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「さんピンCAMP」とその時代|RHYMESTERがスキルを磨いた日々

RHYMESTER
7分前2026年05月20日 10:03

伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」の全貌に迫るべく、当時の関係者や出演アーティストへのインタビューなど、さまざまなコンテンツをお送りする連載企画「『さんピンCAMP』とその時代」。第3回には「さんピンCAMP」の前年、1995年に今や日本語ラップのクラシックと呼ばれるアルバム「EGOTOPIA」を発表した“キング・オブ・ステージ”ことRHYMESTERの3人を迎える。

EAST END、KICK THE CAN CREW、RIP SLYME、MELLOW YELLOWなどを中心としたヒップホップクルー・FUNKY GRAMMAR UNITの代表として「さんピンCAMP」に出演し、“伝説の1日”に大きな爪痕を残したRHYMESTER。前編となる今回は、宇多丸、Mummy-D、DJ JINの証言をもとに、当時のラッパーたちが“日本におけるヒップホップの在り方”を模索し、切磋琢磨していた「さんピンCAMP」に至るまでのストーリーを紐解いていく。

取材 / 猪又孝、高木“JET”晋一郎 文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 大城為喜 スタイリング / 小林里絵 ヘアメイク / 岩城舞

そもそも日本語ラップを受け入れてもらうためには?

──個人的な印象なのですが、RHYMESTERは一時期、「さんピンCAMP」の話をされるのを嫌がっていたことはありませんでしたか?

宇多丸 うーん……そんなつもりはなかったと思うけど、何かそう感じさせるようなことがあった?

──2007年に行われたRHYMESTER初の日本武道館ライブの頃のインタビューで「さんピンCAMP」の話題になった際、少し微妙な空気になった記憶があって。

Mummy-D そうだった? まあ、あの1日だけが神格化されてる感じが嫌だったんだろうね。

宇多丸 出演していない人も含めて、あの日に至るまでに、何年ものストラグルと熟成期間があったし、ほかにもめちゃくちゃ面白い瞬間もいっぱいあったわけで。そういう全部の到達点が「さんピンCAMP」だからさ。その1日だけピックアップされても、という気持ちだったのかもね。

──なので、今回はその「『さんピン』に至るまで」も含めて、お三方にお話を伺えればと思います。まず「さんピン」の前年、1995年にRHYMESTERの2枚目のアルバム「EGOTOPIA」がリリースされます。当時のRHYMESTERから見たシーンはどんな感じだったのでしょうか。

宇多丸 いろんなことが濃縮されてる時期だったと思います。シーンに関しても1993年と94年では状況が全然違うし、94年と95年もまったく違う。それぐらい変化が早かったしいろんな出来事があった。

Mummy-D 例えば93年頃は、まだ誰も成功してなかったし、お互いがお互いのことを認められなくて、空気感としてはけっこうギスギスしてた気がする。スタイルとしても、すごくハードかすごくポップかみたいな両極しかなくて。俺らはその真ん中に立とうとしたんだけど、難しくてさ。

宇多丸 そもそも「リスナーに日本語のラップを受け入れてもらう」ところから始めないといけなかったから。

──ラップの存在すら知らない人もいる時期であり、そもそものリスナーの母数自体が少ない中で、さらに日本語でラップをするというのは、恐ろしくハードルが高いですね。

宇多丸 そこで「理解してもらうために敷居を下げる必要がある」って考える人もいれば、「いや、一点突破だろ」的な人もいて。今思えばすごく小さいシーンの中での話なんだけど、どういう方法を取るべきなのか、みんな悩んでた時期だよね。

シーンに大きな刺激を与えた“ペイジャーショック”

──一方で、94年にはスチャダラパーと小沢健二さんのコラボ曲「今夜はブギー・バック」や 、「DA.YO.NE」が収録されたEAST END×YURIのアルバム「denim-ed souL」がリリースされ、日本語ラップからもヒット曲が生まれるという証明がなされました。そして95年にはRHYMESTER「EGOTOPIA」をはじめECD「ホームシック」、スチャダラパー「5th wheel 2 the coach」、MICROPHONE PAGER「DON'T TURN OFF YOUR LIGHT」、キングギドラ「空からの力」といったアルバム作品や、RINOさん、TWIGYさんらが参加したコンピ盤「悪名」など、メジャー / アンダーを問わず、現在でも名盤と言われる作品が数多くリリースされています。

宇多丸 その翌年が「さんピン」でしょ。だから、たった数年だけどめちゃくちゃ距離を感じるぐらい、いろんな変化が起きてた。96年の「さんピン」は、ある意味そういう流れのひと区切りみたいな感じがあるかな。

──95年にそういったクラシックが数多く生まれた要因はなんだったと思われますか?

宇多丸 僕個人は、すべての起爆点になったのは、92年の暮れあたりに出回った、MICROPHONE PAGERのデモテープだとずっと主張してる。

──ペイジャーは93年に「一方通行」や「改正開始」、MURO for Microphone Pager名義の「DON'T FORGET TO MY MEN」などをリリースしています。

宇多丸 それはけっこう時間が経ってからの話で、強烈だったのはとにかくその前の、「MICROPHONE PAGER」と「改正開始」が入ったデモテープ。そこで“ペイジャーショック”みたいなものがシーンに起きた。その2曲でペイジャーが「正しいヒップホップの在り方」みたいなものを非常に攻撃的に問題提起したことに対して、みんなが反発したり同調したりすることで、急激にシーンが活性化したんだよね。今のリスナーからすると想像しにくいかもしれないけど、当時は「日本におけるヒップホップ / ラップの正しいバランス」が、誰にも見えてなかったんだよ。「メッセージ性はこのくらいかな?」「ライミングするとしたらこんな感じかな?」と、それぞれの持ち場で方向性を手探りしてる状態だった。

──当時の作品を聴くと、どのアーティストもスタイルを模索していますね。

宇多丸 そんな中で、ペイジャーが「これが俺たちの考える正しいヒップホップだ」と提示してきた。もちろん、ペイジャーの打ち出した答えがただ1つの正解というわけではないんだけど、「これが日本におけるヒップホップだ」というメッセージを発信すること自体が、強烈な問題提起だったんだよね。そのアティテュードに対して、「じゃあ何が、誰が本物なのか?」ということを、それぞれが証明しなきゃいけなくなった部分があると思う。

──ペイジャーの打ち出した「改正開始」というメッセージを、プレイヤー側も受け取ったということですね。

宇多丸 それでみんな「だったら勝負だ!」ってなったというかね。その勝負というのは、いいライブをする、いい音源を出す──と言っても当時はデモテープを作るしかないんだけど。当時はみんな同じイベントに出ていることもあって、そこである種のコンペティションが始まった感じだよね。例えばMELLOW YELLOWのK.I.Nちゃんがなぜ完全即興のフリースタイルを始めたかと言ったら、それはペイジャーに対抗するためだったという部分もあるし。

──ラップに対するそれぞれの姿勢や概念を提示する必要を、多くのラッパーが感じるようになったんですね。

宇多丸 MUROくん主催のクラブイベント「SLAM DUNK DISCO」でも、明言しないまでも「このネタをこう使って、こうやってラップすることの意味がわかるやつかどうか」みたいな、互いのヒップホップ観を提示したり、擦り合わせるような部分があったと思うんだよね。

──ある種の「視点の共有」が行われるようになったと。

宇多丸 それが「さんピン」に至るまでの、シーンの1つの起点にはなった気がします。

BUDDHA BRANDとのバトルの裏側

Mummy-D 俺の印象としては、キングギドラとBUDDHA BRANDが逆輸入されたこともすごく大きかったと思う。もっと言えば、DEV LARGE(D.L)とZeebraという、音楽の才能と同時に、シーンのその後に対するマスタープランを持った人間が登場したことも大きかった。それが93年から94年ぐらい?

宇多丸 かな。

Mummy-D USのヒップホップを体感しているアーティストが日本のシーンに登場して、そういう存在に対して、国内でがんばってた俺らやEAST END、ペイジャー、もしかしたらスチャダラパーもそうかな、みんな「アメリカ帰りのヤバいやつらが来たらしい」と、興味と危機感の両方を持ったんだと思う。俺らがブッダのデモを最初に聴いたのは、「EGOTOPIA」のジャケを撮影した新宿御苑の温室の中だったんだけど。

──そのシチュエーションを覚えてるということは、それだけ衝撃だったということですね。

宇多丸 俺はコンちゃん(DEV LARGE)がニューヨークにいる頃から「Fine」編集長の野崎さんの紹介で電話で話したりしてた。それでブッダが日本に帰ってきて、下北沢SLITSでライブをやるっていうから観に行った。

Mummy-D なんのイベントだったかな?

宇多丸 「CHECK YOUR MIKE」じゃない? そこでブッダのライブを観てたら「あれ? この曲のリリック、俺らをディスってねえか?」って(笑)。

Mummy-D そうそう。デミさん(NIPPS)が俺たちをディスり始めて。

──「BEAT DOWN(lost tape from '92 mix)」のNIPPSさんのヴァース「何もやる気しねぇなんてエバるなバカ」は、RHYMESTERの「なんもやる気しねぇ」を意識して書かれたと思えるラインですね。

宇多丸 俺らもその頃、即興のフリースタイルをさんざん試してたから、そのままステージに出ていって「おいおいコノヤロー!」ってフリースタイルで応戦したんだよ。

Mummy-D なのにデミさんはバトルっぽくなったらステージを降りちゃって。むしろ板挟みになっちゃったコンちゃんはちょっとかわいそうだった(笑)。

宇多丸 こっちも収まりがつかないから「池袋でイベントやってるから今度はお前らが来い!」みたいな、少年マンガ的なセリフを残して(笑)。そしたら本当に池袋CHOICEでやってた「FG NIGHT」にブッダが遊びに来たんだよ。周りのやつらは「あいつら乗り込んで来るぞ!」って腕まくりしてて。

Mummy-D もう笑い話だけど、Dr.LOOPER(RHYMESTERの初期メンバー)とJINに「もしかしたら怖い人たちかもしれないから、乱闘になったら止めてね」とか言って(笑)。

DJ JIN そうだった。

宇多丸 当時はラップバトルの流儀も浸透してないから手が出る人もたまにいたんですよ。でも、当然ブッダはそういうタイプではまったくないし、ひと通りラップでバトルして客も盛り上がって、終わったら「乗り込んでくるとは敵ながらあっぱれ!」みたいな感じですぐ乾杯してさ(笑)。

──めちゃくちゃいい話ですね。

宇多丸 結果として非常に健全なライバル関係になれたと思う。お客のリテラシーも上がってきて、シーン全体が前向きな空気になってきたのも大きいかな。それまではお互い離れた場所でグチャグチャ言い合ってただけだったけど、このくらいからみんな同じ現場に出ることが多くなって、実際ライブでどっちが客を沸かせるか、で勝負するような形になってきたと思う。

ヒップホップの種が下の世代に届いた

──ギドラとの出会いはどういった流れだったんですか?

Mummy-D DJ KEN-BOに紹介してもらったんだよね。「絶対仲よくなると思うから」って。あれは94年ぐらいか。そうやってシーンがつながって、一気に「一緒にライブやろうぜ!」「みんなで曲作ろうぜ!」みたいな空気ができてきた。

──そこでリスナーが想像するような当時のアンダーグラウンドシーンが固まっていった。

宇多丸 当然「DA.YO.NE」と「今夜はブギー・バック」が売れてくれたことで日本語ラップにお金が回ってきたのも大きかったし、そこで入ってきたリスナーも含めて、日本のヒップホップを支持する層がそれなりに厚く育ってきたというのもあった。95年に「EGOTOPIA」を出したときも、それまでと段違いの反響を感じたし。六本木のクラブで酔った米兵がライブを暴力的に妨害してきて乱闘騒ぎになったときも、満員のお客はみんな俺らの味方をしてくれて、「あれ、俺たちけっこうファンいるな」と思った(笑)。それまでフロアなんかスカスカだったからさ。

──JINさんは94年にRHYMESTERに加入されますが、当時のシーンをどう見ていましたか?

DJ JIN 自分がRHYMESTERに入ったときは、本当にシーン自体は小さくて、SLITSや代々木チョコレートシティのような小さい箱で本当に限られた人を相手にライブをしてた。でも、ちょっと経つと、うちらより若い世代に電波が届き始めたのか、具体的なきっかけはわからないんだけど、急に客が増え始めたんだよね。小さいクラブでやってたのが、あれよあれよという間にYELLOWやCLUB CITTA'が満員になって、そのままなだれ込んで「さんピンCAMP」に向かうという感じだった。

宇多丸 やっぱそうだよね。ヒップホップの種がいつの間にか下の世代に届いていて、RINOみたいな突然変異的にめちゃくちゃカッコいいラップをする人がいきなり出てきたり。あと「RHYMESTERの『ヴァイオレンス・ファンタジー』を全部歌えるやつがいるんですよ」って、のちにRIP SLYMEを組むPESを紹介されたりして。「なんだよそれ!? うれしくないんだけど!」とか言って(笑)。

DJ JIN あの頃の若者たちに何が起きていたのか逆に聞きたい(笑)。

宇多丸 もうしばらくするとクレちゃん(KREVA)とか、「フリースタイルから始めました」みたいな人が登場するんだよね。俺はその時期にロック雑誌「CROSSBEAT」でヒップホップの連載をしていた縁で、ヒップホップ好きの編集者だった平沢(郁子)さんと「シーンの成熟のためにも『The Source』みたいな本格ヒップホップ専門誌を作りましょう!」と一から計画して、「FRONT」(のちの「BLAST」)創刊号を94年秋に出したり。そうやって全部が同時進行で盛り上がっていったんだよね。

RHYMESTERはアンダーグラウンドシーンの村外れにいた

──先ほど「ライブを一緒にやるようになった」というお話がありましたが、具体的にはどんな方々と現場が同じだったんですか?

Mummy-D 本当に“みんな”だよ。FG(FUNKY GRAMMAR UNIT)のメンバーはもちろん、キングギドラ、雷、SOUL SCREAM、NAKED ARTZ……。

宇多丸 言われるほど派閥みたいなもので分かれている感じはまったくなかったよ。みんな普通に仲よかった。

──雷のイベント「亜熱帯雨林」にRHYMESTERが出ていたことや、YOU THE ROCK★のアルバム「THE SOUNDTRACK '96」にDさんがプロデュースや客演で参加していることは、今の読者の観点からすると、もしかしたら意外に感じるかもしれないなって。

Mummy-D そうかな?

宇多丸 だとしたらホントに何も知らないんだな……。普通にみんなで飲んだくれて、楽しくやってたよ。だいたい、ちゃんとラップできる人の数自体まだ全然少ないんだから、協力し合うしかないんだよ。もちろんまずはライバル同士だから、オープンマイクでバトルっぽくなったりすればそれなりにピリピリしたりもするけど、イベントが終わればみんなで始発まで飲んだりしてたし。あと、当時は誰かがレコーディングやってると聞きつけたら、スタジオに行って弁当を食ってた(笑)。

DJ JIN 制作費でタダ飯を食いに行く(笑)。

宇多丸 弁当を食わないにしても、誰かがレコーディングをやってると行かないといけないという決まりでもあるのかってくらい(笑)。それくらいレコーディング自体が珍しかったし、1つの祭りだったんだよね。

Mummy-D でも、不思議なことにLB(※Little Bird Nation:スチャダラパーを中心としたクルー)方面とは重なってないんだよね。

宇多丸 スチャはメジャーだったし、「ブギー・バック」で売れたから、そもそもいる場所が違ったよね。LBとアンダーグラウンドの両方と付き合いがあるのは、四街道ネイチャーとキミドリくらい。俺はスチャとライムスは「絶対話が合うのになあ」って思ってたけど。

──「俺たちの行きたかった方向に先に行かれた!」と、特に宇多丸さんがジェラシーを炸裂させていたというのは、数々のインタビューで隠さずに話されていますね(笑)。

宇多丸 それはニュアンスが微妙に違うな。正確には「俺たちが乗るべきだった列車に先に乗られて目の前で出発された」です(笑)。まあとにかく、いる場所が違いすぎた、というだけのことだったと思います。

Mummy-D 俺らはハード村の村民だったからね。住んでるのは村外れだったけどさ(笑)。

──そのハード村の中心がペイジャーや雷だとすると、FGにはもっとポップな要素があるので、確かに“村外れ”という表現もわかります。

宇多丸 「日本でヒップホップを表現するうえで、何を標準とするか」という部分や目指す理想のヒップホップシーン像に、多少の違いはあったかもしれないけど……。俺らやEAST ENDは「普通の日本の若者がヒップホップをやるなら、こういう感じじゃない?」という方向を模索してたし、それこそKrush Posseだって一時はちょっとだけユーモラスな曲をやったりしてたくらいだから。でもその後、アンダーグラウンドなシーンがそれなりに大きくなった時点では、逆にリスナーはエッジーな、ハードコアなほうを主に求めだしていたし、必然的にそっちが中心になりがちだった、というのはあるのかな。あと、当然ながらと言うべきか、アメリカのシーンが急激にそっちに振れだしたことが直接的に影響した結果でもある。だから、その意味では確かにRHYMESTERはシーンにおいては村外れにいた、と言えるかもしれない。つっても、その前によくイベントに出てたダンサーのイベントでも、オモシロ枠みたいに扱われてたんだから。ポップなところにも別にハマるわけじゃない、っていう。

Mummy-D ずっと「モテないやつら」みたいな扱いだよ(笑)。

宇多丸 ただ、俺らはヒップホップのド真ん中をやってるつもりだったし、コワモテじゃなきゃ本物じゃないみたいなことを言われると、あらあらわかってないのねぇ、と。いい機会だから言っておくと、あの当時も、色合いとして「ハード」や「カルチャー寄り」などのグラデーションはあったけど、スキルに関しては、どんなスタイルのラッパーもわりとフラットに判断されてたと思う。基本的にめちゃくちゃ実力本位なシーンだったし、だからこそ俺らも、結果的にはすごく認められたんだと思いますよ。

みんなすべてに対して怒ってた

──話は前後しますが、94年にEAST END×YURI「DA.YO.NE」のメガヒットがありました。同じクルーの仲間としてどういった感慨がありましたか?

宇多丸 そもそもあの曲には、Dが作詞で参加してるしね。

Mummy-D EAST ENDとYURIが一緒に曲を作った経緯はなんだっけ?

宇多丸 YURIちゃんが東京パフォーマンスドール時代にソロライブをやって、そこに前から知り合いだったかなんかで、彼らが呼ばれてコラボパフォーマンスをしたの。

──94年のソロライブに、ゲストとしてEAST ENDが出た話ですね。

宇多丸 俺、そのライブを観てたんだけど、当時では見たことないくらい、客がラップで盛り上がってた。

──それがレーベル側の目に留まって、コラボ楽曲の制作に進んだという。

Mummy-D 当時のFG周りはみんなThe Pharcydeが好きだったの。それで「あんな感じの明るい曲ができたらいいね」って気持ちで作り始めた曲だから、全国ヒットを作ってやろうなんて気はまったくなかったんだ。

宇多丸 そもそも「DA.YO.NE」はアルバムの中の1曲だしさ。でも当時から「めちゃくちゃいいじゃん! 最高じゃん!」って思ってた。男女の言い合いが楽しくラップになってるところはあの頃クラブですごくかかってたPositive Kの「I Got a Man」みたい!と思ったし、上手くオチもついててバッチリ、って。俺にしては珍しいんだけど、他人の曲なのにレコーディングしたてのカセット音源もらって、家で何度も聴いちゃったもん。

Mummy-D そしたらあれよあれよとヒットして、EAST ENDも紅白に出て、手の届かないところに行っちゃった。当時、その流れで雑誌「FRIDAY」が「池袋の若者たちによるヒップホップの取材をしたい」って「FG NIGHT」に来たんだよ。それが誌面になったら「俺が『DA.YO.NE』を作った張本人だ。アイツらじゃないんだ」みたいなキャッチが付けられてて。

宇多丸 いかにも当時の週刊誌が書きそうなことだね。

Mummy-D それからしばらくはEASTとモヤモヤしたもん。あと、ご当地バージョンが勝手に作られたりとかさ。

宇多丸 本人たちでもコントロールできないぐらいの売れ方だったと思うよ。やっぱ大人ってこういうクソみたいな商売するんだ、ちゃんと絵に描いたような消費の仕方するんだな、というのも目の当たりにしたし。それもあってメジャーの大人に対する警戒感と嫌悪感を強める我々であった(笑)。

Mummy-D アンダーグラウンドではアンダーグラウンドのうねりがあったし、俺はそっちに属してるからすごく乖離は感じてたよね。だから俺は「DA.YO.NE」の作詞に関わったことを、その当時はどこにも言ったことなかったんだよ。

──アンダーグラウンドシーンからすると「DA.YO.NE」は格好の仮想敵でした。ECD「MASS対CORE feat. YOU THE ROCK,TWIGY」のライブバージョンでも、ビープ音に消されていますが、「『DA.YO.NE』とか言ってんじゃねえ。『SO.YA.NA』とか言ってんじゃねえ」というフレーズがあります。

Mummy-D 格好の燃料だよ。

宇多丸 EASTもすごく忸怩たる思いがあったと思う。だって、もともとは同じ場所にいたわけだから。ただみんな、すべてに対して怒ってたんだよ。怒りが原動力の時代だった。

──当時の曲を聴くと、音楽構造や社会に対するプロテストの曲がすごく多いですよね。

宇多丸 ソニーが「日本語ヒップホップはリリースしません」という宣言をしたような真冬の時代、すべてから見放されてた中で、「でも俺たち絶対いいことやってるよ」みたいな感覚があったし、その中心には当然怒りがあるよね。

「さんピンCAMP」は1つの区切りだった

──JINさんには「DA.YO.NE」のヒットはどう見えてました?

DJ JIN その頃はRHYMESTERに入ってまだまだだったし、とりあえず必死だった。

宇多丸 2MCから次から次へと無理難題を言われてね。「このネタを何小節以内にポンポン変えられないか?」とか(笑)。

DJ JIN ライブルーティンで元ネタも詳しくならないといけないから、ブレイクビーツ修行の期間だったかな。だからあのヒットがどういう意味を持つのかみたいな思考にはなれてなかった。「すげえ! ヒットした!」くらいしか思ってなかったかも。

宇多丸 ちなみにDJ同士のシーンのつながりはどうだったの?

DJ JIN DJ KEN-BOは超気さくでいいやつ(笑)。

宇多丸 KEN-BOはナイス社交家だよね。

DJ JIN シーンに飛び込んでからKEN-BOが俺と同い年だと知ったんだけど、KEN-BOはもうその当時バリバリのトップDJだったから「すげえやつがいるんだ! これはリスペクトだな」と、最初はちょっと緊張してたんだよね。でも、めちゃくちゃ気さくにコミュニケーションを取ってくれて「KEN-BOってDJもすげえし、いいやつだ!」みたいな(笑)。

宇多丸 KEN-BOはもともとダンスシーンにいたし、すごく若い頃からやってるから、感覚でヒップホップをわかってる人なんだよね。

Mummy-D ……全然「さんピン」の話にたどり着かないけど大丈夫?(笑)

──「さんピン」の話に入る前にもう1つだけお聞きしたいんですけど……。

Mummy-D まだあんのかよ(笑)。

──96年の3月12日に渋谷CLUB QUATTROで「KING OF STAGE」の第1回が開催されていますね。

宇多丸 「さんピン」より前なんだ。要は、みんなで一緒にアンダーグラウンドで切磋琢磨してたのは95年くらいまでで、96年にもなるとそれぞれがリリースをガンガンするようになるし、俺たちのようにワンマンでクアトロ規模の箱を押さえるようになった。だから、それぞれの道を極めるモードにだんだん入ってきていたんだと思う。その意味でも「さんピン」はシーンの盛り上がりの頂点というより、1つの区切り、これにて第1部完結、というムードだったと思います。

<後編に続く>

プロフィール

RHYMESTER(ライムスター)

宇多丸、Mummy-D、DJ JINからなるヒップホップグループ。別名「キング・オブ・ステージ」。1989年に結成し、1993年にアルバム「俺に言わせりゃ」でインディーズデビューを果たす。メンバー交代を経て1994年にDJ JINが加入し、現在の編成に。1998年発表のシングル「B-BOYイズム」、翌1999年発表の3rdアルバム「リスペクト」のヒットで日本のヒップホップシーンを代表する存在となった。近年はグループとしての活動に加え、各メンバーがラジオパーソナリティや俳優など活躍の場を拡大している。2023年6月に6年ぶり12枚目のオリジナルアルバム「Open The Window」をリリース。7月から2024年2月にかけて全国ツアー「King of Stage Vol. 15 Open The Window Release Tour 2023-2024」を実施し、ツアーファイナルとして自身2度目の東京・日本武道館公演を成功させた。また2024年3月には、Mummy-Dが初のソロアルバム「Bars of My Life」をリリースした。
<衣装協力>
NEPHOLOGIST / Rap Attack / rehacer / TALKING ABOUT THE ABSTRACTION / THE JEAN PIERRE / yoshiokubo

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