ バレるかもしれないから(笑)。

細野さんがいてくれてよかった

安部 「HOSONO HOUSE」の制作時の時代背景を伺って、当時と今では日本人のキャラクターも変わってきたんだなって。最近、「寅さん」(「男はつらいよ」シリーズ)とかクレージーキャッツの映画とか好きで観てるんですけど、「ホントにこんな日本人いたの?」って思ってたんです。明るくて、嫌味な感じもなくて。でも細野さんのお話を聞いていると、ホントだったんだなって。「そりゃ作るものも変わるよな」って思う。

細野 そういう国だったと思うんだよね。誰も急き立てないし、追い立てないし、注意もしない(笑)。ホント自由だったね。意識をしないほど自由だった。今は意識しちゃうよ。日本だけじゃなく、世界中そうだと思うけど。こんな時代になるとは思わなかったよ。全然馴染めないよね。

安部 そういう時代に作られた「HOSONO HOUSE」を聴いて、「もっとこんなことができるんだ」って考えさせられるし、やっぱり音楽って素晴らしいなと改めて思いました。

細野 僕が子供の頃に聴いてきたものもそういう音楽だったんだ。同じ気持ちだったよ。

安部 細野さんも上の世代の方から何かをもらって、こうやってまたバトンができているっていう。

細野 僕の上の人か……あまり日本にはいないけど、かまやつ(ひろし)さんとかかな。

ハマ そっか。そうですよね。

安部 僕にとってそういう気持ちにさせてくれるミュージシャンって日本だと数少ないから、ホントに細野さんがいてくれてよかったです。細野さんが作品を残したかどうかで音楽は全然変わってたんだろうな。細野さんがいなかったら僕、レスポールとかを低めに持って「ウオー!」って弾いていたかもしれないし。

細野 それはちょっと見てみたい(笑)。

安部 人の人生をいい意味で変えているという点では、自分も誰かにとってそういうふうになれたらいいなって思うけど。

ハマ なってんだよ、確実に。だって、50年前の「HOSONO HOUSE」がハリー・スタイルズにまでつながってるんだよ? で、ハリー・スタイルズのファンの人が「Harry's House」を聴いて、「なんでこのタイトルなんだろう?」って1人くらいは絶対に気にしてるじゃん。その時点でとんでもない枝分かれをしている。もちろん1人なわけないけどね。

<終わり>

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリース。2023年5月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」が発売50周年を迎え、アナログ盤が再発された。

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安部勇磨

1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト兼ギタリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2023年5月に新作EP「Surprisingly Alright」を配信と12inchアナログでリリースした。

never young beach オフィシャルサイト
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ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。

OKAMOTO'S OFFICIAL WEBSITE
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