伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」の全貌に迫るべく、当時の関係者や出演アーティストへのインタビューなど、さまざまなコンテンツをお送りする連載企画「『さんピンCAMP』とその時代」。第2回となる今回は、NIPPS&CQ(BUDDHA BRAND)とIGNITION MAN aka ヒデボウイ(SHAKKAZOMBIE)の3MCによる鼎談をお届けする。
1990年代のヒップホップシーンを代表するグループであるBUDDHA BRANDとSHAKKAZOMBIE。そんな2組が合体して生まれた伝説のユニットが大神(オオカミ)だ。1996年に彼らが発表した楽曲「大怪我」は日本語ラップのクラシックとして今もなお高い人気を誇っている。ブッダとシャカはいかにして出会ったのか? 前編となる今回は3人に大神が誕生する経緯を中心に語ってもらった。なお取材には当時の担当ディレクターであるエイベックスの本根誠氏にも立ち会ってもらった。
取材 / 猪又孝、高木“JET”晋一郎 文 / 猪又孝 撮影 / 相澤心也 取材協力 / 北千住JUICE BAR ROCKET 制作協力 / 本根誠
雑誌「Fine」を通じてそれぞれを認識していた
──まず初めに大神というユニットにたどり着くまでの流れを知りたいんですが、BUDDHA BRANDとSHAKKAZOMBIEの出会いは、どのようなきっかけだったんでしょうか?
NIPPS 俺が覚えているのはDEV LARGE(D.L)がどこかでSHAKKAZOMBIEのデモテープをゲットしたんだよ。それをニューヨークで聴いたの。
ヒデボウイ マジすか?
NIPPS 「SHAKKATTACK」って曲。俺はニューヨークでドライブしながら聴いてた。
ヒデボウイ 僕らの1stシングルになった曲ですね。
NIPPS それを聴いてDEV LARGEがカッコいいじゃんって。
ヒデボウイ あの曲はキミドリのクボタタケシくんがプロデュースしてるから、クボタくんからコンちゃん(DEV LARGE)の手に音源が渡ったのかもしれないですね。僕の記憶では石田さん(ECD)が主宰していた「CHECK YOUR MIKE」というイベントで、ブッダがニューヨークから凱旋帰国するみたいな感じの回があったんですよ。ブッダのことは知ってたし、初めて生でパフォーマンスを観られるから楽しみで。いつものようにコンちゃんは汗だくで、ステージが終わったら暑いからって外に出てた。僕も外に出たらコンちゃんと一緒になって。当時、彼は金歯(グリルズ)を入れてたんですよ。
NIPPS 八重歯のやつね。
ヒデボウイ 僕も牙の形の金歯を付けてて「あっ、一緒だね」という話になって。そのときコンちゃんから「俺たちニューヨークで神やってんだ」って言われたんですよ。「SHAKKAZOMBIEは日本で神やってんでしょ?」って言われて、その会話をきっかけに仲よくなったんです。
CQ 俺の最初の記憶は雑誌の「Fine」かな。「Fine」にOSUMI(BIG-O:SHAKKAZOMBIEのMC)が載ってて。「ファット・ジョー大澄」って名前だったと思うんだけど。
ヒデボウイ そうそう。
CQ 俺、FAT JOEが好きだったから、すげえやつがいるなと思ったんだよね。見た目もインパクトあったし。音源は聴いたことないけど、こういうやつがいるんだと思った。OSUMIがラッパーなのかいまいちわかんなかったけど、それでSHAKKAZOMBIEの存在を知った感じ。
NIPPS 日本に戻ってくる前にDEV LARGEがいろいろ調査してたんだよね。俺たちはDEV LARGEから日本の情報を入れてて。でも俺はまったく興味なかった。
CQ 91年か92年か、それぐらいの時期にDEV LARGEが一時的に日本に帰ってて。「Fine」の連載とかやってたから、そのときからOSUMIのこととか知ってるんじゃないかな?
ヒデボウイ 僕とOSUMIは「Fine」でコンちゃんの名前を超見てたんです。「このDEV LARGEって誰なんだ?」って。
CQ 俺も日本から持ってきてもらった「Fine」を見てたよ。ちっちゃいスナップ写真とか載ってたじゃん。
ヒデボウイ 白黒のページですよね? そこに「ナムブレイン(NUMB BRAIN)」っていうブッダの前身グループの名前が書いてあって。どういう人たちなんだろう?って思ってた。
CQ 当時の「Fine」にはヒップホップの情報って1、2ページぐらいしか載ってなかった。そういう記事をDEV LARGEが意外と気にしてた。日本人関係ねえとか言ってるわりには、すごい気にしてて、俺たちにも「Fine」とか見せてきたんだよ。
インディーズにこだわったDEV LARGE
──SHAKKAZOMBIEの「SHAKKATTACK」は95年9月1日発売。エイベックス傘下のcutting edgeではなく、当時TOY’S FACTORY傘下のNatural Foundationからのリリースでした。
ヒデボウイ 同じ年に石田さんが「ホームシック」というアルバムを出して、石田さんの周りに僕たちもいさせてもらってたんです。ライブで共演させてもらったり、日々一緒に遊んだりして。そんな中で石田さんが「日本版の『Wild Style』(※1982年に製作されたアメリカのヒップホップ映画)みたいなことをやりたいんだ」という話をしてたような気がするんですよ。もしそういうことがやれるようになったら参加してよって軽く言われていたんです。その流れで「エイベックス来ちゃえば?」って誘ってもらって。
──「日本版の『Wild Style』をやりたい。だったらレーベルが一緒のほうが動きやすいし」みたいな。
ヒデボウイ そんな感じだったと思います。で、そのタイミングくらいでブッダが「CHECK YOUR MIKE」に出たのかな。だって、そのタイミングで「人間発電所」を録ってますよね?
NIPPS 「発電所」と「Illson」を録ってる。レーベルの話で言うと、DEV LARGEは最初インディーズでやりたがってたんだよね。アンダーグラウンドがいいって。でも俺が「エイベックスは金持ってるから、絶対行ったほうがいい」って言って。DEV LARGEは最初拒否してた。
──それをNIPPSさんが口説いた。
NIPPS 俺が悪知恵使って(笑)。でも結局、契約はしなかったんですよ。
ヒデボウイ 最初はショットでしたよね。僕らもそうでした。
NIPPS 俺はcutting edgeの本根(誠)さんから「どこかの事務所に入れば、月々いくらか定額で入るからそのほうがいいんじゃないの?」って言われて「ヤッター!」って思ったんだけど、DEV LARGEが「人に(お金を)持ってかれたくない」「取り分が減る」って。だから事務所には入らなかった。
──そこから2組はレーベルメイトになったわけですが、どういう流れで大神を結成することになったんですか?
ヒデボウイ たぶんDEV LARGEがSHAKKAZOMBIEとBUDDHA BRANDで何か一緒にやったら面白いんじゃないかって言い出したんだと思う。
NIPPS DEV LARGEと石田さんで相談して決めたんだと思う。俺は「いいんじゃない?」って。
“仏陀”+“釈迦”=大神
──そもそも大神は、「さんピンCAMP」に向けてスペシャルユニットを組もうという流れで結成されたんですか?
NIPPS いや、「さんピン」用にユニットを作ろうとかそういう話じゃなくて、単純に企画として面白いんじゃないかっていうことだったと思う。「さんピン」用にユニットを作ろうとか、そういう話じゃなかった。
ヒデボウイ 始まりはお互いにマキシシングルを出すからっていうところからだと思います。あの頃コンちゃんと僕の家が近かったんですよ。しょっちゅう渋谷の神山町のコンちゃんちに行ってて、そこでそういう話がまとまったのかもしれないけど、あんまり覚えてないですね。ブッダとシャカのメンバー全員で、西麻布のTERMINALというクラブに集まって大神の話をした記憶があるんですよ。当時、南青山にあったエイベックスにいて、その流れで「西麻布、行くか」みたいになったのかもしれないですけど、そのときに大神のなんの話をしたのかは覚えてない。
──大神というグループ名は、お互いのグループ名に“仏陀”と“釈迦”が入っていたことから?
ヒデボウイ かもしれないですけど、コンちゃんになんらかのインスピレーションがあったのかもしれません。
CQ その名前も無理やり付けちゃっただけの話っていうか。ブッダとシャカだから単に大神ってだけで。EPを出すわけでもなく1曲作っただけだもんね。
ヒデボウイ で、TSUTCHIE(※SHAKKAZOMBIEのDJ)とDEV LARGEがそれぞれのバージョンのトラックを作ったって感じ。
CQ それだけで完成させようと思ってないけど、完成になっちゃったんだよね。そのあとどうしていこうっていうプランはなかったと思う。
DEV LARGEはTSUTCHIEを認めていた
──1996年に12inchのアナログ盤で発売された「大怪我」には、“Side大”にTSUTCHIEがリミックスした「大怪我(輸血MIX)」、“Side神”にDEV LARGEが手がけた「大怪我(ILL JOINT STINKBOX)」が収録されています。バージョン違いを作ろうというアイデアは最初からあったんですか?
NIPPS TSUTCHIEとDEV LARGEの間で、そういう話になったのかも。
ヒデボウイ 2人で話してグループごとにバージョンがあったほうがいいんじゃない?っていう話になったんじゃないですか。トラックは両方とも作れるんだからって。
CQ たぶんDEV LARGEがTSUTCHIEのことを認めていたんだと思う。あいつ、基本的に他人が作ったビートに乗せてラップしないから。意外と他人のビートでやってないでしょ? 認めてたからこそ、自分のトラックとTSUTCHIEのトラックを並べて、「俺のほうがカッコいいだろ?」っていうのをやろうと思ったんだと思う。あいつシャカのことが大好きで、「フックアップしてやりたい」とか言ってた気がするもん。ちょっと上から目線で(笑)。
ヒデボウイ 変な雰囲気で伝わらないで欲しいけど、そういうのはあったかもしれない。シャカの「SHAKKATTACK」を作ってたとき、まだコンちゃんと出会ったばかりだったけど、コンちゃんて絵を描くじゃん? そしたら突然、SHAKKAZOMBIEのロゴみたいなのを描いてきて「これ、ステッカーで入れたほうがいいよ」って(笑)。
全員 あはははは(爆笑)
ヒデボウイ その時点でパッケージ周りの制作も進んでたんだけど、急いでレコード会社の人に頼んで、そのステッカーをパッケージに封入してもらいましたから。当時コンちゃんが住んでた家には、自分で描いた絵が壁に大量に貼ってあったんですよ。その中に勝手に描いたシャカのロゴもいっぱい貼ってあって(笑)。「これもいつか使えばいいから」って。
──結果、「SHAKKATTACK」のジャケットのイラストはDEV LARGEが手がけているし、コーラスにはDEV LARGEやECD、YOU THE ROCK★がクレジットされています。CDのバックカバーの写真にもECDがまるでメンバーかのように映っていて、交流が深かったことが伺えます。
ヒデボウイ 大神もその流れですよ。僕たちの中では、仲がいいし、お互いのマキシシングルに「大怪我」のバージョン違いを入れたっていうだけの話。そのあと「さんピンCAMP」のコンピに収録されて、「さんピンCAMP」でトップバッターとして歌ったから、「大怪我」は、さんピンのために作った曲だと思われてるんですよ。
──CDでは、96年4月に発売されたSHAKKAZOMBIEのcutting edge移籍第1弾マキシシングル「手のひらを太陽に」に”輸血MIX“が、96年5月に発売されたBUDDHA BRANDの1st CDシングル「人間発電所~プロローグ」に“ILL JOINT STINKBOX”が、それぞれ収録されました。両者ともにメジャーから最初のCDで、これから本格的にスタートだという時期に、スペシャルユニットを組んじゃうのは展開が早いですよね。
CQ そこはもう完全にDEV LARGEが企んでたんだと思う。DEV LARGEが全部計算してやってたのか、俺たちはイマイチわかってなかったけど、結果的にいろんなことがうまくいったところもあると思う。
ヒデボウイ そもそも「大怪我」のサビのリリックは全部コンちゃんが書いてるしね。
CQ でも、大神がきっかけで、うちらとシャカがライブによく一緒に行くようになったから。シャカとブッタで大阪とか。
NIPPS でも「大怪我」を歌うことってあんまなかったよね?
ヒデボウイ ほとんどなかったですね。
NIPPS ブッダはブッダ、シャカはシャカでライブして、大神として歌うことはなかった。
CQ ブッダは(シャカのパートを)飛ばして歌ってたからね。そういうバージョンをあとから作っちゃったしさ(「大怪我3000」)。
アーティスト写真は浅草で撮影
──ジャケット写真の話をすると、大神「大怪我」の12inchシングルと、SHAKKAZOMBIEの「手のひらを太陽に」、BUDDHA BRANDの「人間発電所~プロローグ」のブックレットやバックカバーで同じ衣装の写真があります。ということは、この3つのプロジェクトは同時進行だったということでしょうか。
ヒデボウイ あれは浅草で撮ったんですよ。
本根誠 最初に渋谷で集まって(「人間発電所~プロローグ」のジャケ写になった)Mandrillの「Just Outside Of Town」風の写真をBUDDHA BRANDで撮ったんですよ。Mandrillをオマージュしてるのがわかったから、僕が「やってるね」ってDEV LARGEに言ったら、うれしそうに「わかってるな、このオヤジ」みたいな顔をして。そのあとバンみたいなレンタカーで上野に行ったら、NIPPSさんの友達の革ジャン屋さんから4人分の革ジャンが借りてあって。
NIPPS それ、友達じゃなくて、俺が働いてたんだよ。上野商会。
本根 そうだったんですね。で、まずはBUDDHA BRANDで革ジャンを着て撮って。それが終ったらいつの間にかSHAKKAZOMBIEの3人が来てたんだよね。で、最後にお寺で7人横並びになっているカットを撮った。
ヒデボウイ そのときに(「手のひらを太陽に」の)シャカだけの写真も撮ってるから、僕らは別行動してから行ったんでしょうね。浅草で合流して、大神で撮ろうってなったんだと思う。
NIPPS でも、前から打合せしてた気がする。とりあえずみんな軍服で行こうって話してた気がするんだよ。
ヒデボウイ なんかそんな記憶もありますね。
CQ 俺はそれさえ知らない。なんのジャケット写真を撮ってたのかも俺はわかってなかったから。なのにどんどん進んでいく(笑)。全然わからないんだよ、DEV LARGEは教えてくれないから。
──革ジャンということは寒い季節に撮影しているだろうし、ひょっとしたら95年の年末の時点で大神のプロジェクトは動いていたということになりますか?
ヒデボウイ かもしれないですね。夜寒かった日に撮影していたような記憶があります。「CHECK YOUR MIKE」に出たときのBUDDHA BRANDは、確かDJがヒロシちゃんだったんですよ。「CHECK YOUR MIKE」で1回帰って来て、そのあとに本格的に帰ってくるから、そのタイミングで写真を撮ってると思うんです。
CQ MASTERKEY (BUDDHA BRANDのDJ)は1年くらい遅れてニューヨークから帰ってきてるからね。
「大怪我」レコーディング秘話
──「大怪我」は全員で同じ日にスタジオに集まってレコーディングしたんですか?
NIPPS 一斉に録った。シャカのバージョンも両方。
ヒデボウイ Rinky Dink Studioでね。
NIPPS それで困ったのがシャカバージョンとブッダバージョンでラップするメンバーの順番が逆なんですよ。
──まるっきり逆ですよね。
NIPPS シャカバージョンは俺が最初にラップするんだけど、リリックで「まずはILLなイントロ~」って書いちゃったから、まったくリリックを変えなきゃいけなくなって(笑)。
ヒデボウイ あはは!
NIPPS それでブッダバージョンは、「これがILLなアウトロ」にしたんですよ。もうアウトロにしちまえって(笑)。
──どっちのバージョンからレコーディングしたか覚えてますか?
NIPPS レコーディングは「ILL JOINT」が先だった。
CQ 石田さんも、その日スタジオにいたんだよね。ってことは、レコーディングは石田さんから始まったんじゃねえか?
──「ILL JOINT」ではECDさんがイントロマンとして冒頭でシャウトアウトしています。
ヒデボウイ そう。でも、石田さんはラップで入る予定だったんですかね? その場のノリでやったんじゃないかな。
CQ 石田さんは(曲に)入りたくて「来たんだけど、どう?」って言ったんじゃない?(笑) 俺の勘ではDEV LARGEは石田さんを使おうと思ってなかったと思うよ、たぶん。俺もまったく知らなかったから。
──ということは、「ILL JOINT」のほうを全部作ってからリレー順をひっくり返していったんですか?
NIPPS それはDEV LARGEのアイデアだね。マイクリレーの順番もDEV LARGEが決めてるから。
CQ 俺は与えられたビートに乗せてラップしただけだしね。大神ってちゃんとしたグループっぽく思われてるみたいだけど、自分たちは全然そんなふうに思ってなかったんだ。
「輸血MIX」と「ILL JOINT」
──2バージョンできあがった「大怪我」を、お互いどう聴いていましたか?
NIPPS 俺は「輸血MIX」のほうが好きだね。
ヒデボウイ あはは。そう言われることは、けっこう多いですね。
NIPPS なんでかっていうとDEV LARGEは狙ってあれ(ILL JOINT)を作ったんだよ。
──大ネタ使いのことですか?
NIPPS そう。狙ってあれをやってる。
──A Taste of Honeyのヒット曲「Rescue Me」をサンプリングしたNice & Nasty 3の「The Ultimate Rap」(1980年)をトラックに引用していますよね。
NIPPS 俺たちはニューヨークにいた頃からそういう話をしてたんだけど、ビギー(ザ・ノトーリアス・B.I.G.)の「Juicy」みたいにA面をラジオフレンドリーな曲にして、B面をゴリゴリのハードコアアンダーグランドみたいな曲調にしてっていうのを取り入れたんだよ。
──キャッチーなほうは俺たちが担当すると。だとしたら、オールドスクールのクラシックという大ネタ使いでいこうと。
NIPPS そう。あいつの好みでもあったけど、そういうパーティチューンにしたかったんじゃない? 日本で何が流行ってるかとか、何がウケるかとか、ものすごい研究してたから。あれは意図的だよ。
CQ 俺はシャカバージョンもブッダバージョンも両方聴いてたな。光と影じゃないけど、うまい具合に対比になってるから、あれ1枚で成立したんじゃないかって思う。
ヒデボウイ 僕も両方聴いてましたけど、パーティチューンな感じがしてブッダバージョンのほうが好きでした。ライブでもあのバージョンをやることが多かったですね。
CQ 俺たちも歌ったことがあるのは「ILL JOINT」のほうが多いかな。
ヒデボウイ 当時「輸血MIX」でライブをやったことはあまりないですよね?
NIPPS いや、俺たちはあるよ。
CQ というか、シャカでライブやるときは「輸血MIX」でやらなかったの?
ヒデボウイ やってたかもしれないけど、全然覚えてない(笑)。
──ライブといえば、「大怪我(ILL JOINT STINKBOX)」のミュージックビデオでインストアライブの映像が使われていますよね。
ヒデボウイ あれはタワーレコード渋谷店のインストアです。ウチとブッダ、お互いのマキシシングルが出て、そのリリースイベントだった。あのときは「輸血MIX」をやったんじゃなかったでしたっけ?
CQ 全然覚えてないよ(笑)。
ヒデボウイ 「輸血MIX」なのにブッダバージョンでビデオ作ってるんだって思った記憶があるんですよ。だから、よく見ると口が合ってない。光嶋(崇)くんに聞いた記憶がありますから。リップシンクみたいに編集するのが大変だったって(笑)。
──10月25日に北千住Juice Bar Rocketで開催されたCQさんの還暦お祝いパーティでも「輸血MIX」のほうを歌ってましたよね。
CQ 今はシャカバージョンのほうがやりやすい。というか、DEV LARGEがいないから「ILL JOINT」のほうはできないんだよね。そもそも「ILL JOINT」はDEV LARGEが歌ってるパートがすげえ多いから。
ヒデボウイ 正直やりづらいんですよね(笑)。
CQ そう。あいつが目立ちたいだけだもん。「奴等がシャカ」とか歌ってて。シャカが「俺等がシャカ」ならわかるけど「奴等がシャカ」だからさ。上から目線すぎるだろって(笑)。
<後編に続く>
プロフィール
CQ(シーキュー)
BUDDHA BRANDのMC。ニックネームは「赤目の達磨の叔父貴」「クーリーシャン」など。1998年以降は、MAKI THE MAGIC(MC)、ILLICIT TSUBOIとのユニットキエるマキュウのメンバーとして活動。2015年、NIPPSとヒップホップユニットBUDDHA MAFIAを結成した。
NIPPS(ニップス)
BUDDHA BRANDのMC。ニックネームは「HIBAHIHI(飛葉飛火)」や「緑の5本指」など。2007年以降は、TETRAD THE GANG OF FOUR、The Sexorcistのメンバーとして活動を展開している。2015年、CQとヒップホップユニットBUDDHA MAFIAを結成。
IGNITION MAN aka ヒデボウイ(イグニッションマンアズノウアズヒデボウイ)
SHAKKAZOMBIEのMC。1993年にOSUMI(MC)、TSUTCHIE(DJ)とグループ結成。1995年、1st EP「SHAKKATTACK」をNatural Foundationよりリリースする。翌96年、cutting edgeから「手のひらを太陽に」でメジャーデビューを果たす。


