「凱旋MC battle」「戦極MCBATTLE」「SPOTLIGHT」「ULTIMATE MC BATTLE」と、2019年に開催されたさまざまな大型MCバトルで優勝をかっさらい、その年の絶対王者となったAuthority。大手MCバトル6団体が協力し、名うてのラッパーが賞金1000万円を懸けてのバトルを日本武道館で繰り広げた、2022年開催の「BATTLE SUMMIT」でも優勝を果たし、シーンにおいてその名前を不動のものにした俊英である。
一方の怨念JAPは、ライブハウスやクラブに加え、「凱旋MC Battle Special アリーナの陣」「凱旋MC Battle -さいたまスーパーアリーナ-」など、アリーナクラスでも開催されたMCバトル「凱旋 MC battle」を主宰し、バトルシーンの発展に貢献を果たしてきた。また「凱旋」はWeb上でのバトル配信を早くから手がけ、その映像クオリティの向上を図ることで、“バトルの現場”という概念の拡充をシーンにもたらした。
Authorityは1997年生まれ、怨念JAPは1996年生まれと、MCバトルが当たり前のように存在した世代。MCバトルから音楽シーンにエントリーした2人には、現在の、そして未来のMCバトルはどのように見えているのか。KEN THE 390がその胸中に迫る。
取材・文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)
どんなタイプの人でも同じ土俵で戦える
KEN THE 390 オウソ(Authority)と怨念くんの世代だと、バトルの入口ってどこらへんになるの?
怨念JAP 僕は小学校6年生のときですね。4歳上の姉がヒップホップやレゲエが好きで、車の中とかで一緒に聴いていたのがヒップホップの入口です。ただ洋楽だったんで、小学校4、5年ぐらいの自分にはあまり興味が持てなくて、「これよりGReeeeNが聴きたいんだけどな……」って(笑)。それからしばらくして、姉がMCバトルの映像を観せてくれたときに、「これは面白い!」とハマりました。それが小6のときで、多分UMB(「ULTIMATE MC BATTLE」)の映像だったと思います。
KEN めちゃくちゃ早いよね。刺激強くなかった?
怨念JAP 小学生の僕から観ても「イカつい!」と感じるような人がやってたんですけど、逆にそれがよかったと思いますね。衝撃がより強くなったというか。記憶に強く残ってるのが、般若さんとRUMIさんのバトル。
──2008年の東京予選ですね。
怨念JAP 「え! この空間に女性がいるんだ!」と驚きました。チプルソさん、DOTAMAさん、ハハノシキュウさん、もちろんKENさん……インパクトを感じたのはそういうラッパーだったかも。
──“パブリックイメージとしてのラッパー”とは違う存在性を持っている人というか。
怨念JAP 言語化すると「どんなタイプの人でも、ラップだと同じ土俵で戦えるんだ」ということに感動したのかもしれない。バトルで使われるような言葉や、ヒップホップ的な用語は全然わかってなくても、すごく面白いと思ったし、そこで一気にハマりましたね。
「高校生RAP選手権」の衝撃
KEN オウソはどのタイミングだったの?
Authority 僕は高校のときに、先輩に教えてもらった「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」(「高ラ」)でしたね。EINSHTEINくんとか、T-Pablowくん、MC☆ニガリa.k.a赤い稲妻くんとかが出てた初期の頃から観てて。
怨念JAP 第4回、5回ぐらいからは、ラップ好きな高校生はみんな観てましたよね。僕の周りもそうだった。
Authority それで友達とフリースタイルをするようになって、自分でもリリックや韻を考え始めたんですよね。授業中もずっと韻を探してたし(笑)、最初に5文字踏めたときの達成感はハンパじゃなかった。それからもっと韻の文字数を増やして、まだ誰も使ってない、聴いたことのない韻が作れるかな、みたいにどんどんのめり込んでいって。
KEN 初期の「高ラ」は韻の比重が大きかったよね。ディベート的なアプローチよりは、かっちり踏み切ったほうが勝つ傾向があったし、オウソもそれに影響を受けてたんだ。
Authority そうですね。やっぱり韻が面白かったんですよね。それが16から17になるぐらい。
KEN 同世代がテレビでラップを披露して、それに歓声が上がるのってどう見えてたの?
Authority 衝撃ですよね。「え! タメなんだこいつ! すげえ!」みたいな。しかもネットでバズったり、何千人の前でバトルしてるのを見ると、憧れはもちろん、「自分もこうなりたい」とか、けっこういろんな感情がありました。
怨念JAP 刺激になりましたよね。僕の場合、ニガリが同じ長野県出身だから、「え、同じ県の同世代にこんな子がいるんだ!」と。
KEN 社会現象だったもんね。
怨念JAP 当時はYouTuberとかTikTokerみたいに、誰でもインフルエンサーになれる時代ではなかったから、メディアに出るだけですごいし、やっぱりヒーロー的な感じでした。
──Authorityさんも「高ラ」に出たのは、そういった部分がモチベーションでしたか?
Authority それもあるし、地元が青森の黒石という場所なんですけど、その中で自分がMCバトルやフリースタイル、そういう“競技的なラップ”は一番うまかったから、じゃあ出てみよっかなって感じでした。ひたすらサイファーばっかりやってたんで。とはいえ、ホントに田んぼの真ん中でラップに興味持ったやつが集まって、サイファーするような規模感だったんですけど。
──それは何人ぐらい?
Authority 集まれば20人ぐらいいたっすね。
KEN けっこういたね。
Authority だから2組に分けたりして。
怨念JAP サイファーって、関西だと誰かラップしてても隙あらば遮って入るぐらいグイグイいくけど、関東は8小節ごとに時計回りでパスして順番が回ってくるから初心者でも入りやすいんですよね。
Authority 俺らも基本そうでした。
KEN 俺やDARTHREIDERがハチ公前サイファーをやってたときは、怨念くんが言う関西っぽい流れで、調子が出ない人はなかなか入れなかったな。今はそういうローカルルールがあるんだね。
怨念JAP もちろんサイファーによって変わると思うし、あくまで傾向だとは思うんですけどね。
Authority みんながターン制という考え方をするのは、MCバトルのシステムが広がったからじゃないですかね。
KEN なるほど。面白いね。
Authority で、自分も「高ラ」に応募したんですけど、最初に参加したときは、オーディションはもちろん、会場だった池袋BEDという場所、そして池袋の街自体が田舎のガキには刺激が強すぎて、普通にビビっちゃって全然カマせなかったんですよね。そのとき審査員だったHIDADDYさんに「テレビのオーディションでカメラが回ってきて、ラップできへんかったら終わりも同然」と言われるぐらい(笑)。
──辛辣……(笑)。
Authority 「確かに……」と思ったし、当然、本戦にも行けなくて。自分のスタイルとしても、まだ“韻踏みっこ”のレベルで特徴はなかったと思いますね。ただ、それで終わりたくないから、エントリーし続けて。
──「高ラ」の本戦に出るのは2017年ですが、その前の2016年にUMBの青森代表になっていますね。
Authority その前から、先輩がオーガナイズしてる地元のバトルとかには出場してて、そこからのUMBでした。
KEN 下地はあったんだ。でも地元での名前の通り具合で有利・不利が決まるときもあるから、高校生で客判定のUMBを勝ち上がるのってかなり大変じゃない?
Authority 青森予選はしばらくやってない時期があって、2016年にひさびさに青森で開催という感じだったんで、参加するのも自分の世代がけっこう多かったんですよね。それに、駅前でやりすぎて苦情が来るぐらい、俺らの世代はひたすらサイファーに時間を使ったから、そもそもフリースタイルが強かった。
KEN だから若手が勝っても違和感がなかったんだ。
──KENさんは審査員として「高ラ」のオーディションに関わられましたが、そのときのAuthorityさんの印象はありますか?
KEN 「高ラ」はオーディション当日の内容も大事だけど、地元でバトルに出ているかどうかも、僕の場合は判断材料にしてましたね。そもそもエントリー数が1000人近くいて、1日に100人単位で審査するし、遊び半分で来る人も当然いるから、資料の項目として入ってた“キャリアがあるか=バトル経験があるか”には目を通してた。オウソも「UMBに出てる」というのが判断材料だったところもあるし、2016年のオーディションではめちゃくちゃカマしてて。あの年がラストチャンスだったの?
Authority そうですね。全日制の学校から通信制の学校に移ることになって、高校に行く期間が1年伸びたんで、それで「高ラ」に出られたんですよね。19歳になってたんで(笑)。結局、1回戦で負けましたけど、達成感というか、スッキリしたという感じでしたね。
“若い世代”という枠を作ってもいいと思った
──怨念さんは「高ラ」には?
怨念JAP エントリーもしてないですね。ずっと観てたし、興味もあったんだけど、ラップを始めたのが19歳だったんで、すでに年齢制限を超えてて。
KEN 最初に始めたのはバトル?
怨念JAP 僕はサイファーですね。東京に出てきてSNSを調べたら、タイミングが合ったのが北千住サイファーだったんで、そこに参加したのが最初です。
KEN 地元とか友達のような関係性がないところに参加したんだ。緊張しなかった?
怨念JAP しましたけど、意外といけちゃうタイプなんで(笑)。ただ、ラッパーとしてのキャリアはかなり短いですね。けっこう早めに裏方に回ったんで。
Authority 怨念くんはバトルでめっちゃキレてるイメージありますよ。
怨念JAP 「MC BATTLE THE罵倒」に出てたからそのイメージがあるっぽいんですよね。
Authority 尖ってましたよ(笑)。
怨念JAP 子供の頃に極真空手をやってたんで(笑)。空手の試合に出るマインドに近かったかも。技術うんぬんよりも「俺はやれる!」「やってやる!」みたいな気持ち先行だった。でも、ラップを始めて3、4年で、「俺がステージに出るのは違うかもしれない」と思ったんですよね。バトルは面白いけど、ステージ側ではないのかなって。
KEN それはなぜ?
怨念JAP 自分のバトルの映像を観たり、録った音源を聴いて「こいつセンスねえな」と思ったんです。始めたのも遅かったから、ここから努力しても、先に始めた同世代のラッパーとの差は埋められないかもなと思って。オウソもそうですが、同い年とか1、2歳差のプレイヤーがすごく多かったんで、余計にそう感じたんですよね。
──そこで「凱旋MC BATTLE」を2017年9月16日に渋谷のclub bar FAMILYでスタートさせますね。1回目の優勝はMasa & トラヴィス・スットコ(Donatello)でした。
怨念JAP バトルやイベントは、キャリアが上の人がシーンの中心だったから、自分たちの世代でイベントを立ち上げたいと思ったんですよね。「戦極MCBATTLE」のお手伝いをしてた経験もあったから、小箱でイベントを開けるぐらいのノウハウはMC正社員さんから教わって身に付いていたんで。それでイベントを企画したら形になったし、自分がステージに立つときよりも達成感を感じて、「じゃあこっちに切り替えよう」と思ったんです。
KEN 20代前半で裏方に専業で回る人って少なかったよね。
怨念JAP ラッパーと並行しながら裏方もやる人はいたけど、専業はほぼいなかったと思います。
KEN 「凱旋」は年齢層が低かったよね。「高ラ」に影響を受けた世代がパーティを開いて、バトルも観客も同世代というのは、すごく美しい流れだと思った。
怨念JAP 同世代で、若い世代は若い世代同士で遊べる空間がないと全力で楽しめないと思ったし、そういうバトルイベントがあってもいいだろうなって。
KEN ライブイベントは「どんなアーティストが出るか」「どの世代が出るのか」といった基準や趣旨があるのに、バトルイベントはそういう選択肢があまりなかったよね。
怨念JAP そうですね。だから“若い世代”という枠を作ってもいいと思ったんです。普通に制服でクラブに来てる子とかいましたもん。
Authority “卒イベ文化”はなかったんですか?
怨念JAP 長野はなかったね。
KEN 卒イベ文化って? 卒業イベント?
Authority そうです。青森は、卒業する年齢のやつらが、合同で一緒にパーティを主催するっていう文化があったんですよ。
KEN パーティと卒業イベントが一緒になった感じだ。
Authority そこで俺もバトルをやりましたよ。もうバトルが流行りすぎて、卒イベにバトルを組み込んだほうが収益が出るぞ、みたいな。卒業を祝うイベントなのに、めちゃくちゃディスり合ってるやつがいるという。意味わかんないですよ(笑)。
──門出を祝ってエール交換するどころか(笑)。
Authority しかも賞金を奪い合って。卒業という記念日を分かち合ったほうが絶対いいのに(笑)。でも、同世代のバトルは普通のバトルとはちょっと違う感覚がありますよね。やりやすいというか、しゃべりやすい感じがある。
“いいバトル、いいライブ”を目指した「凱旋 MC battle」
KEN 「凱旋」は最初から怨念くんがブッキングも決めたんだよね。
怨念JAP そうです。バトルもライブも自分で電話して。
KEN 怨念くんはブッキングにしろオファーにしろ、最初の連絡は絶対に電話だよね。
怨念JAP 本当は直接会いたいんですけどね。
KEN 最近はメールかSNSが基本なのに珍しいタイプ。
怨念JAP LINEとかだと、どうしても定型文になってしまうから、気持ちが伝わらない気がするんですよね。でも電話や対面だと、例えば断られるにしても、完全拒絶なのか、タイミングの問題なのか、みたいな塩梅がわかるじゃないですか。
KEN 温度感がわかるね、確かに。
怨念JAP 「押しまくればいけるかも?」とか(笑)。だから、必ず直接コミュニケーションは取ろうと思ってます。
──以前、別のインタビューで、「凱旋は当初、まったく儲からなかった」とお話しされていましたね。
KEN そうなんだ。最初からうまくいってたイメージがあるけど。
怨念JAP 全然ですよ。イベントの作り方は知ってたけど、ビジネスとしての進め方、お金にする方法はわかってなかった。だから、最初は赤字ばっかりだったし、イベントをやるためにバイトして、イベントやって借金作って、さらにバイトして……焼肉屋で14時間ぐらい働いてました。それで200万ぐらい借金が重なった頃に、Shibuya O-EASTで「凱旋MC battle東西選抜春ノ陣2019」を開催することになって、そこらへんでやっとトントンから黒字に転換していって。
KEN 大型化して、ビジネスになったという。
怨念JAP キャパ200ぐらいの、例えば渋谷のVUENOS(2020年5月に閉店)レベルでチケットを売り切っても、出演料や経費で全部飛んじゃうどころか赤字なんですよね。でも、イベントをショボくはしたくないから、そこはケチれない。だからclubasiaとかVUENOSあたりの規模感のときが一番キツかったですね。
KEN そこでチマチマしてると、次につながらないしね。「凱旋」はMCバトルイベントだけど、同時にライブにも力を入れてたと思う。バトルイベントはバトルに出る人のライブというある種のプロモーション的な機能もあったけど、「凱旋」はバトル界隈ではない人もライブに呼んでたし、いわゆるバトルヘッズとラップリスナーをちゃんとつなげようとしてたと思うんだよね。
怨念JAP せっかくイベントを開くなら、いいバトルはもちろん、いいライブをお客さんに観てほしいし、自分も観たかったんですよね。だから単純ですけど、“いいバトル、いいライブ”をすることしか目的がなかった。
──「いつかはこれで儲けよう」とは思ってなかった?
怨念JAP 考えてなかったというか、想像がつかなかったですね。空間として面白かったし、友達や仲間も増えていったから、この場を続けたいな、ぐらいで。だから、“夢中と熱中”がモチベーションでしたね。
<後編に続く>
Authority(オウソリティー)
青森県黒石市出身のラッパー。「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」を見てラップを始める。2016年から4年連続「ULTIMATE MC BATTLE(UMB)」青森予選で優勝し、本戦に出場。2018年にはUMB本戦で準優勝、2019年には優勝を果たした。2022年、優勝賞金1000万円をかけた「BATTLE SUMMIT」で優勝。近年は楽曲制作に力を入れており、これまでに4作のEPをリリースしている。
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怨念JAP(オンネンジャップ)
「凱旋 MC battle」のオーガナイザー。ラッパーとしての活動を経て、21歳で「凱旋 MC battle」を立ち上げ、企画、出場者のブッキング、司会も自ら務めている。近年では「凱旋MC Battle Special アリーナの陣」「凱旋MC Battle -さいたまスーパーアリーナ-」などアリーナクラスの会場で同大会を開催。8月25日には大阪・CLUB JOULEにて「凱旋MC battle 夏ノ陣U-27」を実施する。
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KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。