パーティとして最高だった。3月29日16:00から東京・新宿駅東南口の広場で行われたブロックパーティ「DROP BASS NOT BOMBS」のことだ。これはProtest Rave、クソデカフラッグ部、路哲(路上哲学読書会)という3つの団体が共同開催したもので、「爆弾ではなくベースを落とせ」というタイトルからして気が利いていた。この路上パーティの主張は明快だ。
アメリカのトランプ大統領によるイランへの攻撃とそれに追随する高市早苗首相にノーを突き付けること。そして今の社会に広がりつつある、移民や難民を排除し、マイノリティの権利や多様性を蔑ろにするファシズムやレイシズムに抗すること。
しかし、「DROP BASS NOT BOMBS」はただの抗議行動ではなかった。そこには、ハウスミュージックとブロックパーティという重要なコンセプトがあったのだ。
取材・文 / 二木信 撮影 / 長谷川唯
ハウスミュージックの連帯の理念
Protest Raveが発信したステイトメントの冒頭にはこんな言葉があった。「あなたは黒人かもしれないし、白人かもしれない。ユダヤ人かもしれないし、異邦人かもしれない。私たちの家では、それが違いを生むことはありません」。これは、1987年のハウスクラシック「My House」に収められた故チャック・ロバーツのスポークン・ワードの一節。数多くの楽曲が引用してきたハウスの連帯の理念を象徴する名演説だ。
Protest Raveの発起人の1人であるMars89や、Fruit Cake×michika、DSKE×MAYUDEPTH、CMT×Phoneheadといった面々のB2B(2人以上のDJが交互に曲をかけるスタイル)に一貫していたのは、ハウスだった。シカゴハウスを、まさに1980年代に現地で体験した桑田つとむ(※ヒップホップアーティスト・DJ Quietstormがシカゴハウスをプレイするときの名義)が最初にかけたのが、この演説がサンプリングされた曲だった。
大衆に開かれたブロックパーティ
今回の告知には「BLOCK PARTY AGAINST FASCISM, RACISM, TAKAICHI AND TRUMP.」とも記されていた。ブロックパーティとは、1970年代のニューヨークで始まったもの。ブロック(街区)の路上にスピーカーを持ち出し、誰でも参加できるパーティを開く。そこに近所の人々が集まり、踊り、交流する。ブロックパーティとは路上で人々を結び付けるプラットフォームのようなものだ。ヒップホップはそこから始まった。ジャマイカのサウンドシステム文化も、その土台にある。ジャーナリスト / 作家のジェフ・チャンは鋭くもこう書いている。
「彼らにとって、可能性を感じられる空間は、ポリティカル・パーティ[政党]ではなく、ブロックパーティ[野外パーティ]にあった」(2005年「Can't Stop Won't Stop: A History of the Hip-Hop Generation」)。
「DROP BASS NOT BOMBS」が目指したのは、ハウスの幸福感とともに、ブロックパーティのような大衆的に開かれた場を作ることだったのではないだろうか。今回DJや音楽だけでなく、フラッグや横断幕などのビジュアルアートと言葉が大きな役割を果たしていた。巨大なフラッグで抵抗を示すコレクティブ=クソデカフラッグ部は、ヒップホップグループ・Kneecapのライブで、「抵抗の証」としてアイルランドやパレスチナの旗が振られていることに「心底惚れ惚れした」というのが立ち上げのきっかけだという。
形を変えながら続いてきたサウンドデモ
そもそも日本でこうした抗議行動のスタイルはいつ始まったのだろうか。さかのぼれば、2003年のイラク反戦運動の中で渋谷を中心に広がったサウンドデモに行き着く。トラックにサウンドシステムを積み、音とともに街を移動するデモだ。
2003年10月5日に渋谷で開催された反戦サウンドデモ「SET BUSH FIRE !!!」出発前の野外パーティの様子
この背景にはもちろん、イギリスのレイヴカルチャーハウスやヒップホップなどの音楽文化があった。サウンドデモは2011年の反原発運動の中で引き継がれ、形を変えながら続いてきた。その流れの中で、Protest Raveは2019年に始まっている。
激しい怒りと祝祭的なムードが同居する空間
この日、「戦争反対」「ANTI-WAR RAVERS」「高市やめろ!」といった直接的な異議申し立ての言葉から、「Living Together」「市民的不服従」といった連帯と自由、民主的な社会を求めるメッセージまでさまざまなプラカードやグラフィックアートがまさにその場を埋め尽くしていた。甲州街道の陸橋を見上げると、高市首相、トランプ大統領、ネタニヤフ首相の顔が描かれ、「FUCK FASCIST」と記された大きな赤い横断幕が吊り下げられている。これは路哲の鍋倉雅之が当日ライブペインティングにより描き上げたものだ。
DJの後方に置かれたマシンからはスモークがモクモクと焚かれ、シャボン玉や桜の花びらが舞う。ライティングも美しい。DJがプレイする高揚感あふれるハウスミュージックに合わせて、「戦争反対!」や「高市やめろ!」といったシュプレヒコールが巻き起こる。抗議行動の激しい怒りと、祝祭的なムードがナチュラルに同居している。
週末、観光客と通行人がごった返す場所だ。「何これ?」と怪訝な顔で通り過ぎたり、不快感を露わにしたりする人がいる一方、「面白そう。インスタに上げよう」と興味津々にスマホを向ける人や、ダンサーたちの渦の中に自然と吸い込まれていく人もいる。22:00前まで続いたパーティの最後にかかったのは、その日が誕生日だったラッパー、ECDの「Lucky Man」だ。彼もまた、生前、サウンドデモや抗議行動の場に立ち続けた人だった。
「こういう場もありうる」という希望
Protest Raveの発起人の1人、Miru Shinoda(yahyel)は、あるインタビューでこう語っている。
「レイヴもフェスもそうだと思うんですけど、パーティって、社会のありうるかたちをちょっと試しにやってみるということだと思っていて。(中略)〈Protest Rave〉に来たひとたちが、こういうふうに踊って、プラカード持って、こういうことを主張して、なんかいい景色だったなとか、社会に希望を持てるとか、なにも知らない人が『こういう社会もあるんだ』って思う、その種まきみたいなことが大事じゃないかと強く思いますね」(「別冊ele-king 音楽が世界を変える――プロテスト・ミュージック・スペシャル」)
「DROP BASS NOT BOMBS」は、今すぐ社会の制度をがらりと変えるようなものではなかっただろう。それを理由に、抗議行動やデモは無駄だ、意味はないとする意見はいまだに根強い。だが、果たしてそうだろうか。人々が路上に集まり、声を上げ、体を動かし、幸福や自由や団結を感じる。その場で体験したこと、見た景色は簡単には忘れられない。そこにいた人たちは、「こういう場もありうる」と知ることになる。もはや私たちはその前の自分には戻れなくなる。その感覚が、少しずつ社会の保守的な価値観や常識、ルールを変え、その積み重ねが社会をよりよい方向に変えていく。それは今までもそうだった。たしかに今、世界は悪い方向に向かっているかもしれない。しかしあの日はとにかく、本当にひさびさに、路上で音楽や文化のポジティブな力を感じることができた。
プロフィール
二木信(フタツギシン)
ライター。「ele-king presents HIP HOP 2025-26(THE CROWD)」の編集 / 監修を務める。2008年に松本哉との共編著「素人の乱」、2013年に単著「しくじるなよ、ルーディ」を刊行し、2015年に刊行された漢 a.k.a. GAMI著「ヒップホップ・ドリーム」の企画・構成も担当。「ele-king vol.27 特集:日本ラップの現状レポート」「文藝別冊 ケンドリック・ラマー」などの編集協力も手がける。
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