アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は最新アルバム「Luminescent Creatures」をリリースしたばかりの、国内外で支持を集めるシンガーソングライター青葉市子の音楽遍歴に迫った。
取材・文 / 大石始
本当の原点は母の数え歌
父は京都の人なんですけど、母は生粋の江戸っ子で、私は浦安の病院で生まれ落ちました。幼稚園に入る頃、京都に移りまして、育ったのは山の麓です。一番古い歌の記憶は、母がお風呂の中で歌っていた数え歌。1から10まで数えて、そのあと「おまけのおまけの汽車ポッポー、ポーと鳴ったらあがりましょ」「ポッポー」と歌ってお風呂から上がるんです。その歌は今も記憶に残っています。それが本当の原点かもしれませんね。母は中学生のときギターサークルに入っていて、歌を作っていました。学生時代、通学路をぶにぶにした猫が歩いていたらしくて、「ぶに猫のうた」という曲を作ったことを大人になって教えてくれました。ちょっと変わった人なんです(笑)。
3歳の頃、1オクターブ半ぐらいしかない小さなトイピアノを買ってもらったんです。「セーラームーン」などアニメが好きだったので、オープニング曲に合わせて弾いてました。CMソングもそうやって耳コピしてましたね。「コアラのマーチ」とか、お菓子のCMだったと思います。初めて買ったCDは「ポケモン言えるかな?」。おねだりして母に買ってもらいました。いまだに同世代の友達に会うとポケモンを言えるかどうか確認することがありますからね。ピカチュウ、カイリュー、ヤドラン、ピジョン、コダック、コラッタ……(笑)。
小学校に入ってすぐの頃、少しだけピアノを習っていました。それも2週間だけ(笑)。当時は習い事ブームだったので、スイミングスクールとか体操クラブにも入れられたんだけど、その一環としてピアノ教室に行ったんです。そのときすでに自己流でなんとなく弾けるようになっていたんだけど、教室の先生に「指が違う」と怒られて。なんで弾けてるのにダメなんだろう?と思って通わなくなりました。小学生高学年になると合唱部に入るんですが、そっちもやめちゃいました。
体育会系の吹奏楽部で学んだこと
中学ではフルートが吹きたかったので吹奏楽部に入部しました。でも、フルートの希望人数が多すぎて、結局クラリネットを担当することに。指揮をとっていた顧問の先生が素晴らしい方で、多感な時期、その方に音楽のことを教えてもらえたのはとてもいい経験でした。楽器の音色の重なりって本当に美しいんだなと思ったし、オーケストラの素晴らしさを知ったのも吹奏楽部。部活ではオットリーノ・レスピーギの交響詩「ローマの噴水」を演奏していたんですけど、当時の記憶が残っていたので、2018年にリリースした6枚目の「qp」というアルバムでは「ローマの噴水」の一部「夜明けのジュリアの谷の噴水」をカバーしました。吹奏楽部で学んだことで一番大きかったのは……根性です(笑)。肺活量を鍛えたり、コンクール前には合宿したり、かなりがんばっていました。朝練もあったし、かなり体育会系だったんです。楽器の運搬も大変で、そういうことは今の活動に生かされていると思います。
中学生の頃、MDが流行って、MDに曲を入れるためにTSUTAYAでCDを借りたりしてました。レンタルしたのは当時の流行り歌や、吹奏楽部の課題曲。あとは、ディズニーとかジブリのサントラは子供の頃からよく聴いてましたし、MDにも取り込んでいました。ジブリで一番好きなのは「風の谷のナウシカ」かな。ディズニーとジブリは私にとって二大ルーツなんです。
山田庵巳さんとの出会いは「雷が落ちたよう」
中学2年生の頃、クラスでヴィジュアル系バンドが流行っていて、私も友達から教えてもらっていました。ある日、mixiで知り合ったお姉さんにライブのチケットを譲っていただいたんです。NIGHTMAREかthe GazettEのライブだったと思うんですけど、せっかくだから遊びに行ってみようと思って大阪のBIGCATに行きました。着いてみたら整理番号が3番か4番で、何も知らないのに最前列で観ることになってしまって。始まるとモッシュやダイブがすごくて、潰れそうになっているところを隣にいたお姉さんが守ってくれました。終演後も「お母さんは来てないの?」とか心配してくれて。その方は東京であるバンドのマネージャーをすることになっていて、「よかったら今度ライブを観に来てよ」と誘ってくれました。そのバンドに山田庵巳さんがいたんです。バンドも面白くて好きだったんですけど、山田さんがソロで弾き語りをやっていて、そちらのほうが断然好きになってしまいました。
当時は京都から東京まで高速バスに乗って山田さんのライブに通っていました。なぜそこまで惹きつけられたのか、いまだにわからないところもあるんですけど、とにかくものすごく響いたんです。1人で音楽をやっているということにも感動したんだと思う。たった1人の息遣いだけで物語が存在するということに、雷が落ちたような感銘を受けたんです。山田さんの歌をコピーしたいとは思っていましたけど、歌うことによって世に出ていきたいとは思っていませんでした。コピーした演奏をライブ前の山田さんに楽屋で聴いていただいて、合格だったら京都の実家のお風呂でそれを弾く、そんな感じでした。山田さんは「指は間違ってるけど、音が合ってるからいいね」と言ってくれました。
山田さんから学んだことで一番大きかったのは“枠に収まらないこと”です。たとえば、こうやってインタビューを受けているときも、カーテンのほうに目をやればそこに妖精が飛んでいるかもしれないし、どこかに怪物が潜んでいて突然脅かしに来るかもしれない。そういう空想も含め、すべてを招き入れる。今あるものだけが現実なのではなくて、そこいら中に物語のかけらが落ちている。それらを疑うことなく、心から信じること。そうすることで物語がこちらに語りかけてくれる。そういう“創作との信頼関係”を学びました。
「やってみたら?」で生まれた初のオリジナル曲
高校では軽音楽部に入りました。軽音楽部の部員は5、6人しかいなかったので、ほかの部員がやりたい曲を自動的にやることになるんです。東京事変やASIAN KUNG-FU GENERATION、BEAT CRUSADERSをコピーしてました。みんなギターをやりたがるので、誰もやらないキーボードを担当したり、ドラムやボーカルをやったこともありました。aikoさんの「風招き」という曲を歌ったことを覚えてます。ただ、クラスではうまくやれなくて。すごくしんどくて、放課後の軽音楽部の時間だけがよりどころでした。教室に行けなくなっていたので、音楽室に勝手に入ってピアノを弾いてみたり、いろんな楽器で遊んだり。私が通っていた学校はカトリック系で、お祈りの部屋があったんです。天井が高くて声が響くその部屋に忍び込んでこっそり歌ったこともありました。その頃の私には音楽しかなかった。
山田さんの楽曲をある程度弾けるようになると、山田さんが「せっかく弾けるようになったんだからやってみなよ」と、銀座のバーでやっていたオープンマイクのイベントに誘ってくれました。その後、山田さんやバーのマスターが「自分の曲を書いてみたら?」と勧めてくれて。それで京都の大学に入ったばかりの時期に、実家で「不和リン」と「ココロノセカイ」という最初の2曲を書きました。この頃、横には山田さんがいたし、彼のいるコミュニティの中だけで歌っていたんですね。あくまでも「やってみたら?」と言われたので書いてみた感じで、誰かに聴いてもらうことは考えていなかったと思います。
「ココロノセカイ」はまさに私が通っていた銀座のコミュニティのことを歌っています。「扉をあけると果実の香りがするの」という歌詞がありますけど、果実酒がたくさん置いてある店だったので、本当に扉を開けると果実の香りがしたんです。今はうまくいってますけど、当時両親とうまくいっていなかったので、家にいるのがつらくて。抜け出して銀座に行くときは「自分の心の世界にいくんだ」という気持ちだったんです。そういう気持ちを歌詞に書きました。「不和リン」にもその頃の人間不信ぶりがありありと書かれてますね。
曲を書くうえで参考にしたのは山田庵巳さんだけです。実際に「ココロノセカイ」のコード進行は(山田の楽曲である)「機械仕掛乃宇宙」からいただいています。「このコード進行をいただいていいですか?」と京都から電話したんです。「ぜひやってごらん」と言っていただけたので「ココロノセカイ」を書きました。ただ、大貫妙子さんは学生時代から聴いていて、影響を受けたところもあると思います。聴き始めたのは山田さんが大貫さんのカバーアルバム「音のブーケ~大貫妙子カヴァー集」(2008年)に参加していたことがきっかけです。山田さんがカバーしていた「夏色の服」を収録した「cliché」(1982年)をよく聴いていました。息の使い方などには自然に大貫さんからの影響が出てると思いますね。
戸惑いの中で救ってくれた細野晴臣さんのひと言
1stアルバム(2010年1月発表「剃刀乙女」)の前後はもうわけもわからないまま動いている感じでした。アルバムのレコーディングも自分の意志ではなかったですし。山田さんの曲を銀座で歌うようになったとき、お客さんの中にイベンターの方がいて、ほかのイベントでも歌うようになったんです。そのときの動画をTONEの是澤(泰志)さんがご覧になったようで、mixiで連絡をいただき、アルバムを作ることになりました。その流れでデイジーワールドのイベントで細野(晴臣)さんに初めてお会いしたり、一気に交流が広がった感じでした。
何事に巻き込まれているのか、その重大さに気付くのはもう少しあとになってからのことです。気付く前に坂本龍一さんや小山田圭吾さん、U-zhaanさんが関わってくださるようになって。すごく印象に残っているのは、NHK-FMの番組「ニューイヤー・スペシャル」のセッションに参加したときのこと。細野さんと2人で「奇跡はいつでも」を収録することになり、そういうことに慣れていなかったので緊張していたんです。「どうしたらいいですか?」と細野さんに相談したら「自由にやって。じゃないと音楽がきらめかないから」と言われました。そのとき我に返るような感覚がありました。 1stアルバムを出して以降、親代わりだった山田さんから引き剥がされて、よくわからない業界に投げ込まれてしまったような感じだったんです。誰に何を頼ったらいいかわからなかった。そこで出会った細野さんに「自由にやって」と言っていただけたことで、「私はここにいていいのかもしれない」とすごく安心しました。細野さんのひと言には救われました。
マヒトさん(マヒトゥ・ザ・ピーポー / GEZAN)や下津さん(下津光史 / 踊ってばかりの国)に初めて会ったのは2012年の12月ぐらいだと思います。当時、代々木にStepwayというスタジオがあって、そこで朝まで3人で遊んでいました。「俺ら、同い(年)やねん!」とか言ってくれて。中学高校と学校でうまくいかなくて、ずっとはぐれものだったけど、実はその頃からつながっていた友達がタイムカプセルみたいにパン!と出てきた感じがして感動しました。それまでは「この子、変わってるから」と年上の方々に面白がられているところはあったと思うんです。それはそれでうれしいんだけど、そうじゃなくて「お前が生きてくれているのがうれしい!」と言ってくれる2人が急に現れたのは私にとって驚きでした。
海外ライブで得た、音楽を「手放していく」感覚
2014年、三宅純さんと知り合います。白井晃さんという演出家と三宅さんがタッグを組み、堀北真希さんが主演を務められた「9days Queen~九日間の女王~」という舞台があって、そこに私も出ることになって。そのとき三宅さんが住むパリへ行き、曲を書いたんです。その頃から海外に行くことが増えて。アジアにも行くようになり、最初は台湾で、その後中国でツアーをしました。その頃に出会って仲よくなったのはスキップ・スキップ・バンバンちゃん。今は林以樂(リン・イーラー)という名前で活動してます。最初の台湾公演で一緒にやったのかな。そのあと台湾でライブをやるたびに遊びに来てくれたり、共演したり。一緒に日本を回ったこともあったし、いまだに仲がいいですね。
2021年にヨーロッパツアーがあり、その翌年には初のUSツアーをやりました。海外はサブスクで私のことを見つけてくれた人たちが多くて。日本のライブだと開演前に1人で読書しながら待っている方が多いんですけど、アメリカやヨーロッパだとスケボー片手に来る男の子がいたり、友達同士で遊びに来る感じで。ステージに出ていくとロックバンドのライブみたいな反応をされるんです。そうやって今までと違う受け入れられ方をされたことで、自分の中で眠っていたものが目覚めるような感覚があります。簡単に言うと“開く”ということです。単純に「性格が明るくなる」のではなく、音楽に対していい意味で「手放していく」というか。私の音楽はすでに私だけのものではないんだということを、海外のファンの方から教えてもらっています。もちろん奏でる人はここにいるんですけど、この音楽はそれぞれのドキュメントの中で育っている。私は種まきをしただけで、たくさんの花が咲いているところにお邪魔しているような気持ちなんです。「表現をしにいくぞ」という感覚ではないんですよね。
2021年のパリの公演ではアルージ・アフタブと対バンをしました。彼女がグラミーを獲る前だったのかな。セーヌ川に浮かぶ船の上が会場だったんですけど、歌に魂が宿っている感じがして、本当に素晴らしくて刺激を受けました。それ以降メッセージのやりとりをしたり、テネシーのフェスで一緒になったときに彼女のライブを観に行ったりして、今でも交流は続いています。
今年のワールドツアーはヨーロッパ、北米などを回ります。大変は大変ですけど、じっとしているよりはいろんな景色を見ているほうが好きな性分なので幸せです。ボーダーをまたいで活動するというのは簡単なことではないし、大切なものを見させてもらっていると思います。国や人種、宗教、思想の違いと音楽ってまったく関係ないところにあると思っているので、その部分を信じているんですね。今を生きてる人たちと触れ合えるというのは本当に素敵なことだし、生身の身体で互いに確かめ合っていきたいと思っています。「今回のツアーは大変そうだ」みたいなことはできるだけ考えないようにしています(笑)。
青葉市子(アオバイチコ)
17歳からクラシックギターを弾き始め、2010年1月にアルバム「剃刀乙女」でデビュー。シンガーソングライターとしての作品リリースと国内外でのライブ活動のほか、ラジオパーソナリティ、ナレーター、映画音楽作曲家、パフォーマーなど多岐にわたる分野で活躍している。2014年にはマヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)とのユニット・NUUAMMを結成。デビュー10周年を迎えた2020年には自主レーベル・hermineを設立した。2025年2月から11月にかけてキャリア最大規模のワールドツアーを実施。
公演情報
Luminescent Creatures World Tour
アジア
2025年2月24日(月・振休)香港 Grand Theatre / with HK Phil
2025年2月26日(水)ソウル Sky Arts Hall
2025年3月6日(木)台北 Zhongshan Hall
ヨーロッパ
2025年3月10日(月)スペイン バルセロナ Parallel 62
2025年3月11日(火)スペイン バレンシア La Rambleta
2025年3月13日(木)イタリア ミラノ Auditorium San Fedele
2025年3月15日(土)スイス チューリッヒ Mascotte
2025年3月18日(火)ドイツ ハンブルク Laeiszhalle
2025年3月19日(水)ドイツ ベルリン Urania(Humboldtsaal)
2025年3月21日(金)オランダ ユトレヒト TivoliVredenburg(Grote Zaal)
2025年3月23日(日)オランダ フローニンゲン De Oosterpoort
2025年3月25日(火)ベルギー アントウェルペン De Roma
2025年3月27日(木)フランス パリ Le Trianon
2025年3月31日(月)イギリス ロンドン Barbican / with 12 Ensemble
2025年4月2日(水)イングランド マンチェスター Albert Hall
2025年4月4日(金)イングランド ゲーツヘッド The Glasshouse
2025年4月5日(土)スコットランド グラスゴー City Halls
北米
2025年4月17日(木)アメリカ ハワイ ホノルル Hawaii Theatre
2025年4月19日(土)カナダ バンクーバー Chan Centre
2025年4月20日(日)アメリカ ポートランド Revolution Hall
2025年4月21日(月)アメリカ シアトル The Moore
2025年4月23日(水)アメリカ オークランド Fox Theater
2025年4月26日(土)アメリカ ロサンゼルス The Wiltern / with Wordless Music Quintet
2025年4月27日(日)アメリカ ロサンゼルス The Wiltern / with Wordless Music Quintet
2025年4月29日(火・祝)アメリカ スコッツデール Scottsdale Center
2025年5月1日(木)アメリカ デンバー Paramount Theatre
2025年5月2日(金)アメリカ セントポール Fitzgerald Theater
2025年5月6日(火・振休)アメリカ シカゴ Thalia Hall
2025年5月7日(水)アメリカ シカゴ Thalia Hall
2025年5月8日(木)アメリカ デトロイト Masonic Cathedral Theatre
2025年5月10日(土)アメリカ クリーブランド Agora Theatre
2025年5月12日(月)アメリカ ボストン Berklee Performance Center
2025年5月14日(水)アメリカ ニューヨーク Kings Theatre / with Wordless Music Quintet
2025年5月17日(土)アメリカ フィラデルフィア Miller Theatre
2025年5月18日(日)アメリカ ワシントン Warner Theatre
2025年5月22日(木)メキシコ Teatro Metropolitan
オーストラリア&ニュージーランド
2025年5月29日(木)オーストラリア シドニー Sydney Opera House
2025年5月30日(金)オーストラリア シドニー Sydney Opera House
2025年5月31日(土)オーストラリア シドニー Sydney Opera House
2025年6月3日(火)ニュージーランド オークランド Bruce Mason Centre
ヨーロッパ
2025年6月24日(火)フィンランド ヘルシンキ Temppeliaukio Church
2025年6月26日(木)ノルウェー オスロ Cosmopolite
2025年7月1日(火)イタリア フィレンツェ Teatro Romano Fiesole
2025年7月2日(水)イタリア ローマ Casa del Jazz
2025年7月4日(金)スペイン バルセロナ 「Vida Festival」
2025年7月6日(日)オランダ グルーネ・フーフェルス 「Down the Rabbit Hole Festival」
南米
2025年11月25日(火)ブラジル サンパウロ Teatro Liberdade
2025年11月27日(木)アルゼンチン ブエノスアイレス Teatro El Nacional
2025年11月29日(土)チリ サンティアゴ Teatro Teleton
2025年12月2日(火)ブラジル サンパウロ Teatro Bradesco
Reflections of Luminescent Creatures
2025年8月13日(水)東京都 サントリーホール 大ホール
2025年8月18日(月)神奈川県 横浜みなとみらいホール 大ホール
2025年8月20日(水)東京都 すみだトリフォニーホール 大ホール
2025年8月22日(金)大阪府 NHK大阪ホール
2025年8月23日(土)大阪府 NHK大阪ホール