さまざまなムーブメントが生まれていた2010年代の東京インディーズシーンを、アーティスト、イベント、場所などの観点から検証する本連載。第3回では死神紫郎、中尊寺まい(ベッド・イン)、えらめぐみ(股下89)による鼎談をお届けする。
2000年代中盤の東京では音処 手刀、高円寺20000V(現:東高円寺二万電圧)、神楽坂Dimension(別名:神楽坂EXPLOSION、神楽坂TRASH-UP!!)といった会場を中心に、個性的かつ過激なバンドが多数活躍。中学生棺桶、組織暴力幼稚園、ぐしゃ人間らが凌ぎを削り、都内のアンダーグラウンドシーンを盛り上げた。この鼎談では2004年から現在までアングラシーンで活動を行っている死神、観客としてこのシーンに触れ、のちに演者として関わることになるまい、本連載の第1回にて取り上げたオルタナティブシーン(参照:ライブハウスが持つ「偶然の可能性」 )とアングラシーンを行き来したえらの3名に当時を振り返ってもらった。3人の鼎談を通してこのシーンの魅力、都内インディーシーンの中での役割はなんだったかを解き明かしていく。
取材・文 / 高橋拓也 撮影 / こいそ 取材協力 / ネオ東京_池袋 音処・手刀(チョップ)
オリジナルをやるんだから個性的になって当然だろ
──2000年代中盤の東京アンダーグラウンドシーンでは池袋の手刀、高円寺の20000Vといった会場を中心に個性的かつ過激なバンドが増えていきましたが、死神さんはこの時期に活動を開始されています。
死神紫郎 でも、当時はアングラという言葉自体知らなかったんです。イベント出演のオーディションを受けるためたくさんのライブハウスにデモテープを送っていたんですけど、手刀や20000Vはあくまでその一部だったんですね。私は2005年から本格的に活動を始めたんですが、手刀で観た中学生棺桶が本当に衝撃的で。特にボーカルの狩野(葉蔵)さんは自分が嫌だと思うことがハッキリしていて、それを楽曲で表現していてビックリしたんです。みんな、中学生棺桶と競演すると影響を受けまくって、それぞれ自分の中に狩野さんを飼い始めるんですよ。
中尊寺まい ……いい例えですね(笑)。
死神 それで彼の思想に影響を受けたバンドがどんどん登場するという流れが手刀を中心に発生しました。中学生棺桶以外にも組織暴力幼稚園、ぐしゃ人間といったバンドは早い段階で話題になっていましたね。彼らが抜きん出たことで、今につながるアングラシーンが形成されたんじゃないかと思います。
──この時期、死神さんは別のシーンのアーティストと交流は行っていたんでしょうか?
死神 ほとんどなかったですね。手刀や20000Vに出演して、すぐに「自分の居場所はここだな」と気付いたんです。このシーンを活動の拠点にして“アングラ”という言葉を知り、ようやく「自分はこっち側の人間なのか」と実感しました。この界隈のアーティストたちはよく「個性的」と言われていたんですけど、自分は「オリジナルをやるんだから個性的になって当然だろ」と考えていて。そういうふうに言われること自体、不思議に感じていましたね。
──まいさんは以前参加いただいたコラム企画「音楽履歴書」でも、アングラシーンのイベントによく足を運んでいたとお話していましたね(参照:中尊寺まい(ベッド・イン)のルーツをたどる | アーティストの音楽履歴書 第16回)。
まい そうですね。1980年代の日本語パンクが好きで、そこから徐々にアンダーグラウンドシーンにどっぷりと。お客さんとしてライブに通うのとちょうど同時期くらいに、「私もやりたい!」と決意して泥臭いバンド活動を始めました。最初は初台WALLとか中野MOONSTEP、EARTHDOMのようなハードコアシーンと、この界隈を行き来するような感じでしたね。
──アングラとハードコア、2つのシーンを主軸に。
まい もともとアンダーグラウンドと呼ばれる音楽が好きだったので、古本屋さんで昔の音楽雑誌を買って「ライブ中ボーカルが客にフェラチオさせたらしい!」「ユンボがライブハウスにブッこんできた!」「メンバーがチェーンソーを振り回して自分の太ももを切ったらしい!」とか、そんな記事を読んではドキドキしていましたね。2000年代のアングラシーンには、確かに本で読んだような“危険な香りのするバンド”がたくさん存在していました。客として観に行くだけで「みんなは知らない悪いことをしている」感覚があって、常にヒリヒリしていた。危険だからこその魅力があったんです。
──ちなみにまいさんと死神さんが知り合ったのはいつ頃だったんでしょう?
まい 導かれるように出会ってしまったので明確に思い出せないなー……。
死神 初めて競演したのは2009年の5月ですね。手刀での企画でした。
──えらさんは2000年代中盤のアングラシーンにはリアルタイムで触れていましたか?
えらめぐみ そういうシーンが存在することは知っていたけど、私がバンド活動を始めたのは2009年からで、それ以前は聴くほうがメインだったんです。当時はMO'SOME TONEBENDERやSPARTA LOCALSとか、フェスに出たりSHIBUYA-AXでワンマンをやったりする規模感のバンドをよく観てました。手刀や20000Vに行くことはあまりなかったんですけど、有名な出身バンドがたくさんいたから名前は知っていて、いつか出てみたい気持ちはありましたね。
同じアングラでも演奏 / パフォーマンスのどちらかに分かれる
──当時のアングラシーンは1980年代の国内インディーズシーンを彷彿とさせる、過激なパフォーマンスが行われているところも魅力の1つでした。その中でも死神さん、まいさんが特に印象的だった出来事を教えてください。
死神 これたぶん、ちゃんまいと被るな……。センチメンタル出刃包丁は本当にヤバかったです。
まい 私も挙げようと思ってた!(笑)
死神 あんまりメディアでは取り上げられなかったバンドなんですけどね。2006年9月に神楽坂Dimensionで観たライブは特によく覚えています。
まい 神楽坂Dimensionは手刀と同じくらい、アンダーグラウンドシーンでは重要なライブハウスかも。私が死神さんを初めて観たのも神楽坂Dimensionだったし。
死神 組織暴力幼稚園の園長(Vo)が、一連のバンドを神楽坂Dimensionの店長にも紹介していたみたいです。DimensionはX JAPANを輩出したハコとして有名で(※神楽坂EXPLOSIONは一時期神楽坂Dimensionに屋号を変更していた)。
えら へえー! そうだったんですね。
死神 で、セン出刃のボーカルはライブ中にウンコして客に投げつけてました。
まい 「日本にGGアリン(※アメリカ出身のパンクロックシンガー。脱糞、自傷行為などの過激なパフォーマンスで有名)がいた!!!」ってなりましたよね。セン出刃はメンバーの変更がかなり多かったんだけど、初期が特に強烈でした。
死神 初代ボーカルの監禁DXさんもすごかったけど、2代目ボーカルのAF(アナルファック)妖介さんがもう……。
まい 妖介さん、超タイプだったけど、超怖かったもんなー……(笑)。葉蔵さんが妖介さんのナニをステージ上でフェラチオしてたこともあったな。確か妖介さんがセン出刃をやめるときだったかな……。「バンド続けろよ」っていう気持ちを込めた、愛情いっぱいのパフォーマンスだったと思うんですけどね。彼らはお互いをリスペクトし合っていたので。
死神 いつだったかのライブでは蛍光灯を割ってウンコも投げて、もうやりたい放題やってて。それで出番が終わったあと、「ウンコで服が汚れたじゃん」「物販で売ってるTシャツと交換してくんない?」って怒っちゃったお客さんがいたんですね。そうしたら物販をやってたクスコヘッド(Dr)さんが「うちも商売でやってますんで……」ってやたら渋って、結局無料交換に応じなかったのを見ました。
まい クスコさんらしい……! セン出刃のライブDVD(「センチメンタル出刃包丁の記録と妄想」)にも収められている、初台WALLでのパフォーマンスもすごかったですよ。ライブ中おしっこしたり、ビール瓶を割ったり、ケースを投げまくったり、とにかく危険なことをやってたら、すこぶる強面な店長がステージに上がってきて、なぜかボーカルではなく、ベーシストのヤミニさんの胸ぐらをつかんで激怒して。それでヤミニさん、「……申し訳ないとしか言いようがありませんッ!!!!」って謝ってて、あの至極真っ当な対応が忘れられないです。
死神 この初台WALLでのライブ、セン出刃側も相当気合いが入っていたみたいで。妖介さん、ライブ中振り回すために角材持っていったんだよね?
まい そうだったかも!
死神 いろんなバンドがいましたけど、セン出刃は飛び抜けて異常でした。
──以前ORANGE RANGEを流しながらひたすらオレンジを絞るユニットがいた、という噂を聞いたことがあるのですが……。
死神 顔がない(現:KAOGANAI)ですね。2005年の10月だったかな。
まい シニさん、よく覚えてるなあ。
死神 この時期のライブ、すごく記憶に残ってるんだよね……そうだ、ちょうど15年前の手刀だ(※取材は2020年10月26日に実施)。自分も出たんですけど、誕生日だったから「じゃあ生誕祭にしよう」ということで、会場スタッフが特別企画にしてくれたんです。で、顔がないはライブ中にひたすらオレンジを絞って、最後に全部こぼしちゃって。
えら ひどい(笑)。
死神 自分はトリで出たんですけど、もうステージがベットベトで……。終演後にメンバーがすごく反省してて、「次はMONGOL800を流してモンゴル人を800人動員するライブをやります」って謝られました。
まい まず、謝罪になってないし!
死神 手刀のキャパって200人でしたよね? MONGOL200になっちゃう。
──(笑)。過激なパフォーマンスを行うバンドは同時多発的に増えたんでしょうか?
死神 そうそう。もう過激競争でしたね。自分も組織暴力幼稚園がゴミ箱をぶちまけるパフォーマンスを観て、「こっちはもっと過激なことをやってやる」みたいな対抗心が生まれて、墨汁を吹いたり爆竹を投げたりしましたし、その競争がどんどん酷くなって……。
まい でも周囲が過激化していく一方、中学生棺桶はそういったパフォーマンスには走らなかったんです。あくまで音楽性を重視していて、むしろ過激なパフォーマンスを排除していった。そこが好きだったんです。
死神 同じアングラでも演奏面とパフォーマンス面、どちらを重視するかで分かれたんです。
ストイックな奴ら、地下に集合
──その後まいさんはかたすかし、えらさんは股下89でシーンに関わり始め、中学生棺桶は2011年メンバー変更に伴い例のKに改名するなど、徐々にシーン内の状況が変化していきました。
死神 中学生棺桶を中心としたシーンの盛り上がりは2010年頃がピークだったと思いますね。集客も人気もすごかったけど、中学生棺桶が改名したあと、ほかのバンドは解散したり活動休止しちゃったんです。
まい かたすかしは2004年頃から2011年初頭まで活動していたんですけど、このシーンに憧れて結成して、単純に観た人ががっかりするようなライブは絶対したくなかったし、お客さんにもバンド仲間にも「ウソをつきたくない」という気持ちがより強くなっていました。それで音楽性や、バンドに対する考えを突き詰めていくうちに相方と仲が悪くなっちゃって。私がそういうことに、より固執していた時期だったんだと思います。
えら ライブ中にも喧嘩してましたよね(笑)。
──えらさんもかたすかしはよくご覧になっていたんですね。
えら はい! もう大好きでしたよ。股下89を結成して1年ちょっと経った頃だったかな。当時立川BABELでブッキングスタッフとして働いていた狩野さんが企画に呼んでくれて。そのときにかたすかし、妖精達、殺生に絶望と初めて競演したんです。まいちゃんとは年が近いから、かたすかしを観たときは「同年代でこんなバンドがいるのか……!」ってビックリして。
まい マンモスうれPー! 2010年ぐらいだよね? その頃はバンド末期だから、ものすごい仲悪かったですね。もうなんか、メンバーの着てるTシャツの色にさえイライラしてましたからね……(笑)。でも、予定調和のないキリキリしたいいライブしてたかも。その後かたすかしは大ゲンカの末に解散して、私は例のKのメンバーになりました。
──先ほどまいさんは「お客さんにもバンド仲間にもウソをつきたくない」とお話ししていましたが、バンドマン同士の交流はどんな感じだったんでしょう?
まい 思ったことをスパッと言ってくれる人が多かったですね。「こういう部分はどう考えてるの?」「今、バンドがこんなふうに見えちゃってるよ!」とかちゃんと言ってくれる。おべっかもウソも一切ないからすごくためになったし、打ち上げでもバンドについて話し合うことがほとんど。楽しい日もあれば、言い返せなくて悔し泣きしながら帰ることもよくありました。でも、それが1人のバンドマンとして見てもらえて、認められたみたいでうれしかったし、居心地がよかった。内輪ノリでぬるま湯に浸かることは絶対になくて、みんな厳しい目で競演者を観てたんじゃないかな。
えら まいちゃんが「音楽履歴書」で「あのシーンにいた人たちはみんなまともだった」と語っていたんですけど、「すごいわかる!」って思ったんですよね。みんな真剣だったし、自分が取り組んでいることに対してとにかく真面目だったから、アドバイスも的確だったんです。親身になって観てくれて、正しい道のりを教えてくれるシーンだったという印象があります。
まい 「あのバンドに似すぎじゃない?」「影響受けすぎじゃない?」とかハッキリ言い合ってましたよ。ライブも「正直、今日はよくなかったよ」って言われることもよくありました。
えら うん。バンド間で距離がなくて、お互い意見が言える環境だった。
──ストイックな関係性があったからこそ、お互い高められたわけですね。
まい まあ、すごくプレッシャーもありましたけどね……(笑)。
えら そうですね。でも「話にならない」と思われたくなかったからこそ、「ナメられたくない」という姿勢が生まれたんじゃないかな。
死神 特に女の人はそういう思いが強かったかもしれないですね。これはアングラシーン以外でも言えることかもしれないけど、相手が女性だとナメた態度を取る人がよくいて。
まい そうですね……。
死神 性別やビジュアルを抜きにして、ちゃんと音楽を聴いてもらいたいのに。
えら ジェンダー問題は根が深いですよ。
まい でも、この界隈で「女だから」って蔑んだり、そんな態度を取られたことは一度もないです。その代わり、女の子だからって甘やかされることもなかった。取っ組み合いのケンカになりそうなときもありましたけど、女の子だからって手加減されるよりずっと気持ちよかったです。若かったから余計悔しい気持ちは強かったけど、だからこそ自分がやりたいこと、正しいと思うことを貫こうとする気持ちは強くなったのかもしれませんね。
──えらさんはそんなアングラシーンと関わりつつ、秋葉原CLUB GOODMANや新宿Motionを中心としたオルタナシーンとの交流もありました。そういったハイブリッドな関わり方は当時珍しかったのではないでしょうか?
えら 実はオルタナシーンって、特定のジャンルやシーンの人たちが意識的に集まっていたわけではなくて。独自の音楽性を追求していた各バンドがある時期に偶然交流し、面白いイベントが行われたという感じだったんです。同じ会場やシーンを拠点にしていたバンドは少なくて、いろんな場所で活動する人たちが一時的に集合するというイメージですね。
──なるほど。
えら そこからメジャーに進出する人もいれば、あえてアンダーグラウンドな道に進む人もいました。最近改めてアングラシーンを振り返ってみたら、現在も現役で活動している人が多いことに気付いたんです。手刀や二万電圧の5年前のスケジュール表を見たら、今でも出演しているバンドやミュージシャンがいっぱいいて。これってほかのハコだとあんまりない現象ですよね。そこもアングラシーンならではの特徴かもしれないです。
死神 ライブ活動は生活の一部だから、もう努力とかじゃないんですよね。ごはんを食べるのと同じような感覚になってます。
「アングラだからメジャーに行けない」はもう通用しない
──2014年の例のK活動終了はショッキングでしたが、その後ベッド・インやこのシーンにも関わりのあった大森靖子さんなど、メジャーシーンへと進出するアーティストが出てきました。そういった流れを死神さんはどのようにご覧になっていたのでしょうか。
死神 「アングラだからメジャーに行けない」という考えが通用しなくなりましたね。大森さんやベッド・インのメジャー進出で、自分のやりたいことを貫き通してもメジャーデビューできることが証明されたんです。完全セルフプロデュースで活動してメジャーに進出できたアーティストって、神聖かまってちゃんが代表的だと思います。SNSとか映像配信の技術が発達したことで、アーティスト本人がプロモーションを行いやすくなったのは大きかったです。
まい あの頃の主な告知手段といえば、チラシでしたからね。特にこの界隈のバンドはチラシにこだわってた印象があります。イラストやデザインに力を入れたり、自分の意志を細々書き込んだり……ライブのチラシというより、アジテーションビラみたいな内容で。YouTubeもまだまだ敷居が高かったですしね。
死神 今ほど動画の投稿が簡単ではなかったですからね。その中でも大森さんはご自身の音楽の伝え方がすごくうまくて、伝えたい相手にちゃんと届くように活動している姿を見て、「アングラだからとあぐらをかいていないで、自分でミュージシャンとしての価値を作らないといけない」と痛感しました。
──ベッド・インがメジャーデビューしたとき、まいさんの心情はいかがでしたか?
まい とにかく覚悟が必要でしたね。ベッド・インは本当に趣味の延長で、活動がこんなに長く続いたり、お客さんに届くとは思っていなくて。初めて自分の活動が多くの人に届いた実感があって、反応をもらえてうれしい反面、“ベッド・インの中尊寺まい”と“本来の自分”との差に悩みました。正直に言うと、今でも葛藤している部分はあります。まあ、もうお気づきの通り、実はネアカじゃないですしね……(笑)。
──「音楽履歴書」でも、学生生活は決して明るいものではなかったとお話ししてくれましたね。
まい だから、こういうシーンに共鳴したんだと思うんですけどね。でも、どこかのタイミングで“ベッド・インとしてエンタテインメントをヤりきる”という覚悟を決めたんです。その覚悟を決めてから、自分自身のしがらみから解放された気がしました。「どう思ってもらってもいい」「どんなことでも、どんなきっかけだったとしても、興味をもらえたらうれしい」って。さっき死神さんが言っていたように、かたすかし時代はあぐらをかいていたというか、とにかく尖っていたし、どこかで「届く人だけに届けばいい」と思いながら活動していました。でもベッド・インを始めてからは、お客さんにどうやったら興味を持ってもらえるか、楽しんでもらえるか、喜んでもらえるかをより意識するようになったと思います。
──さらに同時期では2011年、股下89が「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演したことも衝撃的でした。
えら 股下もメンバーの4人がいいと思う音楽性やセンスを表現し続けてきて、「周りの人が共感してもらえるようにしよう」とはあんまり考えていなかったんです。そんな状況で評価してくれる人がいたのは驚きました。あと、2010年にさいたまスーパーアリーナで行われた「EMI ROCKS 2010」に出演したのも大きくて。確か7000人ぐらいお客さんが入ったのかな? 突然大人数の前で演奏することになったんですけど、そこで股下を評価してくれる人が一定数いることがわかって、「自分たちはこのままでいいんだ」「これからも4人が面白いと思うことを追求しよう」と実感しましたね。
まい 股下は本当に、本当に、本当にカッコいい……! 初めてお客としてライブを観たとき、「こういうギャルバンがやりたかった!」って思ったんです。しびれましたね。「EMI ROCKS 2010」と「フジロック」の出演はすごくうれしかった。「ついに、俺たちの股下が認められた!」って感じで(笑)。
──もう1つ、えらさんが大森靖子さんのバンド、シンガイアズに参加されたことにも驚きました。大森さんのインディーズ時代にゆかりのあった人が多く参加しているシンガイアズの誕生は、このシーンを追ってきたファンにとって夢のような出来事だったと思います。
えら 大森さんとは2010年に新宿Motionで競演して、2012年にSound Studio DOMで行われたコピバン企画で初めてバンドを組みました。東京事変のコピバンだったんですが、ベースは私でボーカルは大森さん、キーボードがカメダタク(オワリカラ)、ギターが畠山健嗣(H Mountains)、ドラムを張江くん(張江浩司 / 来来来チーム)が担当しました。この時点で、シンガイアズと共通しているメンバーが多いんですよね。今思い返すとすごい一夜だったし、そんなイベントが時を超えてシンガイアズにつながったことにただならぬご縁を感じました。
まい 大森さんは同じシーンの出身者で、気持ちの面で共通点の多い人たちと演奏したかったのかもしれないですね。
えら 大森さんはライブのときにずっと「1対1でお客さんと対峙する」というスタンスを貫いていて、お客さんが1人でも1000人でも1人ひとりと対話するような演奏を心がけているように感じています。100人キャパのハコにお客さんが2人しかいない、みたいな状況でライブをしたことのある人だったら、その感覚はすごくピンとくるんです。だからこそ、このメンバーに落ち着いたのは必然だったのかも。
アングラ界のニューホープ
──皆さんが今気になっているアーティストはいますか?
死神 シンガーソングライターの魚住英里奈さんという方がすごいですよ。クラシックギターの弾き語りなんですけど、大森靖子さんを初めて観たときと同じくらいの衝撃を受けて、「格が違う」「ひさしぶりに焦る新人が出てきた」と思ったんです。そのうちメジャーシーンで活躍するかもしれない。来年東京と大阪で企画を組もうと思っていて、そこでぜひ競演してみようと思ってます。
──えらさんはご自身のTwitterアカウントで、よくダンカンバカヤロー!を話題に挙げていますよね。今日着ているTシャツも、一部メンバーが共通している逃亡くそタわけのバンドTで。
えら ダンカンと逃亡くそタわけはもうすごい(笑)。最近は影響を受けたアーティストがわかりやすい若手バンドが多いと思っているんですけど、ダンカンはルーツ以上に内から湧き出るオリジナリティがものすごくて、何回もライブを観たくなっちゃうんですよ。あとはkumagusuとか、ELEPH/ANTもずっといいので、このあたりのバンドがよく出ている新宿NINE SPICES界隈は今も注目しています。
まい 私はまだ観れてないんですが、うしろ前さかさ族が気になってます。例のKのドラマーだったムッチーがメンバーですけど、Twitterで動画が回ってきたときに、どこかこのシーンを継承してるような懐かしさみたいなものと「またとんでもないバンドが出てきたな」という衝撃を感じて。
死神 以前競演したことがあるんですけど、よくあんなに速いBPMや複雑な拍子で演奏できるなって思いましたよ。スポーティなのに理系の頭で動いている感じ。
まい あとは例のKのバンマスだった狩野さんも、PAPAPAのメンバーと新しくSHOWKYOS MEというバンドを結成しました。PAPAPAも大好きだったし、何より狩野さんが音楽活動を再開してくれたのは、アングラシーンのチルドレンとしてうれしいですね。
──例のK関連だと、ベーシストのヤミニさんが主宰するレーベル「サイド・カー」もダンカンバカヤロー!や曇ヶ原といったバンドを輩出していますね。中でもEmily likes tennisは演奏のうまさもさることながら、段ボールを使ったステージパフォーマンスにこだわったり、音源をうちわや水でリリースしたりと妙なところに力を入れていて。
まい エミリーは昔から異色でしたね。 いろんな人に注目されて、もっと人気が出てほしいです。
社会と距離を感じている人にとっての居場所
──今回の取材に際して当時を振り返ってみたのですが、このシーン出身のバンドは音楽性が多彩で、例えば死神さんはフォークとビジュアル系、ベッド・インはディスコやロック、股下89はオルタナを土台にしつつも誰にも似ていない個性的なサウンドになっていて、簡単にジャンル分けできなかった点も特徴的でした。精神的な面でのつながりがありつつ、新たな音楽性やパフォーマンスを試すことができたのがこのシーンの魅力であり、東京のインディーズシーン内で担っていた部分だったのかもしれません。
死神 確かに、やってみたいと思ったことをそのままやらせてもらえる場所でしたよね。
──皆さんにとって、アングラシーンの魅力とはなんだと思いますか?
死神 やっぱり「こんな奴がいるのか!」という面白さでしょうね。そこには「こんな人が生きているから、あなたも生きてていいんですよ」というメッセージも込められていると思います。やっぱり好きなものは好き、嫌いなものは嫌いですし、無理して嫌いなものを好きになることもない。好きなことを突き詰めることができるのがアングラシーンの魅力ですね。あと、観客側としての魅力は、他人が干渉してこないことも大きい。いい意味でほっといてくれるんです。
えら 出演者にもお客さんにも「ああしろ」「こうしろ」という雰囲気がなかったですね。同調圧力がなかった。
まい そうだね。だからこそ自分と真正面から向き合えたし、自分らしい闘い方を見つけられたような気がしています。
えら さっきの「アンダーグラウンドシーンにいた人たちはまともだった」ということにもつながるんですけど、この界隈は自分が相入れないのはどんな人たちだとか、広く見渡すことができる場所だったと思うんです。いろんなタイプの人がいるとわかっていたからこそ、このシーンの人たちは寛容で優しかったのかもしれません。その素質を持った人はどの世代にも絶対いるから、アングラシーンはそういった人たちの受け皿になる場所となっている。そのこと自体が価値ですし、だからこそこれからも存続していくと思います。
まい そういう意味で、このシーンは社会と距離を感じている人にとっての居場所になっているのかもしれませんね。
死神紫郎 プロフィール
東京都内を中心に活動するギター弾き歌手。2004年に死神名義で音楽活動をスタートし、アコースティックギター弾き語りのほか太鼓叩き語り、舞踏、紙芝居などさまざまな形態でライブパフォーマンスを繰り広げてきた。2018年に死神紫郎へと改名し、翌2019年に最新アルバム「さよなら平成」を発表。ロックバンド・組織暴力幼稚園のギタリストを務めるほか、役者、詩人、“説法系”YouTuberなど幅広く活動を展開している。
・死神紫郎 公式サイト
・死神紫郎 (@46shinigami) / Twitter
中尊寺まい プロフィール
“地下セクシーアイドルユニット”ベッド・インのギター、ボーカル、パイオツカイデー担当。2004年から2人組パンクバンド・かたすかしのギタリスト兼ボーカルとして活動し、同バンド解散後は例のKに加入。2012年にベッド・インでの活動を開始し、2013年4月にはグループ初の作品となるグラビア写真集「Bed In」、2014年3月に1stシングル「ワケあり DANCE たてついて / POISON~プワゾン~」を発売した。最新作は2020年3月発表のミニアルバム「ROCK」。
・ベッド・イン - OFFICIAL WEBSITE -
・ベッド・イン (@bed_in1919) / Twitter
えらめぐみ プロフィール
2009年にロックバンド・股下89、Dots Dashのベーシストとして活動を開始。東京都内のライブハウスを拠点にしつつ、2010年には埼玉・さいたまスーパーアリーナにて開催の「EMI ROCKS 2010」、2011年にはロックフェス「FUJI ROCK FESTIVAL」に「ROOKIE A GO-GO」枠に股下89で出演を果たすなど、大規模なライブイベントでもパフォーマンスを繰り広げてきた。2016年には大森靖子のバンド・シンガイアズに加入。現在はtheMADRAS、水中、それは苦しいSP、ミノタケなどのメンバーとしても活動している。
・えらめぐみ (@era_dots_hack) / Twitter
・股下89