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「さんピンCAMP」とその時代|RHYMESTERが語るヒップホップ史に残る名シーン

RHYMESTER
6分前2026年05月21日 10:04

伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」の全貌に迫るべく、当時の関係者や出演アーティストへのインタビューなど、さまざまなコンテンツをお送りする連載企画「『さんピンCAMP』とその時代」。第3回の前編では、RHYMESTERの3人に日本のヒップホップシーンが大きな変化のうねりの中にあった「さんピンCAMP」前夜、1993年から1995年の日々について振り返ってもらった。

エイベックス傘下のcutting edge所属アーティストのためのイベントという側面もあった「さんピンCAMP」に、RHYMESTERはどのような思いで出演したのだろう? 後編ではMummy-Dが日比谷野音のステージで放った「日本のヒップホップシーンは俺たちだけで作ってるもんじゃねえ!」という言葉の真意、彼らにとって「さんピンCAMP」はどんな意味を持つイベントだったのかを語ってもらった。

取材 / 猪又孝、高木“JET”晋一郎 文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 大城為喜 スタイリング / 小林里絵 ヘアメイク / 岩城舞

出演者とリスナー、どちらも初めて見る光景だった

──「さんピンCAMP」のオファーを受けたときのことは覚えてますか?

Mummy-D 確か、まず俺のところに石田さん(ECD)から電話がきたんだ。「『さんピンCAMP』というイベントをやることになって、いろんなクルーからラッパーを呼びたい。ついてはRHYMESTERに出てほしい。ただ尺的にクルーのほかのグループは呼べないんだけどいいかな?」って。それで「メンツに関しては石田さんが決めることだから、そういうのは気にしないでいいんじゃないですか?」という話をしたね。

宇多丸 俺も同じような話をされたよ。「全員出すのは無理なんだから」と俺も答えた。俺たちの出番はかなり前のほうだったから、「まあそういう感じだよね」って納得もしていたし。

Mummy-D だからFGの代表として出たという感じではあったのかな。

宇多丸 でも、当然だけど石田さんが主催者だったというのが、何よりも大きかったよね。

──石田さんが主催に立ってなかったら?

宇多丸 もっとカオスなものになってただろうし、その部分でも石田さんの功績は大きい。でも石田さんも大変だったと思うよ。年齢的にもシーンにいる誰よりずっと上(注:宇多丸と比較すると9歳差)だったから、俺ら世代のラッパーの輪の中にいるだけでも、実はひと苦労だったんじゃないかな。

──その時点で「さんピンCAMP」はビッグイベントという印象でしたか? それとも数あるイベントの中の1つ?

宇多丸 野音という規模でやるんだから、もちろんスーパービッグイベントだよ。当時のラッパーはまだ誰もそんな場所に立ててないし、あの人数、規模感は経験したことがなかった。実際、ステージからの光景は、出演者全員にとって初めて見るものだったよね。

Mummy-D イベントが始まった瞬間、演者がみんなステージの袖から客席を見て「おー、すげえ!」って盛り上がってて。3000人がヒップホップで体を動かす光景は初めて見るものだったし、やっぱり感動したよ。

──以前、Dさんにお話を伺ったとき、「初めての規模だから、出る側も観る側も緊張しちゃって、処女と童貞のセックスみたいにギクシャクしちゃってた」とおっしゃっていて(笑)。

Mummy-D ひどい比喩だし、よくそういう発言を覚えてるな(笑)。

宇多丸 1回こっきりのドキドキとピリピリと……。Dの言わんとすることはわかる(笑)。それくらい、あの感覚は本当に特別なものだったと思う。

Mummy-D お客さんも、こんなにヒップホップリスナーがいて、それが一気に集まるというのは初めての経験だし、光景だったと思うんだよね。だからお客さんはお客さんで、自分たちがワーッと盛り上がってる状況に対して感動してたんじゃないかな。あの空気は二度と味わえないと思うよ。

宇多丸 出る側も晴れ舞台だったから。「この場に立つまで何年苦労してきたと思ってんだ!」という気持ちもあるし、それまでの活動の集大成でもあるし、勝負の場であるってことで、すごく気合いが入ってた。同時に、もろもろの建て付けからして、「とは言えあくまで“cutting edgeの”イベントでもあるわけだから」という感じも、出演者の間にはそれなりに強く漂っていた気がします。その時はそんなこと知らなかったけど、結果として“小室マネー”の恩恵でもあったわけだから。

Mummy-D ヒップホップシーンはもっと小室哲哉さんをリスペクトしたほうがいい(笑)。

宇多丸 いつか会う機会があったらみんな最敬礼で「ありがとうございました!」って言わないと(笑)。

RHYMESTERとILLMARIACHIだけの打ち上げ

──トップアーティストの利益を新規開拓に投資するのはレーベルの機能として当然とも言えます。ただ、当時の「MASS 対 CORE」的なスタンスからすると、その構造を手放しで肯定するのは難しいですよね。ゆえに極端な見方をすれば、「メジャーがアンダーグラウンドシーンを利用した」という捉え方もできる気がします。

宇多丸 いやいや、その読みはさすがに意地悪すぎるよ。そこまでは感じてなかった。ただ、デカいチャンスではあるし出るからには一番盛り上げるつもりでやるけど、さっき言ったようにそもそもcutting edgeのためのイベントだしなぁ、というような気分はなんとなくみんなに流れてたと思う。例えば、さっき言った92年暮れからのペイジャーショックからすれば最重要人物であるはずのTWIGYは、出演しなかったしさ。「TWIGYらしいと言えばTWIGYらしいし、気持ちはなんかわかる気もする」と思ったもん。

Mummy-D 今思えば、「さんピン」に出ないことがブランディングだったのかな。

宇多丸 「We Are The World」に参加する人、しない人みたいな(笑)。

Mummy-D TWIGYはプリンスだね。参加しないほう(笑)。

宇多丸 打ち上げを渋谷CAVEでやるとは言われたんだけど、「絶対、誰も来ないよ」と言ってたら、本当に俺らとILLMARIACHIしか来なかった(笑)。初対面だったTOKONA-Xと「そっちも横浜出身なんだー!」みたいな話で盛り上がったのを覚えてる。

Mummy-D 聞きつけて遊びに来るやつもいなかったもんね。

──その打ち上げの状況は、YOU THE ROCK★さんが「さんピン」の最後にやったシャウトアウトの熱気とは裏腹な感じもありますね。

宇多丸 俺らは俺らで自分たちの道を行かないとって考え始めた時期だし、みんなそうだったと思う。だから「大イベントというチャンスを最大限生かそう」って感じだったんじゃないかな。少なくとも俺らはそうだった。

──バックステージはどんな雰囲気だったんですか?

DJ JIN みんな楽屋にいなかったよね。

Mummy-D 客席からステージを観てたんじゃないかな。俺も客席で観てた時間が長かったと思う。

宇多丸 バックステージのテンションは高くなかったよね。緊張もしてただろうし。

Mummy-D うん、和気あいあいではなかった。

宇多丸 正直、出る側のパフォーマンスは総じて普段よりはよくはなかった気がする。あの日いつも以上によかったのはRINOくらい? みんな普段のほうがよかった。ブッダだって途中でやり直ししてたしね。コンちゃん(DEV LARGE)がブッダのライブのあとに「全然ダメだった」ってめちゃくちゃキレてたのは覚えてる(笑)。

Mummy-D あー! そうだったね。

リハーサルでも手の内は隠してた?

──リハーサルは覚えてます?

Mummy-D 確かリハは用賀のデカいスタジオでやったんだよ。

宇多丸 よく覚えてるな(笑)。普通はそんなデカいとこは取らないから、やっぱり大舞台だから、ということかな。

Mummy-D みんなで一緒にやる曲もないのに、まとめて集められて。

宇多丸 しかも、誰もちゃんと来なかったんじゃなかったっけ?(笑)

DJ JIN でも、そのリハーサルでギドラがDJ KEN-BO、DJ KENSEIの2DJ体制でライブをしてるのを観て、すげえなと思ったな。

──MUROさんがリハーサルに来なくてDさんがすごく怒っていたというエピソードを聞いたんですが、その真相は?

Mummy-D それは覚えてないなー(笑)。

宇多丸 俺らは真面目だから「みんなちゃんと気合い入れろよ!」みたいな気持ちがあったのかな。

Mummy-D あとね、あの頃いろいろ怒ってたの、俺。石田さんが「さんピン」を盛り上げるために「ブッダにケンカを仕掛けたRHYMESTER」みたいなことをいろんなインタビューで言ってたんだよ。でも俺からしたら「ケンカ売られたのはこっちだよ!」って話じゃん。それで「石田さん、その状況を見てたじゃないですか!」って怒ってたんだよね。そういう流れで、MUROくんが来ないことにも怒ったのかもしれない(笑)。

一同 はははは!

宇多丸 その頃になると、それぞれのグループの自負もデカくなってたしね。一方、石田さんは石田さんで、イベントを盛り上げるためにいろいろ考えなきゃいけないことがあったんでしょう。だから、やる前からもう、疲れ果ててるなと思ったもん。

Mummy-D そんなときに俺も突っかかっちゃって。悪いことしたね(笑)。

──本根(誠)さんは「MUROさんはリハを欠席することで、手の内を見せないようにしてたんじゃないかな」とおっしゃってました。だから、リハでRHYMESTERが手の内を一方的に見せることになったことに、Dさんは怒ったんじゃないかと推測されていて。

宇多丸 いやいや、それで怒ることはないと思う。俺らも普段からリハでわざと違う曲やったりしてたし。

──みんな、そういう感じだったんですか?

宇多丸 俺らは主に対EAST ENDだったけどね。手の内見せずに本番であっと言わせてやる!って感じは間違いなくありましたよ。やっぱ、やってることの真価を本当に理解してくれるのは、当時は客よりほかの出演者たちだったからさ。

──本番と違う曲やったら、リハの意味がない気もしますけど(笑)。

Mummy-D ホントだよな(笑)。

──でも、それだけ周りを驚かせたかったということですよね。

宇多丸 まあ、そもそもMUROくんの現場滞在時間が最短なのは昔から有名だから(笑)。リハに来なかったのも他意はなかったと思うよ。

「耳ヲ貸スベキ」に感じていた手応え

──話題を「さんピン」でのRHYMESTERのライブ本編に移します。

Mummy-D やっとかよ(笑)。

──すみません(笑)。「FRONT」誌によると、「さんピン」で披露した楽曲は「20世紀~開け心」「マイクの刺客」「知らない男」「耳ヲ貸スベキ」「口から出まかせ」だったようですが、映像に残っているのは、ビリー・スクワイア「The Big Beat」使いの「20世紀~開け心」の冒頭部分、BOY-KENさんを迎えた「知らない男」、ラストは「耳ヲ貸スベキ」です。この選曲はどのようにして決めたんですか?

宇多丸 当時……今もそうだけど、1stアルバムの曲はやりたくないから、2nd「EGOTOPIA」に入ってる曲、つまりアルバム1枚分しかライブでやれる曲がなかったんだよね。もちろんキングギドラとソウスク(SOUL SCREAM)との曲(「口から出まかせ」)、ケンちゃん(BOY-KEN)とコラボした曲(「知らない男」)はお祭りにふさわしいからやろうと思った。だから、短い時間の中で、グループ曲とコラボ曲、そして新曲の「耳ヲ貸スベキ」というバランスを取ったんだと思うね。

Mummy-D 「耳ヲ貸スベキ」を最初にやったのは、「KING OF STAGE」の第1回だよね。

宇多丸 そっか? 「さんピン」で初めて投入したんじゃない?

Mummy-D そうだっけ? 「KING OF STAGE」で最初にやってる気がする。

宇多丸 ホント? 記憶が食い違ってるね。

Mummy-D でも原型だったのは間違いない。

──Dさんのリリックも、宇多丸さんのフロウも音源とは異なっているという意味でも、ブラッシュアップの過程ではあったということですね。

宇多丸 そうだね。レコーディングもしてなかったから。「B-BOYイズム」もREC前に初披露したときは歌詞が違ったし、そういうことは往々にしてあるよ。俺はとにかく最後に新曲、しかもリリース前の曲をやるのはチャレンジだったという記憶がある。

──あの曲をラストにしたのは、今ここで聴かせるべき曲だと思ったからですか? それとも単純に新曲だったからですか?

宇多丸 めちゃくちゃ自信があったからだと思う。日本のヒップホップシーンの胎動をテーマにした曲だし、「まるでこの日のための歌じゃん!」「こんなデカいイベントでやったらすげえカッコいいじゃん!」みたいな気持ちは当然あったよね。初めて聴いたお客さんを、絶対にアゲられる自信もあった。実際、リリースされていないのにサビをコール&レスポンスできたことには、すごく手応えを感じた。今思えば、野音であんなにお客さんの声が聞こえたんだから、みんながんばって声を出してくれたんだろうね。野音のステージって、お客さんの声がものすごく届きづらいんだよ。

Mummy-D 屋外だから声や音が流れちゃうんだよね。

宇多丸 だから客席の反応がわかりにくい会場なんだけど、お客さんの声がすごくよく聞こえたし、それは本当に手応えになった。

──「耳ヲ貸スベキ」の「歴史的なこの記念日」というリリックは「さんピン」を意識して書いたわけではないですよね?

宇多丸 そうではないけど、「さんピン」も含めて、当時、現場に立つときはいつもそういう気持ちだった。大袈裟でなく、いつ、どの現場に立つときも、「この瞬間はいつか日本の文化史に残る大事な1ページになる」と本気で思っていたから。

Mummy-Dが放った言葉の真意

──JINさんは「耳ヲ貸スベキ」を初披露したときのことを覚えていますか?

DJ JIN うーん……正直、あんまり覚えてない(笑)。

Mummy-D 俺がJINに「ビートを止めろ!」って言ったのは?

DJ JIN それはもちろん覚えてる。

宇多丸 「耳ヲ貸スベキ」の前のMCだね。

Mummy-D あの一連の流れは事前に打ち合わせもしたし、内容も一字一句完全に決めてたんだ。

──え! そうなんですか!?

宇多丸 ほら! そういうこと言ってると、ホントに間違った事実が後世に伝えられちゃうよ!(笑)

Mummy-D 冗談冗談。何も決めてなかった。あれはアドリブなんだよ。

DJ JIN タイミングも含めて何も聞いてなかった。完全にアドリブ。

Mummy-D 今思えば、新曲をやる前に、よくそんな余裕があったね。

宇多丸 でも、ふさわしいんじゃない? 「ここにいないやつら」に対する気持ちを表明するというのは、あの曲の前以外にはあのMCをするタイミングはないでしょ。

Mummy-D その話する?

──ぜひお願いします。

Mummy-D 「さんピンCAMP」は、それまで一緒に戦ってた仲間たちが分けられる、線引きのラインにもなる、初めてのイベントだったんだよね。

──“出演組とそれ以外”というラインですね。今で言えば「POP YOURS」などもそうなると思いますが、大型イベントであればあるほど、そこである種のボーダーや権威、カテゴライズが生まれる。

Mummy-D 例えば西麻布(CLUB ZOA)でやってた「Black Monday」みたいなイベントに一緒に出てた連中の間にも、線を引かれることになったんだ。だから当日も、出られなかったけど観に来るやつもいれば、「自分が出ないイベントなんて観るわけねえだろ」って腐っちゃったやつもいたわけ。

──GAKU-MCさんも「行ってもよかったけど、行って変な空気になるのも嫌だから行かなかった」と話されていました。

Mummy-D さらには選ばれたのに出なかったTWIGYもいるわけじゃん。俺はその状況を見て切なくなっちゃってさ。「一緒にがんばってきた仲間はほかにもたくさんいるのに」というやりきれなさと、「地方も含めたこの外側にも仲間がいるんだ」という思いを、メッセージとして伝えたかったんだよね。それで「あいつらのために何かひと言でも言わないと」と思って口に出たのが、あのMCだった。

──Dさんがビートを止めてまで「日本のヒップホップシーンは俺たちだけで作ってるもんじゃねえ!」と呼びかけたあのMCは、「共同体宣言」でもあると同時に、ある種の線引きを伴ってしまった「さんピン」という構造に対する「異議申し立て」でもあったと思うんですね。改めて見直すと、その両義性を感じたし、だからこそ、あのイベントとその背景を象徴するコメントだと思います。サイプレス上野くんのようなヘッズがあのMCを大好きなのも、まさにその部分を感じ取っているからではないでしょうか。

宇多丸 上野に「俺、あのくだり全部できますよ!」って言われたもん。無駄な努力を(笑)。

Mummy-D 熱いこと言ってるよね。まあ、どうしても言いたかったから熱くなっちゃって。

DJ JIN でも、あのMCはアドリブだったからこそ、めちゃくちゃエモい。「言いたいことがある!」って言われて、俺もそこで急遽ビートを止めて。

Mummy-D だからJINが途中で音を出しちゃうのはミスじゃないんだよ。

──「まだだぞ」と念を押すのはそういうことなんですね。

Mummy-D あそこで、どのタイミングで曲に入ろうと思ってるかは、俺しか知らないし。

宇多丸 (まだリリースされていない曲なので)DATでトラックを出してたから、1回止めると巻き戻しが面倒くさいんだよ(笑)。

Mummy-D それでもどうしても言いたくてさ。今だったら曲を止めてまで話そうと思わないかもしれない。

宇多丸 名シーンだよね。俺たちは、今もMCで何を話すかとか全然決めてないから、たまにああいうマジックが起こるんだよ。アクシデントというか、「予定にないことが起こるのがライブの魅力」というイズムは、当時から俺らの中にあったから。あれはベストな流れだったんじゃない? 今振り返ってもカッコいいと思うし。またやってみる? 

Mummy-D 「俺が話し始めたら、JINが1回ビート出して、それで俺が『まだだ!』って止めるから」とか、前もって打ち合わせして(笑)。

──冷めるわー。あの名シーンを自分たちのライブでネタにするRHYMESTER、ホントに見たくない!(笑)

一同 (笑)。

Mummy-D あと「こんなシーンを待ってたぜ!」もやっちゃうかな。あれも俺の言葉でしょ?

一同 (笑)。

宇多丸 それMUROくん(笑)。あの言葉は、俺も「それそれ!」って思った。MUROくんも僕らと同じ頃から、どうしたら日本のヒップホップが盛り上がるんだろうってずっと苦労してきたし、彼の試行錯誤も見てきたから、あれは本当に心から出た言葉だと思う。

映像として残ったことに意味がある

──ちなみに映像を観返したことは?

宇多丸 そんなにないなー。間違いなくヘッズの皆さんのほうが、しっかり観てくれてると思う。

DJ JIN 何度か観たけど、それほど繰り返しては観てない。

宇多丸 でも、あれがVHS化されたことは、俺ら的にはものすごく大きかったよ。光嶋(崇)くんがいい形にしてくれたよね。リリース後はめちゃくちゃ地方に呼ばれるようになったから。要は「RHYMESTERってライブうまいじゃん」ということが、ようやく全国レベルで伝わるようになった。

DJ JIN 「さんピン」と、99年の「KING OF STAGE」のビデオのおかげで、日本全国から呼んでもらえるようになったのは間違いない。情報が限られている中で、RHYMESTERはこういうライブをやるんだということが映像で伝わったことは、その後の僕らのキャリアにも大きな影響を与えてくれたと思う。

──一方で、あのVHSが世に出たことも、Dさんが先ほどおっしゃったように、「さんピン勢」というくくりや線引きが定着するきっかけになりました。そういうくくられ方については当時どのように思っていましたか?

宇多丸 うーん……(しばし沈黙)。「まあ、しょうがないよな」って感じだったかな?

Mummy-D うん、そんなに意識してなかったかな。出演できてラッキーだったなとは思ったけど。

宇多丸 今思えば、その手前のアンダーグラウンドな活動の積み重ねを、もっとしっかり記録しておくべきだったんだよね。

──当時はヒップホップを扱う媒体自体が少なかったため、情報は断片的になり、限られた中で判断せざるを得ませんでしたが、もっと情報が多ければ、そういったくくり方とは別の視点が広がったと思います。

宇多丸 それこそブッダとのバトルの瞬間とかも、ちゃんと記録してないのとか、今の感覚だとマジありえないよな。

──なぜか当時のリスナーが思い込んでいた「さんピンとLBは仲が悪い」という歪んだ情報も、修正されていたかもしれない。

宇多丸 そもそも「さんピン」と「LB」が対抗軸になってるのが、おかしな話でもある。スチャはゴリゴリのヒップホップだけど、LB NATION自体は、厳密に言えばヒップホップのクルーじゃないわけで。

──もっとカルチャー寄りだと思うし、SHINCOさんもタケイグッドマンさんもおっしゃっていましたが、「友達の集まり」だったと。ヒップホップに対するイズムが共通項ではない。

宇多丸 まあ、その対立構造はメディアが作り上げたところが大きいんだろうけど。ただ、翌週に同じ場所で「大LB夏まつり」が開催されたというのは、構図としてできすぎてるよね。いろんな意味で、わかりやすく「日本語ラップの歴史的な記念日」みたいなイメージができあがっていった感じだろうな。

「さんピンCAMP」までが青春だった

──ちなみに、「大LB夏まつり」には行きましたか?

宇多丸 行ってない。

Mummy-D 今思えば行けばよかったな。

宇多丸 そうだね。ただ、当時はまだスチャと知り合いじゃなかったから。スチャと初めてちゃんと話したのって1999年にやった「bounce」の対談なんだよね。

Mummy-D それくらい当時は棲み分けがハッキリしてた。

──それまでイベントで共演したことは?

宇多丸 チッタ(CLUB CITTA’)の年末イベントで、ぜんぜん違う時間帯に出たことが一度あったくらい。だから仲が悪くすらならないっていうか、そもそも面識自体ないんだから。その夜に、RHYMESTERのマニピュレーターだったDr.LOOPERが酔っぱらっていきなりSHINCOちゃんの肩抱いて話しかけたりとか、そういうことはあったけど(笑)。

DJ JIN でも俺「LBまつり」(SLITZで行われていたレギュラーイベント)に遊びに行ったことあるよ。

宇多丸 あ、行った?

Mummy-D 敵の音楽に?(笑)

宇多丸 そういうこと言うと、またそこで歴史がねじ曲がるから(笑)。

DJ JIN スチャのライブも全然観に行ってた。

宇多丸 俺もTONEPAYS(※かせきさいだぁ、ナイチョロ亀井、FAKE-T[光嶋崇]からなる3人組ヒップホップグループ)とかラップグループが出るイベントは観に行ったりしてた。だから単純に接点や関わりがなかっただけだよね。

──アンダーグラウンドはアンダーグラウンドで、LBはLBでの世界ができあがっていたから、単純に交わることがなかったというか。

宇多丸 そうだね。アンダーグラウンド間の交流がめちゃくちゃ深かったというのもある。例えば、俺らのイベントにキングギドラを呼んだんだけど、出られなくなったから急遽代打で雷に出てもらったり。そういうことが全然ある時代だからね。ただ「もうそういう段階じゃないよな。ここから先はそれぞれが城の主にならないと」みたいな気持ちが「さんピン」の頃には強くなっていたし、同じイベントでワイワイ一緒にやるには、それぞれのグループがもう、大きくなりすぎていたんだよね。少なくとも俺らは、なんとなく「フェーズの切り替わり」みたいなムードは感じていた。だから「青春は終わった」というのが「さんピン」当時の心境だったかな。誰も来ない打ち上げを含めて(笑)。でも、本当にあそこまでが、日本のヒップホップシーンの青春期だったと思う。

なんて豊かな黎明期だったんだ

──もし「さんピンCAMP」が行われていない世界線があったとしたら、どうなっていたと思います? 

Mummy-D ヒップホップが世の中に広がるには、もっと時間がかかってたんじゃないかな。あの場にいた3000人のお客さんだけじゃなくて、あのVHSを通して日本中のヒップホップファンがライブを観て、シーンの空気を感じ取ってくれたことは本当に大きかったと思う。

宇多丸 音源を聴くだけでは感じ取れないシーンの雰囲気が映像を通して伝わったからね。“シーン”みたいなものが正しく理解されるためにはどうしても時間がかかるし、ねじ曲がって伝わっちゃうこともある。だけど、あの映像作品があったことで、俺たちのシーンの記録が“事実”として残った。そう考えたら「さんピンCAMP」がなかったら、けっこう困るかも。

Mummy-D ないとマズかったかもね。

宇多丸 その後のシーンも違うものになっていたかもしれない。少なくとも、俺らの真価を地方の人に理解してもらうにはもっと時間がかかっただろうし、もしかしたら伝わらなかったかもしれない。

DJ JIN デカいイベントをやって、ちゃんと映像に残して、来られなかった人にまで内容と空気感を伝える、というところまでやったというのはすごく重要だと思う。そういう意味でも、「さんピンCAMP」がなかった世界線というのは考えづらい。

宇多丸 事程左様に「さんピン」があったからこそ、という部分は大きいわけだから、生前の石田さんに、もっと感謝の気持ちを伝えておくべきだったなあ……。石田さんのような立場の人が、ちゃんと大人側の仕事もしてくれたことが本当に大きい。一方で、「さんピンCAMP」ばかりが特別視されがちだけど、あれは言わば一里塚みたいなもので、その背景にはもっといろんな、ワクワクするような歴史の積み重ねがあるんだよ、ということも、それこそ高木くんみたいな物を書く人には特に、ちゃんと知っておいてほしいんですよね。シーンから出てきた人たちがついにメジャーなヒットを生み出したまさにその同時期に、小箱のイベントでは、毎夜のように小さな革命が起こっていたわけだから。なんて豊かな黎明期だったんだ!と、改めて思いますよ。

プロフィール

RHYMESTER(ライムスター)

宇多丸、Mummy-D、DJ JINからなるヒップホップグループ。別名「キング・オブ・ステージ」。1989年に結成し、1993年にアルバム「俺に言わせりゃ」でインディーズデビューを果たす。メンバー交代を経て1994年にDJ JINが加入し、現在の編成に。1998年発表のシングル「B-BOYイズム」、翌1999年発表の3rdアルバム「リスペクト」のヒットで日本のヒップホップシーンを代表する存在となった。近年はグループとしての活動に加え、各メンバーがラジオパーソナリティや俳優など活躍の場を拡大している。2023年6月に6年ぶり12枚目のオリジナルアルバム「Open The Window」をリリース。7月から2024年2月にかけて全国ツアー「King of Stage Vol. 15 Open The Window Release Tour 2023-2024」を実施し、ツアーファイナルとして自身2度目の東京・日本武道館公演を成功させた。また2024年3月には、Mummy-Dが初のソロアルバム「Bars of My Life」をリリースした。
<衣装協力>
NEPHOLOGIST / Rap Attack / rehacer / TALKING ABOUT THE ABSTRACTION / THE JEAN PIERRE / yoshiokubo

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