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渋谷系を掘り下げる Vol.3 ドレスコーズ・志磨遼平が語る憧憬とシンパシー

志磨遼平
5年以上前2019年11月27日 11:03

1990年代に日本の音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げていく本連載。第3回はドレスコーズ・志磨遼平へのインタビューを掲載する。10代の頃より音楽や文学、映画といったポップカルチャーの世界にどっぷりと浸ってきた志磨は、そこで培われた感性を基に毛皮のマリーズ~ドレスコーズでの活動を通じて、受け手の想像を鮮やかに裏切るコンセプチュアルな作品を次々と発表してきた。今回のインタビューでは志磨と親交の深いDJ / ライターのフミヤマウチを聞き手に迎え、両者の対話を通じて渋谷系の根底に流れるカウンター精神を浮き彫りにする。

流行歌として触れていた渋谷系

──志磨くんが初めて渋谷系というワードを具体的に意識したのはいつ頃ですか?

うーん……それが全然思い出せないんですよね。僕は1982年生まれなので、中学時代が95年から97年にあたるんですけど、その頃には渋谷系という言葉自体は僕のような和歌山の中学生でも知っていたと思います。中学校のときの制服がブレザーだったんですけど、僕、ブレザーを着ずにシャツとネクタイだけで、首からカメラを下げて学校行ってたんですよ(笑)。それで渋谷系を自称してましたから(笑)。でも、具体的に渋谷系という言葉を意識した瞬間というのは、ちょっと思い出せないですねえ。

──では質問を変えて、渋谷系と呼ばれるアーティスト群の中で最初に触れたのは?

小沢健二さんですかね。「ラブリー」が出たのが、僕が小学6年生の頃で。

──ポピュラーミュージックを積極的に聴こうという気持ちが出てくる年頃ですよね。

当時はヒットチャートを毎週チェックして、気に入った新譜のシングルCDをレンタル屋で毎週2、3枚ずつ借りて。同級生なんかと「一番早く覚えてカラオケで歌うのは誰だ?」って競う感じで(笑)。渋谷系周辺のアーティストの曲も、あくまでそういった“チャートもの”として触れていたと思いますね。小沢さんはもちろん、小山田圭吾さんのシングルも同じような感覚で聴いてました。

──Corneliusを。

あの頃ってシングル文化だったじゃないですか? いわゆる短冊シングル全盛時代で。小中学生であれば、よっぽど好きなアーティストじゃない限りアルバムまでは買わない、という感じで。楽曲単位じゃなくアルバム単位で、コンセプトとかアートワークも含めて「わ、カッコいい!」と初めて思ったのって、もしかするとCorneliusの「FANTASMA」かもしれないです。

あのアルバムが出たのって何年ですか?

──97年です。

ああ、僕が中3のときですね。初回盤に特製のイヤフォンが付いていて、それを装着して聴くと、バイノーラルマイクでレコーディングした立体的な音響が楽しめるっていう。コンセプチュアルな作品として「すげー!」と思った記憶があります。ただ97年がちょうど高校受験の年で、その1年は新しい音楽やカルチャーになかなか触れられなかったんです。その1年間だけ、ものすごくブランクがあるんですよ。

──そういう意味では、何年が受験期だったのかって、けっこう大きいかもしれないですね(笑)。

そうなんですよ。本当に部屋から出ないで勉強してるような感じだったんで。晴れて高校入学が決まった春休みに、たくさんCDを買ったりギターを弾き始めたりして、鬱憤を晴らすかのようにいろんなカルチャーにのめり込んでいきました。この受験以前 / 以後が自分史の中の分水嶺というか。そこから音楽誌なんかもわりと細かく読むようになって、その頃最初に興味を持ったのがサニーデイ・サービスやホフディランのようなフォーキーなバンドでした。なので、その頃にはもう渋谷ではなく下北沢や新宿あたりから新しいムーブメントが始まっているのかな? という印象だった気がします。すでに渋谷系はわりとマスなカルチャーという感じで……まあ田舎の子供だったんで。渋谷系は田舎まで届くだけの普及力を持った音楽だったという印象です。テレビや雑誌、ラジオを通じて。

──いわゆる流行歌の1つという認識だった。

そうです。

トレンド化したイディオム

──渋谷系とされる音楽以外には、どんなものを聴いていたんですか?

中学までは、いわゆるヒットチャートの人たちです。その中でもバンドものが好きでしたね。Mr.Childrenやスピッツ、ウルフルズ、THE YELLOW MONKEYのような。それと同時期に、僕に空前のThe Beatlesブームが訪れて(笑)。「The Beatlesのような音楽を今やっている人はいないかな」と思いながら邦楽も聴いていました。ちなみに、すごく強引にくくると、スピッツとミスチルは当時の僕にとっては「The Beatlesのような音楽」に入るんですよ。あとは奥田民生さん。

──民生さんは、The Beatlesからの影響を隠そうともしないような曲をやってましたもんね。

そうですね。あの頃は1960~70年代の名曲のオマージュやパロディがヒットチャートの世界で普通にまかり通っていたというか。例えば小林武史さんの96、97年頃のプロデュース作品って、どれをとってもアナログ感があって。レニー・クラヴィッツが持ってたニューヨークのウォーターフロントスタジオで録音してて、機材もマイクから何から全部ビンテージなんですって。なので、あの頃のミスチルとかマイラバ、YEN TOWN BANDの録音ってすごく好きな音なんですよ。そういう曲が普通に100万枚とか売れていて。今振り返るとすごく豊かな時代ですよね。

──それって見方を変えると、渋谷系周辺のオルタナティブな人たちがやっていたマニアックな試みが、音楽業界の中でポピュラーなものになっていったという捉え方もできますよね。

きっとその通りだと思います。あの“Back To 60's”的なトレンドは、明らかに渋谷系のイディオムだったと思うんです。今、こうやって振り返ると文脈がわかるんですけど。

──中高生だとなかなかわからないですよね。

当時は全然わからなかったです。でも、十分な恩恵を受けていたということですよね。

渋谷系に感じる“反・本物志向”

──渋谷系の音楽には同時代性もあったじゃないですか。ハウスやテクノ、ヒップホップであるとか。そのあたりは聴いていましたか?

中学生のときは、かせきさいだぁさんがすごく好きで。僕は音楽を自分から進んで聴くまでは、わりと本ばかり読んでる文学少年みたいな感じだったんですけど。自分でも音楽を作りたいと思うようになったときに、かせきさいだぁさんみたいな手法だったら僕にもできるんじゃないか?と思ったんです。古いレコードをサンプリングして、そこに淡々と文学的なポエトリーが乗るっていう。「梶井基次郎の檸檬の中に出てくるような街の中は……」みたいな。これなら僕もできるかもしれない、と思って真似したりしてましたね。

──渋谷系の1つの側面として、“文科系の逆襲”みたいなところがあったと思うんです。とかく体育会系的なノリだったそれまでの音楽業界に対して、文科系が一斉蜂起したというか。

この取材を受けるにあたっていろいろ考えたんですけど、僕の中で渋谷系には“反・本物志向”というか、「セックス、ドラッグ&ロックンロール」みたいな美学にはっきり「NO!」を突きつけるようなイメージがあるんです。ステレオタイプなカルチャーイメージに対して、「自分たちはそれの当事者ではなく消費者である」という意思表明をするような。レコードであろうとVHSであろうと書籍であろうと、ありとあらゆるレアなアーカイブを過激なまでに消費していく感じに、「僕らは本物ではない」という強い思いが感じられて……なんと言うんでしょうかね、この感覚は。ルサンチマンでもないんですけど。

──一歩引いて、斜に構えてる感じというか。

啖呵を切るような潔さもあって。「本物になんかなるものか!」という姿勢がカッコいいなと思うんです。先ほど話に挙がった体育会系的なノリって、いつの時代にもあると思うんですよ。「酒を飲んだら、あとはステージで思いっきりぶちかますだけさ!」みたいな。そういうノリに対して僕も苦手意識があって。僕は20代の頃はガレージパンクのイベントとかによく呼んでいただいてたんですけども、やっぱりあの……ちょっと怖いんですよね(笑)。

──“ロックンロールエリート”というか、ロックについて博学で、かつ、いで立ちと振る舞いもロケンローな人たちに気圧されてしまうところがあった?

はい。皆さんすごく優しいですし、何をされたワケでもないんですけど。自分は文化系の人間なので(笑)。そういう意味でも渋谷系的な感覚にシンパシーを感じるんです。

優れた船頭としての役割

──渋谷系カルチャーには優れた船頭さんがいるイメージがあって。フリッパーズ・ギターの2人や小西康陽さん、あとは編集者の川勝正幸さんだとか。その人たちのレコメンドが確実に次の流行を示していると実感できるような。志磨くんにはそういう人はいましたか?

今お名前が挙がった方々はもちろん、90年代に活躍されていたミュージシャンは皆さん本当に音楽に詳しかったので、あらゆる人たちから影響を受けてましたよ。例えばTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの皆さんがインタビューでパンクのレコードをたくさん紹介してくれたり。あの頃は音楽誌で「◯◯◯◯のオススメの10枚」みたいな企画がいつもあって、そういうリストを教科書代わりにしていました。「チバさんが好きだと言っているガレージパンクってなんだ?」と思って、和歌山で唯一の中古盤屋さんに探しに行ったり。でも田舎のお店なんで、ジャンルで仕切りがあるわけでもなく、ただアーティスト名をアルファベット順に並べただけの棚で。その中からガレージパンクのCDを探し当てるのは本当に至難の業で(笑)。

──ですよね(笑)。

で、「オムニバス・VA」のコーナーに1枚だけ「UK GARAGE」って書いてあるCDがあって、「やった!」と思って買って帰って聴いたらハウスのコンピレーションだったり(笑)。

──ガレージじゃなくガラージュだった。

などなどの失敗がありつつ、ガレージパンクやパブロックをミッシェルの影響で知ったり、イエモンからグラムロックを知ったり、サニーデイから70年代フォークを知ったり。僕らの世代はそういう感じでしたね。

時代の境目で変化したカルチャーの流れ

──でも今思えば、なんでそんなにみんなレコード聴いて、本読んで、映画観たりできたんだろうと思いますよね。どういう時間の使い方をしていたんですかね。

本当に。当時は今よりも情報が少ない分、皆さんカルチャーに対して貪欲だったんでしょうね。

──ネット普及以前という感じですよね。ちなみに志磨くんが上京したのは?

2001年です。

──じゃあ、サニーデイが解散したあとぐらいですかね。

そうです。「MUGEN」のツアーを大阪で観て、僕が東京に出た頃にはもう解散してましたね。上京した次の日がミッシェルの代々木公園のフリーライブだったんですけど、ミッシェルも間もなく解散して。

──ピチカート・ファイヴも解散後?

ですです。ラストアルバムの「さ・え・らジャポン」は和歌山で聴いていたので。そう考えると、2000年から2001年にかけていろんなバンドが解散したりして、カルチャーの流れも、あのあたりで変わったような気がしますね。

──僕は“20世紀またぎ”と呼んでいるんですが、時代をまたぐ過程でいろんなものが終わっていった気がします。

その一方で新しい流れとして、いわゆる「AIR JAM」世代というか、Hi-STANDARDとかのメロディックパンクやハードコアパンクの人たちがいるインディーズシーンが98年頃から急速に盛り上がって。スケーターファッションで、曲がむやみやたらに速くて、みんな英詞で。僕の周りもみんな飛び付いたんです。

──そうだったんですね。

ええ。ある日、友達がハイスタの2ndを持ってきて。それがとにかく衝撃的で、クラスのみんなで回し聴きして。CDの中に通信販売の小さいカタログが入っていて、オフィシャルのTシャツとかパーカが注文できるようになっていたんですけど、グッズのデザインも垢抜けてて。それまでのバンドのグッズって、いわゆる“ファングッズ”みたいなものばかりだったんですよ。普段使いできないというか(笑)。でもハイスタは、マーチャンダイズでお金を生み出して、そのお金でツアーを回る、っていうバンドの運営の仕方までが美学に含まれていて、いわゆる “DIY” みたいな姿勢もすごくカッコよく感じました。自分たちですべてやりくりしながら活動を続けるバンドの裏側をそれまでのバンドはあまり見せなかったので。

──音楽制作だけに集中みたいな。

海外の高級スタジオでレコーディングして、ツアーは新幹線で、衣装もバッチリで歌番組に出て……とか。そういうものとは違う、もっとインディペンデントなところからカルチャーが生まれた印象があって、それがリアルでカッコよくて。

渋谷系と「AIR JAM」周辺の共通性

──でも「AIR JAM」周辺のムーブメントって、渋谷系には括られないけれど明らかに延長線上にあるものだと思うんです。

あ、それは間違いなくそうだと思います! どちらもポップでスタイリッシュなカウンターカルチャーという意味においては。

──僕は90年代中盤にDJ BAR INKSTICKという渋谷のクラブでブッキングを担当していたんですけど、むしろ渋谷系っぽいものよりも、パンク系のイベントを持ってくるお洒落な若い子がいっぱいいて。最初は「なんでなんだろう?」と思ってたんだけど、よくよく考えると「LONDON NITE」の影響なんですよね。

ああ、なるほど。

──当時のストリートカルチャーを語るうえで、「LONDON NITE」も欠かすことができないと思うんです。「LONDON NITE」に遊びに行ってる流行に敏感な若い子たちが自分たちでイベントを始めて。その中でよくかかるのがCOKEHEAD HIPSTERSやNUKEY PIKESだったりして。

ああ、僕も大好きでした! 今の話で思い出したんですけど、最近YouTubeでキユーピーのCMのまとめみたいな映像が出てきて。あの頃のキユーピーのCMって映像も音楽も「Olive」感があって、90年代中盤はHIROMIXさんとか市川実日子さんが出てて、カジヒデキさんの「ラ・ブーム~だってMY BOOM IS ME~」とか渋谷系っぽい曲が使われてるんですけど、2000年代に近付くにつれて、SCAFULL KINGとかが使われるようになっていくんですね。渋谷系と「AIR JAM」周辺のムーブメントがスタイリッシュなものとしてシームレスにつながっていたんだなっていうことに改めて気付いて。

──確かに。

でも、そのあと音楽やカルチャーが、低年齢化するかオタク文化を受け入れるかの二択を迫られるようにどんどんなっていって。あそこで確実に何かが終わったと思うんですよね。特に音楽とファッションの強い結び付きみたいなものがなくなっていって。その後のバンドもアパレルとコラボとかしてるんですけど何かが違うんですよね。うまく言葉にできないですけど。

「音楽を楽しもう!」と素直に言えない気持ち

──2000年代に入って、音楽とファッションが切り離された感覚は確かにあるかもしれません。

こういうジャンルのイベントにはこういう服を着ていくとか、服装のマナーみたいなものがある時期からなくなりましたね。それはすでに僕らの世代から始まってるんですけど。ギリギリ残っていたのはパンクシーンくらいで。メロディックパンクが流行った頃、鋲ベルトを着けてるスケーターをガチのパンクスが狩るっていう、“パンク狩り”っていう恐ろしい文化が僕の田舎にはあって(笑)。

──パンク狩り(笑)。

それが唯一僕らが受けた、ファッションと音楽のマナーの洗礼ですね。うかつにハードコアバンドのTシャツを着ていると、そのバンドと敵対してるバンドの人に拉致られるとか(笑)。ほぼ都市伝説ですけど……ちょっと魅力的ではありましたね。あの怖さは。

──ある種の敷居の高さというか。

はい。ライブハウスに入るにも、すごく緊張感があって。ちょっと背伸びする感じというか、それがなくなったのが僕らの世代という感じがします。音楽もファッションも、よくも悪くもカジュアル化してしまって。

──そういう意味では、渋谷系カルチャーにもある種の敷居の高さはありましたよね。

そうですね。ちょっとした選民意識みたいなものというか。「このよさをわかるものだけが楽しめる」みたいな。

──「とにかくレコードをいっぱい聴いてるやつが勝ち」みたいなところがありますよね。

例えば吉祥寺のCOCONUTS DISKとかで紹介される最近の若いバンドの子たちもめちゃくちゃ音楽に詳しいじゃないですか。でも渋谷系の世代の方々とはどこか違うような。今の若い子たちは純粋に「音楽を楽しもう!」って言えちゃうんですけど、渋谷系の世代はもう少し斜に構えたところがあるというか。僕なんかも素直に「音楽を楽しもう!」とは言えないところがあって。

──まっすぐさに対する照れみたいなものもあるんですかね。

どうなんでしょう……もちろん音楽は大好きなんですけど。でも、声を大にしては言えない。それに比べて、今の若い子たちは健全に音楽と向き合えているというか。とても眩しくてですね(笑)。

毛皮のマリーズは渋谷系へのカウンター

──志磨くんが先ほど言った“ルサンチマン”的な感覚も渋谷系を語るうえで大きなキーになるかもしれません。

何かに対する反抗ですよね。旧世代であったり、いわゆるメジャーなものであったり、人それぞれなんでしょうけど。そういう意味ではパンク的な感覚ですよね……そう言えば、先日まさに「音楽ナタリー」に掲載された小西さんのインタビューを読んで「はっ!」と思ってスクショしたくだりがあるんです……(携帯を取り出して)あ、ここですね。「バカラックに全曲自分で歌ったレコードを出してほしい」と小西さんがおっしゃってるくだり。「やっぱロックはさ、フィジカルに音を出している人のものなんだよね」と発言されていて。それは裏返すと、小西さんたちがとてもロジカルに音楽を作られていたっていうことになると思うんです。もしかしたら僕は、その渋谷系的なロジカルさの反動として、毛皮のマリーズをやっていたような感じがあるんです。今振り返ると、ですけど。

──渋谷系へのカウンターとして。

ええ。僕は生粋の文科系で「自分は本物ではない」という負い目があるんです。そこで、先輩方がヒップホップ的な方法論で元ネタをサンプリングしていたように、僕は1960~70年代のロックスターのフィジカルな部分をサンプリングしてみよう、と思って。生演奏でやるサンプリングミュージック、しかも立ち居振る舞いまで。それが毛皮のマリーズというバンドの方法論だったんです。「セックス、ドラッグ&ロックンロール、できるかな?」みたいな(笑)。音楽の知識や持ってるレコードの枚数は置いといて、ここで1回、自分自身の体を傷付けて血まみれになってみる、みたいな。若さゆえの衝動みたいなものもあったんでしょうけど。

──それはすごく腑に落ちる話です。

だから出てくるタイミングが違ったら、僕、絶対にロックンロール以外の音楽をやってたと思うんです。毛皮のマリーズを作った頃って、パンクと言えばブルーハーツかハイスタか、みたいなバンドがあふれかえっていて、そこに対する抵抗みたいな気持ちがあって。「じゃあ僕は、どういうネタでトラックを作ろうかな」みたいな感覚でチョイスしたのがThe StoogesとかNew York Dollsだったんで。

文科系だけが身に付けられる反射神経

──渋谷系へのカウンターという意味でいうと、僕はキリンジが出てきたときに、時代が変わりつつあるなと思ったんです。演奏や歌詞、アレンジに至るまで、あらゆる面でクオリティが異常に高くて。クオリティの高さで渋谷系を越えようとする世代が出てきたんだなって。

ああ、わかります。先輩方に非常に失礼な言い方になってしまうんですが、「テクニックがあったら渋谷系じゃない」みたいな感じってあったじゃないですか(笑)。

──テクニックをセンスで凌駕するみたいな。そこも前時代的なテクニック至上主義に対するカウンターですよね。

僕がマリーズのドラムに、ほぼ素人だった富士山富士夫くんを入れたのもそういう感覚だったんで……なんだか今日、僕がここに呼んでもらえた理由がわかってきました(笑)。渋谷系から漂うルサンチマンとやけっぱちな気持ち。これって完全にパンクと通じるものだし、僕の好きなものすべてに共通する感覚です。なるほど、今日は自分の中でいろんなことがつながりました(笑)。

──では、最後に志磨くんが表現活動をするうえで、渋谷系から一番影響を受けたのはどういうところでしょうか?

やっぱり元ネタ、本物との距離の置き方ですね。あるいは角度だったり……要するに切り口ですよね。真正面からじゃなくて、違った角度から元ネタに向き合うという。それは渋谷系の諸先輩方の作品に触れる中で培った感覚だと思います。ネタを選ぶ審美眼というか。これなら今、茶化せるぞみたいな(笑)。

──茶化すのにも愛情やセンスが必要ですからね。あとは“寝かし時”みたいな感覚とか。

そうそうそう! このネタを自分の中で何年寝かせるか、みたいな。「これは今誰もやってないな」というタイミングの図り方。それって反射神経かもしれないですね。本物ではない人間だけが身に付ける反射神経、筋力というか。主流じゃないものをぱっと見つけて、「今これやろう!」って瞬時に動ける感じ。それは渋谷系カルチャーから学んだことかもしれないです。

志磨遼平

1982年、和歌山県出身。2006年にロックバンド毛皮のマリーズでメジャーデビュー。バンドは6枚のオリジナルアルバムを残し2011年の日本武道館公演をもって解散する。2012年、ドレスコーズ結成。同年7月に1stシングル「Trash」、12月に1stフルアルバム「the dresscodes」を発表した。2014年9月の5曲入りCD「Hippies E.P.」リリースを機に志磨以外のメンバーがバンドを脱退。以降は志磨の単独体制となり、ゲストプレイヤーを迎えてライブ活動や作品制作を行っている。最新アルバムは2019年5月に発表した「ジャズ」。11月20日にはライブBlu-ray / DVD「ルーディエスタ / アンチクライスタ the dresscodes A.K.A. LIVE!」をリリースした。

取材 / フミヤマウチ 文 / 望月哲(音楽ナタリー編集部) 撮影 / 相澤心也

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