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細野ゼミ 補講1コマ目(前編) ソウルミュージック補講

「細野ゼミ」メインビジュアル
12か月前2023年03月24日 11:05

細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエント」「エキゾチカ」「ロック」「テクノ」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、氏の音楽観をより深く学ぶべく今回より“補講”を開講する。

ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。ハマのリクエストをもとに、第1回の「補講」で取り上げるのは「ソウルミュージック」。前編は細野が特に入れ込んで聴いていた作品や、ベーシストとして影響を受けたプレイヤーの話を軸に展開していった。

※「細野ゼミ」ソウルミュージック本編はこちら(前編 / 後編)。

取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん

細野晴臣がめっちゃめちゃ聴いてたソウルミュージックは?

──2023年初めてのゼミです。今回からは、これまでの講義の“補講”という趣旨で進めていければと思っています。そして最初の補講のテーマはハマさんからのリクエストがあり、ソウルミュージックにすることにしました。

ハマ・オカモト ソウルミュージック回の本編が、「局地的なところしか話せなかったね」で終わっていたのが心に残っていたんです。ソウルミュージックやブラックミュージックは地域による違いもあるし補講すべきかな、と。勝手に提案しちゃって申し訳ないですけど。

細野晴臣 ソウルは広いからなあ。本編では何を話したっけ?

──本編ではモータウンの話題から入って、最終的にはベースの話を軸にしたリズム論に展開されていったのがおおまかな流れです。

安部勇磨 そうでしたね。

ハマ スタックスレコードやモータウンの話をしましたよね。改めて伺うと、細野さんにとってのソウルのドンピシャは、1960年代のアメリカの音楽なんですか?

細野 60年代の初めは、まだ白人たちのポップスしか聴いてなかったよ。ヒット曲ばっかり聴いてたからね。でもそのうちに、黒人たちのファンキーな音楽がチャートに入ってくるようになったわけ。例えば、ウィルソン・ピケットとかね。あとはチェス・レコード系も多かったかな。僕はチャック・ベリーは後追いだったけどね。

ハマ 細野さんがそういうものに初めて触れたときに、やはりベースに耳が行ったものですか? ああいうジャンルの音楽って、それまでのヒット曲やポップスに比べると、リズムセクションが強調されているじゃないですか。

細野 リズムを意識し始めたのはジュークボックスがきっかけ。はっぴいえんどを始める前、六本木のバーでよくジュークボックスで音楽を聴いていたんだ。その店には、アメリカの黒人兵がたくさん来ていたんだよ。それでソウルミュージックも入ってきていて、自分たちで100円玉を入れて、The Impressionsなんかを聴いてね。で、ジュークボックスは低域が出るから、「ドラムとベースの掛け合いがすげえ!」って思った。それ以前は、普段はラジオで音楽を聴いていたからね。

ハマ 僕もベースやドラムがすごくカッコいいってことに気が付いたのは、ソウルやファンクがきっかけでした。ちなみに本編では、細野さんが影響を受けたアーティストとしてチャック・レイニーの話も挙がりましたね。

細野 チャック・レイニーも、ポップスのヒット曲で知ったんだ。アレサ・フランクリンとかね。70年代以降のことだと思う。

安部 アレサ・フランクリンさん、前回も名前が挙がりましたね。

ハマ ね。今回の補講では本編のお話を踏まえて、細野さんが入れ込んで聴いていた作品を教えてほしいと思ってるんですよ。シンプルに「このアルバム、めっちゃめちゃ聴いてた」みたいなのを細野さんと話したことがないなって。

安部 確かに。

細野 アレサ・フランクリンはラジオなどでずっと聴いていたけど、アルバムを買いそろえるようになったのは最近のこと。「Rock Steady」(1972年発売)を一番聴いたよ。この曲もチャック・レイニーがベースを弾いていてね。それと、その頃にThe Staple Singersが「I’ll Take You There」(1972年発売)っていう曲を出した。それをティン・パン・アレーで「キャラメル・ママ」を作ってた頃にみんなで聴いて、「これは素晴らしい」って驚いて、そのままコピーしたりしたよ(笑)。その曲を聴いたから、「キャラメル・ママ」ではバッキングに徹しようって思ったんだ。

ハマ あれ、何年前だったかな。「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」(NHK Eテレ)のドラムやベースの回で、YMOのメンバーや小山田圭吾(Cornelius)さんが出演しているのを高校生の頃に拝見したんです。そこで「I’ll Take You There」が取り上げられていて、僕もまんまコピーしました(笑)。レコードのジャケもすごいですよね。めっちゃめちゃデカい飛行機のエンジンの前で、メンバーが笑顔で写真を撮ってる。

安部 (スマホで調べて)本当だ(笑)。飛行機の前で。

ハマ あのバッキング、Swampersの演奏でしたっけ? 彼らの有名な川沿いのハウススタジオ……なんだっけ。あのスタジオで録音されたんですよね。

細野 マッスル・ショールズ(※マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ。アメリカ・アラバマ州のレコーディングスタジオで1970年代に移転。Swampersはマッスル・ショールズのスタジオバンドの通称)ね。

安部 マッスル・ショールズ……全部メモしなきゃ。

ハマ Swampersは「あんなサウンドなのにメンバーは白人だったんだ」っていう驚きがある。マッスル・ショールズを題材にした映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」にも出てくるんだけど、ウィルソン・ピケットがスタジオに電話して、「お前のとこのスタジオの黒人ミュージシャンを貸せ」って伝えるんですよ。そうしたら、「いいですけど、全員白人ですよ」って言われてた。

安部 へえ。確かに音だけ聴いたら、そう思うのもわかる。

細野 僕らも驚きだった。見た目が地味なのもいいんだよね(笑)。

ハマ 華があるわけじゃないんですよね。いずれにしても、「キャラメル・ママ」を作っていたときの話からもわかる通り、ああいうミュージシャンのスタイルが、ティン・パン・アレーをやっていた頃の細野さんたちの原動力の1つになったんですね。特定のバンドなどをモデルにするというよりも。

──いわゆるバンドというよりも、職人集団のようなチーム。

細野 別にそんなことも考えてもいなくて、ただ「やりたい!」と思ってやっていただけなんだ。でも日本の当時の現状では、あんなリズムセクションのあり方はなかったよね。それに、もちろんアレサ・フランクリンのように特定の人も好きだったよ。まあ魅力的な音楽がいっぱいあったから、聴くということで精一杯。だからルーツを深堀する、みたいにマニアックになる暇はなかったな。

ハマ 細野さんの周辺で“マニア”と言ったら、大瀧詠一さんくらいですか?

細野 そうだね。大瀧くんも、好きなものは限られているけど。僕なんかは彼に、アバンギャルドって言われてたから。ポップスからはみ出たことをやると「アバンギャルドだ」って。「サイケだ」とかね(笑)。

安部 あはははは。

細野晴臣が驚いたチャールズ・ライト、スライ、Tower of Power

ハマ 改めて、細野さんはソウル初期の楽曲がリリースされた時代をリアルタイムで通ってきてるんですよね。今考えるとびっくりするくらい、いい音楽があふれていたんでしょうね。

細野 そう。聴くものがすべて新鮮で、モロに影響を受けてしまう。Sly & The Family Stoneが出てきたときは一番びっくりしたよ。あと、すごく記憶に残っているのが、チャールズ・ライトと、ザ・ワッツ103……なんだっけ? なんて読むかわからないんだけど(笑)。

ハマ Charles Wright & The Watts 103rd Street Rhythm Bandですかね。

細野 そうか(笑)。彼らの曲をラジオで聴いて、もう忘れられなくて。20年くらい前にやっとiTunesで見つけて、アルバムを買ったよ。彼らのリズムはいまだにすごいなって思う。

ハマ あのリズム隊、誰なんですかね。レーベルはスタックスとかかな?

細野 チャールズ・ライトはロサンゼルスの人だね。僕はずっと、彼らはサンフランシスコのオークランド出身だとばっかり思っていた。というのも、スライのエリアがオークランドだったから。すごく治安が悪いところなんだけど(笑)。またオークランドというと、一番有名なのはTower of Powerだった。Tower of Powerを聴いたときも驚いたよ。リズムの速さというか、歯切れのよさがすごい。ドラムもいいしベースもいい。別格だったよね。

ハマ ベーシストのフランシス・“ロッコ”・プレスティアと、ドラマーのデビッド・ガリバルディですね。チャック・レイニーとはプレイスタイルが違いますけど。

細野 全然違うね。テクノに近い。16ビートの。

ハマ ベースラインが止まらずに、すっごい動くの。バラードとかでもそれをやるんだよ(笑)。

安部 そんなにすごいんだ。

細野 あれは真似できないよね。「自分にはできない」って感じたし、憧れがあったよ。

ハマ 来日公演で、ムッシュ(かまやつ)が飛び込みで演奏したんですよね。ムッシュの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」はTower of Powerが伴奏をやってるから。

安部 へえ!

細野 鈴木茂がサンフランシスコに行って初めてソロを作ったときは、ガリバルディがドラムだったんだよ。うらやましかったねえ(笑)。

ハマ 茂さんと、「ガリバルディ、どうだった?」みたいな話になったんですか?

細野 あんまりその話をしてないんだよ。

安部 なんで聞かないんですか?

細野 ……なんだろうな(笑)。でも、とにかく作品の出来が素晴らしかった。

ハマ バンドメンバー同士のあるある(笑)。

細野 行動力がすごいなと思ったけどね。1人でアメリカに行って、1人でお金払って。

ベーシストは皆チャック・レイニーの影響下にあった

ハマ ほかにも、「細野さんをあっと言わせた」じゃないですけど、聴いたときに驚きがあった人は?

細野 僕が20代の頃はスタジオミュージシャンとしての生活が長く続いたんだけど、やっぱりベーシストだから、ベースがいいものを聴くようにしていたんだよ。そうすると、当時はチャック・レイニーになっちゃう。ラリー・グラハムもいたけど、彼の場合はスタジオワークの参考としては向いていないっていうかね(笑)。岡沢章くんとかもそうだったけど、同業者たちはみんなチャック・レイニーに影響を受けてた。

安部 やっぱりベーシストはチャック・レイニーを聴いたほうがいい?

ハマ バンドマンというよりはスタジオワークをたくさんこなしている人。いろんなジャンルのレコードのクレジットに出てくるから。

細野 あとはベースだけではなくて、ドラムとのコンビネーションだよね。だから、ドラマーもチェックしないといけないわけだ。

安部 ああ……ベースの話題になっているので関連して話すと、実はベースとドラムについては本当に悩んでて。

ハマ ネバヤンにおける?

安部 ネバヤンでも、自分のソロの作品でも。細野さんもハマくんもそうだけど、「なんでそこに音を置けるの?」「なんでそこに動けるの?」って自分ではわからないんですよね。そんなわけで、最近みんなで「リズム隊の絡みも自分たちでできないかな」「リズムのことを勉強しなければいけないな」と話していて、それもあってバンドではっぴいえんどの「はいからはくち」をコピーして練習しているんです。

──ちなみに安部さんは、バンドのボーカリストとして、あるいはバンドの曲を作る人として、「ベースはこうあってほしい」のような考えがあるんですか?

安部 んん……。

ハマ 頭抱えちゃったよ(笑)。

安部 ははは。ベーシストじゃない僕の頭で考えると、普通に白玉で“ドゥッ ドゥッ”っていっちゃうんですけど、細野さんとかハマくんとかのベースを聴くと、動くのに歌とぶつかってなくて、かつウネってて、ドラムとも絡んでて、曲全体をすごく豊かにしてくれている。すごく大事なんだよなって改めて思って、「あー!」って……。

ハマ 「あー!」ってなってるの(笑)。

安部 自分の中に引き出しがないので、勉強が必要なんだよね。今日話に出てくる人たちは、まさにそういうことの参考になる人たちなんだろうなって思ってる。

ハマ 確かにソウルやファンクって、ジャンル的には“印象的で動くベースライン”が多用されてはいますよね。さっき細野さんが言っていたスライだと、「Fresh」ってアルバムに入ってる「If You Want Me to Stay」とかはいいかも。勇磨が言うように“ドゥッ ドゥッ”なんだけど、ベースラインがメインで、ルートだけ弾くのも実はめちゃくちゃ難しくて……その塩梅がすっげえ!っていう。僕はその曲を聴いて「真似できねえな」と思った。

安部 とにかくチャック・レイニーさんも含めてだけど、そういう人たちの音楽をちゃんと聴いてみようと思う。

ベースを家に持ち帰ったことがない細野晴臣が1日だけ……

ハマ 話を戻すと、ブラックミュージックのドラマーという点で、細野さんが特に注目していた人はいたんですか?

細野 チャック・レイニーとのコンビで、やっぱりバーナード・パーディは外せない。その後はスティーヴ・ガッドが出てくるね。スティーヴ・ガッドは、“プロのスタジオミュージシャン”だなと思うね。そういえば、ついこの前ブルーノート東京の前を通ったらスティーヴ・ガッドが公演をやっていたんだよ。ひっそりと来るんだよね(笑)。

ハマ “プロ”というのは、いろいろなジャンルに対応できるから、っていうことですかね。

細野 そうだね。全部は知らないけど。彼のバンド、なんだっけ……Stuff(※ニューヨークの手練れのスタジオミュージシャンたちで結成されたバンド)だ。Stuffのメンバーは全員好き。リチャード・ティーがキーボードでね。

ハマ プロ集団って感じですよね。

細野 そう。もう、ミュージシャンとしての憧れですね。彼らのことは、ポール・サイモンのアルバムで勉強させられたよ。

安部 あー。

ハマ 「恋人と別れる50の方法(原題:50 Ways to Leave Your Lover)」のドラムとか、すごいですよね。

細野 すごい。アイデアがすごい。

──ちなみに本編のときも、細野さんが「バーナード・パーディとチャック・レイニーにすごく教育された」とおっしゃっていましたね。

ハマ うわ、我々、同じことを話してまた盛り上がってるんですね(笑)。

細野 ベースの話をすると、僕は大学生の頃はピックで弾いていたの。The Beatlesみたいにね。それでThe Impressionsとかを聴くようになったり、白人のサイケ系バンドだけどR&Bをやってる連中とかの写真を見ると、みんな2本指で弾いているわけだ。そういうのを見て「カッコいいな」って思って指弾きを始めたの。でもチャック・レイニーを聴いていると「2本指だけじゃ足りないな」って。親指を使わないとできない。ハーモニクスを使ったり、いろんな技があるんだなってことを勉強したよ。ベースってE弦やA弦しか使わないものだと思っているけれど、やっぱり最高部の音をうまく使う、ハーモニーを使うっていうね。そういう影響があったな。

ハマ ハイフレットを。細野さん、かなりプレイにも影響が出てらっしゃいますよね。ユーミンさんの楽曲に携わられていた頃の演奏とかを聴くと、ハーモニクスを使っていて。でも、そこには“細野さん印”もある。

細野 僕、ベースを家に持ち帰ったことがないんだけどさ……。

安部 えええ!?

細野 でも1日だけ持ち帰って、親指を使った奏法を一晩中練習したの。「The Chuck Rainey Coalition」っていう、チャック・レイニーのソロアルバムの曲をコピーした。それで親指と人差し指で弾くようになって。

──習得されたんですね。

細野 習得っていうか、自分なりのスタイルでできるかなと。

安部 なんでほかの日はベースを持ち帰らなかったんだろう(笑)。

ハマ もう完全に、その日の練習がそこから先の細野さんのスタイルにつながっている(笑)。

細野 まあそうだね。で、そのうちにチョッパー奏法が流行って、当時ミカ・バンド(サディスティック・ミカ・バンド)にいた後藤次利がものすごいチョッパーを弾くようになっててね、びっくりしちゃった。「どうやってやんの?」って教えてもらったんだけけど、「僕には向いていないな」と(笑)。味付けで使うこともあるけどね。

ハマ そこに関連した質問をしたいんですけど、YMOの「テクノポリス」なんかのベースを聴いていると、フレーズを弾くというよりは、けっこう“プル”(※人差し指や中指で弦を引っ張って音を出す奏法)を入れているじゃないですか。“んぺっ“とか(笑)。僕は細野さんのああいうパーカッシブにベースを使う感じがすごく好きなんです。モロに影響を受けているので、自分のバンドの曲でも使っているくらいで。ああいう発想って、何かの影響があってのことなんですか?

細野 そういうわけじゃないんだよね。YMOの頃は基本は打ち込みだから、MOOGのシンセベースを使っていたしね。それに付け加える形だった。ああいうの、スライのベースに近いかもね。ラリー・グラハムとか、そのあとに入ったラスティ・アレンとか。ムッシュに「アルバムを一緒に作ろう」って言われて、曲を提供したらスライみたいになっちゃったりしたこともあったくらいだから(笑)。

ハマ その当時、スライにハマって聴きまくっていた時期だったんでしょうね。

細野 そうそう。チャック・レイニーは“業務用”で(笑)。

<近日公開の後編に続く>

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリース。9月にオリジナルアルバム全3作品をまとめたコンプリートパッケージ「"audio sponge" "tronika" "LOOPHOLE"」を発表した。

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安部勇磨

1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカル&ギター。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2023年5月17日に新作EP「Surprisingly Alright」を配信と12inchアナログでリリースする。

never young beach オフィシャルサイト
Thaian Records
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ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。

OKAMOTO'S OFFICIAL WEBSITE
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