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一風変わった形で音楽を楽しむ人たち 第3回 野球レコードコレクターの終わりなき旅、選手本人にとどまらず家族や元妻の音源も収集

約3年前2021年08月03日 9:02

ターンテーブル上で再生されるレコードはすべてプロ野球の関連音源――そんなDJイベント「プロ野球 音の球宴」をご存じだろうか。主宰するのは野球レコード収集家の中嶋勇二さんだ。好事家からは「ファンタスティック・ピッチングマシーン」の称号とともに“FPM中嶋”とも呼ばれる57歳。その男はかつて東京タワーズやTIGHTS、King&countryなどのドラマーとしてビートを刻み、主に都内を中心にライブ活動を行った経歴を持つ。

一般的な音楽ファンとは異ったアプローチで音楽を味わっている人々に話を聞き、これまであまり目を向けられていなかった多様な楽しみ方を探る本連載。第3回は中嶋さんにインタビューし、野球レコード収集に心血を注いだ自身の約30年間を振り返ってもらった。

取材・文 / 加藤弘士(スポーツ報知) 撮影 / 臼杵成晃

岸野雄一、川勝正幸、加藤賢崇との出会いと東京タワーズ

1964年2月14日、中嶋さんは東京五輪開幕直前の東京・品川区で産声を上げた。港区三田で過ごした小学生時代。周囲の同級生たちが「巨人・大鵬・卵焼き」を愛する中、心を惹かれたのはパ・リーグの野球チームだった。

「アニメやマンガの『巨人の星』『侍ジャイアンツ』を観るようになって、野球に興味を持ち始めました。『アストロ球団』を読んでいると、西鉄とか阪急とか、ナイター中継を観ていてもなじみのないチームが出てきて。『侍ジャイアンツ』でもオールスター戦で、ノムさん率いる全パが番場蛮と対峙するんです。すると、聞いたこともないチーム名がいっぱい出てくる。そこからパ・リーグに興味を持っていったんです」

初観戦もパ・リーグ。後楽園球場での日拓ホームフライヤーズ対阪急ブレーブスの一戦だ。ここで中嶋さんは日拓の世界観に魅了されてしまう。

「小4か小5ですね。子供心を鷲づかみされて。あの頃のパ・リーグって、太平洋クラブとかユニホームがどんどん派手になっていった。日拓も七色のユニホームを採用していて。当時はニット素材で伸縮性があったんです。派手な色のニット素材のユニホームを張本勲とか大杉勝男、白仁天とか、ゴツい人たちが着ている。当時のパ・リーグの後楽園球場や神宮球場は本当にお客がいなくて。ガラガラの中で展開される、派手なユニホームを着たゴツいおじさんたちの野球に、たまらない魅力を感じてしまったんです」

高校に入学した中嶋さんは徐々に音楽にも魅せられ、ライブハウスに通い始める。時代は1970年代から1980年代へ。東京では新しい時代の文化が開花しようとしていた。

「お小遣いもそんなにないので、『ぴあ』や『シティロード』をじっくり眺めて、どこに行くか吟味していました。最初に行ったのは新宿LOFTの昼の部かな。パンク、ニューウェイブ系のバンドが出ていました」

音楽に映画、雑誌。新時代の刺激的な文化には自然と人が集い、さらなるさまざまな出会いを欲していた。中嶋さんは8mm映画を通じて岸野雄一と、雑誌「話の特集」のトークライブを通じてエディター / ライターの川勝正幸と出会い、川勝の紹介で加藤賢崇との交友が始まる。

「原宿クロコダイルで、ゲルニカのライブがあるっていうときに、岸野や川勝さん、賢崇くんにも声をかけて。そのときがみんなの初顔合わせとなりました。それ以降、連れ立ってライブを観に行くだけだったんですけれど、だんだんバンドをやってみたい欲が首をもたげまして。まったく楽器経験もないのに、ドラムを叩くことになって」

バンド「東京タワーズ」の結成である。プロレスファンには往年のジャイアント馬場&坂口征二のタッグ名としても有名だ。複数の案からこの名前にしたのは、川勝のアイデアだった。ボーカルは加藤、シンセサイザーは岸野。レトロな特撮やアニメの主題歌、橋幸夫の歌謡曲を独自の解釈で演奏する洒落者たちは、高感度のオーディエンスを虜にしていった。その1人に、当時高校生だったフォトグラファー / デザイナーの常盤響もいた。

「バンドは超初心者で演奏はド下手くそだったんですが、常盤くんはなぜか面白がってくれて。JICC出版局(現・宝島社)が出していた『パワフル・ブーム・プレス Boom』というティーン向けの雑誌があったんですけど、そこでインタビューしたいとやって来て。さらには東京タワーズのファンクラブを結成したいと。そのファンクラブがのちに『京浜兄弟社』に発展するわけです」

野球レコードに目覚めたきっかけの1枚

東京タワーズ周辺の関係者を指す「京浜兄弟社」には好奇心の強い人々が集い、文化的な化学反応を起こして、最前線のカルチャーシーンへと躍り出ていった。

そして時代は移ろい、1990年代前半のこと。中嶋さんは突如、野球レコードに目覚める。きっかけは京浜兄弟社の関西ツアーだった。

「それ以前から岸野と交流のあった、ライターで“漫筆家”の安田謙一さんが、神戸の高架下を案内してくれて。いくつか中古レコード店があったんですが、その中の1店舗がほぼ住居という状態で、売り場が土間なんですよ。スチールの本棚があって、7inchのレコードがジャンル分けもされずにガーッと詰まっている。どれでも1枚100円。ヨイショってひとつかみして、土間にしゃがみこんで探して。プレミアが付いてるようなレコードも1枚100円ですから、みんな目の色を変えて7inchをワッセワッセとやるわけです。そのときに誰かから『野球のレコードあるよ。中嶋、野球好きだったよね』って渡されたのが、阪急の大熊忠義と福本豊が2人でジャケットに写っている『この足で…』というレコードだったんです」

阪急の1番打者で「世界の盗塁王」と呼ばれた福本。その盗塁を2番打者としてアシストした大熊は歌がうまく、何枚かレコードをリリースしている。「この足で…」は大熊が歌唱し、福本がセリフを添える1984年リリースのムード歌謡だった。

「野球選手のレコードを集めてみるのも面白いかも、とそのとき思って。『この足で…』を含めて数枚買ったのがきっかけです。音楽的には、当時はそりゃあまったくピンと来ませんでした(笑)。ただ、大熊さんが本当に歌が好きで、気持ちよく歌う合間に、福本さんが実に味のあるセリフを言う。だから興味を持ったのは音楽としてというよりも、“味”ですね。根本敬さんの『幻の名盤解放同盟』的な精神もあった。『すべての音源はターンテーブル上で平等に再生表現される権利を持つ』というね」

東京ではおしゃれな渋谷系のムーブメントが起こり始めていた頃。中嶋さんは時代に逆行するかのように一心不乱に中古レコード店を周り、野球レコードの発掘へと勤しんだ。

「それまでは洋楽系のレコードを扱っていたような、ZESTとかに通っていたわけですけど、それ以降はもう、一切行かず(笑)。当時住んでいた西荻窪のファンレコードや三鷹のパレードとか。『こういうところならあるぞ』というお店に足を運ぶようになりました。『スポーツ / ドキュメント』とかの仕切りがあるお店へ重点的に通うようになって。集め始めですから、掘ればもう、いくらでも出てくる。応援歌もあれば球団歌もあるし。選手の歌モノもあるしでもうウハウハですよ」

序盤は収集も快調だったが、徐々に労力を必要とするようになっていった。

「選手の歌モノは、ジャケ写でユニホームを着ていれば野球選手と分かるんですけど、スーツ姿の人もいる。小林繁とか柳田真宏とか。そういった場合はレコード屋の店員も野球選手と気付かず『スポーツ / ドキュメント』のコーナーに入らない。そうなったら『男性歌手:あ行』から探すことになるんです。そこから『男性歌手:わ行』まで、五十音順にひと通り見る作業が必要になる。その店の店員さんの野球への知識があるかないかで、見つけるまでの道のりは大きく変わってきましたね」

金銭的な負担はいかほどだろうか。

「野球レコードには相場がないんです。例えばThe Beatlesなら、この盤だったらいくらって、全世界的規模で相場がある。でも野球レコードは、この店なら1000円ちょっとする同じ盤が違う店に行くと100円コーナーに、がしょっちゅうです。1000円を超えるものはまず一度見送って。ほかで探して同じものが安かったら、そこで買う。だから最初のうちは金銭的に楽だった。でも、だんだん所有枚数が増えてくるに従って、見たことのない盤が減ってくる。そうなるとお金を積まなきゃならない段階に突入してくるんです」

コレクター魂に火が点いた。たった1曲のためにまとまった金額を払うことも出てきた。

「早見優の曲に『YES, YOU WIN』という阪急ブレーブスのイメージソングがあって。これがCDボックスの中の1曲として初めて製品化された。5枚組ですけど、この1曲だけのためにボックスセットを秋葉原の石丸電気で新品で買いました。1万円ぐらいですね。でも私が用があるのは、この1曲だけ。残りの4枚はいまだに未開封のままです。それでも野球レコードならば、買わなきゃいけない。まったく覚える必要のない勝手な使命感というか」

「家族モノ」「元・奥さんシリーズ」……拡張し続ける野球レコードのカテゴリー

「本人歌唱モノ」や「球団歌」「応援歌」などを収集し続けていると、徐々にあらゆる野球レコードを網羅できてきた。野球レコード収集の旅は終わってしまうのか。いや、まだまだゲームセットにさせてたまるか――。

「そう感じるようになって手を出したのが『家族モノ』です。具体的に言うと、選手の奥さんがかつてアイドル時代に出していたものとか、あと選手の娘とかです」

ここで中嶋は、家族モノの名作として、のちに元ロッテのサブロー夫人となる中嶋美智代が1992年7月にリリースした3rdアルバム「たんぽぽ」の2曲目「雨のスタジアム」を挙げた。

「歌詞を読みますと、彼氏と野球観戦デートのはずが、行く途中に雨で中止になってしまったという曲で。『早くドームにしてほしいよって口をとがらせ』とか『青い帽子抱いて電車に長いことゆられて来たけれど池袋でるとき雲行きあやしくてこうなると思った』という歌詞からは、西武球場に行こうとしていたカップルであることがわかるわけです。つまり中嶋美智代さん、最終的にはロッテの選手と結婚するわけですけれど、曲の中では西武ファンの彼氏と交際していたのかという(笑)」

作詞は南野陽子やSMAPでヒット曲を連発した小倉めぐみだ。

「アイドルソングなのに、歌詞には『オールスター前のゲーム差』とか『インフィールドフライ』とか出てくるのも素晴らしいです」

しかし、プロ野球はある意味“水商売”。華やかな一方、人生いろいろな世界でもある。

「円満な家庭もあれば、別れることもある。『家族モノ』だった野球レコードがある日、野球レコードではなくなってしまうこともあるんです。それでは寂しいので、これらは『元・奥さんシリーズ』にカテゴライズしています」

フロアを沸かせる野球レコードのキラーチューンとは

“野球レコード道”に終わりはなかった。中嶋さんは自主制作盤にも足を踏み入れた。

「何が大変かって、そんなもんが作られていたなんて、そもそも知るきっかけがないじゃないですか。本当に現場で見つけるしかない。この『高校野球 審判の詩(うた)』は三重県で高校野球の審判を25年にわたって務めていた多田滋郎さんが自ら作詞し、自ら熱唱して自主制作したものです。私は多田さんのことを尊敬を込めて“シンガー・ソング・アンパイア”と呼んでいます」

そうやって収集した野球レコードは何枚ほどになるのだろうか。

「同じレコードを複数持っていることもありますが、7inchシングルでは500枚ぐらい。12inch(LP)で200枚行くか行かないかぐらいです。LPはドキュメントものが多いですね。ビデオが普及していない時代って、ラジオの実況音声をレコード化して、優勝記念盤という形で出していたんです」

中嶋さんはこれらの野球レコードを、DJとして披露する機会を自ら創出していく。1998年、野球レコードのみが流れるクラブイベント「音の球宴」の旗揚げだ。盟友のヨシノビズム氏とともに“正装”である野球のユニホームでDJブースに立つ姿は、ごく一部の東京のクラブシーンに強烈なインパクトをもたらした。

「そんなもんは成り立つはずがないと、皆さんも思われるでしょうし、私もそう思っていました。クラブに人を集めて、大熊が歌うムード歌謡を再生するっていうことには、さすがの私もためらいがあったんですけど(笑)」

徐々に“音球スタイル”も確立されていった。開始を告げるアナウンスとともに、イベント主催者やその場にいたお客さんを招いての「始CUE式」を実施。招かれた人によりターンテーブルのCUEボタンが押される。フロアの空気を察知しながら、さまざまな種類の野球レコードが再生されていく。

そして「音の球宴」最高のキラーチューンとして放たれるのは江本孟紀「あなたまかせの夜」。Shakatak感あふれるアダルトなトラックをバックに、エモやんが「夜のスローガン」を連呼する。最後は黒田武士の「甦れ!俺の西鉄ライオンズ」。プロ野球チームを失い、落胆する九州のライオンズファンの悲しみを歌った曲は、その場にいる全員が歌唱を強制され、中嶋さんは鬼気迫る表情で「ライオンズを返せ」と絶叫し、イベントはフィナーレを迎える。

「何年か続けていくうちに、毎回通ってくださる人がいて、『今回も面白かった』って喜んでいただけるのが、本当に幸せでした。だってね、毎回ビクビクしますよ。これ、みんな面白がってくれるのかなって……」

「私が生きている間には、必ずと思っています」

2005年10月25日、中嶋さんは自ら企画立案した野球書籍「おしゃれ野球批評」をDAI-X出版から刊行する。粋人の視点から自由な野球論が展開された1冊。執筆陣はリリー・フランキー、えのきどいちろう、吉田豪、掟ポルシェらや、盟友である「京浜兄弟社」の岸野雄一、加藤賢崇、常盤響らが大集合。今でも文系野球ファンから伝説の書籍と高い評価を得ている。

2011年1月28日にはテレビ朝日系「タモリ倶楽部」の「ストーブリーグをもっと熱くする! プロ野球オールスター音の球宴」という特集に出演し、そのコレクションが紹介された。

その膨大なコレクションを見つめながら、改めて思う。昔のプロ野球選手は注目された途端、歌い、野球レコードを出した。今はそんなプロ野球選手はほとんどいない。中嶋さん、なぜですか。

「あくまでも私個人の考えですが、レコード会社に余裕がなくなったからだと。野球選手が人気者になったら、すぐレコードを出す流れは、80年代あたりから徐々に始まって、CDが登場するあたりまで続くんです。80年代末、短冊のシングルCDの時代になり、野球レコードのリリース数はだんだん下降線をたどっていった。バブル景気が終わるまでは、レコード会社もバンバン企画ものとかを年度末に予算消化のために作っていたんです。野球モノも、プロ野球のシーズンオフにレコーディングして、春の年度末に発売するっていうサイクルが、予算消化にちょうどよかった。ところが昨今では予算消化どころの話じゃなくなっちゃった。選手が歌わなくなったというよりは、レコード会社が出し渋るようになったのではと推察します」

野球レコードはレコード会社の豊かな多様性の象徴でもある。1980年代半ば。吉幾三が友人の巨人・中畑清に歌ってもらおうと、数曲作った。美声で知られる中畑は「十和田丸」という曲を気に入り、レコードを出した。漏れた曲はもったいないと、吉が自分で歌うことにした。それが名曲「雪國」だった。スケールの大きな“遊び”ができた時代には、一種の憧れを感じてしまう。

中嶋さんの今後の夢は、なんだろうか。

「野球レコードの収集もある程度目鼻がついて資料的価値もまあまあ備わったかなって思うので、あとはディスクレビューブックを作るしかないなと。そう思って、もうすでに何年も経ってしまっているんですが、なかなか実行に移せないでいて。とにかく私が生きている間には、必ずと思っています。それもまったく覚える必要のない勝手な使命感ですが」

後世にその魅力を伝えることも、取り憑かれた人間の責務と言えるのかもしれない。中嶋さんは最後に笑って、こう言うのだった。

「もし私に万が一のことがあったら、たぶんカミさんがすべて、箱にせっせと詰めて某都内大手中古レコ屋に……みたいなことが考えられるので。ある日、そのレコ屋の店頭に大量の野球レコードが売られているのを見かけたら、私の身に何かあったと思っていただければ(笑)」

いや、試合はまだまだ中盤戦。コロナ禍が収束し、収集したこれらの音源が再びターンテーブル上から大音量で放たれる日を心待ちにしたい。野球レコードを巡る旅には、球数制限もコールドゲームもないのだから。

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