さまざまなムーブメントが生まれていた2010年代の東京インディーズシーンを、アーティスト、イベント、場所などの観点から検証する本連載。第2回ではスカートの澤部渡、ミツメの川辺素、トリプルファイヤーの吉田靖直による鼎談をお届けする。
2010年代序盤に頭角を現し、2012年のスリーマンライブを機に交流を深めていった3組。彼らや本稿にも登場する昆虫キッズ、シャムキャッツ、森は生きている、吉田ヨウヘイgroup、そしてceroや片想いといったカクバリズム勢に、ザ・なつやすみバンド、Alfred Beach Sandal、どついたるねんといったバンドたちは、当時メジャーレーベルに所属せず、インディペンデントな活動に重きを置いていた。東京・秋葉原CLUB GOODMAN、東京・新宿Motion、東京・南池袋ミュージック・オルグなどのライブハウスや、東京・七針、東京・阿佐ヶ谷のRoji、東京・mona records、東京・神保町試聴室といった場所を中心に活動していた彼らは、お互いのライブで頻繁に客演として演奏するなどして親密につながっていき、彼らのシーンはいつしか“東京インディー”と呼ばれるようになっていく。さらに下北沢で開催されたサーキットイベント「Shimokitazawa Indie Fanclub」、片想いとホライズン山下宅配便のメンバーを中心とした武蔵野音楽集団・とんちれこーどが主催する「とんちまつり」、2013年に月1回のペースで行われた「月刊ウォンブ!」など、上に挙げたようなバンドが競演するイベントが2010年代には多数開催され、“東京インディー”は徐々に存在感を強めていった。
この鼎談では3組が、この10年間の東京インディーズシーンを振り返る。“東京インディー”の当事者とされながらも「シーンからはみ出していた」と自称する彼らが、当時の“東京インディー”やその後のシーンの変容をどのように見ていたのか語り合ってもらった。
取材・文 / 松永良平 撮影 / 南阿沙美
3組が見る2010年のインディーズシーン
──2010年代の東京インディーズシーンを振り返るにあたって、この3組はすごく絶妙な存在だと思うんです。最初から注目されていたわけではなくシーンの中で徐々に浮上して、それぞれのスタイルをはっきりさせて2020年代に入っていったという意味でもいい証言者になるのかなと。そもそも2010年代が始まる頃のシーンをどんな感じで覚えてますか?
澤部渡(スカート) 「TOKYO NEW WAVE 2010」(2010年にリリースされた、インディーズバンドによるコンピレーションアルバム)とかの盛り上がりはすでにあった気がしますね。
川辺素(ミツメ) 秋葉原CLUB GOODMANあたりのバンドが企画してたイベント「東京BOREDOM」とかね。僕らのバンドは呼ばれないけど、楽しそうにしてるなという印象でした。
──いずれもこの連載の第1回で詳しく取り上げたトピックですね(参考:2010年代の東京インディーズシーン 第1回 | ライブハウスが持つ「偶然の可能性」秋葉原CLUB GOODMANと新宿motionにおけるオルタナティブシーン)。
吉田靖直(トリプルファイヤー) 僕もそういうイベントが盛り上がってるのを傍目に見て「出てみたいな」とか思ってましたね。当時はまだライブハウスには平日しか出られなくて、土日に出るというのが夢だったので。
澤部 そうだね!(笑) 忘れてた、その感じ!
吉田 土日に出れないと、「TOKYO NEW WAVE」や「東京BOREDOM」とかは夢のまた夢という感じでした。
澤部 僕にとってはO-nest(現TSUTAYA O-nest)が大きい存在でしたね。昆虫キッズが始まった2000年代の終わりには、O-nestでのライブをうらやましく見てました。あそこにいつかスカートとして出るのを目標にしてた感じはあったなあ。「O-nestでワンマンやれたら本当にいいよね」みたいな。シャムキャッツもO-nestでよくやってるイメージだった。昆虫キッズとシャムキャッツが、僕のイメージする“東京インディーシーンで最初に出てきた人たち”でした。
川辺 シャムキャッツは「TOKYO NEW WAVE」にも「東京BOREDOM」にも参加してたよね。
吉田 昆虫キッズはU.F.O. CLUBとかにも出てて、澤部くんも昆虫キッズにサックスとパーカッションで参加していたので、澤部くんはそっちに出てる印象が俺的にはあった。
──2010年くらいに皆さんがよく出ていたライブハウスは?
川辺 GOODMANとかじゃないかな……?
澤部 僕は2010年の末に最初のCD(「エス・オー・エス」)を出したんですけど、その頃はまだあまりライブをやってなかったかな。
吉田 僕はMotionとかGOODMANでしたね。
3組の邂逅
──お互いのバンドを知ったきっかけは覚えてますか?
川辺 トリプルファイヤーとは当時共演してないけど、吉田と大学のサークルが一緒だったヤーチャイカ、はこモーフとかとはよく対バンしてて、吉田はその友達って感じでした。でも、打ち上げに吉田がよくいるという話を聞くくらいで、まだ面識はなかった。
吉田 あー、そうそう。ミツメはサークルの後輩がブログで「ミツメって本当に最高。初めて観てびっくりした」みたいなことを書いていて、僕はそのへんから意識するようになりました。
澤部 僕はトリプルファイヤーよりミツメを知ったのが先だったかな。当時下北沢SHELTERの店長だった上江洲修さんが面白いブッキングをけっこうやっていて、ミツメとスカートが出演したライブがあったんです(2012年2月6日開催「SHELTER presents "New Young City"」)。そのときに初めてミツメを観て、リハからあまりによすぎてその段階で物販を全部買った(笑)。
──川辺くんがスカートを観たのは、その日が初めて?
川辺 たぶん、そうですね。GOODMANの周年イベントのポスターに載っていたスカートの写真が「なんだこれ?」みたいな感じだったんですよ。それでスカートのことを調べて、SoundCloudかMyspaceで聴いて「すげっ!」ってなった記憶があります。
──その頃のトリプルファイヤーは?
吉田 2010年に鳥居(真道 / G)が入って、2011年に最初のCD(「実録・トリプルファイヤー」)を出したと思います。
──この3バンドが初めてそろった象徴的なイベントが2012年9月7日に下北沢SHELTERで行われています。それが「フラットスリー」。スカート、トリプルファイヤー、ミツメのスリーマンで、DJには昆虫キッズの高橋翔という顔ぶれ。
澤部 僕がミツメとトリプルファイヤーを好きすぎて、なんかできないだろうかと思っていたんです。そんなときに上江洲さんから「ここの日程空いたから、なんかイベントやらない?」と急に言われて、それで2組に声をかけたんじゃなかったかな? どうだったっけ?
吉田 そんな感じだったような気はする……。
川辺 ボールペンで「フラットスリー」って書いただけ、みたいなフライヤーがベッと壁に貼ってあって「ええー?」みたいな感じがあった(笑)。とにかく、上江洲さんの存在はデカかったなあ。
澤部 上江洲さんの存在はデカい! あと、WWWの名取(達利)さん、O-nestの岸本(純一)さん。
川辺 オルグ(南池袋ミュージック・オルグ)のミヤジ(宮崎岳史)さんの存在もデカいんじゃない?
澤部 あ、そうだ! オルグはデカいわ! オルグがなかったら、今の僕らはないですね。
──ミュージック・オルグは2014年末に閉店してるから、営業していたのは実質3、4年くらいでしたよね。雑居ビルの地下2階で、音が大きいと上の焼肉屋さんが苦情をよく言いに来てた(笑)。
川辺 ミツメの初めての企画がオルグで、Nag Ar JunaとFriends(現Teen Runnings)とayU tokiOを呼んでやりましたね。オルグで初めて会った人にそのあともずっとお世話になるというパターンも多かった。
澤部 僕らはアルバムのレコーディングもしました。
吉田 借りるのが安かったし、ノルマもなかった。なんかマジで“何やってもいい感”があって面白かった。
川辺 ミヤジさんは話を聞いていても独特の美学がある感じがするね。何も狙わずに場を作るということをけっこう考えてるみたいで、知らないうちにいろんな人とつなげてもらってた。それがデカかったですね。森は生きている、吉田ヨウヘイgroup、ミツメでスリーマン(2014年12月9日)もやりました。
澤部 あと、ライブが入ってない日に多目的スペースとして貸してくれて、みんなでボンバーマンをスクリーンに映してやったりした(笑)。
“東京インディー”という空気感の現れ
──“東京インディー”というワードはいつぐらいから意識した記憶がありますか?
川辺 やっぱり「Shimokitazawa Indie Fanclub」(2010~15年に開催されたサーキットイベント)が盛り上がってきたくらいからじゃない? ceroの2nd(2012年10月発表の「My Lost City」)が出たくらいの印象もある。
澤部 「インディーファンクラブ」は大きいよね。
──「インディーファンクラブ」も最初の2010年は、まだ違った雰囲気でしたね。2011、2012年でメンツもお客さんの感じもどんどん変わっていった印象があります。
川辺 今は僕らのマネージャーでもあるタッツ(仲原達彦)が、当時日芸(日本大学芸術学部)の校舎で「プチロックフェスティバル」(2010~2012年)をやっていて、タッツが「インディーファンクラブ」のブッキングに深く関わるようになって、自分たちや身近なバンドが出演するようになった気がする。
──「インディーファンクラブ」に初めて出たのはいつ?
澤部 僕は2011年。
吉田 2013年とかですかね。
川辺 僕らは2012年じゃなかったかな。SHELTERでしたね。
澤部 北沢タウンホールの地下で「FLY ME TO THE MARS!!!」の7inchを買った記憶がある。
川辺 じゃあ、2012年だ。
この3組ならではの部活感
──自分たちが“東京インディー”の一員と言われることに対してはどう感じてました?
澤部 あんまり意識してなかった気がする。インディペンデントで活動するということが自分にとって当たり前すぎて。それよりは“シティポップ”と呼ばれることのほうが居心地悪かったかも。
吉田 “東京インディー”は、普通に「東京にいるインディーズのバンド」ってことなのかなって感じだったんで、キーワードになってるとは知らなかった。あ、でも“東京インディー三銃士”とか言っちゃってるけど(笑)。
澤部 “東京インディー三銃士”と言われたあたりで、やっと自覚的になったかもね(笑)。
──名古屋のWebマガジン・LIVERARYの企画で、2015年に3人で名古屋街ブラをしたときに“東京インディー三銃士”の名称が付いた、ということになっています。
澤部 名古屋のCLUB QUATTROで、我々のスリーマン(2015年8月24日「出張版 月光密造の夜 名古屋編」)をやることになったんですけど、「この3組でクアトロなんて絶対動員ヤバいぞ!」と思ってて、いろんなテコ入れをする中でやった企画で命名されたんですよ。
──でも、ぴったりでしたよね。全然キャラは違うけど3人とも同じ年(1987年)生まれで、何度もスリーマンやってて仲もいいから、トリオとしてのニックネームを付けやすかったのかな。
澤部 1987年生まれで同い年というのが僕はうれしかったんですよ。昆虫キッズとかと一緒にいた20歳前後の頃って、自分と同じ年齢で面白いことやってるバンドが周りに全然いなくて。ミツメやトリプルファイヤーが出てきて、「87年生まれでようやくすげえカッコいいと思える人たちが出てきた」と思えた。
川辺 友達の域を超えて広がっていきそうなほど「これはすげえ」と思えるような感じがしたのは、確かにスカートとトリプルファイヤーが初めてだったかも。
澤部 最近はスリーマンもできてないけど、よくやってた頃は、やるたびにそれぞれのバンドの方向性がワケわかんないほうに行ってるのを見るのが本当に楽しかったですね。
──お互いの曲をカバーし合った「密造盤」(2015年4月)というレアCDもありましたね。
吉田 ガチャガチャを作って、全員の顔写真でバッジを作ったりもした(2017年5月2日、東京・東京キネマ倶楽部で開催の「第六回 月光密造の夜」)。あれは、今でも家にあります。
川辺 澤部くんのバッジだけ大きかったよね。
澤部 楽屋でひたすら作ってたもんね。
川辺 ガチャガチャの人気がありすぎて、途中でなくなったから補充したもんね。
吉田 お客さんが帰ったあと、俺のバッジだけ会場に2個落ちてた。
澤部・川辺 はははは(笑)。
吉田 それを家に持って帰った。
──そういう面白さって、1人が「それはちょっと違うと思う」とか言い出すと消えてしまうじゃないですか。そういうのがこの3人はなさそうですよね。
吉田 澤部くんが「やろう」と言ったら「そうしよう」ってなる(笑)。
川辺 みんなが集まると部活みたいな感じになるんですよ。ほかではそういう関係になれる人たちはなかなか見つけられないかな。この3組だからそういう感じになるというのはある。
変わりゆく東京インディーシーン
──このコラムは2010年代の東京インディーズシーンを振り返る企画なので、ちょっと切ない話もします。2015年に昆虫キッズや森は生きているが解散していますし、シャムキャッツも今年6月に解散をしました。そういう時代の変遷について感じるところはありますか?
澤部 昆虫キッズに関して言えば、逆によく4枚もアルバムを作ったなと思えるくらい奇跡的なバランスで成り立っていたバンドだったし、あんなアルバム(2014年5月発売のラストアルバム「BLUE GHOST」)を作ったらもう解散するしかないだろうな、バンドとしてはこれ以上ないぐらいいい終わり方だな、と思ってました。でも、シャムキャッツの解散は、けっこうきましたね……。なんというか、“バンドをやり続けるバンド”みたいに思ってたところがあったから。
川辺 よっぽどミツメとかトリプルファイヤーのほうが続けていく根性なさそうなのに。昆虫キッズやシャムキャッツはちょっと先にいる先輩って感じのバンドだったから、いなくなるという事実に対しては「そうかー」と思うところはありました。
澤部 2016年くらいに「東京インディーシーンの離散」みたいな記事を見かけたんですよ。そのときに「あ、“東京インディー”と呼ばれるシーンがあるんだ」ってようやく実感した気がする。あと、逆にいうと「僕らはそこに入ってないんじゃないか?」という気もした。
川辺 ほかのバンドと自分のバンドに共通項があまりない気はしていたし、そういう意味ではシーンからはみ出してる感じは、あるのかな。
吉田 “東京インディー”って言及されるときに、僕らは特に出てこないですから。でも、“東京インディー三銃士”ということでギリギリ引っかかってはいる。逆に「入ってたまるか」みたいな感じはありましたね。
──“東京インディー三銃士”と名乗りながら、“東京インディー”の円の中にはいない意識?
川辺 “東京インディー”って言われると「どうだろうな?」ってなる。でも、“東京インディー三銃士”って言われる分には「まあ、いっか」みたいな(笑)。
澤部 “三銃士”って付けば「OK!」ってなるよね(笑)。少なくとも僕は“東京インディー三銃士”を楽しんでました。でも“東京インディー”という言葉をより強く意識したのは、Yogee New Wavesとかnever young beachが台頭した頃だった気がする。
川辺 あの頃から「ここまでが東京インディーシーンだよ」みたいに括りたがる記事をよく見かけた気がする。
──2015年くらいを分岐点として潮目が変わった感じはありましたね。“シティポップ”というワードも、2010年代後半のほうがより強いものとして扱われるようになったかな。
川辺 音楽の下地がしっかりした人たちも増えた印象がある。技術が説得力のある時代になってきてますよね。それで自然にカッコいいことができてる。僕らはもともと“バンドがやりたい大学生”から出発してるし、「インディーファンクラブ」でもそういう感じの人たちが多かったと思う。そこから見ると、シーンの空気感は2010年代末にかけて変わった気はするかな。今はみんなすごく「がんばっていくぞ」という上昇志向があるけど、俺らはそういうふうながんばり方ができなかった。“俺ら”って言っちゃったけど(笑)。
澤部 自然にカッコいいことができるってすごいよね。僕らはMCでカッコいいこととか言えないですからね(笑)。
──“強気でMCできない問題”はこの世代にはありますよね。吉田くんは大喜利では圧倒的な力を発揮するのにね(吉田は2016年に大喜利の大会「ダイナマイト関西」でベスト16に輝くなど、大喜利イベントで活躍していた)。
吉田 それ、今日の話題と関係ないじゃないですか(笑)。
澤部 まあ、トリプルファイヤーは大喜利でブレイクしたし、スカートは僕がスピッツの口笛でブレイクした(笑)(2016年4月22日にスピッツのバックで「ミュージックステーション」に出演。翌週には“謎の口笛タンバリン男”として特集も放映された)。
川辺 吉田くんなんて「タモリ倶楽部」に出てるからね。しかも番組で実家まで行って。
澤部 まさか友達で「タモリ倶楽部」に出る人がいるなんて!
吉田 やっぱり“東京インディー”に入れていないというコンプレックスからの反動で「じゃあ、俺はこっちでやってやるよ」と。
澤部 それは大いにあるかもしれない! でもそんな中、ミツメがまっすぐに音楽をやっててくれて、改めて心強い存在だと思ってました。
闇鍋的なライブの面白さ
──いろいろ振り返ってもらいましたが、2020年の今、お互いをどう見てますか?
澤部 とにかくトリプルファイヤーがいまだに伸びしろがあるというのがヤバいですね。ライブに行くたびに新しい曲が一番印象に残る。学生時代ならまだしも、そんなバンドがまさか同世代でいるとは。今のトリプルファイヤー、異様なエンジンのかかり方してるんですよ。ミツメも配信でリリースされてる新曲が全部ヤバくて、僕は正直、置いてかれてる感がある。
吉田 澤部くんがメジャー的なところでやってくれてるから、“東京インディー三銃士”がただの嫉妬の表れじゃなくなってるというのはあるかな。
川辺・澤部 (笑)。
吉田 メジャーでやってる人がインディーズのよさを熟知してるというのが、いいですよね。
澤部 めちゃくちゃメジャーっぽくないメジャーデビューだったんで、それ以前の活動からの延長でやれてるのはありがたいですね。
──川辺くんはどうですか?
川辺 僕らは、ずっと“純増”というんですかね、ちょっとずついろんなことを積み上げながらずっときてるので、これを続けていきたいなという感じかな。そのときそのときで勉強したり練習したり、作れる作品は変わってくると思うんで、これを続けていけたらなと思ってますね。
──この3者の結びつきって本当に独特で、「出し抜く」とか「負けられない」とかよりも「長く続ける」というのがモチベーションになってる感じがあります。この先“東京インディー”は滅んでも“東京インディー三銃士”は残った、みたいになったりして(笑)。
澤部 出し抜こうなんて思ったことないですからね(笑)。僕らは脇道を歩んでますから。
吉田 それに比べると今のバンドは、あまりダサいことをせず、まっすぐにカッコいいことができるからすごいなと思いますね。今MotionやGOODMANの平日にどんなバンドが出てるのか見てみたいです。平日のライブハウスって、よくない意味で「ヤベえ」みたいな感じがあって、何が出てくるのかわからない楽しみがあったんですよね。「あらびき団」(TBS系で放送されていたネタ番組)的な。その楽しみ方もしてみてほしいですけどね。
川辺 上江洲さんがSHELTERでやってたような、雑な感じが面白いブッキングは今はあまりなくなってるのかもしれないですね。
澤部 闇鍋感は減ったかも。
川辺 闇鍋的に見えてちゃんと楽しめるように整備されているものが増えているのかもしれない。「こういう気持ちが味わえるだろうな」と予想できるイベントをしっかりキュレーションしてくれてる場所にお客さんも集まっているように思う。確かに、お金を3000円とか払って、貴重な夜をよくわからないところで過ごすというのはなかなか体力のいることでもあるし。
吉田 あんまり整ってないものも面白がられたらいいなと思いますけどね。もうちょっと闇鍋を食べようよ、みたいな。
澤部 我々も30歳を過ぎたし、僕らの世代でのオルグにあたるであろう幡ヶ谷Forestlimitとかで今何が起きてるのか見ていないから、今のシーンに対して何かを言えない感じもあります。でも僕は「昔はよかった」というより、今のところは「今が一番いいかな」とは思ってます。
──ちなみに澤部くんに関しては、この10年は順調に体重を増やしてきた10年でもあります。
澤部 僕はそこが“純増”ですから(笑)。
吉田 やっぱ冬とかあんまり寒くない?
澤部 いや、それが寒いんですよ。脂肪って温まりにくいから、1回冷えるともうしばらく寒いんです。
吉田 ああ、水筒みたいな。
澤部 自分の規模感的にはちょっとずつ大きくしてきたんだから、これからもちょっとずつやっていくしかないと思いますよ。
川辺 それ、なんの話? 体重?
澤部 いや、バンドの話(笑)。あー、これがオチになってしまう(笑)。
スカート プロフィール
シンガーソングライター澤部渡によるソロプロジェクト。昭和音楽大学卒業時よりスカート名義での音楽活動を始め、2010年12月に自主制作による1stアルバム「エス・オー・エス」をリリースした。以降もセルフプロデュースによる作品をコンスタントに制作し、2014年12月にはアナログ12inchシングル「シリウス」をカクバリズムより発表。2017年10月にポニーキャニオンよりメジャーデビューアルバム「20/20」、2018年10月に表題曲が映画「高崎グラフィティ。」の主題歌に使用されたメジャー第1弾シングル「遠い春」をリリースする。2020年にはCDデビュー10周年を迎え、3月に両A面シングル「駆ける / 標識の影・鉄塔の影」を発表。澤部はスカートでの活動のほか、ギター、ベース、ドラム、サックス、タンバリンなど多彩な楽器を演奏するマルチプレイヤーとしても活躍しており、yes, mama ok?、川本真琴ほか多数のアーティストのライブでサポートを務める。またトーベヤンソン・ニューヨーク、川本真琴withゴロニャンずには正式メンバーとして所属している。
ミツメ プロフィール
川辺素(Vo, G)、大竹雅生(G, Syn)、須田洋次郎(Dr)、nakayaan(B)からなる東京発の4人組バンド。2009年に結成され、国内だけでなくインドネシア、中国、台湾、韓国、タイ、アメリカなどでの海外ツアーを行う。オーソドックスなバンド編成ながら、各メンバーが担当のパートにとらわれずに楽曲を制作している。2011年8月に1stアルバム「mitsume」、翌2012年9月に2ndアルバム「eye」を発売。2017年12月にシングル「エスパー」をリリースし話題を集め、2019年4月には「エスパー」を収録した5thアルバム「Ghosts」を発表した。2020年に「睡魔」「ダンス」「ジンクス」「トニック・ラブ」と立て続けに新曲を配信するなど、精力的な活動を続けている。
・ミツメ
トリプルファイヤー プロフィール
吉田靖直(Vo)、鳥居真道(G)、山本慶幸(B)、大垣翔(Dr)からなるロックバンド。2006年に早稲田大学の音楽サークルで結成され、2010年に鳥居が加入して現在の編成になる。2012年5月にアルバム「エキサイティングフラッシュ」をリリースし、ソリッドな演奏とシュールな歌詞を組み合わせた今までにない作風で注目を集める。その後、2014年2月に2ndアルバム「スキルアップ」、2015年9月に3rdアルバム「エピタフ」、2017年11月に4thアルバム「FIRE」をリリース。吉田は映画やドラマ、大喜利イベント、テレビ番組へもたびたび出演しており、2017年10月にはテレビ朝日系「タモリ倶楽部」にて全編にわたって吉田が特集された。
※記事初出時、写真のキャプションに一部誤りがありました。お詫びして訂正いたします。