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カジヒデキの「MY BOOM IS ME」人生|デビュー連載(前編)

カジヒデキ
8分前2026年08月05日 10:03

音楽ライターの松永良平が、さまざまなアーティストに“デビュー”をテーマに話を聞く「あの人に聞くデビューの話」。この連載では多種多様なデビューの形と、それにまつわる物語をじっくりと掘り下げていく。第18回のゲストは今年でソロデビュー30周年を迎えたカジヒデキ。前編となる今回は、音楽への目覚めから、アンダーグラウンドなカルチャーにのめりこんでいた学生時代、そして最初のデビューを飾ることとなったネオアコバンド・bridge結成までを語ってもらった。

取材・文 / 松永良平 撮影 / 小財美香子

永遠のマスカットボーイ、カジヒデキ。今年でソロデビュー30周年を迎える。僕より1歳上(1967年生まれ)なのだから、なんと来年で還暦! そんなおじさんには、まるで見えないし、作っている音楽もまったく円熟とは無縁。「カジくん」と呼ばれ、誰からも愛されるキャラクターのまま、疾走感とさわやかさを保ち続けている。

そんな「カジくん」が、本名の「加地秀基」だった10代の頃、ネオアコという音楽に出会う以前は、ゴシックファッションとメイクで身を固め、ポジティブパンクやインダストリアルなどアンダーグラウンドな音楽に夢中だったのは、今ではよく知られた話だ。そこからロリポップ・ソニック(のちのフリッパーズ・ギター)に衝撃を受け、やがてbridgeを結成し、バンドとして最初のデビューを飾る。そこまでの話も十分面白いのだが、bridge解散後からソロデビューまでの間に、実は「誰にも会いたくない」と自宅に引きこもっていた空白期間があったことは、あまり語られていない。

誰もが知る「カジヒデキ」が生まれるまでに、こんな迷いと決断があったのか。ある意味で、渋谷系の裏話とも言える貴重なストーリーを前後編でお送りする。

少年時代の夢はプロ野球選手、ポジションはショート

──お生まれは千葉県の富津市ですよね。どんなところですか?

自然豊かな場所です。海と山があって。僕が生まれ育った青堀というところは海が近くて、富津岬という名所があります。その岬や海の感じが自分の原風景かな。

──千葉のレジェンドロッカー、ジャガーさんの「ファイト!ファイト!ちば!」という曲には、富津で潮干狩りに行ったという歌詞がありますね(笑)。

まさに潮干狩りが名物です。でも本当に何もない街で。小学生くらいまでは近くに2階建てのデパートがあったんですけど、それがなくなってからは、のちのちイオンができるまで、まったく大きな建物がなかった。

──音楽はどういうふうにカジさんの中に入ってきたんですか?

テレビの影響が大きかったですね。実家のすぐそばにはレコード屋さんもあったんです。本とレコードと文房具を一緒に売っているようなお店で、そこでレコードをよく買ってました。レコードを買い始めたのは小4ぐらいから。店内に独自のベストテンが貼り出してあって、中1のときに大滝詠一さんの「A LONG VACATION」(1981年)が、ずっとそのお店で1位だったんです。すでにYMO(Yellow Magic Orchestra)は好きだったんですけど、大滝さんのことはまだよく知らなくて。お店のチャートで1位だし、「あ、これは買ったほうがいいんだろうな」と思って「ロンバケ」を買いました。そこから大滝さんにハマったんです。

──海のそばだし、「ロンバケ」がハマりやすいシチュエーションでもあった。

そうですね。

──少年時代は、いろんなことにすごく熱中するタイプだったそうですね。

小さい頃からそうでした。最初はミニカーにハマってたくさん集めてました。その後、小4で野球にハマり、プロ野球選手になりたくて朝から晩まで練習する毎日でした。当時、日本テレビで「おはよう!こどもショー」という番組があって、番組内で結成された「モーニングス」という少年野球のチームと、リトルリーグのチームの試合が毎週日曜日に放送されてたんですよ。僕はその番組のチームに入りたかったんです。実際、オーディションに2回行ったんですけど、どっちも落選。でも、それくらい野球に熱中してました。小6のときはショートで、小学校の選抜チームでは富津市の大会で優勝したこともあります。県大会には出られなかったんですけど。

──その熱中が音楽にも向かった。

はい。「ほかの人が聴いてないものを聴きたい」という気持ちがあったんですよね。田舎なので、同級生はみんなテレビの中の情報しか知らない。僕は、周りの友達が聴いていないような音楽を聴きたいと本能的に思ったみたいです。

──まさに「MY BOOM IS ME」(笑)。

そうですね(笑)。中1でギターを弾き始めました。なかなか上達しなかったけど、中3のとき友達にちょっと簡単なコードを教えてもらったら、けっこう弾けるようになったんです。高1から学校の友達とバンドを始めました。最初はメタル。Deep PurpleやRainbowのコピーですね。ところが、あるときパンクにハマって、メタルに比べて「パンク、めちゃめちゃ簡単だな」と思ってSex Pistolsやザ・スターリンの曲をコピーするようになりました。高3くらいから、地元以外の人たちのバンドにも誘われるようになって、高校を卒業してから浪人時代に加入したのが、Neurotic Dollというポジティブパンクのバンド……。

──カジさんの音楽履歴として、最初に言及されるバンドですね。

Neurotic Dollは東京で活動しているバンドだったんですけど、ベースの子とたまたま友達になったんです。そしたら「僕、バンドを抜けるから、カジくん入ってよ」って誘われて。そのバンドに入ったのは大きかったと思います。

──富津から東京への架け橋でもあった。

そうですね。

駅のトイレでメイクしてライブに通っていた高校時代

──Neurotic Dollはパンクといっても、いわゆるロンドンのオリジナルパンクの系譜ではないんですよね。メイクありのゴシック系でダークな感じ。

当時はBauhaus、The Cure、Sex Gang Childrenとか、イギリスのアンダーグラウンドシーンが日本にも紹介されていて人気だったんです。Echo & the Bunnymenのイアン・マカロックとThe Cureのロバート・スミスが自分にとってのアイドルでした。高3の頃は「ロバート・スミスみたいになりたいな」と思っていました。日本のバンドではSODOMが好きでしたね。あとは、あぶらだこ! 高校時代は、SODOMとあぶらだこが都内でやるライブにはほとんど行ってました。ハードコアやポジパンのライブはけっこう観に行ってたんですけど、その2つが当時一番のめり込んでいたバンドです。

──そうなんですか! 僕はカジさんの1歳下なのでよくわかりますけど、80年代半ばの話ですよね。SODOMは1stアルバム「TV MURDER」(1985年)の時期ですか?

そうです。最初にSODOMを観たのは高2で、当時の彼らはハードコアとポジパンの過渡期みたいな時期でした。GAUZE主催の「消毒GIG」とかに出てた頃ですね。渋谷の屋根裏でやったオールナイトライブに8バンドぐらい出てました。GAUZE、LIP CREAM、GHOULとか気になるバンドがたくさんいて、そういうイベントにSODOMも出ていたんです。でも、しばらくするとSODOMはどんどん音楽性が変わっていって、歌モノを経て、最終的にハウスになる。ハウス期も観に行ってたんですけど、1、2回観て「ちょっと自分が好きな感じとは違うかな?」となりました(笑)。もうその頃は、僕もネオアコにハマっていたというのもあったし。

──あぶらだこはカジさんにとってどういう存在でしたか?

パンクシーンの中でも、かなり異彩を放っていました。ボーカルのヒロトモさんがライブ中にずっと動かないんですよ。直立不動のまま、痙攣しながら歌って。しかも顔は白塗り、パイナップルみたいなヘアスタイルで。ひと言で言えば「気持ち悪い」。でもその気持ち悪い感じが好きだったんです。あの頃、僕は寺山修司さんがすごく好きで、演劇もよく観に行っていましたから。寺山さんの劇団、天井桟敷はすでになかったけど、後継の万有引力という劇団もよく観に行きましたね。飴屋法水さんがやっていた東京グランギニョルという劇団も、立ち上げ2回目くらいの公演を観に行ってます。きれいな美少年たちが血糊まみれで舞台に立つようなクレイジーな世界観が、まさにポジパンとかぶるんです。同じような趣味の友達がいなかったので、そういう舞台を1人で観に行ってました。

──カジさんも白塗りしたり、ゴスっぽい服を着たりして観に行ってたそうですね。

当時は、そういう場所に行くときは完全にゴスな服を着ていたし、メイクもしていました。千葉の袖ヶ浦高校に通ってたんですけど、学校が終わったらダッシュで駅まで行って、そこから各駅停車と快速を乗り継いで渋谷とか新宿に行って、駅のトイレでバーッとメイクをしてライブハウスに向かうっていう(笑)。メイクといっても、とりあえず顔を白く塗って、赤い線とか描いたりするだけですけど。

──たまたまそのトイレに居合わせた人は、メイク完了したカジさんが出てきてびっくりしたでしょうね(笑)。

そうですね(笑)。ファッション面では、ロンドンのクラブシーンの影響も大きかった。当時、「anan」とかでもロンドン特集をやると、ゴス系のクラブ情報なんかがよく載っていたし、そこに集まっている人たちのような雰囲気を目指していました。

ロリポップ・ソニックとの運命的な出会い

──カジさんのWikipediaには、87年11月にフリッパーズ・ギターの前身バンドであるロリポップ・ソニックのライブを見て、彼らに影響を受けてNeurotic Dollを脱退したと書いてあるんですが……。

あ、それはちょっと違います。Neurotic Dollを脱退したのは87年の3月だったんです。加入したのが86年の6月くらいで、最初のライブが8月。目黒の鹿鳴館でした。でも87年の年明けくらいから僕の気持ちは「なんかポジパンじゃないな」って感じで。ほかのシーンにも触れるようになった影響なんですけど、特に大きかったのは、ツアーで大阪に行ったこと。大阪のテクノポップのシーンで活動していたミンカパノピカとかペーターズ、ビスケットホリックのライブを観たんですけど、そのシーンがすごくよかった。みんなファッションがかわいかったんです。その人たちと仲よくなったら、気持ち的にもそっちの方向に行っちゃって。ファッションもバリバリのゴスじゃなくて、もう少しかわいい感じに変化していきました。

──カジさんのロックに初めて「かわいい」が登場しました。

それで「もうゴスはやらなくてもいいや」と思って、3月にNeurotic Dollを辞めたんです。ちょうどその時期に専門学校のバンタンに通い始めて。バンドを辞めてバンタンに入学したのはけっこう大きかったですね。そして、ロリポップ・ソニックのライブを新宿LOFTで観たのが、その年の11月。Original Loveも一緒に出てました。そのイベントに、ロリポップ・ソニックはPee Wee 60'sという名前でライブに出る予定だったんですよ。

──MCで改名を伝えたんでしたっけ。つまり、ロリポップ・ソニックの1発目のライブだったんですね。

もともとは、大阪で知ったペーターズを観るのが目的だったんです。でも気になるバンドが一緒にやるイベントでもあった。Pee Wee 60'sは当時よくフライヤーとかで名前を見て気になるバンドだったし、ネオGSも好きだったからOriginal Loveもチェックしていたんです。あとペイズリー・ブルーという、ヒックスヴィルの真城めぐみさんがいたバンドも出てましたね。その一番手としてPee Wee 60'sが出てきたんです。

──人気や知名度としても最初に出るのが普通みたいな?

あの並びだと、Pee Wee 60'sが一番新人っぽかったかな。しかも、新宿LOFTなのにフロアに椅子席があったんですよ。それまでは新宿LOFTのライブって、ギュウギュウ詰めの中で観てたから、「あ、椅子が出てる」と思いました。たぶんチケットが売れてなかったんだと思います。最初に小山田(圭吾)くんと井上(由紀子)さんが出てきて、「メンバーが抜けちゃったので、今日からロリポップ・ソニックというバンド名でやります」みたいなことをMCで言いました。僕は最前列で観てたんですけど。

──はい、最前でバリバリのゴスファッションでキメたカジさんが観ていたという話ですよね……。

いや、自分的にはそれほどゴスではなかったんですよ。小山田くんは「カジくん、あの頃ゴスだったよね」って言うんですけど、ゴスはやめていたつもりでした。でも、ばっちりメイクはしてなかったものの、うっすらアイライナーは引いてました(笑)。「メイクをしないで外に出るのは恥ずかしい」みたいな気持ちがあったんです。いわゆるネオアコのファッションではなかったし、人から見たらゴスだったんだろうなって。

──そこからしばらくはロリポップ・ソニックの一番のファンと自他ともに認められるくらいライブに通い詰めるんですよね。

小山田くんと井上さんの2人だったバンドに、荒川(康伸 / Dr)くんと吉田(秀作 / B)くんが入って4人編成になってからのライブも観てたし、そのあと小沢(健二)くんがギターで入るという話も井上さんから聞いていたんですよ。「今度、小山田くんよりもギターがうまい東大生のギタリストが入るから」って。88年の7月には、青春18きっぷでロリポップ・ソニックとPenny Arcadeのライブを京都まで観に行ったこともありましたね。

──ところが、カジさんは、ある時期に自分の進路に思い悩んで、いったん東京暮らしをやめて千葉の実家に戻るんですよね。数カ月後に思い直して東京に戻ってきたら、ひさしぶりにライブを観たロリポップ・ソニックがすごく進化していた。

小沢くんが加入した頃も観てましたけど、まだ彼が本領発揮する前というか。「Goodbye, Our Pastels Badges(さようならパステルズ・バッヂ)」みたいな曲が生まれる前でした。88年の春に僕が東京に戻ってきたときには、フリッパーズ・ギターの1stアルバム(「THREE CHEERS FOR OUR SIDE~海へ行くつもりじゃなかった~」1989年)に入る曲がだいたい出そろっていて。お客さんもいつの間にか増えていましたね。戻ったとき、小沢くんに「100年ぶり!」って言われたのを覚えてます(笑)。

──めちゃ愛されてた感じ。

それくらいひさびさに観に行った、ということなんですけどね。でも、そのときに彼らを「すごいバンドだな」と思って、またライブに通うようになりました。

「恋とマシンガン」をコピーして知ったメジャー7thコード

──一旦進路に悩んだというのは、ご実家の宝石業を継ぐという選択肢も考えたということですよね。でも、戻ってきた。自分も音楽でやっていこうという気持ちがあった?

いや、それがまったくなくて。音楽は好きだったんですけど、一緒にバンドを組むような友達がいなかったんです(笑)。自分としてはバンドをやりたかったんですけど、趣味が近い友達がいなかった。ロリポップ周辺の人たちは、みんな僕と同じようなレコードを好きだったけど、一緒にバンドをやるような感じでもなかったし。

──運命が動き始めたのは……。

ロリポップがフリッパーズ・ギターに改名してメジャーデビューしたのが89年の8月25日なんですけど、その翌月に雑誌「英国音楽」主催のイベントが原宿のクロコダイルで開催されたんです。そのイベントを観に行ったとき、のちにbridgeを一緒に組むことになる大友真美(Vo)さんと池水真由美(Key)さんがいて。その2人から「一緒にバンドを組もうと思うんだけど、カジくんベース弾けるよね?」って声をかけてもらったんです。大友さんはCase of Cythereaというバンドをやっていて、ロリポップとたまに対バンしていたので面識があったんです。ちょうど大友さんがそのバンドを脱退したタイミングで、前から仲がよかった僕を誘ったんだと思います。

──まさにbridge結成の夜。その時点では、カジさんはソングライティングやボーカルというより、純粋にベーシストとして誘われた?

そうですね。とりあえずインディーポップっぽいバンドがやりたいと思っていたし、いいタイミングで声をかけてくれたのでOKしました。その時点で大友さんが2曲作っていたので、89年の10月にとりあえずスタジオに入ることになったんです。

──その時点では、まだのちに歌ったりするとも想像してない。

まったく何も。バンドができるっていうことだけでうれしかったんです。それに、いわゆるポップソングを僕はその時点で書けなかったんですよ。ゴスのバンドしかやったことがなかったから(笑)。もちろん、その頃に自分で作っていた曲もあるんですけど、変なパンクソングとか、コラージュみたいな曲でした。安いキーボードに付いているサンプラー機能を使って、そこにMTRで音を重ねたトラックを作って。SODOMが好きだったから「ウォー!」とか叫び声を入れたり(笑)。

──「初期のカジヒデキ」、想像を超えてました(笑)。

でも、bridgeを始めてから「カジくんも曲書きなよ」と言ってもらって、それで1曲ポップソングを作ってみたんです。僕が作った曲に大友さんが歌詞を付けてくれました。しかも、それがフリッパーズ・ギター監修のコンピレーション「Fab Gear」(1990年12月)に入る1曲「He, She and I」になった。人生で初めて書いたポップソングがそういう展開になったのはすごくうれしかったですね。

──自分では、なぜ「He, She and I」が書けたんだと思いますか?

フリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」(1990年5月)が出た頃に、あの曲のコード譜が発売されたんです。それまでは小山田くんや小沢くんに「どんなコードを使ってるの?」とか聞いたことはなかったんですけど、「恋とマシンガン」のコード譜を見たら、彼らがメジャー7thというコードを使っていることを知って。それまでまったく知らなかったコードだったんです(笑)。

──カジさんとメジャー7thの出会い!

ほかにもマイナー7thとか9thとか、いわゆるテンションコードをまったく知らなかったんです。それを発見して「あ、これだ!」と思って、まずは「恋とマシンガン」をコピーしました。その後、テンションコードをだんだんマスターしていったら、なんとなく曲を書けるような気がしてきたんです。

──すべては「恋とマシンガン」のコピーから始まった。

あとは、当時Primal Screamの1stアルバム(「Sonic Flower Groove」1987年)が大好きだったので、ああいうサイケデリックな感じのギターポップも書きたいなと思ってました。そういうイメージをしながら書いたのが「He, She and I」だったんです。あの頃、周囲の友達もみんなメジャー7thが大好きでしたね(笑)。ギターでCメジャー7thを「ジャーン」って鳴らすだけで、みんなで感動してました。「これだよね!」みたいな。

──みずみずしすぎるエピソード(笑)。

フリッパーズの曲のよさは7thのコードにあるのかな、とか思ったり。イギリスのネオアコを代表するバンドのAztec CameraやThe Monochrome Setも、よく聴くとメジャー7thを使っているんですよね。本格的に曲を作るようになって、そういうことをだんだん学んでいきました。

<後編に続く>

プロフィール

カジヒデキ

1967年千葉県出身のシンガーソングライター。1989年結成のバンド・bridgeでベースを担当し、1993年3月に1stアルバム「Spring Hill Fair」をリリース。1995年のバンド解散を経て、1996年8月に「マスカットe.p.」でソロデビューを果たす。そのポップな音楽性とキャラクターが幅広い支持を受け、一躍“渋谷系”シーンの中心的存在に。また2008年公開の映画「デトロイト・メタル・シティ」に提供した「甘い恋人」はスマッシュヒットを記録した。2012年3月に自身のレーベル「BLUE BOYS CLUB」を立ち上げ、以降コンスタントにアルバムを発表。最新アルバムは2024年発表の「BEING PURE AT HEART~ありのままでいいんじゃない」。2026年8月24日に、カヒミ・カリィ、小西康陽(DJ)をゲストに迎え、ソロデビュー30周年を記念したワンマンライブ「MY FAVOURITE BLUE~カジヒデキ、ネオアコを歌う。」を東京・渋谷 CLUB QUATTROにて、10月1日にはソロデビュー30周年記念ライブ第2弾「カジヒデキ、渋谷系を歌う」をビルボードライブ東京にて行う。

ライブ情報

「MY FAVOURITE BLUE ~ カジヒデキ、ネオアコを歌う。」

2026年8月24日(月)東京都 渋谷CLUB QUATTRO
<出演者>
カジヒデキ
バンドメンバー:イケミズマユミ(ex. bridge、three berry icecream) / アイコ(advantage Lucy) / 奥田健介(NONA REEVES) / 熊谷慶知(cambelle) / 原GEN秀樹 / 國見智子(Wack Wack Rhythm Band)
ゲスト : カヒミ・カリィ / 小西康陽(DJ)

カジヒデキ ソロデビュー30周年記念ライブ 第2弾「カジヒデキ、渋谷系を歌う」

2026年10月1日(木)東京都 ビルボードライブ東京
[1stステージ]OPEN 16:30 / START 17:30
[2ndステージ]OPEN 19:30 / START 20:30
<出演者>
カジヒデキ
バンドメンバー:堀江博久(Key)/ 牛尾健太(G)/ 原GEN秀樹(Dr)/ 勝原大策(B)
ゲスト:野宮真貴
DJ:橋本徹(SUBURBIA)

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