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市井由理×吉田豪|90年代ガールズポップの名盤「JOYHOLIC」を語る

市井由理「JOYHOLIC」イメージ
8か月前2024年04月03日 10:03

ソニー・ミュージックレーベルズのアナログ盤専門レーベル「GREAT TRACKS」と音楽ナタリーによるコラボレーション再発企画がスタート。この第1弾として、市井由理のソロシングル「恋がしたかった」の7inchアナログが本日4月3日にリリースされた。

「恋がしたかった」は、東京パフォーマンスドールやEAST END×YURIのメンバーとしても活躍した市井のソロシングルとして1996年7月にリリースされた作品。そしてこの楽曲が収録されている1stアルバム「JOYHOLIC」(1996年)は、アイドルファンのみならず多くの音楽ファンの間で90年代を代表するガールポップの名盤として長きにわたり愛されている。ASA-CHANG、菊地成孔、ヒックスヴィル、かせきさいだぁなど多彩なアーティストが参加した楽曲の数々は、発表から28年を経た今も普遍的な輝きを放っている。今回聞き手として登場してもらったプロインタビュアー吉田豪も本作を愛してやまない1人だ。名作「JOYHOLIC」はいかにして誕生したのか? 紆余曲折の制作背景に迫る。

取材・文 / 吉田豪

ディレクターが攻めるタイプだった

市井由理 以前、豪さんにインタビューを受けたとき、「『JOYHOLIC』は名盤だから、中古盤が売ってたらとにかく買うんです」とおっしゃってたじゃないですか? だから今日、家にある「JOYHOLIC」を持って来ました。最後の1枚です。

音楽ナタリー え! これ未開封ですか?

市井 未開封です。それ以外にも今日はいろいろ持って来ました!(当時のプロモーションキットをカバンから取り出す)

吉田豪 うわー、このカセットは画像だけ見たことありますけど、プロモーションキットの存在すら知らなかったです!

市井 Tシャツとかも、どうぞ。差し上げます。当時、アルバムの宣伝用に放送局とか出版社にセットで配ってて。いつか豪さんに渡したいと思ってたんです。

吉田 いいんですか! (プロモーション用ミニブックを見て)へー、ナインティナインがコメントしてるんですね。つんく♂さんもコメントしてる。

市井 ナイナイはよく番組にゲストで呼んでもらってたので。

吉田 つんく♂さんは東京パフォーマンスドール(以下TPD)が好きだったからですか?

市井 つんく♂さんはテレビの仕事で一緒になることがあって、「曲を作らせろ」って当時よく言われていたんですよ。「女の子の曲を書けるんですか?」とか言ってたら、のちにモーニング娘。が大ブレイクして(笑)。

吉田 惜しかった(笑)。

市井 そう(笑)。もしかしたら曲を書いてもらえてたかもしれない。

吉田 最初のつんく♂プロデュースになった可能性が(笑)。以前インタビューしたときはこれまでの人生を語ってもらったから音楽活動についてそこまで深く掘り下げなかったんで、今日はそのあたりをじっくり聞いていきたいと思ってます。

市井 昔すぎてあんまり覚えてないですね(笑)。

吉田 周辺のミュージシャンの方から、いろいろ話を聞いているので大丈夫ですよ。

市井 豪さんのほうが詳しいと思う。

吉田 いろんな情報を聞いてるので(笑)。例えば、センチメンタル・バスの鈴木秋則さんに聞いた話でいうと、当時、市井さんとセンチメンタル・バスのディレクターが同じ人だったと。そのディレクターが「JOYHOLIC」のジャケットについて、「食べてる姿を見ると、人間は性的なものを潜在的に感じるんだ」っていう話を鈴木秋則さんにしてたみたいで(笑)。

市井 そうなんだ(笑)。

スタッフ ディレクターがエッジィでしたよね。すごく変わった方で。市井さんとDEMI SEMI QUAVERを同時に担当したり。あとはオナペッツとか。

吉田 かなり攻めてますね(笑)。

市井 櫻田宗久くんも担当してた。

吉田 ボクが引っかかるような作品ばかり作っていた方なんですね。

スタッフ 「こんなの売れるの?」みたいなことをやってましたよね(笑)。先輩に対して失礼ですけど当時はそう思ってました。

市井 当時「DA.YO.NE」が大ヒットして会社から3万円の商品券が出たみたいで。

吉田 あんなに売れたのに、そんなものなんですか!

市井 それで革パン買ったって言ってた(笑)。今回も取材を受けるにあたって話を聞いたんですけど、あのジャケットも最初は「髪を切る瞬間を撮影したらどう?」って私からアイデアを出したんです。そしたら「女性が髪を切るシーンは意味深すぎてダメだ」って言われて。いろいろアイデアを出し合う中で、結局パスタを食べてる写真を使うことになったんですけど。

吉田 結果、すごくいいジャケになってますよね。

市井 さっきお渡しした小冊子の中に美容院で撮影した写真も載ってるんですけど、あれは私のアイデアです。髪を洗ってるカットとか、いろいろ。

吉田 そういうアートワークも最高なんですよ。

市井 デザイナーの陽子ちゃん(小林陽子)のおかげですね。

おうちからレコード会社までスケボーで行ってました

吉田 以前インタビューをしたとき、ご自分から意見を出される人なんだなっていうのはわかったんですよ。それこそTPD時代にTLCみたいなことをやりたくて提案していたとか。

市井 CDシングルのジャケットで首からコンドームをぶら下げてね(笑)。

吉田 先鋭的すぎるんですよ(笑)。アイドルラップの先駆けというべきViVA!(※市井、穴井夕子、八木田麻衣からなるTPDのグループ内ユニット)はそういう企画だったわけですよね。TLCをやりたかった結果がこれだったという(持参したViVA!のCDシングルを見せる)。

市井 すごい! 持ってる! さすが(笑)。

吉田 以前のインタビューでも話したんですけど、当時一瞬だけ市井さんにお会いしてるんですよね。「ピコ エンタテインメント」っていうテクノ雑誌のTPD特集でボクは穴井夕子さんのインタビューを担当したんですけど、帰りのエレベーターで市井さんと一緒になったんですよ。そのとき市井さんはニットキャップに短パン姿で、しかもスケボーで取材に来てて。ストリートカルチャーと直結した、そういうノリのアイドルを初めて見たから驚いて。

市井 当時は古着が大好きで、おうちからレコード会社までスケボーで行ってました。

吉田 スケボーで移動するような人が普通にラップをやりたいと言って、実際にやってもいたわけですよね。そんな中で「JOYHOLIC」にも収録されるソロシングル「レインボー・スキップ」がリリースされるわけですが、最初に楽曲をもらったときはどんな印象がありましたか?

市井 「かわいい曲!」って。

吉田 ……それくらいしか出てこないですね?(笑)

市井 かわいい曲だなと思って一生懸命歌った(笑)。

吉田 このシングルって、要はTPDのメンバーが全員ソロシングルを同時発売する企画で、TPDのほかのメンバーのソロ曲とは明らかに方向性が違ったわけじゃないですか。ほかの作家陣は角松敏生、中崎英也、エース清水って感じで。

市井 ほかのメンバーの曲、全然聴いてない(笑)。

吉田 なぜ!(笑) 興味なかったんですか?

市井 たぶん。わかんないけど(笑)。

吉田 気持ちはわかりますよ。市井さんの音楽の趣味とは違っていたはずなので。聞きづらい話を聞きますけど、TPDの音楽性は当時どう思っていたんですか?

市井 自分にしかできないことをやりたいってちょっと思ってた。だから、こういう曲(「レインボー・スキップ」)は、ほかの人じゃできないからラッキーって感じだったと思う。別にTPDの曲が嫌だとかそういうのじゃなくて。そうそう、全然関係ないけど来月、麻衣ちゃんとごはん食べるんですよ。

吉田 八木田麻衣さん。市井さんと八木田さんのシングルをボクは見つけるたびに買ってるんですよ。八木田さんのROLLYさん提供作品が本当に素晴らしくて、これはROLLYさん本人にも伝えました。八木田さんは、のちにROLLYさんとジャングルブッダというユニットも組んで。

市井 ROLLYさんとやってたね、そういえば!

吉田 市井さんと八木田さんでジョイントコンサートやってほしいくらいですよ(笑)。

市井 麻衣ちゃんとこじんまりラジオやりたいと思ってるんです。会ったときに言ってみよう(笑)。

吉田 協力できることは協力しますからぜひ歌ってください。市井さんと八木田さんの2本柱なんですよ。ボクの中でTPDは。

市井 うれしい。麻衣ちゃんに伝えます(笑)。豪さん、「JOYHOLIC」の中で「レインボー・スキップ」が一番好きなんですよね?

吉田 大好きです。というか、この曲を最初に聴いたとき衝撃を受けたんですよ。こういう方向性のアイドルポップは珍しかったから、「これはとんでもない曲だ!」ってできる限りの大騒ぎをしたんですけど、当時はまだ声が小さく……(笑)。

市井 ははは。

キョンキョンの事務所に電話で歌詞をオファー

吉田 このシングルが出たのが、94年の2月2日ですね。「JOYHOLIC」が出る2年前。

市井 もうその頃には「JOYHOLIC」を出そうって言ってたと思う。

吉田 アルバムを出すならこういう方向性でいこうっていうのはこの時点でできていた?

市井 そうですね。ASA-CHANGにプロデュースをお願いしようとか。

吉田 そのへんの人選はディレクターと?

市井 そう。いろいろ相談して、「キョンキョンに歌詞をお願いするのどうかな?」とか言って。

吉田 「どうかな?」も何も、そもそも書いてもらえるのかっていう(笑)。

市井 「聞くだけ聞いてみる?」とか言って(笑)。ディレクターも若かったし、業界のルールとか全然知らなかったから。小泉今日子さんに書いていただいた「恋がしたかった」の歌詞は朝本浩文さんありきで話が進んだんですよね。朝本さんが曲を作るからっていうのでお願いしようって。それでディレクターが当時小泉さんが所属していた事務所に「作詞してほしいんですけど」って直接電話して。今考えたらとんでもない(笑)。普通に電話1本で。

EAST END×YURIがあんなに売れると思ってなかった

吉田 渋谷系人脈と言うとザックリしてますけど、そういう人たちを集めた作品にしようっていうのは市井さんも話し合いに参加しながら?

市井 そうです。当時は渋谷系とか思ってなかったんだけどASA-CHANGがヒックスヴィルさんを連れてきてくれて、そのつながりで、かせきさいだぁさんが参加してくれたり。そういうふうにみんな集まった感じですね。

吉田 そうなんですね。

市井 「そうなんですね」って知ってるくせに(笑)。

吉田 アルバムに参加した菊地成孔さんからも制作の経緯をいろいろ聞いてます(笑)。菊地さんも「JOYHOLIC」は名盤だって言ってましたよ。

市井 うれしい!

吉田 菊地さんはアルバムの共同プロデューサーであり、5曲で歌詞も書いていて。

市井 レコーディングがすごく楽しかったです。みんな和気あいあいで。「双子の恋人」って曲とか「キーが高すぎて歌えない」って言ったら、菊地さんが「大丈夫!」って盛り上げてくれて。そのあと菊地さんのライブも観に行きました。菊地さんもすごくなっちゃって。

吉田 当時からモテオーラはあったんですか?

市井 あった。カッコよかった。

吉田 ただし、「JOYHOLIC」は制作から発売までかなり時間がかかったアルバムじゃないですか。要は、何曲かレコーディングしてる最中にEAST END×YURIの「DA.YO.NE」が爆売れしちゃったわけですよね。

市井 取材しなくても知ってるじゃないですか(笑)。そのまま書いてください(笑)。

吉田 まとめると、「レインボー・スキップ」発売と同時期の94年2月にイベントでEAST ENDと共演してユニット結成、6月にデビューミニアルバム「denim-ed soul」をファイルレコードから発売、8月にエピックから「DA.YO.NE」がシングルカットされてメジャーデビュー、一気にブレイクして忙しくなって9月にTPD卒業という、その流れはご自分としてはどういうふうに受け止めてたんですか?

市井 EAST END×YURIがあんなに売れるって誰も思ってなかったから。プロモーションビデオも自分たちで撮ったぐらいで。GAKUさんが大学の機材で編集して、画質がガサガサのプロモーションビデオを作って。

吉田 まだ日本でラップが売れる土壌ができる前ですからね。

市井 「JOYHOLIC」をいつ出せるんだろうと思っていたけど、そんなこと考えてる暇がなくなっちゃった。

吉田 死ぬほど忙しくなって精神的にヤバいレベルになったって聞いていますよ(笑)。

市井 誰に聞いたんですか⁉

吉田 市井さん本人から聞きました!

市井 そっか(笑)。

吉田 ごはんも食べられないくらいの過密スケジュールだったって。

市井 本当に。ずっと働いてた。

吉田 言い方は悪いですけど、TPDで売れたいと思っていたのにまったく売れない数年間があったわけじゃないですか。それで好きだったラップをやったら異常な売れ方をして。市井さんはたぶん忘れていると思いますけど、「JOYHOLIC」の制作がペンディングになったとき、菊地成孔さんに「こんな女子ラップなんて半年ももたないから、すぐにこっちに戻ってくるんで待っててください」って言ったらしいんですよね(笑)。

市井 ひどい(笑)。でも言ったかも(笑)。

吉田 そしたら永遠に待ちになっちゃったって言ってましたね。

市井 でも、EAST END×YURIをやってる頃は、けっこう叩かれたりもしたから。

吉田 ラップをやっている人たちに?

市井 そうそう。「俺だったら、こんなアイドルクソラッパーに参加してくれとか頼まねえ」みたいなことも言われたけど、ラジオで「こっちこそ、お前なんかに頼まねえよ」って言ったり(笑)。「そういうこと言うなら100万枚売れてほしいよね」とか言ってたんです。そしたら「毒を吐かないでくれ」って、放送では全部カットされちゃって。

吉田 いわゆるファンキーグラマー系(※FUNKY GRAMMAR UNIT:RHYMESTER、EAST END、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、MELLOW YELLOWを中心としたヒップホップコミュニティ)のラッパーに対して、不良っぽいラッパーの人たちがまだ批判的だった時代というか。

市井 全然関係ないけど、この前RHYMESTERの日本武道館公演に行って、すごいカッコよかった。

吉田 あの「DA.YO.NE」の歌詞に出てくる“佐々木”がこんなになったとは、って。

市井 そう(笑)。

吉田 今では誰も宇多丸さんのことを“佐々木”なんて呼んでないですからね。

市井 ははは。確かに(笑)。

早くソロのレコーディングがしたいって文句言ってた

吉田 「JOYHOLIC」に入ってる曲は93年から録ってるんですよね。

市井 それってなんでわかるんですか?

音楽ナタリー ブックレットに書いてあります。

市井 そうなんだ(笑)。

吉田 最初のシングルに収録された2曲(「レインボー・スキップ」「さよならの秘密」)が93年の録音ですね。そこからアルバムの制作が動き出して94年に4曲をレコーディングして。その頃は「半年で女子ラップの活動を終わらせるから」ってノリで作っていたら、「あれ? 全然終わらないぞ?」ってなっていくわけですよね。

市井 すっごい文句言ってたと思う。早くソロのレコーディングをやりたいって。

吉田 せっかく売れたけど、その状況を楽しめるような感じではなかったんですか?

市井 でも楽しんではやっていましたよ。

吉田 ただ、ソロも早くやりたいっていう。

市井 いつ次に行けるんだろうっていうのがあったと思いますね。

吉田 ご自分では何をやりたいみたいなのはあったんですか? ラップはもともとやりたかったわけじゃないですか。それが実際それだけやれる状況になって。

市井 とりあえず「JOYHOLIC」を早く発売したかった。

吉田 でもレコーディングもできない状況で。制作から発売まで、こんなに期間が空くことって普通ないですよね。で、2年ほど制作中断して、96年5月にEAST END×YURIが最後のシングルを出して、そのくらいからソロ活動に戻っていって残り6曲をレコーディングして。

市井 わからない(笑)。

吉田 確実に市井さんが知らなさそうな話をすると……。

市井 何? 怖い(笑)。

吉田 全然怖くないですよ。最近「JOYHOLIC」がサブスク解禁されたじゃないですか。よく見たら1曲だけカットされてますけど、あれはサンプリングしたThe Bugglesの関係ですよね?

市井 サンプリング問題だよね、絶対。

スタッフ あれはダメなんですよ。当時の契約の問題があって。

市井 そうなんだ。

吉田 当時はサンプリングの権利関係が今よりもユルかった時代で、自由にいろいろやっていたんだけど、今は許可を取ってちゃんとお金を払わないといけない時代になって。いろいろややこしいんですよ。

市井 あの曲だけ、サブスクだと聴けないんですね。

吉田 サブスクだとカバー曲だけ外れているとかよくあるんですよね。

市井 へえ。

プロモーションの途中でロンドンに

吉田 ご自分では「JOYHOLIC」というアルバムには思い入れがあったわけですよね。いざ制作が再開したときはどんな感じだったんですか?

市井 がんばろうって思ってたけど。その後、どうしたんでしたっけ?

吉田 ボクに聞かないでくださいよ(笑)。

市井 なんでライブとかやらなかったんだろう? 「JOYHOLIC」を出して、ちょっとテレビで歌ったりもして、すぐに次のミニアルバムの「furniture」の制作に入ったのかな。「JOYHOLIC」が出たあとに、もうちょっと何かやればよかった。なんでやらなかったんだろう?

吉田 当時そんなにプロモーションしてないんですか?

市井 歌番組は出た気がする。朝本さんが鍵盤を弾いてた。

吉田 ライブはやってない?

市井 やってないと思う。それからどうしたんだっけ?

吉田 前回お話を聞いて驚いたのは、次のアルバムの「furniture」のプロモーションの途中に市井さんがロンドンに行くって勝手に決めちゃったってことでした。

市井 そうだ(笑)。

吉田 ひどすぎる話だったんですよ。「furniture」もいい作品なのに、途中で仕事を放棄して(笑)。

市井 放棄(笑)。そう、ロンドン行っちゃったんだ。でも「furniture」のほうが好きっていう人もいるんだよな。

吉田 「furniture」の路線もご自分の意思だったんですか?

市井 「furniture」はLaB LIFeさんが一緒のレーベルにいて、たぶんNatural Calamityさんもちょっとだけ知り合いだったから曲を頼んでみようかって感じだったと思います。今回は自分で歌詞も書こうって……豪さん、「furniture」にはあんまり興味ないでしょ?(笑)

吉田 ありますよ! もちろん好きで聴いてますけど、「JOYHOLIC」が好きすぎるんですよ。

市井 全然興味ないでしょ(笑)。

吉田 そんなことないんですよ! 前の取材のときにも私物の「furniture」を持って行って、「これ持ってる人少ない」ってイジられてます。

市井 そうでしたっけ(笑)。そのあとどうなったんだっけな。

吉田 「furniture」は97年11月リリースで、「JOYHOLIC」から1年3カ月くらい空いてるので、けっこう余裕があるはずなんですよ。この時期、何をやってたんですか?

市井 病んでたのかな(笑)。

吉田 ようやくスケジュールに余裕ができて、のびのびしていたんですか?

市井 何してたんだろう。アパレルの仕事もまだ始めてないしね。結婚もしてないし。

吉田 恋愛は始まってるくらいだろうし、楽しく生きていたんじゃないですか? 「ロンドン行きたいなー」って思いながら。

市井 ロンドン行っちゃったんだよね、結局(笑)。それは本当です。当時のマネジャーにめっちゃ怒られた。「そんなこと言わないで、仕事して!」って。

吉田 「えー、だってロンドン行きたいんだもん!」って感じで。

市井 「もう行くもん!」って(笑)。

吉田 つまり「furniture」を出した時点で、音楽活動をやる気はなくなっていたんですか?

市井 のかなあ。たぶん(笑)。海外行きたいって思っていたかもしれない。

吉田 売れるっていう経験もできて、いいアルバムを作れたし、もう音楽活動はいいかなって?

市井 旅立ちたかったんじゃないかな、すぐに(笑)。

吉田 自由な人なのはわかります。

市井 そうなのかな? 自分のことはわからない(笑)。

GAKU-MCのライブに出演した理由は…

吉田 本当に変わったタイプの人というか、ストリートカルチャーに根付いた人が冬の時代のアイドル界に入ってきて、いい感じにアイドル界を変えてくれたんだと思います。そしてラップの種を植え付けて、こういう奇跡的なアルバムを出し、そして自由にいなくなり(笑)。

市井 いなくなりましたね(笑)。

吉田 そして自由にちょこちょこ戻り(笑)。

市井 ははは。こないだもジェーン・スーさんにお会いしたとき「音楽活動、始めたんだよね?」って言われたから、「いや始めてません」って(笑)。GAKUさんのライブにゲストで出て、アナログも出させてもらったから、活動再開?って思っている人も多いみたいですね。でも、活動再開してないんです。ありがたいことにお仕事の依頼はいただくんですけど、「できるのかな?」って感じで。でも楽しそうなことはやろうかなと思っているのは変わらないです。

吉田 ジェーン・スーさん、当時のエピックで宣伝やってた人ですからね。ボクもバカなフリして、以前、自分がやってるLOFT9のアイドルイベントでオファーしましたよ。「市井さん歌ってくれるんじゃないですかね?」って。ちゃんと連絡が届いているかどうかわからないけど。

市井 あったっけ? 楽しそうなのはやります。

吉田 こんなに素晴らしい作品だって言い続けているにも関わらず、ボクは「JOYHOLIC」の収録曲をちゃんと生で聴けてないのが心残りなんです。今回の7inchシングルの発売記念イベントとかやる気ないんですか?

市井 この前のGAKUさんのライブには2曲だけ出させてもらいましたけど。

吉田 正直、市井さんが表舞台から姿を消したときはもう生で歌を聴くのは無理なんだろうなって思ったから、2017年にMAGiC BOYZとのコラボ曲(「パーリーしようよ」)を出したりとか音楽活動を微妙に再開したとき、もしかしたら可能性があるのかな?と期待したんですよ。

市井 GAKUさんのライブに出たのは、ソロ活動の周年企画でお願いされて。そもそも、なんであのライブに出たかって言うと、COTTON CLUBを見てみたかったんですよ。おめでとうの気持ちもあったけど、「COTTON CLUBはすごい」ってみんなが言うから行ってみたいなと思って(笑)。

吉田 そんな理由(笑)。

市井 そう。COTTON CLUBいいじゃんとか言って。以上(笑)。すごいよかった、COTTON CLUB。

吉田 「私も歌いたい」って気持ちにはならないですか?

市井 「できるのかな?」って気持ちが先かも。昔すぎて。

吉田 声が出なくなってるとか?

市井 でも、COTTON CLUBに出たとき、みんなに声が変わってないねって言われて。自分じゃ全然わからないんですけど。

吉田 今日の取材前にネットで検索していたら当時のレビューとかも出てきて、それを読んだら「正直、歌唱力は……」とか書かれていて。「レインボー・スキップ」も大好きな歌ですけど、冒頭「……うん?」ってなる部分ありますからね(笑)。

市井 ははは。でもカラオケでたまに歌うかも。

吉田 やれると思いますよ。今回7inchアナログが出て、生で観たいと思う人はたくさんいるはずだし、せっかくだから「JOYHOLIC」もアナログで出せばいいのにと思ってます。

市井 それ、ソニーの人に頼んでるんですよ!

スタッフ がんばります(笑)。

市井 「JOYHOLIC」のレコード欲しい。

アナログ化の話を聞いたときは「え? なんで?」って

吉田 今こうやって自分の作品が再評価されていることにはどういう思いがありますか?

市井 すごくうれしいです。でもアナログ化の話を最初聞いたときは「え? なんで?」と思って。ナタリーさんの企画って最初わからなかったんですよ。デザイナーの陽子ちゃんに「今、かわいいジャケット作ってるからね」って言われて。

吉田 「なんの話だ?」って。

スタッフ 当時のデザイナーにアナログ盤のデザインもお願いしたんです。

市井 あとから聞いて「めっちゃうれしいんだけど!」って。

吉田 ボクの地道な再評価活動がプラスになってたらうれしいです。

市井 なので我が家にあった最後の1枚を差し上げます(笑)。

吉田 そういえば昨日もかせきさいだぁさんと会っていたんですよ。

市井 仕事?

吉田 ボク、しまおまほさんと仲よくて一緒にイベントやってるんですけど、そこに子供を連れてかせきさんが来て。

市井 しまおまほさん、RHYMESTERのライブのあとに関係者の中にたぶんいらっしゃったんですよ。「めっちゃかわいい!」と思って。でもジェーン・スーさんと話してたから声かけられなかった。アナログ盤ができたら、かせきさんから渡してもらおうと思ってたんだけど。めっちゃかわいいと思ってすぐわかったんですけど、私のことはわからないんじゃないかな。

吉田 わからないわけないじゃないですか。あの人、いろんな人のインスタを異常にチェックしてる人ですよ!

市井 へえ(笑)。

吉田 そして、とにかく市井さんが素晴らしい作品を残しているのは間違いないってことなんですよ。

市井 はい。ありがとうございます(笑)。

吉田 だから、また歌ってくれないかなとずっと思っていて。

市井 はい(笑)。

吉田 大々的に何かをやろうっていうスイッチは入らないけど、何か企画があればやるかもしれないって感じですか?

市井 楽しそうなことなら。

吉田 ボクらができることはどうにか説得して歌ってもらうことなので、とにかく生で歌声を聞かせてください!

市井 あはははは!

音楽活動は楽しそうだったらやります

音楽ナタリー ちなみに今回は再発ですが、新作を作りませんか?というオファーがあった場合はどうします?

市井 楽しそうだったらやります。でも、私にできるのかなって思っちゃう。音楽活動から離れすぎてて。

吉田 って言いながらも、MAGiC BOYZとのコラボとかもやってるじゃないですか(笑)。20年くらいやってないならわかりますけど、一度復活してるのに!

市井 でも、こないだのGAKUさんのライブもリハで1回だけ通して歌って、曲のサイズを確認しただけで出ちゃったから大丈夫だったかなって。みんな楽しそうだったからよかったのかな。

吉田 とにかくボクらはいつでも待っています。

音楽ナタリー もしかしたら、当時の音楽活動はご自身の中で黒歴史になっているのかな、と思っていたんですよ。

市井 全然、全然!

吉田 よく誤解されていますよね。TPD時代のことを話すのは嫌なんじゃないかとか。全然なんですよね?

市井 全然!

吉田 TPD関連の作品がアナログ化されるのはこれで何枚目ですかね? 木原さとみさんの「カーニヴァル」が出て……。

スタッフ あとは角松敏生さんがプロデュースした米光美保さんの「恋は流星 SHOOTING STAR OF LOVE / MOONLIT MERCY」、それとTPDの「WAKE ME UP!!」を出してるので4枚目ですね。

市井 へえ、そうなんだ。アナログって1枚いくらでできるの?

吉田 けっこうします! 大変ですよ、今は。

スタッフ 薄利多売ですね。

吉田 売値もすごいことになっていますね。

スタッフ 2,000円+税なので。

音楽ナタリー でも、「恋がしたかった」は予約の段階でかなり売れたんですよね?

スタッフ おかげさまで店舗の予約分が即完売しちゃったんで、追加分の在庫を放出して。現状ほぼ完売です。

市井 それってすごい?

スタッフ すごいです!

市井 そういうの全然わからない。

吉田 EAST END×YURIでバカ売れを経験している人だから(笑)。

市井 そういう意味じゃなくて(笑)。でも何も活動していないのに、ファンの皆さんが予約しましたって言ってくれるから本当にうれしくて。

スタッフ Xでリリースを発表したときもバズりましたね。

市井 私、インスタを非公開にしてて、自分に興味がある人だけ見てくれればいいやと思ってたんですけど、小泉今日子さんが事務所のアカウントでアナログ化のニュースに触れてくださったのを知って、非公開にしている場合じゃないないと思って鍵を開けたんですよ(笑)。ちなみに豪さんって今、アイドルだと誰が好きなんですか?

吉田 え! ひと言では言えないですけど、いまだに曲がいいと思ったら騒ぐっていう活動は続けていて、その原点に「JOYHOLIC」があるのは確実で。ただ、今は普通にいい音楽をやるアイドルは増えたんですよ。「JOYHOLIC」が出た頃は、いい曲がまだ少なかったからこそ、こんな面白いことやっている人がいるよって騒ぐ必要があって。そういう話ができるのが当時リリー・フランキーさんくらいしか周りにいなかったんです。

市井 へー。

吉田 当時、リリーさんとアイドルの8cm CDとかを流すイベントをやってて。CDJもまだないような時代(1994年発売)だから、ディスクマンを2台並べてDJやってたりして(笑)。で、リリーさんと出かけるときに、ちょうどEAST END×YURIの最初のミニアルバム(「denim-ed soul」)を池袋のパルコで買ってから合流して、「何買ったんだ?」って言われたんで、リリーさんに見せたら「豪も変なCD買うんだな」って。当時は、アイドルに理解ある人でも「また豪がTPDの変なラップのCD買ってるぞ」っていう感覚だったんですよね。

市井 「denim-ed soul 2」のジャケとかおしゃれなんだけどね。

吉田 めちゃめちゃいいですよね。衝撃でしたよ。こういうものも出せる時代が来たと思って。あそこまで売れるのが想定外だっただけで。そしてソロアルバムの発売がこんなに延びるのも想定外で。

市井 ははは。

「DA.YO.NE」がヒットしたタイミングで「JOYHOLIC」が出ていたら

吉田 もしも「DA.YO.NE」がヒットしたタイミングで「JOYHOLIC」が出てたら、世の中的な評価も全然違ってたんじゃないかと思うんですよ。

市井 あー。ディレクターとも、もしもEAST END×YURIがなくて、「JOYHOLIC」みたいな作風で活動してたら、もっとライブ活動とかしてたのかもねって話すんですよ。

吉田 EAST END×YURIが売れすぎた結果、芸能活動に疲弊しちゃったわけじゃないですか(笑)。それがなかったら、もうちょっと自然体で活動できたのかもしれないですよね。

市井 当時はスケジュールの組み方がひどかった(笑)。家に帰って、お風呂入って、2時間くらい寝て、すぐ仕事って感じの3年間でした。でも、やっぱりあれだけ売れる経験ってそうできないから。

吉田 紅白にも出て。

市井 そう。今思うと最高だったなって思いますね。

吉田 世の中にラップを広げた功績とか、EAST END×YURIって今思えば重要な存在だったと思いますよ。

市井 アイドルクソラッパーが(笑)。当時「音楽と人」編集部の市川(哲史)さんがかわいがってくれて。最初の取材のときも「私、アイドルクソラッパーだけど、こういう雑誌にインタビュー載せていいんですか?」って言ったらすごく気に入ってくれたみたいで。「自分でそういうこと言うんですね!」って感じで。

吉田 ちなみに当時ディスられたとき傷付きはしたんですか?

市井 全然(笑)。「は? 私めっちゃ働いてますけど?」みたいな(笑)。でも私はともかく、EAST ENDはかわいそうだった。きちんと歴史を刻んで活動してきたグループなのに、私と組むことでいろいろ言われて。

吉田 ヒップホップシーンも今は昔ほどややこしい感じじゃなくなってるじゃないですか。ピースフルな人もバイオレントな人たちも意外と仲よくなって。

市井 バイオレントな人たち(笑)。今のラッパーの人たちって顔にタトゥーがありますよね。

吉田 今は本当に悪い人たちがいますから(笑)。

市井 本当、私「オールナイトニッポン」ですごい文句言っていたかも。「何か言ってくるんだったら、これくらい仕事してから言ってほしいわ」って(笑)。

音楽ナタリー でも、今日お話を聞いて、市井さんが当時の音楽活動に前のめりだったことがよくわかりました。作品のアートワークのこととかも覚えてらっしゃったりとか、すごく意外で。

市井 ジャケ写やアー写の撮影でも私服を着たり、アートワークも含めて作品に積極的にかかわりたいっていう気持ちはありました。EAST END×YURIのシングル「ね」のジャケットで着てるスウェットって本当はスヌーピーがプリントされてるお気に入りの古着だったんですよ。だけどジャケットになったらプリントを消されてたの。

吉田 ああ、権利の関係で。

市井 無地の地味なスウェットになっちゃった(笑)。「最初に言ってよ!」ってディレクターとめっちゃ喧嘩になった。私いまだに超ヤだ。すごいかわいいビンテージのトレーナーだったのに(笑)。

市井由理(イチイユリ)

1990年に東京パフォーマンスドールのメンバーとしてデビュー。同年にソロ活動をスタートし、93年1月に1stソロアルバム「YURI from Tokyo Performance Doll 」をリリースする。94年には、ヒップホップグループEAST ENDとの競演をきっかけに、EAST END×YURIを結成、同年8月に発表した1stシングル「DA.YO.NE」は日本語ラップ曲として初のミリオンセラーを記録。95年には「第46回NHK紅白歌合戦」に出演を果たした。96年にはアイドルポップの名作として知られる2ndソロアルバム「JOYHOLIC」をリリース。翌年にミニアルバム「furniture」を発表するも、英国ロンドンに留学し、長らく歌手活動を休止する。2017年にはMAGiC BOYZの1stアルバム「第一次成長期~Baby to Boy~」の収録曲「パーリーしようよ」に参加し、ひさしぶりに歌声を披露。2024年4月3日には、小泉今日子が作詞、朝本浩文が作曲と編曲を手がけた1996年発表のシングル「恋がしたかった」がアナログ化された。

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小泉今日子の新プロジェクト「シン・コイズミックスプロダクションズ」始動、第1弾楽曲は

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小島麻由美

小島麻由美が吉祥寺でワンマン、その名は「武蔵野ミステリートレイン」

約1か月
「室井慎次 生き続ける者」ポスタービジュアル (c)2024 フジテレビジョン ビーエスフジ 東宝

小泉今日子演じる猟奇殺人犯が登場「室井慎次 生き続ける者」予告公開

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