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西寺郷太のPOP FOCUS 第24回 BOØWY「1994 -LABEL OF COMPLEX-」

2年以上前2022年08月15日 3:01

西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者として多くのメディアに出演する西寺が私論も盛り込みながら、愛するポップソングを紹介する。

第24回では前回に引き続きBOØWYにフォーカス。氷室京介が作詞、布袋寅泰が作曲し、吉川晃司がゲストボーカルで参加した「1994 -LABEL OF COMPLEX-」の魅力を紐解きながら、氷室と布袋の類まれなる才能に迫る。

文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ

完璧を目指して突き進むエンタテイナー

先日の「PSYCHOPATH」回でも触れましたが、BOØWYの活動期間はわずか6年間。結成までの準備期間も入れたとしても、解散まで足掛け8年。彼らの音楽的進化と変遷、バラエティ豊かな傑作の数々を考えれば信じられないほど凝縮された時間です。

こうしてコラムとしてまとめ、文章としてアウトプットを重ねると、それまで漠然と頭の中にあった思考の断片がパズルのピースのようにピタッと自分の中でハマることがあります。BOØWYの結成と解散理由、特にソングライティングの軸となる氷室京介さんと布袋寅泰さんの美学、行動の力学の違いについて改めて考えてみると見えてきた世界がありました。

まず絶対的フロントマンの氷室さんは究極の匠であり、ファン思いのエンタテイナー。ともかく“完璧”を目指し、自らが設定した壁を越えるためにストイックに突き進む人に思えます。ダーツで言えばど真ん中、中心を貫くまで研究し、狙いを定めて投げ続けるタイプ。ソロになってからはタイムレスな代表作を何度も何度も磨き上げ、キャリアを築かれました。派手なメディア露出も極力控え、ファッションもソロになってご自身の「氷室スタイル」が確立されてからは、そのビジュアルコンセプトにほぼ変化がありません。インタビューやさまざまな発言を読んでもこの上なく優しさが滲み出ていて、何より自分自身の心に嘘がつけない真摯な方なのだなあ、という印象です。

氷室と布袋が出会うとき

少しのズレも許さないその厳しさの原点は、BOØWY結成前の氷室さんの苦い記憶にあるように思えます。彼がスピニッヂ・パワーという芸能的座組みのバンドに3代目ボーカルとして短期間参加されていたことはファンの間ではよく知られていますが、デビューシングル「ポパイ・ザ・セーラーマン」のタイトルから“スピニッヂ(ほうれん草)の力”と名付けられた相当企画物の色が濃いバンドだったそう。ただし氷室さん加入前の、2代目ボーカリスト・織田哲郎さん在籍時は、織田さん自身が楽曲制作を担当しており、1979年にリリースされたシングル「ファンキー・ディスコ・プリンセス」の作詞を手がけたのが、現代のシティポップ再評価の象徴的存在である亜蘭知子さんと知ると、単純に侮るわけにはいきません。今年1月にThe Weekndがシングル「Out Of Time」で同じ亜蘭&織田コンビによる「Midnight Pretenders」をサンプリングし世界的に大ヒットしたのは記憶に新しいですが、当時の方向性とは別として、このバンドに関わった才能の密集具合、セレクトしたスタッフの審美眼にはある意味、驚かされます。

スピニッヂ・パワーに参加したものの、思い描いたスタイルではなかったため苦悩の末、氷室さんは脱退を決意。1980年夏に同郷・群馬から上京していた1学年下の布袋さんに声をかけ、六本木のアマンド前で待ち合わせたことからBOØWYの伝説はスタートします。その時点で氷室さんは19歳、誘われた布袋さんはまだ18歳! 若いですね……。10代で上京してから最初につかんだチャンスとそこでのつまずきはのちの氷室さんにとって深い学びになったことでしょう。自分の理想が大きな雪崩れのような力によって抗えず汚されてしまった恐怖を、彼は若くして知ったのです。そして氷室さんと布袋さんが“学生時代からのプライベートな友人”としてではなく、お互いの類稀なる才能を見抜いた“戦友”のような関係性でタッグを組んだこともポイントだったと思います。ただガムシャラに戦い抜いた数年を経て、自分たちが0から作り上げたバンド・BOØWYも想像以上に巨大化していった。先ほどの例えで言えば、“ダーツの中心を射抜いた完璧な瞬間”を「JUST A HERO」「BEAT EMOTION」といった充実期のアルバムから全身で感じたからこそ、輝いている状態のまま、美しいまま終わらせる必要があったのではないでしょうか。

何度聴いたかわからない──布袋が生み出したあの1枚

対して日本ロック史にその名を刻むギタリスト、サウンドメーカーの布袋さんは、多少の失敗やアップダウンも糧にしながら貪欲に新しい音楽的挑戦を続ける“好奇心の人”に思えます。音楽を愛し、音楽に愛された男。80年代のBOØWY活動中もさまざまなプロジェクトに参加するなど先鋭的なギタリストとして活躍されていた彼はバンド解散後、The Beatlesの本拠地であったロンドンのアビーロード・スタジオに向かいました。ひと足早くソロアルバム「FLOWERS for ALGERNON」をリリースした氷室さんに遅れること1カ月。1988年10月5日、布袋さんは全編英詞でボーカルも務めた1stアルバム「GUITARHYTHM」をリリースしています。このアルバムを僕は何度聴いたかわかりません。今も「日本人が作り上げたアルバムの中で5枚選べ」と言われれば必ずセレクトするほど心酔している作品で、コンセプチュアルなアートワークを含めた“1枚のアルバム”としての一貫性、若さと経験が瑞々しく組み合わさったサウンドの完成度は驚異的。改めて聴き直しても心が10代の頃に戻り、全身の血が騒ぎ始めるのがわかります。Yellow Magic Orchestra(YMO)後期にテクニカルアシスタントを担当されていた藤井丈司さんによるふくよかな低音で弾みまくるシンセベースプログラミングと、制御されつつ高揚感に満ちたメカニカルなビートの応酬。才気あふれるホッピー神山さんが奏でる変幻自在のキーボード。何よりバンドの枠組みを外れ、自由に生きる喜びと冒険心が絡まり合って鮮やかに躍動する布袋さん自身のギターが素晴らしい。アルバムの幕開けを飾るのはストリングスの壮大なオーバーチュア。続いて畳み掛けるように始まる、1958年にリリースされたロックンロール草創期のアイコン、エディ・コクランのカバー「C’MON EVERYBODY」。時を超えたモダンな新解釈とスピード感の爽快さは、2020年代に聴いてもフレッシュ。当時CMソングとしてテレビでもオンエアされた「MATERIALS」は、UFO「ROCK BOTTOM」のマイケル・シェンカーによるギターフレーズを感じさせながらも、エッジーで正確無比なリズム感の刺激が心地よすぎて大好きな曲。「GLORIOUS DAYS」や「DANCING WITH THE MOONLIGHT」など各曲にちりばめられたロマンティックなメロディや歌詞に込められたストーリーの芳醇さも含め、文句なしのマスターピース。ボーカルも、英語で歌われている布袋さんの声の響きが今も僕は好きで。高校に入ってからはこのアルバムを男子全員が聴いているくらいのイメージがありました。

ただ、僕も夢中になりしばらくこの道を追求してほしいと願った布袋さんの“洋楽的な方向性”は瞬く間に終了してしまいます。矢継ぎ早に彼は1989年4月、吉川晃司さんとのユニット・COMPLEXを始動させ、デビュー曲「BE MY BABY」を発表、世間を驚かせることに。COMPLEXについてはまたいつか書き記したいのですが(最高です!)……。ただこの解散後のタイミングだけに着目しても1stアルバムでその後のソロキャリアの“縦”への1本線を提示した氷室さんと、ユニット結成、楽曲提供やプロデュースなどその活動領域を“横”に広げ、50歳でロンドン移住を決断されるなど可能性を試し続ける布袋さんの雑食性、つまり2人の音楽家としての歩み方の縦軸と横軸の違いが伝わってきます。

日本最高峰のボーカリスト同士が激突

さて、今回紹介するのは強い個性を持つBOØWYの4人がまさに完璧なバランスでぶつかり合った4枚目のアルバム「JUST A HERO」の収録曲「1994 -LABEL OF COMPLEX-」。ゲストボーカルになんとまだ19歳の吉川さんを迎えてレコーディングされた楽曲です。1986年8月4日、土砂降りの雨が降る中、東京都庁完成前の新宿都有3号地で「1994 -LABEL OF COMPLEX-」をBOØWYと吉川さんがパフォーマンスするライブ映像を観たことがあるでしょうか? 吉川さんは雨でずぶ濡れのお客さんと「同じ状態になる」と言ってスタッフに水を溜めたバケツを頭上でひっくり返してもらい、パフォーマンスをスタート。吉川さんはすでに“アイドル”としてテレビスターになっていましたが、逆に“コアなロックファン”からは若くルックスのいい人気者ゆえ、軽んじられることもあったと思います。ただし、BOØWYのメンバーは年齢差のある吉川さんの魅力と純粋さを早い段階で見抜き、この年リリースされた「JUST A HERO」に誘ったのです。

「1994 -LABEL OF COMPLEX-」の面白さを例えるならば日本版「Under Pressure」。つまりBOØWYがQueenで、吉川さんがデヴィッド・ボウイ。僕は1986年の秋にリリースされた5枚目のアルバム「BEAT EMOTION」大ヒットのタイミングでBOØWYの魅力を知り、ファンになりました。なのでリアルタイムではなく、バンドの過去を振り返る形で前作「JUST A HERO」を聴き、その中に吉川さんの個性的でリズミックなボーカルが入っていることに時間差で驚いたことを思い出します。待ち受ける絶対的王者・氷室さんの貫禄と余裕も最高で、日本屈指のボーカリスト2人によるスリリングなバトルに痺れたものです。この曲は、のちに布袋さんと吉川さんが結成することになるCOMPLEXの原点。吉川さんが放つ独特のポップネスとスピード感の心地よさが、布袋さんのギターや楽曲世界と相性抜群なことはこの時点で証明されています。

多くの若者がBOØWYをコピーした理由

もう1つ。作詞家として氷室さんがアルバム「JUST A HERO」で完成させた「笑い転げるデモクラシー」「マテリアルだけのキャピタル」(いずれも「1994 -LABEL OF COMPLEX-」の歌詞)など、英単語と日本語をリズミックに練り上げた“ロック言語的歌詞”の発明と定着について。1982年のパンク的な「MORAL」からのBOØWYの歌詞世界、イメージの劇的な変化の時系列を振り返ると、1984年5月に1年間のニューヨーク滞在を経た佐野元春さんがリリースしたアルバム「VISITORS」の影響もあるのでは?と思うのです。日本語をどうすれば8ビート、16ビートに新たな形で乗せられるのか。80年代に行われたボーカル、作詞両方の角度からの試行錯誤。特に佐野さんの「COMPLICATION SHAKEDOWN」と「1994 -LABEL OF COMPLEX-」との間にはエレガントな精神面での連帯があるように感じるのは僕だけでしょうか。

BOØWYの楽曲は多くの若い世代がコピーしていました。その大きな理由は4ピースだったから。松井恒松(現在は松井常松)さんの微動だにせず、8ビートでドゥンドゥンドゥンドゥンとまるでマシーンのように弾く姿に憧れ、ベースを買った仲間は僕の周囲でも数え切れません。彼をきっかけにベースという楽器のカッコよさ、奥深さを知った若い世代も多かったはず。キーボーディストがいないBOØWYは、ステージで鳴らせる楽器の数が必然的に少なくなります。最年長のドラマー、高橋まことさんがデジタルドラムやタムで音色を増やしカバーするアイデアが取り入れられていました。氷室さんや布袋さんによる楽曲の豊富なアイデアを受け止めて具現化したリズムセクションの職人肌の2人。バンドを組む際、それぞれのキャラクターが生かされるという意味でも“教材”としてのBOØWYの秀逸さは圧倒的で。コピーしてみると、ロック、ファンク、AOR、ニューウェイヴ、パンクなどさまざまなジャンルが体に吸収されるうえに、すべての楽器のプレイに意味があふれていて面白いんですよね。あとの世代のバンドにももっとも大きな影響を与えた存在だと僕は信じています。どうしてもはっぴいえんどから派生した細野晴臣さん(YMO)、大瀧詠一さん(ナイアガラ・レーベル)、山下達郎さんのような文脈で日本のロック、ポップスが語られることが多い気がするのですが、本当の意味で日本の若い人たちが国内の音楽ばかりを聴くようになった要因の1つは、BOØWYが素晴らしすぎたせいだと僕は思っています。

西寺郷太(ニシデラゴウタ)

1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。

しまおまほ

1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」「家族って」といった著作を発表。最新刊は「しまおまほのおしえてコドモNOW!」。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。

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