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つげ義春と日本のロック|細野晴臣ら6人が語る大いなる影響

つげ義春と日本のロック
17分前2026年07月27日 10:01

去る3月にマンガ家・つげ義春が死去した。彼が生み出した「ねじ式」「紅い花」「ゲンセンカン主人」「無能の人」といった名作の数々は、多くの表現者たちに時代を超えて多大なインスピレーションを与え続けてきた。音楽シーンにおいても、“つげ義春的な世界観”を日本語のロックで表現することに挑戦したはっぴいえんどを筆頭に、つげ作品からの影響を公言するアーティストたちが独創性に富んだ楽曲を残している。本稿では、細野晴臣、松本隆、直枝政広(カーネーション)、曽我部恵一(サニーデイ・サービス)、かせきさいだぁ、髙城晶平(cero)といったアーティストたちの言葉をもとに、つげ作品が彼らの音楽にどのような影響を与えたかを掘り下げていく。

※細野晴臣の発言はDU BOOKS刊「音楽マンガガイドブック」(2014年)掲載インタビュー(聞き手:松永良平)より、松本隆の発言は文藝春秋・CREA WEB連載「松本隆と歩くぼくの風街」(2023年 / 聞き手:辛島いづみ)より、それぞれ引用。直枝政広、曽我部恵一、かせきさいだぁ、髙城晶平の発言は音楽ナタリー編集部によるメールインタビューより構成。

文 / 松永良平

「沼」から始まった静かな革命

「(衝撃を受けた作品は)『ねじ式』ですね。ショックでした。『なんだろう?』と思いました」(細野晴臣)

「ぼくがやりたいのは、永島慎二やつげ義春が描くような世界観をロックで再構築することで、それを日本語でやることこそが最先端の音楽になるんだと信じていたから」(松本隆)

マンガ家・つげ義春の訃報を筆者が知ったのは、調布市文化会館 たづくりで開催されていた「マンガ家・つげ義春のいるところ展」(2026年1月29日~3月22日)を、最終日に滑り込んで観覧した直後だった。3月27日、つげの訃報はテレビのニュースでも大きく報じられた。3月3日に88歳で永眠されていたとのこと。人生で最後の展覧会が、半生を過ごした東京都調布市で、彼自らの作品と、そこに描いてきた日常の景色とを照らし合わせるような内容だったことは興味深い偶然だった。

展示内では、マンガ雑誌「ガロ」の1965年4月号に、住所不定だったつげ義春を探す尋ね人広告が掲載されたというエピソードも紹介されていた。マンガ家仲間からその広告を知らされたつげは編集部を訪ね、長井勝一編集長から、何を描いてもいいという最大限の自由を約束される。貸本マンガ家としてはすでに10年以上のキャリアを持っていたが、制約が多いうえに収入も低い稼業に絶望的な気持ちを抱いていたつげにとって、「ガロ」から与えられた最大限の自由は大きな転機となった。具体的に言えば、「ガロ」での2作目として66年2月号に掲載された「沼」。発表当初は、同業のマンガ家たちにも不可解な作品だと異論を突きつけられ、つげ自身もしばし断筆するほど精神的に落ち込んだそうだが、ここからマンガ家・つげ義春の静かな革命が始まったことは間違いない。

翌67年に復帰すると、68年にかけて「ガロ」誌上で14本の作品をつげは相次いで発表した。その中には、今なお人気が高い「李さん一家」(67年6月)、「海辺の叙景」(67年9月)、「紅い花」(67年10月)、「ほんやら洞のべんさん」(68年6月)、「ゲンセンカン主人」(68年7月)、「もっきり屋の少女」(68年8月)などが含まれる。中でも最も重要な作品が、68年6月に企画された増刊号「つげ義春特集」に新作として掲載された「ねじ式」だ。

細野晴臣と松本隆がリアルタイムで受けた「ねじ式」の衝撃

当時、まだ単行本も発売されていない作家を1冊まるまる大特集することは「ガロ」としても異例中の異例だったし、さらには2色カラーで発表された「ねじ式」は、マンガの歴史を変えてしまうほどの一大問題作だった。突出してアバンギャルドな絵柄で、ストーリーを放棄したような展開なのに、難解さよりも感覚に直接訴えかけるポップさとでもいうべき性格を備えている。過去のどのマンガにも似た例がない。マンガにおけるサイケデリックか、ヌーヴェルヴァーグか。ひと言で当時の読者の心境を言い表すとしたら、細野晴臣の発言の通り「なんだろう?」だったはず。

細野も松本も、「ガロ」の「つげ義春特集」をリアルタイムで読んでショックを受けた世代だ。当時のマンガとの向き合い方と、つげ作品とはっぴいえんど結成とのつながりを、2人はそれぞれインタビューでこう語っている。

「『少年サンデー』や『少年マガジン』は創刊されてましたけど、あれはやっぱり子供の世界だと感じてましたし、文学の世界でも今で言う村上春樹みたいな、僕たちのような若い世代が読むような作品がなかったですから、音楽が気になるなら漫画を読むという感覚でしたね。漫画は音楽と密接な存在だったんです」(細野)

「こういう漫画の世界を音楽で描きたいと思ったんだ。だから、新しいバンド(はっぴいえんど)では『日本語でロックをやる』ことをテーマにしようとぼくが提案したんだ」(松本)

「(つげにとっては)『ガロ』という場が良かったんでしょうけどね。音楽で言うと、はっぴいえんどが最初に属してたのもURCという(インディーズの)レコード会社ですから、割と自由に何でもやれた。それと似ていたかもしれません。表現に制約がない。その代わり、売れない」(細野)

「ガロ」の「つげ義春特集」が提示した新しいマンガ表現は、当時の学生運動とも共振し、芸術評論や哲学の世界にも飛び火した。70年には、筑摩書房が企画した叢書「現代マンガ」シリーズの第12巻として、つげ義春が68年までに「ガロ」に執筆した全18作品が収録された(編集を担当したのは、のちに浅田彰「逃走論」、赤瀬川原平「老人力」といったベストセラー作品を手がけた松田哲夫)。ただし皮肉にも、つげ自身は時ならぬブームの中にありながら、68年の後半から長期の休筆に入り、マンガの表舞台からは姿を消していたのだが。

直枝政広が「海辺の叙景」で味わう終わりのない余韻

76年には小学館文庫から、やはり「ガロ」期の傑作をまとめた「ねじ式 -異色傑作選 1-」「紅い花 -異色傑作選 2-」が刊行された。70年代にはごく単発的にしか新作を発表しなくなっていたつげだが、マンガ家としての評価(再評価)は、むしろこの時期に定まっていったと言える。そういう意味で、小学館文庫の2冊は、The Beatlesの「赤盤」「青盤」みたいな存在だった。

カーネーションの直枝政広もこの時代につげ作品に触れた1人だ。

「19か20歳の頃に、小学館文庫の『ねじ式』と『紅い花』を続けて読みました。後者に収録されていた『海辺の叙景』の、雨が降る暗い海を男が泳ぐシーンが好きです。どんよりと沈む波間の描写にうっとりしたものです。寡黙であり小さく心理を動かす言葉のやりとり、映画のようなコマ割りと構図のセンスが圧倒的です。不穏な空を薄く切るような雨の線がしなやかで痛く、暗く、少し冷たそうな海の温度に、ほのかな希望のようなものが浮かび上がってくるのです。陰影を引く線の美しさに陶酔します。何も起こらないからこそなのか、いつ読んでも終わりのない余韻に心をつかまれますね」(直枝政広)

カーネーションのアルバム「Turntable Overture」(2021年)には「海辺の叙景」にタイトルを寄せてオマージュを捧げたかのような1曲「海の叙景」が収録された。直枝の表現や思考につげ作品が与えた影響として、直枝はこう答えている。

「物語としての明快さに、あえてこだわらないことでしょうか。劇的なオチもなく、“私”か、“私”に似た誰かを動かす表現の面白さを知ったというか。あらゆる痛みや心の揺れを肯定することで、“私”のようなダメ人間を、大いに描いていいのだ、と刷り込まれている気がします」(直枝)

曽我部恵一が「無能の人」から感じた人生の悲哀

84年、つげ義春をひさしぶりに大きな舞台へと引き戻したのは、日本文芸社の季刊マンガ雑誌「COMICばく」だった。この雑誌は、編集長の夜久弘による、つげにもう一度自由にマンガを描ける場を提供したいという強い思いからスタートしていた。つげは熱意に押され、創刊号(84年6月)に「散歩の日々」を発表。そこから「別離」(87年9月)まで、私小説的とも言える13作品が断続的に掲載された。この集中度は、かつて66年から68年まで「ガロ」に新作を掲載した時代にも匹敵する。

そして、この時代に生まれた決定的な作品が、「石を売る」(85年6月)からスタートした「無能の人」シリーズだ。サニーデイ・サービスの曽我部恵一は、88年に単行本化された「無能の人」を17歳のときに読んだという。

「淡々とした画風で、自分もまだ人生の悲哀など知らない頃。最初はよくわからなかった。繰り返し読むうちにマンガの世界に入って行けた。券売所で手を握り合うシーン、大鴉になって飛び立つシーンなど、好きな場面はたくさんあります」(曽我部恵一)

その後、つげ義春の世界に深入りしていった曽我部も、直枝同様にベスト作品として「海辺の叙景」を挙げ、「夏の素敵さのすべてがここにある気がします」と語る。また、サニーデイの1stアルバム「若者たち」(95年)の制作時には、つげ作品をよく読んでいたそうだ。

「わかりやすくなくてもいい、明るくなくてもいい、そんなことをつげ先生はじめ、当時の『ガロ』などのマンガから教えてもらいました」(曽我部)

サニーデイ・サービス「若者たち」は、はっぴいえんどから連なる日本語ロックの系譜を現代へとつなぐ役割を果たした傑作だが、奇しくも同じ95年に発表された、かせきさいだぁのインディーズでの1stアルバム「かせきさいだぁ」も、はっぴいえんど~ティン・パン・アレーへのオマージュをちりばめつつ異色の文学性を備えたヒップホップ作品だった。アルバム「かせきさいだぁ」には、つげの「無能の人」から明らかに影響を受けたタイトルの曲がある。それは「苦悩の人」だ。

かせきさいだぁがつげ作品から学んだパンク精神

「『苦悩の人』はもちろん『無能の人』に影響を受けたタイトルです。その後に作った『じゃっ、夏なんで』という曲もはっぴいえんどの『夏なんです』と『抱きしめたい』、宮沢賢治の詩に影響を受けて作りましたが、根本はつげマンガの世界観で作ってます。夏の夢のような陽炎の世界♡」(かせきさいだぁ)

つげ作品から学んだものは「パンク精神」だったと、かせきさいだぁは振り返る。

「高1の頃、オタクの友人から『つげ義春、読まなきゃでしょ』と言われ、『ねじ式』やエッセイ的な旅マンガに『こんな自由なマンガがあるんだ!』と衝撃。『チャンピオン』でも『マガジン』でも『ジャンプ』でもないし……と新しい扉が全開になりました。周りも金もカンケーねー!的な。自虐的な『無能の人』にも『うわーっ! そこまで表現するんだ~』と、ひっくり返りました。本当に、本当にありがとうございました」(かせきさいだぁ)

cero・髙城晶平が心の底から驚愕した「必殺するめ固め」

つげ義春がマンガ家として最後に発表した作品は、「COMICばく」87年秋季号に掲載された「別離」。その時点で、つげは49歳。結局、その後40年近く、描かないマンガ家として余生を過ごしたことになる。だが、過去に残した作品が、時代がどれだけ過ぎようと古びずに、新鮮かつ現代的な表現として通用し、影響を与え続けていることを考えれば、ある意味で作品はずっと“現役”だ。

ceroの髙城晶平は84年生まれ。つげ作品との出会いは「親の本棚」だった。すでに、つげの全作品を時系列も関係なく読むことが可能だった彼らの世代にとって、あの世界観はどんなふうに思春期の感覚に入り込んできたのだろう?

「(最初に読んだのは)小学4、5年生の頃。とにかくマンガの形態をとっていればなんでも読みたいという感じだったので、親の本棚から見つけ出して『ねじ式』から『別離』から、なんでも読んでいました。不思議と難しさとかは感じた覚えがなく、普通にジャンプマンガとかと並行して読んでいました。特に印象に残っているのは『必殺するめ固め』。夫がするめ固めをかけられてうまく動けなくなったあとも、奇妙な日常が続いていくこと、その生活に妻がまんざらでもなさそうであることに心の底から驚愕しました」(髙城晶平)

髙城は、ceroの多くの楽曲で作詞を手がけ、言葉と情景の結びつきを意識している。そんな彼に「つげ作品から受けた影響があるとしたら?」と聞いてみた。

「直近で言えば、昨年、一十三十一さんの楽曲『Hamon Baby Boy』を制作しているときに、歌詞のイメージとして、『センチメンタルな雰囲気をたたえた、松の木などが茂る日本の海で~』というようなことを話してて、リファレンスとして『海辺の叙景』をヒトミさんに見せたりしました。自分自身が創作するうえでというよりは、鑑賞者としてのスタンスのほうでの影響のほうが強いかもしれませんが、オフビートな作風、アンチクライマックスな展開を面白がるための素地は、すべてつげ義春作品によって培われたといっても過言ではないです」(髙城)

日本のロックを育んできた、つげ作品の独特な感受性

映画の世界でも、つげが休筆して以降に新たな流れが生まれた。竹中直人(「無能の人」91年)、山下敦弘(「リアリズムの宿」02年)らが、監督としての長編デビュー作として、つげ作品を原作に選んだ。髙城晶平と同じ84年に生まれた映画監督・三宅唱は、ロカルノ国際映画祭で金豹賞(最優秀作品賞)を受賞した最新作「旅と日々」(2025年)で、「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」を原作として採用している。彼らがつげ作品を映像化しようとした試みにも、ミュージシャンたちが受けてきた影響とその具現化に近いものがある気がする。

マンガ史の中でも特異なつげ義春という存在が、日本のロック(と、あえて言う)を作った、とはさすがに言いすぎかもしれない。だが、つげ作品を読めば読むほど、日本のロックに必要な要素ばかり見つけてしまう。それは、髙城が言う「オフビートな作風」や「アンチクライマックスな展開」。かせきさいだぁが言う「パンク精神」。曽我部が言う「わかりやすくなくてもいい、明るくなくてもいい」。直枝が言う「“私”のようなダメ人間を、大いに描いていい」。そして、松本隆と細野晴臣をはっぴいえんど結成へと動かした「この世界を音楽でやりたい」という意志と「表現に制約がない場」の重要性。つげ義春のマンガには、日本のロックを育んできたそんな感受性が、神秘的なほど静かに、そしてとてつもない深さで今も横たわっている。

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